第十三話「神が定めし運命なれど」⑫
一方その頃、旧フランス領・パリの上空は、黒雲のごとく押し寄せた数多の黒い軍用艦によって重々しく覆い尽くされていた。瓦礫と化した街で呆然と立ち尽くす住民たちは、それを不安げな表情で見上げる。地球連合最大の基地<リュエール・デ・ゼトワール>が陥落して二日目の朝のことである。
地上約千五百メートルで滞空する艦隊は、すべて夜のうちに東からやって来たものだ。そのうちのひと際大きい艦艇の艦橋にて、わざわざ部下たちに運び込ませた総司令の椅子のレプリカに優雅に座したハウトマンは、
「これは酷い。私の領地が丸焦げだ!」
と、ブリッジ正面上の壁に取りつけられた巨大モニターを眺めながら、悲痛な声をあげた。が、厳密にいえば、パリはまだアルカン領である。この男は早くも我がものとした気分でいた。
モニターの左半分には、連合が誇る結束の象徴たる<リュエール・デ・ゼトワール>の変わり果てた姿のほか、地上に広がる市街地の荒廃した様子が交互に映し出されている。画面右側には旧フランス領の地図が表示され、たった二晩で壊滅した連合軍基地の所在地に赤い点が打たれていた。その数はパリ周辺だけで十三箇所に及ぶ。
「ああ、ああ、ああ、ああ!」
ハウトマンはモニターの映像が切り替わるたび珍妙な悲鳴を上げ、両手で己の顔を横から挟むや頬の皮をずり下げて、口にできない絶望を表した。その顔はまるでエドヴァルド・ムンクが描いた<叫び>のようである。
ブリッジにいる兵たちにしてみれば、狂人じみた振る舞いをするこの紳士と同船同室というのは気の毒極まりないが、仕事だ。背後でハウトマンがどれだけ騒いでも、みな一様に無関心を貫いて職務を遂行している。
そこへ、
「<ビートル>の行方はどうなった?」
と、突然平静を取り戻したハウトマンから問いが飛び、兵たちは否が応でもなにかしら反応せざるを得なくなった。
しかしまずはこれを訊かねばなるまい。
「ビートル、でありますか」
ハウトマンに近い兵のひとりが身を捻ってうしろを見やり、その場にいた全員の疑問を代弁した。
するとこの英国紳士かぶれはやれやれといった様子で、
「ツノがあっただろう? ライノでもユニコーンでもいいが、あれは<ビートル>だ」
そう言うや、すかさず手を顔の前で祈るように組み合わせる。そして、
「捕まえるにしろ潰すにしろ、虫ケラらしいほうがいい」
と力を込めたその手のうしろで邪悪な笑みを浮かべた。
ハウトマンの言う<ビートル>とは、すなわちグラディアートルのことである。基地と周辺の町をたったふた晩で焼野原に変えた水銀色のそれについて、ハウトマンはいまに至るまでなにひとつ詳細を掴めずにいた。手がかりらしいものといえば、各基地の襲撃時に撮影された監視カメラの映像のみである。
ケイン・アルカンの後釜を狙い、一番に馳せ参じたまではよかったものの、これでは大手を振って玉座に就くことは叶わない。この状況を招いた<ビートル>の正体を暴き、被害を受けた臣民たちに示さぬ限りは。でなければ、支持を得ることは難しいだろう。
神出鬼没、かつ、これだけの破壊力を備えたグスタフを相手にするとなれば、それなりの損害は覚悟せねばなるまい。
されど、否や、ゆえにハウトマンは、これを好機と捉えていた。
「レジデンスから声明は?」
ハウトマンは仮初の玉座に気だるそうに背を預けながら訊く。それに兵から「いまのところ出ていません」と答えが返り、彼はひとり怪訝に唸った。
(まあ、出すまいな。――それとも)
地球連合の中枢を壊滅させて喜ぶ者など、長らく冷戦状態にある<レジデンス>を除いてほかにないだろうが、それを認めることは世界大戦の引き金を引くことと同義であると、彼らも理解しているはずである。
それに、一連の襲撃では多くの民間人が犠牲となっている。この状況も含めて、<レジデンス>がさきに手を出す愚を冒したとは考えにくい。
正義の戦争などないだろうが、戦争は、もっぱら正義の名のもとに行われる。今回の無差別的な襲撃は、見方によってはそれに反するように映る。少なくともハウトマンはそう捉えている。だから、レジデンスが先手を打ったとは考えにくいのだ。
(あるいは、やったはいいが想定外だった、か)
声明が出ぬ理由の考察をハウトマンは不敵な笑みとともに切り上げると、再びブリッジ正面の巨大モニターへ目をやった。
この男にとっては、画面に映る惨状はプロパガンダの材料でしかない。
「……なにはともあれ、まずは足場か」
理不尽な攻撃に苦しみ、アルカンという指導者を失った民衆が、災厄をもたらした<ビートル>を駆逐した勇者をどう迎えるか。現状のパリは、それを演出するに打ってつけの舞台である。これを好機と言わずしてなんとする。
(浅ましいとは知っているさ。しかしこの勝ち筋、みすみす逃す手はあるまい)
ハウトマンは心中でひとりごち、片方の口端を吊り上げる。
その時、彼が着る燕尾服の胸ポケットから、パイプオルガンによる、激しく悲壮的な旋律が奏でられた。深淵に転がり落ちていくようなかの曲は、アンドリュー・ロイド・ウェバー作のミュージカル「オペラ座の怪人」の主題曲、その冒頭部分である。
ブリッジは、兵たちが忙しなく機器を操作する以外、物音がないに等しい。それだけ情報が錯綜しているのだ。兵たちは、彼の英国紳士かぶれな服装まで、さらに百歩譲ってその言動までなら目をつむるつもりであった。
が、まさしく「怪人」というに相応しいあの男から、よもやそんなおあつらえ向きな楽曲が流れ出しては、耳を疑うといった抗議の目を心ならずも向けざるを得ない。
しかしハウトマンは、そんな彼らの冷ややかな薄目など気にもかけず、内ポケットから取り出した時計型の端末に視線を落とす。この手のものはデザインが衣服に合わないという理由から、彼は身に着けないのだ。いましがた鳴っていたあの曲は、しまっていても着信に気づくため設定していたものだった。
「――ほう。これはこれは」
時計から目の前の空中に投影した映像を見て、ハウトマンは薄い唇に笑みを湛えた。
映し出されているのは、懇意にしているとある男からの電子文書だった。
(日本を出た赤い艦。マシューが言っていたアーキグスタフ。そのさきにあのビートル。……なるほど、これは)
この男は新たな遊びを思いついたような無邪気さで、
「好機、というのは、そうと認めた時にはすでに、手のうちから零れているもの」
と、せっかく各々の仕事に戻った兵たちの関心をまたしても引きずり寄せた。
「――日本。いざ参りましょうか。地上最後の黄金郷、ジパングへ」
したり顔で笑うその意味を推し量れる者など、いまこの場にいはしない。
しかし構うことはなかった。なぜならこの男の頭にはもう、自分が思い描く未来を手にするためのその筋書きが、確固たる形を得ていたからである。




