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第十三話「神が定めし運命なれど」⑯

 襲撃は、決して偶然ではなかった。

 作戦の時刻が近づき、九垓がイネッサとの稽古を切り上げて大部屋をあとにしようとした時である。

 施設全体に不安を掻き立てる警報が鳴り響いた。

 部屋の隅でコンテナに腰かけ、十時間に及ぶ訓練で疲労困憊の様子でいたイネッサは、ぐったりと垂れた頭をばねのように跳ね上げる。

「なに!?」

「……ビリエラのやつ、先手取られたな」

 九垓は険しい顔で天井を睨み上げたあと、不安げな顔つきで背後に駆け寄ってきたイネッサに首をねじ向けた。

「逃げるぜ」

「まさか、連合……?」

「さてな。ま、なんにせ、長居は無用だ」

 請け負ったのは連合基地の襲撃である。この基地の防衛は契約に含まれていない。

 薄情にもさっさとずらかろうとする九垓に、

「いいんですか」

 とイネッサは訊いた。それに九垓は「なに言ってんだ」とでも言いたげな顔で振り返る。

「あ?」

「ビリエラさんたちのこと、助けなくて」

 九垓にとって、ビリエラに協力するのはあくまで仕事だ。彼女がかつての戦友であるのは事実だが、それと自分の命とを天秤にかけるようなことを、この男がするはずはない。

 わかっている。けれどイネッサには、ビリエラと話す九垓が、心の底から安心しているように見えてならなかった。

 傭兵という生き方を選ばざるを得なかった彼にも、金銭だけがすべてではない、時として情を取るそんな心があるはずだと、信じたかった。

 訴えかけるようなまなざしを送るイネッサを、九垓はしばし真顔で見つめ返した。

 そのふたりの沈黙を、彼方から聞こえた爆発音が打ち破る。天井の照明が明滅する。床を伝ってくる振動がこの施設への攻撃が本格化したことを報せた。

 考える時間はそう多くない。

「――そいつは、俺の仕事じゃない」

 無感情についと踵を返す九垓に、イネッサは愕然とした。

 出入口の自動扉が九垓の接近に反応して横に滑り開く。すると、どこからか断続的な銃声が聞こえてきた。

 イネッサは息を呑んだ。

 九垓は扉の枠に背を這わせ、慎重に顔を出す。片目で通路の様子を窺うと、部屋のなかのイネッサを見ることなく手招きした。

 文句はあるが、いまは指示に従うほかない。イネッサは九垓の横に並び、壁に背をつける。

「最初にでけえ広間あったろ。そこまで行ったら、あとはグスタフで脱出する」

 九垓は通路に注意を配りながらその手に青い炎を灯し、現れ出たトンファーを握った。

「お前も武器出しとけ」

 正直なところ、イネッサは思考が止まっていた。いまはまだ遠い銃声だが、ここはもう戦場である。悲鳴が聞こえないのは、ここにいる者たちがみな志をともにする戦士だからであろう。

 そう言えば、多少、聞こえはいいのかもしれない。

 だが、ビリエラの自室に向かう途中ですれ違った少女も、老婦も、たった一発の銃弾で死ぬかもしれないのだ。

 その逆もまた然り。そうしなければ生きられない。

(そんなのって)

 イネッサは手元に燃える青い炎を悲しげに見つめた。

 ――これは、護身のためだ。

 神楽夜は今朝、鍾馗に背負う刀の意味を問われ、そう答えた。

(重い)

 握った三叉の槍をイネッサは見下ろす。この槍が、魔術が、他者の命を奪うかもしれない。きっと神楽夜の葛藤もそこにあるのだろう。

「敵は俺がやる。お前は自分に弾当たんねえようにだけしとけ。できんだろ――」

 九垓はなんの反応も返さない修道女に顔を向け、言葉に詰まった。

「――はい。行きましょう」

 槍を震える手できつく握りしめて胸に抱いていたイネッサは、戸惑う九垓の前を颯爽と素通りする。

「お、おい、お前」

 そのまま無防備にも通路へ出ようとする彼女を、九垓は慌てて止めた。

「待て待て」

「泣いてません」

「まだなんも言ってねえだろうが」

 九垓はイネッサのまるでへそを曲げた子供のような返しに呆れた。

「爺さんじゃねえが、割り切れ。時間がない。出口固められる前に突破すんぞ」

 イネッサは目を合わせずに頷くのみだ。

 それを確認して九垓は、先陣を切って通路に駆け出した。

 生きるために誰かを殺す。もうずっと慣れ親しんだ生活を、この土地の臭いは思い出させる。

 そうではない世界があるのは知っている。そうではない生き方があるのは知っている。

 けれど、九垓はどうしようもなく思ってしまうのだ。

 これこそが、自分に相応しい、と。

 だからイネッサの涙の意味がわからない。

 わかることは、ただひとつ。

 いつか見た雪の街。平穏な聖夜を迎えるあの街に、自分の居場所はない。ただ、それだけである。

「そこにいろッ!」

 前方を走る九垓が声を荒げ、続くイネッサは顔を強張らせて速度を落とした。

 外へ続くエレベーターまで行くには、このさきにある十字路を右に折れなければならない。

 だがそこに、全身黄土色の戦闘服に身を包んだ兵士が数十名、奥と手間の二手に分かれ、左の通路からの攻撃を耐え忍んでいた。

 無論、九垓たちから見て手前側にいる兵士の集団には、背中を警戒する者もいる。その者が九垓の接近をいち早く察知し、ほかの兵らとともに銃を向けた。

 引き金は躊躇なく引かれる。

 遮蔽物のない一本道、猪のごとく突撃すれば蜂の巣になるのが関の山だ。放たれる銃弾は音速を超える。されど、九垓の反応はそれをも凌駕した。

 飛び込んでくる銃弾の雨を最小限の動きで(かわ)し、必要ならばトンファーで弾く。そうして速度を落とすことなく兵の分隊との距離を詰めていく。

 イネッサはその背中を遠巻きに呆然と眺めた。まるで実感などない。九垓の超人的な身のこなしがそうさせるのではなく、人が他人の命を奪うことに躊躇しないことが、彼女には嘘のように思えてならなかった。

 しかし、

「あッ!」

 左の二の腕を掠めて行った銃弾も、その傷口から零れる熱い血潮も、嘘ではない。

 イネッサは突然走った痛みに三叉の槍を床に落とし、尻をついて呼吸を荒くした。

(死にたく、ない)

 ――いいんですか。ビリエラさんたちのこと、助けなくて。

 よくも言えたものである。いくら荒事に慣れているからといって、九垓も命ある人間だ。それを忘れて容易く「命をかけろ」とは、思慮が足りないというほかない。

 それに、九垓に訊く以前に心は決まっていたのではないのか。

 もし次があるとしたら。この力で父や孤児たちのような悲運を避けられるのだとしたら、迷うことはないと。

 だが、いざ自分の首に死神の鎌がかけられると、途端に身動きが取れなくなる。

(私――)

 イネッサは痛む左腕を右手で厳しく掴み、歯噛みした。

 彼女のはるか前方では、敵兵が九垓の急襲に混乱している。そのなかで、敵兵のひとりが座した彼女に気づき、狙いを定めた。

「イネッサ!」

 九垓の呼び声にはたと顔を上げた彼女だったが、遅かった。たどってきた人生に思いを馳せる時間すらなく、イネッサは呼吸をも忘れた当惑した顔で固まった。

 その頭上を、うしろから何者かの影が跳び越える。すかさず、連続した発砲音が通路に響いた。

 兵士が放った数発の銃弾が、イネッサの額めがけ風を切る。

 目では捉えきれない死の気配が迫る。

 そして、硬直していたイネッサの足元に、向こうから突き飛ばされたかのように仰向けで、何者かが倒れ込んできた。使い古された土気色のヘルメットを被り、胴と脛を防具で固めた短躯の者である。

 倒れた衝撃で、その者の血飛沫がイネッサの驚愕に歪んだ顔面に走った。

「あ、あ――」

 言葉を失った彼女の眼下で、その者はだらしなく口を開け、浅黒い肌のなかでふたつの眼を、ぎょろり、と上に動かす。

 目が合ったイネッサは叫ぶしかなかった。

「ビリエラ!」

 足先に転がるビリエラは、左腿と下腹部、さらに左の頸動脈からも血を吹き出していた。いずれも守りの手薄な部分を撃たれている。特に首筋は致命傷だ。

「どうして!」

 自分の前に飛び出したのか。手をついて顔を覗き込むイネッサに、ビリエラは朦朧とする意識のなかで、傷を負った首筋を片手で押さえた。そして、

「……運、命」

 涙とともにそう絞り出した。

 イネッサは息を呑んだ。その脳裏に、ビリエラが自室で口にした言葉がよぎる。

 ――神様が見てくれてるんじゃないかって、ホント思う。

「そんなの……」

 イネッサは四つん這いの状態から、まるで懺悔するかのようにうずくまった。そこへ、敵兵を鎮圧した九垓が駆け寄り、無惨にも倒れた戦友を見下ろした。

 ビリエラの口元は吐き出された粘度のある血液でべっとりと染まっている。それは頬や顎を伝い、冷たい床にまで至った。胴は防弾衣に守られてはいたが、不幸なことに弾が抜けている。ヘルメット同様、随分使い込まれた代物のようだった。

 彼女は焦点の合わぬ目で、その力なく開けられた口を震わせ、

「おぼ、え、てて」

 と、自分の血液に溺れるようにして言った。

「アタ、シの――」

 まだ言葉をつなごうとするビリエラに、

「す、すぐ治します」

 慌てふためいたイネッサは左腕の痛みなど忘れ、素早く彼女の横に身を移し、とめどなく血が溢れるその首元に右手をかざした。

 癒しの魔術こそ彼女の本領である。命を燃やし尽せば、人ひとりくらい全快にできる自信がある。

 イネッサは念じるように瞳を閉じる。黒い修道服越しにぼんやりと青白い光が浮かんだ。

 その背中に、

「おい」

 と九垓が呼びかけるが、応じてなどいられない。

 しかし今度は煩わしげに語気を強めて「おい!」と呼ばれたものだから、

「なんですか!」

 イネッサは怒気を露わにした顔をねじ向け、九垓を睨み上げた。

 なにを言われるか、イネッサには少し、わかっていた。

「もう死んでる」

 淡々と告げる九垓からは無念さなど微塵も感じられない。しかしいまはそれよりも、濁流のごとく押し寄せる自責の念が(まさ)った。

 イネッサは九垓を睨みつけたまま不規則に呼吸を荒くし、ゆっくりと、横たわるビリエラのほうへ首を戻す。

 泣きたいわけではないのに顔を苦悶に歪め、段々と荒さを増す息遣いを抑えられぬまま、彼女は自分がまだここに生きているわけを、その両目にしかと収めた。

 白目を剥く寸前で、真っ赤に染まる口をぽかんと開けたビリエラの死に顔は、業火に焼かれながら神に助けを乞うているように見える。

 これが、人間の正しい死に方といえるのか。

「――間違ってる」

 両膝をつくイネッサは両手を腹の前で祈るように強く握り合わせ、頭を垂れてつぶやいた。

 遠くではまだ、銃声が続いている。

「なんも間違っちゃいねえよ」

 またぞろこの修道女は、こんな(むご)い死に方は普通じゃないと喚くのだろう。九垓は嘆息混じりに吐き捨てた。

 この修道女が生きてきた世界では惨いのだろうが、九垓が生きねばならなかった日常ではこちらが普通だ。むしろ、五体満足で顔も判別がつくのだからマシな部類である。

 特に女であれば殺される前に(なぶ)られ、充分に女として、人間としての尊厳を踏みにじられるのが常だ。

「こいつは戦士として逝った。それはこいつが選んで、こいつが決めたことだ。お前にとやかく言う資格はねえ」

 冷ややかに言う九垓に、

「でもッ!」

 と、イネッサは顔を上げぬまま叫んだ。

「こんなの、間違ってる」

 ゆらりと立ち上がるイネッサに不穏なものを感じた九垓は、「おい」と怪訝な顔で彼女を呼び止めた。

 顔を伏せ気味にした彼女の表情は横髪が邪魔をして、側面に立つ九垓には見て取ることができない。

 気づけば、イネッサの背中はまた淡い光を発している。同時に近くから、カタカタと固いなにかが小刻みに振動する音が鳴りはじめた。

 彼女の沸々と猛る憤怒を表すかのような音に、九垓は、その出どころを探して視線を左右に走らせる。

 そしてその正体に目が行った時、静かに突き出されたイネッサの右手に向かって、床に転がっていた三叉の槍(それ)は突として飛び上がった。

 彼女は槍を難なく掴むや、胸の前で抱くようにして両手で握る。

「お前……」

 九垓はまさかと思い唖然としたが、

「――戦います」

 答えは想像のとおりだった。

「なに言ってやがる! こいつらの戦いはオレらには関係ないことだ。同情だけで守ってやる義理なんてない!」

「ありますッ!」

 即座にそう言い返し、嚇怒(かくど)に燃える炯眼(けいがん)を向けてきたイネッサは、もはや別人のような気迫であった。

 一度関わりを持った人間の死を間近で見て、心が締めつけられないはずはない。自分はとうに置いてきたものを、この修道女はまだ純粋に持ち続けている。

 そんな感情を抱いたところで意味はないというのに。

 ゆえに九垓は理解に苦しんだ。なんの利益もない戦いに自ら進んで身を投じるなど、酔狂にもほどがある。はっきり言って狂気の沙汰でしかない。

 しかし、

「もう、誰かを置いて行くなんて、嫌」

 その疑問に、イネッサの頑なさが突き刺さった。

 いままで数知れずの戦友を置いてきた。

 そのたびに自分は思ったはずだ。

 こんな世界は間違っていると――。

 九垓は傍らに倒れる最後の戦友を見た。

 その横を、イネッサが毅然と過ぎ去って行く。

 虚空を睨む彼女の瞳はいま、あの日を見ているのだろう。

 父を見殺しにしてしまったあの日。ただ逃げるだけだった自分を、彼女は睨みつけている。

「――おい」

 九垓は肩越しにイネッサの背を呼び止めたが、彼女の確かな足取りは止まらない。

「雇うか?」

 ふざけるわけでもなく、至って真面目にそう続けるが、

「結構です! ひとりで!」

 ようやく足を止めたイネッサは侮蔑のこもった一瞥を投げるだけで、すぐに歩みを再開してしまう。そのあまりの頑なさに九垓は唸りながら頭をかいた挙句、

「わかったわかった!」

 と、堪らずイネッサの横に駆けて並んだ。けれども、気概満ちるイネッサは、目をやることすらなく前に進み続ける。

「お金、出ませんよ」

 あえて口にする彼女に、

「バカ言え」

 と九垓は不意に足を止めると、ビリエラの亡骸に振り返る。

 釣られて立ち止まったイネッサが首をねじ向ければ、

「もう貰ってる」

 背を向ける男は神妙な声色でそう言った。

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