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第十三話「神が定めし運命なれど」⑬

 気温五十度以上。頭上から照りつける太陽を恨めしく睨み上げる気力もなく、砂塵除けのために頭から迷彩柄のローブを被った神楽夜(かぐや)は、鍾馗(しょうき)の背中を追って、ひたすらに砂丘から砂丘へと跳び続けた。

 背負った濃紺のバック・パックには数リットルの水と予備を含めた三日分の食料、そして簡易的なテントをはじめとした各種サバイバル用品が収められている。

 イネッサが用意した水以外は、いずれもマシューが乗っていた連合軍の輸送艦にあったものだ。その総重量は十キロ以上だが、朔夜とアルマを抱えて地下から脱出した時に比べれば大した重さではない。

 だのに神楽夜の顔から余裕が奪われるのは、砂地特有の足場の悪さにあった。

 カンカン照りの暑さも体力と気力を奪う大きな要因のひとつに違いないが、踏ん張りがきかないほうが神楽夜には煩わしい。

 しかし不思議なのは前を行く鍾馗である。背負っているものも足場の条件も同じはずなのに、飛距離が神楽夜とは明らかに差があるのだ。

「……な、んで」

 砂丘の頂上で立ち止まった神楽夜は、三山ほどさきにいる老師の背中を見て愕然とした。そして膝に手をつき、前屈みで嘆息する。

 ホバーバイクを乗り捨ててすでに六時間。現時点で<ヴェントゥス>まではおよそ百二十キロある。しかるに、見渡す限り延々と広がるのは荒涼とした大地だ。

 いまにして思えば、走って数時間程度だろうと易く考えていた自分のなんと愚かしいことか。終始平地であったなら可能であろうが、こうも砂地が続くとなれば当然話は変わってくる。神楽夜は目尻に向かって流れ落ちる汗を邪魔くさそうに拭い、楽天的だった昨晩の自分を呪って再びため息を吐いた。

 時刻はちょうど昼時である。普段なら陽光も胃袋も絶好調のはずだ。しかしいまの神楽夜は、慣れない砂地相手に余計な体力を奪われ過ぎたか、水以外のものを欲しない体になっていた。

 もはや暑いと愚痴垂れる心もない。

 その余裕のなさを、前を行く鍾馗は察していた。うなだれる神楽夜を尻目に見るや、彼女のいる砂丘まで渋々と舞い戻った。

 頭を垂れていた神楽夜は、目の前に着地した鍾馗の足音にくたびれた顔をわずかに上げる。その視界の端で、鍾馗が身に着ける迷彩柄のローブがはためいた。

「なんだ、もうバテおったか」

 煽るように言う鍾馗を神楽夜は苦笑気味に見上げた。

「……なんでそんな速いの」

「お前は力み過ぎだ。力づくでどうこうしようとするからそうなる」

 言って鍾馗は首を左右に動かし、なにやら確認する様子で身の回りに視線を投げる。

「んなこと言ったって……」

 片や神楽夜はそうつぶやきながら、またも力なく頭を垂れた。砂が正直だということも、自分が力任せにそれを蹴っているということもわかりきった話だ。しかしこの熱波のただなかにあっては、それ以上思考を巡らせることはかないそうもない。

(水、飲も)

 と思い立った矢先、

「行くぞ。あと七時間もない。このままだと、サクヤにいらん手間をかけさせることになる」

 鍾馗はそそくさと身を翻し、次の砂丘へと跳んだ。

「えぇ……」

 わかりやすくげんなりする神楽夜であるが、急がねばならない状況にあるのは確かだ。朔夜たちには出発時に、十八時間で戻らないなら捜索に出るよう依頼をしている。期限は今夜の十九時だ。

「行くっきゃないか……」

 ぐったりとした体に鞭打って背筋を正すと、腰を落とし、鍾馗の歩んだ道をたどって跳躍した。

 こうしている間にも、鍾馗は次々と砂丘を越えていく。神楽夜は風を切って跳びながら、その足元を注視した。

 老師が進んだあとには砂塵がほとんど巻き起こっていない。

 ――お前は力み過ぎだ。

 着地した神楽夜は老師の言葉を反芻し、己の足元を見る。そして、

(なるほどね)

 と胸中で納得するや前を向き、足の裏全体で踏みつけるようにして再び跳躍を試みた。

 変化は如実に表れた。跳躍直後、それまでうしろに吹き飛ばされていた砂塵は嘘のように静かで、神楽夜の視界は数段高い位置で推移している。

 足が取られる不快感は少ないが、しかし、まだ鍾馗のほうが速い。ただ、コツさえつかんでしまえばこちらのものである。

 鍾馗は、その一度ですぐうしろにまで追いついた神楽夜を一瞥し、さらに速度を上げる。が、神楽夜の猛追はまさに目を見張るもので、すぐに肩を並べられた。

 やがて、波打つように続いていた砂丘の峰々はなだらかになっていき、景色は、黄土色の砂が混じる平坦な荒野へと変わった。

 そこに降り立ったふたりは休息代わりに、しばし歩みを緩めて進む。

 短時間での上達ぶりに誉め言葉のひとつくらいあってもいいものだろうが、鍾馗は生来の気難しい顔つきを変えることなく、前だけを見据えたままでいる。

 といって別段褒めて欲しいわけではない。神楽夜にとってその反応は慣れたものなのだ。鳳鱗拳(ほうりんけん)の師である養父も、技がいくら上手くなったところで褒めてくれたためしなどなかった。

 そも、養父とはいえ灯弥(とうや)については、五年という時間をともに過ごしても、なにを考えているのかよくわからないというのが正直なところだ。

 だから、

「ねえ、老師」

 と、神楽夜は養父と旧知の仲である鍾馗に、抱えてきた疑問をぶつけてみることにした。

養父(とう)さんが言ってたこと、あれってどういう意味?」

 そう横目で問えば、鍾馗はやや間を置いて、

「なんのことだ」

 と変わらず前を向いたまま答える。

「だから、暴くって言ってたやつだよ。それ」

 神楽夜が顔をねじ向けても、左隣を歩く鍾馗の顔は頭から被ったローブが邪魔をして窺い知ることができない。

 それきり沈黙する鍾馗に神楽夜は「聞く相手、間違ったわ」と内心思いはじめ、その心境を浅い嘆息とともに吐き出した。これが麟寺(りんじ)であったのなら、考える素振りを見せて唸るなり、なにがしか反応を示すはずである。

 つくづく寡黙な男というのはわかりにくい。灯弥と鍾馗は、これでよくも長いこと友人でいられたものである。似た者同士ゆえに気が合うのか、はたまた、麟寺の存在がふたりをつないでいたのか。

(ってか、養父さんたちって、そんな仲よく話してるとこ見たことないな)

 灯弥の自宅にて麟寺が手製の鍋を振る舞い、それをみなで囲むというのはしょっちゅうやっていたが、灯弥と鍾馗が和やかに言葉を交わす場面など、とんと見たことがない。

(ま、いっか)

 灯弥がヴィクトリア・フォールズを目指しているだろうというレジーナの言がどの程度正しいかはわからないが、もしそうならば、いずれ再会の機会にも恵まれよう。真意はその時に問えばいい。

 神楽夜がそんな具合に頭を切り替えた時だった。

「――ワシにもわからぬ」

 鍾馗は覇気のない声色で無念そうにつぶやいた。

 神楽夜は老師に気遣わしげな顔を向けるが、その視線はやはり迷彩柄のローブによって遮られる。

 ただ、鍾馗がまとう空気には、どこか気落ちしたものが含まれていた。

 灯弥は多くを語る男ではない。その心を推し量る難しさは、ひとつ屋根の下で暮らしたからこそよくわかる。友人ゆえになおさら悔しいのだろう、と神楽夜は鍾馗の胸の内を察する一方、同時に意外だとも思った。

 二十年来の友であってもそうならば、真の意味で自分を理解してくれる者などいるのだろうか。あるいは、家族であろうが友人であろうが、はじめからそんなものはあり得ないのではないだろうか、と。

「あやつは、自分だけで戦おうとしておる。ひとりの力など、たかが知れておろうに」

 鍾馗は失望感をにじませて続けると、その歩みを止めた。

「老師?」

 つられて神楽夜も立ち止まり、怪訝に首をねじ向ければ、鍾馗はいつもの厳めしい顔に哀愁漂う目で地面の一点を見つめていた。

「……アービターは、人類の守り手でなければならん。繭の脅威を、果ては人類の敵を打ち倒してこそ、その意義が認められるのだ。馬鹿なことをしでかす前に、連れ戻さねば」

「でも、アービターってなりたくてなるもんじゃないんでしょ。だったら、そんな義務なんて」

 当然の疑問である。現に、いま同道しているジックたち四人は、繭の打倒を使命とは考えていないだろう。それぞれ己の人生を考えるさなか、奇妙な巡り会わせで偶然道を交えたに過ぎない。

 自分の意思とは関係なくアービターの力を与えられ、もれなく人類の守り手という使命がついてくるのなら、そんなはた迷惑な話はない。

 だが、

「いいや。選ばれたからには果たさねばならぬ」

 この男は本気だった。翳祇(かげるぎ)鍾馗は本気であの四人までも青い繭討伐に駆り出す腹でいる。

「カグヤ。人間、誰しも使命を持って生まれてくるのだ。貴様もそうだぞ」

 鍾馗は伏せ気味だった視線を斜め向かいに立つ神楽夜に向けると、それを一段と鋭くした。

 しかし神楽夜は怯むことなく、むしろ自嘲気味な薄ら笑いとともに、

「そりゃあいいけど、それも忘れちゃったかもしんないよ」

 と顔を横に逸らす。

 自分には過去がない。記憶がない。そんな人間が「これが自分の使命だ」と言い出したところで、妄言にも等しいと神楽夜は思う。

 その茶化したような顔が、

「たとえ記憶がなくとも、その心が覚えていよう」

 との鍾馗の言にはたと戻された。

「なにもなさぬままで、その命を終えることなどできまい。やらねばならぬのだ。背負うものの大きさ、重さが人を育てると、貴様とて自覚したはずであろう。ゆえに今朝、ワシに是非を問うたのではなかったのか」

 命を使い尽くすことを至上とする翳祇流の筆頭らしい物言いである。

 自国を守るために血に(まみ)れるのは、ほかならぬ自分たちでなければおかしい。九垓たちと別れた今朝、神楽夜は確かにそう問うた。その言葉が出たのは、自分も国を守る者のひとりであると自覚したからこそだろう。

「まあ、拠り所みたいなのができたのはよかったよ。正直、宙ぶらりんだったから」

 神楽夜はせつなげに視線を下げつつ、己の心に問いかける。

 果たして、そう在らんとしたのは誰かに言われたからだったか。はじめこそ、繭打倒のために養父を探す名目で旅に出されはした。だが、それを己の役目と定めたのは誰でもない、自分自身ではないか。

(運命だの使命だの、結局そんなの、あとづけだよ)

 過去のない自分。すがることしかできない弱さが、より強固な言葉に惹かれて自分を固めようとする。

 いまはまだ、それでいいのかもしれない。

「でも」

 神楽夜は一度伏せたまなざしをすっと上げ、その紅い瞳に気概を宿して、射抜くように鍾馗を見た。

「どう生きるかなんてその人次第だ。アービターに選ばれたからって、絶対繭を倒さなきゃ駄目なんてこと、ない」

 彼らがそれを自分のなすべきことと心の真ん中に置かない限りは、命をかけるに値しない。

 否、命をかけることなど、この世にはそう多くないのだ。

 けれど、まさに国と運命をともにする気らしい鍾馗には、受け入れがたい言い分であるに違いない。

「では誰が止める。貴様も見たであろう、プラハの惨状を。アービターが総出でかかってようやくあれだ。我らだけでは国が(ほろ)ぶ」

 鍾馗は悲壮感とともに語気を強めた。

 繭がもたらす災厄を神楽夜は知らないわけではない。かつて南アメリカ大陸の半分が消し飛んだとは、プラハを訪れた時にシーカーの口から聞かされている。

 しかし、

「アービターに押しつけるような真似して、それで国が救われれば満足だって言うの?」

 ここまでの旅路を経た彼女に、そのような独善は看過できるはずがなかった。

「勘違いするでない。ワシらもともに戦うのだ。それにな、いまの我が国に、ほかの誰が救いの手を差し伸べるという」

 ――この世は輪っかなんだ。

 神楽夜の脳裏に、いつかの灯弥の言葉がよぎった。

 皮肉な話だ。頭上の月ばかりを拝み、その庇護に甘えて同じ地球(ほし)の隣人をなおざりにしてきた結果が、いまの日本の孤立である。

 そこでアービターという超人的な力を持つ他者を頼り、無関係な彼らを巻き込んでまで自国を守ろうとは、なんとも虫がいい話であろう。

 神楽夜は顔をしかめた。

「今朝もそうだった。老師は、日本が守られればそれでいいわけ?」

「くどい! 何万という民を背負う責すら負わぬ貴様に、非難する資格などない!」

 鍾馗は重々しく言い切ると視線を逸らした。

「――これまでも繭が現れるたび、地球の人間どもはアービターという英雄を求め、彼らに討伐の使命を負わせてきた。その戦いで彼らが命を落とすかもしれないと、承知していながら」

 ひりひりとした憤怒を押し込めた言い振りに、神楽夜は眉をひそめる。鍾馗はその調子のまま、

「そのツケはいずれ払うことになる。だがいまは、日本を守ることだけを考えろ。さもなくば、せっかくの覚悟も無駄になるぞ」

 と続けると、そろりと歩みを再開した。

 話はまだ済んでいない。そう呼び止める考えもあったが、神楽夜は前を横切る老師を目で追い、ややあってあとに続くのみだった。

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