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第十四話「生きて」⑦

 砲弾飛び交う戦場のごとき轟音は、船内で夫を介抱するアルマのもとにも届いていた。

 ジックは額に脂汗を浮かせ、苦悶の表情でベッドに横たわっている。アルマはいじらしくもその汗を拭うが、艦が地鳴りに震えるたび外を気にし、手を止める。

 そして、その視線を不意に天井へ向けたかと思えば、

「どうして……」

 と、なにかを察したかのようにつぶやき、眉をひそめた。

 沈黙する間も、外からの鳴動は続く。

 やがて彼女は逡巡に翳る面持ちを夫へ戻すと、彼の苦しげな寝顔を見つめ、切に願うように瞳を閉じた。

 その心に去来するものはなにか。おそらくこの艦で、それを推し量れる者はいないだろう。

 次に瞳を開いた時、彼女は唇をきつく結び、決意の火をその目に灯して、出口へと身を翻す。

 その腕を、ジックが掴んだ。

 右手首に感じた圧に、アルマは小さく息を呑む。

「どこに、行くんだ」

 まるで見透かしたような問いかけであり、同時にそれは、「行くな」という哀願でもある。アルマは返しあぐね、背を向けたまま唇をかすかに動かした。

 いつしか外からの爆音は静まり、六畳ほどの室内にはいたたまれない沈黙だけが残っている。

 ジックは、こちらを向いてはくれない妻から哀れにも目を伏せた。

「――俺は、お前が行きたいところに行ければ、それでいい。生きてさえいてくれれば、それでいいんだ」

 言葉を重ねるにつれ、その手には熱が込められていく。手首を包む優しさと、されど放すまいとする夫の意思を、アルマはよくわかっていた。

 そう、わかっていたのだ。

 この時間は永遠ではない。夢はいつか覚めねばならない。いくら欺瞞でつないでも、すべからく終わりはやってくる。真実という名の終わりが、やってくるのだ。

 アルマ・ブレイズの夢が終わる、その時が。

「それは……」

 言い淀む妻に、

「なにか、俺にできないか。いままでも、ふたりでそうしてきただろ? ふたりで逃げたあの時から、ずっと」

 ずっと。ジックは確かめるように背中を見つめ、「ふたりで」と口にした。

 全身を苛む真っ赤に燃えるような鈍痛よりも、いまは、妻の惑い苦しむさまを見るほうが耐えがたい。

 ともに生きると誓ったのに、こうして手をつないでいるのになぜか、妻が遠い。

「私は――」

 そう言って握り締められる右手を見て、ジックはどこか確信を得たようにうつむき、

「……いい。言わなくて」

 と、諦めを含んだ緩慢さで手を離す。

 そして。

「お前――アルマじゃ、ないんだな」

 紡がれた言葉に、彼女のまつ毛が、震えた。

 その瞬間の女の心は、美麗な薔薇が急速に枯れ落ちていくようだった。

「どう、して」

「はじめは、素直に嬉しかった。出会った頃みたいに元気になって……。でも、そんなはずないんだ。アルマの体は、もう……」

 施設で適切な処置を施さねば生きられない。それが、試験体として製造された人造人間の宿命である。

 ジックはそれを知っていて彼女を連れ出した。無論、彼女もそれに同意して。

 人間の欲望のためにその身その命を弄ばれるよりも、はるかにましだったのだ。たとえ数日、数か月の命だとしても。

 心を許せる誰かとともに生きることは、なにものにも代えがたい喜びだったのである。

 そのような奇跡に巡り合えたことだけで、彼女は幸せだったのだ。

 柵越しでなく言葉を交わせる。その頬に触れられる。ふと横を見れば、その人がいる。手をつないでどこにでも行ける。身を寄せ合って夜を越えられる。

 なにも怖くはなかった。

 ひとりで次の日に怯えることもなく、ただ、自分を包んでくれる優しさだけがそこにある。

 なんと、救われたことか。

 苦しみなどなかった。彼と生きられるのなら、そこに苦しみなどあるはずがなかった。

 ただ幸せだった。

 どこにも行って欲しくはなかった。

 でも。

 きっと自分は彼を置いて逝く。

 それが、彼女には心残りでならなかった。

 だから――。

「そう……私は、あの子じゃない」

 告げて、アルマの姿をしたそれはゆっくりと振り返る。

 どんなことになろうとも、彼女の最期を見届ける。そう決めていたはずなのに、いざその時になるとどうしても怖じ気づいてしまう。

 認めれば終わってしまう。それでも目を逸らすことは許されない。これは自分が決めたことなのだ。自分が選び取った結末なのだ。

 ジックは、優しくも力強いまなざしを彼女に向け続けた。

「私はアルマトゥーラ。エクスプリゲートのひとり、イデアを守護する盾の、アルマトゥーラ」

 その言葉がもたらした痛みは、心の臓を冷たい手で甘くわしづかみにするかのようだった。

「この体は、紛れもなくアルマのもの。あなたと過ごした記憶も、ここにはある。でも、アルマは――」

 ジックは寒くもないのに体の内側が震えだし、ベッドに座したまま頭を垂れるとそれを、

「もういい」

 と、力なく振った。

 生きてさえいてくれればそれでよかった。その言葉に、偽りはない。

 けれど、彼は目の前に生きて立つ彼女をもう見ることができなかった。見てしまえば、それがたとえ偽物だとしても、愛さずにはいられないとわかっているから。

 彼はアルマの形だけを愛したわけではない。まだ見ぬ世界に触れてみたいと願うその心に寄り添いたかったのだ。

 それを忘れてはいない。だからこそ。

 つないだ手の温かさが、こうして交わす言葉が、一緒に逃げたあの日からなにも変わらない彼女の優しさが、どうしようもなく、逃げ場になる。

(どうして……)

 ジックは悲しみと動揺と、そして悔しさがない交ぜになった苦悶の表情を浮かべた。

 さきは長くないと、施設から逃げたふたりは言葉を交わさずともわかっていた。あえて口にしなかったのだ。

 言えばきっと、逃げられなくなる。

(ああ――。ずっと、背を向けて、逃げて)

 あの日から、なにも変わってはいない。飛べる心を思い出しても、つらい現実から逃げようとするこの性根だけは、腐ったままだった。

 いよいよ差し迫った様子のアルマトゥーラは、部屋をあとにするべく踵を返す。その背中をジックは咄嗟に呼び止めた。

「アルマ!」

「――私、行かないと」

 扉の前で立ち止まった彼女は振り返ることなく肩越しにそう答える。それでも構うことなくジックは続けた。

「どうしてなんだ」

 なぜ行くのか。そういう問いだと思った彼女は答えを返そうと口を開きかけたが、

「どうして、アルマ(あいつ)は」

 と重ねられた言葉に、一度間を置いた。

「あの子は、最期の最期まであなたを想ってた。あなたに悲しんで欲しくなくて、あなたに笑っていて欲しくて……自分を、忘れないで欲しかった」

 夢を。

 愛する人と生きるという夢を、ほんのわずかでもいいから、長く。

 せめて、彼には見ていて欲しかった。

「だから、彼女を構成する人格の部分に、アルマトゥーラ(わたし)を上書きしたの。そうすれば、肉体が抱えていた機能不全も補えるから」

「……お前は、いったい」

「それをあなたたちに明かすことは、できない。……でも、信じて」

 言って、彼女は振り返った。

 その顔はまるで、成長していく我が子を見守る母のような、そんなたおやかさに満ちていた。

「きっと、<アービター>という存在には意味がある。あなたたち人間だけがその力を宿せることにも、きっと。だから絶対に、あいつらの思いどおりにはさせない」

 それだけを言い残し、彼女は呼び止める間もなく去って行く。

 ジックは追いかけようと立ち上がり、しかし、駆け抜けた激痛に倒れ込んだ。

「アル、マ」

 絞り出した呼び声は届くことなく、静まり返った室内に霧散する。

 部屋を飛び出したアルマトゥーラは階下の出口を目指し、ひたすらに駆けた。

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