第十一話「それは孤高なる常道」⑫
大通りに着陸したヴェントゥスは、すでに停泊しているマシューの輸送艦に続くようにして停まった。
神楽夜がゼルクを降りて出迎えに行けば、船体側面にある昇降用タラップはすでに展開され、ちょうど朔夜とアルマが降りてくるところだった。
「姉ちゃん!」
朔夜は眼下に姉の姿を見つけるや、驚きに眼を見開きタラップを駆け下りた。もはや叶うまいと一度は絶望した再会である。互いの無事に神楽夜も自然と笑顔になった。
だが、
(――あれ)
突としてその視界がぐにゃりと歪み、足元がおぼつかなくなる。意識が混濁しはじめ、あわや卒倒しかけたが、娘は駆け寄った弟に体を支えられ事なきを得た。
「ごめん……なんか」
神楽夜は朔夜にしがみつきながら、しおれるように地べたに座り込んだ。安堵から来る気の緩みか。朦朧とする神楽夜は激しい頭痛と吐き気に見舞われながら、背中の傷の燃えるような痛みに顔をしかめた。
すると、
「ゼルクを使った反動だよ」
別人かと思うほど淡々とした弟の言葉が、頭上からかけられた。神楽夜は息を呑み、見開いた瞳を傍らに立つ弟に向けた。
「反、動……?」
怪訝に訊けば、
「そう。まあ、いまは彼のおかげで軽傷だろうから、心配はいらない。それよりも、早く父さんを追わなきゃ」
朔夜は随分落ち着いた口ぶりでそう答える。その言に神楽夜は、プラハを訪れた時にも感じた違和感を思い出した。
「サク、だよね……?」
不安げに見上げる姉に、
「大丈夫だよ、姉ちゃん。――僕は、サクヤだ」
と、背筋が凍りつくほど冷たい顔つきで、弟は言い切った。その能面のような顔からは読み取れる感情というものがない。神楽夜は薄気味悪さに一瞬釘づけになったが、
「カグヤ」
不意に背後から名を呼ばれ、首をねじ向けた。見ればマシューである。
神楽夜はすぐに朔夜へと首を戻したが、弟はいつの間にか<アームド・ゼルク>の足元に立ち、機体を無表情のまま見上げていた。
「また外したな」
マシューは同情にも似た声色でそう言い、立ち上がらせようと手を差し伸べる。が、神楽夜は応じず、代わりに嘆息しながら自力で立ち上がり、尻の土埃を両手で払った。
そして、
「外した。これで、借りは返したから」
と、どこか面倒くさそうに横目で告げる。渋々といった態度だが、娘はこれでも礼を言っているつもりだ。
己を信じよ。マシューは知り得ないが、彼が苦し紛れに絞り出したその言葉が、神楽夜に再起のきっかけを与えたのだ。それなくして、いまはない。ゆえに神楽夜はその返礼のつもりで、全身全霊をもってマシューと対峙しただけだった。
だが、それがかえってこの男にはよかったと見える。
「――感謝する」
マシューは神妙な面持ちでただひと言、そう言った。
ここからが、マシュー・ゲッツェンとしての新たな一歩である。もう軍に戻ることも、家名の零落を気にすることもない。とはいえ、築き上げた地位も名誉もかなぐり捨てて己の信じる道を行くことは、まるで霧中の山岳を登るようで憂わしい。ややもすると突然滑落し、底の見えない谷底へ落ちるのではないかという気さえしてくる。
それでも、マシューは行くと決めた。不確かなれど、己が正しいと感じられる道を選んだのだ。まずは自分の手が届く、身近なものから守っていこうと。
しかしその前にひとつ、けじめをつけねばならない。
振り返ったマシューは、九垓たちのもとへ歩み寄った。イネッサは少し不信げな表情を浮かべていたが、九垓と剛三郎に至ってはそうでもなく、マシューの言葉を待っている様子であった。
マシューは三人を見回すと一度視線を落とし、ひと呼吸の間を置いた。どう言葉にすべきか考えあぐねたのだ。いずれにせよ言い訳がましくなるのは否めない。沈黙が長くなるにつれ言い出しにくくもなる。そんなマシューの胸中を九垓は察した。
「まったく、悪い冗談だぜ、兄貴」
そのまま茶化して終わりにしても九垓はよかったが、
「い、いや……クガイ。ちゃんと謝らせてくれ」
マシューがそう改めるものだから、おどけて見せていた九垓は剛三郎と視線を交わしながら、わざとらしく肩をすくめた。
マシューはうつむいたまま口を開いた。
「私は、愚かだった。いつまでも父の背中ばかり追いかけて。本当に、カグヤの言うとおりだ。私は自分で自分を、縛ってきてしまった」
心を縛るのは、自分。どんな理由があれど、最後に心の在り方を決めるのは、いつだって自分自身にほかならない。
「組織には代わりなどいくらでもいる。そんなものにすがったところで、所詮は誰かが作り出した仕組みの一部でしかない。それがわかって、ようやく私はいま、自分に納得できた気がしている。だから……」
続く言葉が自分本位のものであると、マシューは理解している。ゆえに言いよどむのだが、避けては通れぬ道であるのも事実。マシューはいかな罵詈雑言、鉄拳制裁の類を食らおうとも決して逃げぬと腹に決め、
「マシュー・ゲッツェン一生の不覚をどうか! 許して欲しいッ!」
上体を腰から直角に折って盛大に頭を下げた。
素直に「申し訳なかった」という言葉を選ばないあたり、この男らしいといえばらしいが、
(一生の不覚って)
九垓からすれば、マシューの言動は徹頭徹尾、生き恥以外のなにものでもない。しかし、この場でそれは言うまい。喉元まで出かかった文句をそっと心にしまった九垓は、
「こちとら雇われの身だからなあ。文句は言えないぜ。ゴウザブロウは?」
と早くも弟子に話を振った。重い空気を払う狙いであったが、
「アニキが許すってんなら、オレも許す!」
特に考えていないこの一番弟子に振って大正解。少年は話の雰囲気だけでそう言った。その協調性、いまだけは実に頼もしい限りである。
場はすでに許す流れにある。が、
「そんな……。おかしいです」
イネッサだけは腑に落ちない様子であった。無理もない。
「お前だって助けられたクチだろ。それなら、ゴウザブロウと同じでチャラでいいじゃんか」
九垓の半ば暴論ともいえる説得に思わず「なんで」と抗弁しかけたが、イネッサは不服そうな面をしつつも渋々引き下がった。この男と言葉を交わすことが、いまのイネッサにはなによりも避けたいことなのである。それに九垓の言うとおり、命の恩人でもあるマシューをこれ以上難じるつもりもなかった。
得体の知れぬ気まずさをふたりの間に感じた剛三郎とマシューは、顔を見合わせて首をかしげた。そこへ、
「マシュー、か?」
と声をかけてきた金髪碧眼の女を見て、呼ばれたマシューは振り向きざまに仰天した。
「レジーナッ!?」
目を剥くとはまさにこれを言うのだな、と吃驚するマシューを見た誰もが思ったことだろう。しかし、そんなマシューとは真逆にレジーナ・シスルの言は素っ気なかった。
「お前、どうしてこんなところにいる」
失望した、とでも言いたげな調子だ。
「お前こそ……無事だったんだな」
マシューは安堵の余りいまにも落涙しそうである。なにしろ、先刻のシスル・タワー崩壊に一家全員が巻き込まれたと聞いたきり、ここまで音沙汰がなかったのだ。状況からしても彼女の生存は絶望的だとマシュー自身思っていた。
だが、そんな想いなぞどこ吹く風。
「どうしてここにいるかと聞いている!」
レジーナの詰問は厳正さを極めた。
その一方で神楽夜は、<アームド・ゼルク>を見上げたまま動こうとしない弟の背に、どう声をかけたものか躊躇っていた。
(さっきの)
あの人形じみた面様はいったいなんだったのか。以前から薄々感じていた胸騒ぎが、おぼろげながらに輪郭を持ちはじめた気が神楽夜にはしていた。
「カグヤちゃん」
そしてそれは、ブレイズ夫妻も同じようだった。夫妻は神楽夜の横に並ぶと、魂の抜け殻のように立ち尽くす朔夜を宵の静寂のなかで見守った。
「まさか飛んで来るとは思わなかった」
そう切り出した神楽夜にジックは眉をひそめ、いまだ拭えぬやりきれなさをにじませた。
「悪かった……。俺が、あの時飛べていれば」
「ううん。あれはジックのせいじゃない。――私の、甘さ、なんだ」
間に挟まれるアルマは、ふたりのやり取りを柔和な目をして聞いていた。その瞳が、
「そういえばシーカーは? 艦?」
という神楽夜のなにげない問いに震えた。
「あいつは――」
ジックは言葉を選ぼうと思考を走らせたが、
「あいつは、敵だった。巨大なグスタフもどきに変身して……ロンドンで襲ってきた鮫はあいつだったんだ」
結局事実だけを端的に告げた。アルマを危機に追いやったあれに遠慮など、いまさら必要ない。
「嘘……あれが、シーカー?」
あの巨大な鮫といえば、ここクラドノでも一戦交えている。その次はロンドンだ。
「そういえばシーカーのやつ、クラドノの時もロンドンの時も、毎度怪我してたな」
神楽夜は腕を組んだ。
それが戦闘で負ったものかはわからない。ただ、シスル・タワーが崩壊した時と違い、クラドノの時は少なくとも怪我をするような状況になかったはずだ。
(シーカーが、敵……)
などと思案に耽っていると、
「グスタフになったと言ったか?」
背後から足音ひとつさせずに、鍾馗が現れた。はっとして振り返った三人の前に立つ鍾馗は、黒い忍び装束の上に袖丈のある濃紺の羽織を身に着け、手の内を隠すかのように袖口同士を合わせ、そのなかで腕を組んでいた。
「ああ。俺たちアービターとは違うようだった。あれはなんだ」
鍾馗が知っているふうに見えたジックは問いを投げたが、それに対する答えは目の前の鍾馗からではなく、頭上から聞こえてきた。
「マキナだ」
不意に響いた男の声に全員が顔を上げるなか、鍾馗は、
(マキナ――)
と胸中でその単語を反芻した。
注目が集まったそこは、灯弥が立っていた屋上である。宵闇にあってなお一層黒く見えるその者に、
「アレス・ヴァールハイト!」
と、まっさきに反応したのは神楽夜だったが、
「馬鹿、な」
見上げた者のなかでもっとも驚きを顔に浮かべたのは、鍾馗だった。
「真実を知りたくば父を追え、カグヤ」
アレスは夕刻に会った時と同じように腕を組み、両足をそろえた格好で言い放った。
「真実を?」
神楽夜は訝しげに眉をひそめる。すると、
「お前が求めるものは、そのさきにある」
そう言い残すや、アレスは闇のなかに溶けるように消えた。それを見届けた鍾馗は甚だ信じられないといった様子を隠さず、
「あれは……アレス、なのか」
と、驚愕を交えひとりごちる。
「老師、あの人は……」
神楽夜がその背に訊けば、
「かつての――師だ」
と、鍾馗は含みのある声で振り返ることなく答えを返した。
「師、匠……」
(じゃあ、養父さんじゃない――?)
鍾馗に師がいたとは初耳だが、神楽夜はそれに驚くよりも怪訝さのほうが勝った。還暦が見えてきた鍾馗の師ということは、それなりの年齢であってもおかしくはない。声色は若い男のようだが、それは仮面で誤魔化していると考えれば納得がいく。けれど、
(でも、なんだろう……。ずっと、若い気がする)
神楽夜はアレスから老いのようなものを感じなかった。
「だが解せぬ。あの頃から変わっているようには……」
奇しくも同じ意見を述べた鍾馗は、
「いや……。いまは奴の言うとおり、トウヤを追うべきであろうな」
と一度言葉を区切ると、今度は首を明後日にねじ向け、
「月を暴くとはどういう意味だ、レジーナ・シスルよ」
マシューを睨みつける彼女を問い質した。
レジーナはマシューから鍾馗へその鋭い視線を移す。
「そのままだ。月はなにかを隠している。それが、トウヤにとって求める答えかは知らないが」
鍾馗はレジーナの目から「日本のほうが詳しいんじゃないのか」という文句を読み取ったが、
「あやつめ、国のことも考えずに」
と独語するに留めた。幸運にもこの場には、灯弥以外のアービターが全員いるのである。無用な諍いで気変わりされるのは避けたかった。
「そなた、行先に心当たりがあるな?」
鍾馗は半ば当て推量にレジーナへ問うた。それにレジーナは「ある」と迷いなき眼で断ずるや、
「ヴィクトリア・フォールズだ」
と、一貫して簡潔な答えのみを返すのだった。
つづく




