第十四話「生きて」⑧
灯弥と鍾馗は距離を取り、互いに攻め入る機を窺っている。その張り詰めた空気のなか、灯弥が嘆かわしく口を開いた。
「ショウキ。お前も思ったはずだ。世の中にとっては所詮、他人事だと。――人は忘れる。いいように解釈して忘れるんだ!」
「だからこそ、なぜスミレの死を無駄にすると聞いておるのだ!」
咆哮から間を置かず、鍾馗は灯弥の懐に跳び込んだ。灯弥は繰り出された拳を躱すことなく、右手で受け止める。衝撃に大地が揺れ、砂塵が舞う。そして、灯弥の右腕を覆うバンテージが弾け、するりと落ちた。
そこにあるものを鍾馗は知っている。
肘から指先まで青白い炎で作られた、その腕を。
それを見つめる鍾馗の眼光。再び膠着に陥ったその時、灯弥はそこに、悔恨と復讐の炎を見た。
「同じだ、ショウキ。お前も同じなんだ。だからこそ、無駄にはしない」
「知っておろう! あやつが身重であったことを!」
その言に、灯弥は顔つきを口惜しげに引き締めた。だが鍾馗は、
「だのに、貴様は――」
と苦々しく睨みつけるだけで、それに続く無念を口にしない。
胸の奥に沈ませて、長らく見て見ぬふりをしてきた感情があることを、ふたりはわかっている。いまなおそれを噛み殺し、彼女の死を悼み続ける盟友に、灯弥は、
「……ショウキ」
と険を和らげた。
しかし、
「言うな!」
まなざしに同情を感じ取った鍾馗は、それをかなぐり捨てるように制した。
「ワシは、お前たちが幸せであればそれでよかった。……そう、それだけでよかったのだ!」
鍾馗は掴まれている拳を一方的に払うと、弾かれるように距離を取った。
灯弥はそれを目で追いながら構え直す。が、苦も無く着地するかに思われた鍾馗が片膝をつき、あまつさえ苦しげに咳込みだしたものだから、動揺の色を浮かべずにはいられなかった。
「ワシが代わるべきだった。いまでも思うぞ!」
鍾馗は悲愴に歪む顔で友を見据える。そして諭すように、懇願するように、言葉を続けた。
「ワシは、残りの命をかける。――戻ってこい。お前たちは英雄だ。それを正しく刻まんでどうする。トウヤ!」
言われ、灯弥ははっと自問するかのように眉間のしわを薄くした。
そう、英雄である。文明をも滅ぼしかねない黄金の繭を退けた、人類の救世主だ。その名誉と引き換えに四人の命が失われ、自分だけがひとり、生きている。
だが、その重くのしかかる現実が耐えられなかったわけではない。
「俺は――」
と、口を開きかけたその時。
「養父さん!」
神楽夜の澄んだ呼び声があたりに響き、ふたりはそちらに尻目をやった。
「その腕……」
養父の右腕を見た神楽夜は言葉を失った。ひとつ屋根の下で暮らしてはいたが、いつも巻かれている薄汚れたバンテージのその下が果たしてどうなっているのか、彼女はついに知ることはなかったのだ。いまになって目にした事実に、ただただ驚愕せざるを得なかった。
「下がっておれ!」
間髪入れず鍾馗が制するが、それが彼女を我に返すきっかけになった。養父に問わねばならぬ神楽夜はさらに一歩、前へ踏み出る。
「このままじゃ国がなくなる。家も、なにもかも。それでいいわけ、養父さん!」
「――サクヤを連れて日本へ帰れ、カグヤ」
神楽夜の熱量に反し、灯弥の返答はにべもないものだ。
「その場所がなくなるって言ってんじゃん!」
まったくこちらと向き合おうともしないその返答に、ついに堪忍袋の緒が切れた。思えば行方をくらまして三年、ようやく再会したというのに子供を気遣う言葉もない。
「なにが変革だ。力があるやつを除こうって言うなら、養父さんはどうなのさ。アービターは!」
吼える義娘に灯弥は、
「……そうだな」
と静かに己の矛盾を認めると、唇を真一文字に結んだ顔をゆっくりとそちらへ振り向ける。
彼と対峙していた鍾馗はその動きを瞬時に察し、阻止すべく踏み込もうとした。
しかし、灯弥の速度はそれを上回る。
狙うは自らに物申す神楽夜――ではなく。
ヴェントゥスへ続く階段にて、朔夜と剛三郎が引っ張る担架代わりの盾を下から押す、レジーナ・シスルだった。
彼女が砂地を裂く一陣の風に気づき、はたと顔を振り向けた時、眼前に迫る灯弥はいままさに拳を突き出そうとする瞬間にあった。その眼に感情はない。そこに映っているのはおそらく、これから手を下す相手の打ち捨てられた姿だろう。そう直感したが、もう遅い。
不可避の拳が放たれる。脳漿をぶちまけ、頽れる現実が迫りくる。
刹那。
突如横から駆け込んできた剛風、そのなかに。
彼女は、ひとつ結いの黒髪が流れるのを見た――。




