第十一話「それは孤高なる常道」⑪
包囲する<フォルクス>の一機、その襟元から上空へと光が伸びる。そのさきに投影されるのは、片眼鏡をかけ、端にかけてひょうきんに跳ね上がった口ひげをした、細いじゃがいものような男の顔だ。額を出すようにうしろへ撫でつけた髪は妙に脂っぽい。映像は男の胸元のあたりまでを映しており、服装は黒いスーツのように見受けられるが、なによりも目についたのは首元に留まるボルドーカラーの蝶ネクタイだった。
一見すれば紳士である。が、男の湛える笑みは明らかな嘲笑の意があった。
「はじめまして、<サムライ>。ミルコゥ・ハウトマンだ。ずっと探していたよ」
ハウトマンはそう告げるなり、睨み上げるマシューへ視線を移す。
「ゲッツェンくん、よく頑張りました」
「中将……! そうか、アルカン閣下の領土を!」
いまもっとも注意すべき相手が向こうから顔を見せた。その狙いをマシューはすぐに察知したが、この状況に陥った時点でもう遅い。
「私が統べる。アルカンの地だけでなく、連合すべてをだ」
ハウトマンは怪しげな笑顔の両脇で諸手を開いた。小馬鹿にしたようですらある男の態度に、
「貴様のような人間が上に立つなど!」
とマシューは義憤を露わに難ずるが、それもハウトマンには愉快なようだ。彼は手を顔の下で組むと、笑みを含んだまま野心に満ちた目で語りだした。
「統治者は駄目な人間でなければならない。私のように。なぜか? 全能な者がいたとしよう。そうだな、神だ。神がいい。神はヒトを統べるか? よーく考えてみろ。ヤツはクソをすることもなければ、そのクソを拭く紙すら必要ない。だが私には必要だ。金が、時間が、水が、食事が、愛が、ほかでもない誰かが必要だ。もう一度訊こう。神はヒトを統べるか?」
そこまでの人を食ったような物言いからハウトマンは突然、
「ノーだ!」
と一気に口調を強め、組んでいた両手を解いて握りしめた。
「我らは愚民だからこそ世界を廻せている。どれほど優れた先導者であっても愚民にほかならない。愚かでなければ手は取り合えないんだよ」
すると一転、声の調子を慈悲と激励が混在する抑揚に富んだものへと変化させはじめた。
「ああ、愛しき愚民どもよ。神なぞに媚びるな。下を向け。脚は見えるか? そうだ! その脚で超えていけ! 意志を忘れるな。それで腹を満たせ。心はやがて、たどり着いたオアシスが癒してくれる。導はこの私が務めよう。なぜなら私も、愛すべき愚者だからだ。共に行こう。ジパングになる知恵の実を食し、凪の海に風を吹かせよう。船出の時は近いぞ。暇に飽く神の園を燃やし尽くす。愚者の行進とともに! 私たちは立ち止まらない。愚かゆえに!」
と、語調に熱を湛えだしたがまたも一転、
「――マシュー・ゲッツェン。私は聞き届ける。改革を望むすべての声を」
ハウトマンはそう静かに締めくくった。
マシューたちは懸河の弁に圧倒され言葉を失った。劇団員が演じる舞台の一幕を見せられたようだ。ほとほとこの男の言うことはよくわからない。部下であった時からそうだったが、マシューはハウトマンの虫唾が走るような弁舌に苛立ちを覚えた。
それを尻目に神楽夜もハウトマンを睨みつける。その視線が、明後日の方角から聞こえた爆音にはたと流れた。
見れば、包囲に参じていた<フォルクス>の一機が首を飛ばされ、うつ伏せに擱座するところだった。周囲に連合軍以外のグスタフはない。が、一同が「何事か」と疑う間もなく、取り囲んでいた<フォルクス>の首は矢継ぎ早に爆散をはじめ、空中にあったハウトマンの姿は歪に乱れて夕闇に消えた。
そして、空に日の残滓が残るなか、崩落を免れたマンションの茜色の屋根に、ひとりの人物が降り立った。朽葉色のローブをまとったその者は、頭まで同質のフードで覆っている。だが、それが風になびくたび、奥にぎらつく虎のごとき眼光が垣間見えた。
みながみな警戒の眼差しを向けるなかで、神楽夜だけは、
「養父さん!?」
と吃驚し、目を丸くした。
娘の声に首を向けたその者は、
「こんなところでなにをしている、カグヤ」
と、険のある低い声で問い質した。
「養父さんこそ、いままでどこに!」
なんという僥倖か。神楽夜は思わず詰問するが、
「サクヤは一緒じゃないのか。どうやって動かした」
灯弥の応じ方はまるで答えになっていない。養父は確かに近寄りがたい雰囲気ではあったが、ここまで冷淡な反応をする人物ではなかったはずだ。言い知れぬ疑念を抱いた神楽夜は、妙な焦りを抑えながら養父に答えた。
「サクとははぐれた……。養父さん、日本に戻ろう。いま、繭が出てきて大変なことに――」
なっている。そう言いかけた矢先、
「そうだ! 戻ってこい、トウヤ!」
神楽夜の言葉を遮って物陰から飛び出た人影が、地上十メートル近い高さをものともせず、瞬時に屋上の灯弥へ肉薄した。それに即応した灯弥の、頭を覆うフードが突風に除けられる。灯弥は、精悍な顔立ちに黒い短髪という風貌であり、さきほどの目つきの鋭さも相まって、どこか狼じみた雰囲気があった。
「老師!?」
養父に襲い掛かったその者に驚く神楽夜とは対照的に、
「ショウキか」
と、繰り出された拳を片手で受け止めた灯弥は淡泊なものである。
ふたりは一瞬の睨み合いののち、弾けるように間合いを離すと、屋根を蹴って空中へと跳び上がった。
「やはりここにいたな! 日本がいまどうなっておるか、貴様は知るまい!」
鍾馗は爆ぜる心情とともに猛烈な拳の連打を繰り出した。忍び装束の袖が荒ぶる。残像すら帯びる攻めの手は、まさしく疾風怒濤と形容するに相応しい。
されど、対する灯弥は冷静さを欠くことなく、至って冷ややかに、
「知っているさ」
と、拳のことごとくを受け流す。
そのさまに鍾馗は目を見開いた。防がれたからではない。互いをよき好敵手として認め合い、また友として同じ時間を過ごしてきたからこそ、鍾馗には信じられなかったのだ。
繭の再臨を知っても修羅とならぬなど、己の知る威武灯弥ではない。
「ならばなぜ戻らなかった! 憎むべきあの繭が――」
拳の猛打を繰り出しながらそう詰め寄るが、
「それでお前は、俺を連れ戻しにきたのか?」
灯弥はまるで呆れたように言う。
それが、鍾馗の逆鱗に触れた。
「いかにも! 貴様の責務、いや、雪辱は! いまこそ果たさねばならんだろう! 己が使命を忘れたか!」
烈火のごとくまくしたてるにつれ、繰り出される拳にも熱がこもった。その激情を感じ得ぬ灯弥ではなかったが、
「使命なんてものはない、ショウキ。俺たちにははじめからないんだ、そんなもの」
男はけんもほろろに突き返した。これに、鍾馗はさらに嚇怒する。
「報われんだろう、スミレが!」
スミレ。その単語が出た刹那、灯弥はわずかに瞠目した。
「だから、カグヤたちを巻き込んだのか」
「そのためのゼルクであろう!」
「違う! あれは備えだ。守るための!」
埒が明かぬと感じたか、ついに灯弥は反撃に出た。両者は激しき拳の応酬を繰り返し、身から溢れる闘気のみで滞空し続ける。その覇気たるや、周辺一帯の家屋を根こそぎ駆逐せんとするほどである。打ち出す拳の衝撃は波動となって壁を抜き、屋根は弾痕じみた跡を残し次々と炸裂していった。
やがて拳同士が真正面からぶつかり合った時、
「ならば好都合。獅子の子は獅子じゃったよ」
と、鍾馗はそれまでの熱量とは裏腹に、いつもの自若とした態度で告げた。それはつまり、黄金の繭は撃退されたことを意味する。
「カグヤが?」
灯弥はよもやと思い、眉をひそめた。その事実までを彼は知らない。ふたりは拳の競り合いを弾き合うようにして解くと、小道を挟んで並び建つマンションの屋根にそれぞれ降り立った。
「残すは青い繭ただひとつ。一緒に来てくれるな、トウヤ?」
鍾馗はなおも食い下がったが、灯弥の顔からは逡巡の色が消えない。
ようやく見つけられたのだ。いかなる手段をもってしても連れ帰る決意でいた鍾馗は、再び懐に跳び込むべく静かに重心を落としはじめた。
またふたりが打ち合えば、この地は今度こそ焦土と果てかねない。それは、両者の実力をよく知る神楽夜でなくとも、いまの打ち合いを見るだけで想像にかたくない。
すると、
「やめて!」
見るに堪えかねたイネッサの悲痛な叫びが、跳び込まんとする鍾馗の足を止めさせた。一瞥すれば、眼下にいる修道女が祈るようにしてこちらを見上げている。
「もう、これ以上、この場所を壊さないで……お願いです」
イネッサは故郷の街並みを壊されたくない一心で懇願した。
さきほどまで包囲していた連合兵らは<グスタフ>を失ったことで潔く撤退している。代わりに、周辺に住まう浮浪者たちが、建ち並ぶ家屋の陰から不安げな顔を覗かせはじめていた。灯弥に、行き場のない彼らの拠り所を壊す意図はない。拳を収めようする灯弥であったが、しかし、鍾馗の覚悟はその程度で止まるような生半可さではなかった。なにしろ、一国の存亡がかかっているのである。
鍾馗は隣建つマンションの屋根へと瞬時に跳び、刹那のうちにもう一度肉薄するや、今度は袖に隠した短刀を抜き、灯弥の首を狙った。無論、それで討たれるような相手ではないと知っている。己の覚悟を示すためだ。
案の定、灯弥は突き出された短刀を左の中指と薬指の間で白刃取りし、難なく止めて見せた。
「トウヤ。ともに来るのだ。繭をすべて滅してこそ本懐であろう!」
鍾馗はなおも説得を試みるが、
「ショウキ、俺はもうそこにはいないんだ。それにカグヤがやったというなら、俺はいらんだろう」
と、灯弥の考えが変わる様子はない。それでも鍾馗は諦めるわけにはいかなかった。
「なにを言う! 貴様は――」
さらに言葉を重ねようとした途端、鍾馗は突として背筋を駆けた悪寒に片眉を上げ、瞬時にその場から跳び退いた。灯弥も同様である。
直後、彼らがいた屋根に高々と水柱が打ち上がった。
鍾馗は隣接するマンションの壁に短刀を突き立て、ぴたりと張りつくと、眼下から向けられる敵意を鬱陶しそうに睨み返した。いまにも首を刈り落とさんばかりの眼力であったが、対するイネッサは珍しく、
「やめてください。ここに眠っている人たちのためにも」
と、背中の紋様から取り出した三叉の槍を構え、毅然とした態度でそう言った。
怒りに満ちたその背中に驚きの目を向けるのは九垓である。屋上のふたりが放つ闘気はまるで鬼神のそれだ。たとえ腕に覚えがあっても進んで挑もうとはすまい。九垓ですら傍観に徹するが吉と踏んだのだ。だのにこのシスターは命が惜しくないのか、あの戦いに割って入った。
簡単に塞ぎ込むようなこの女にこれほどの胆力があったとは、正直「意外」という気持ちを通り越し、
(馬鹿が)
と思うほどである。が、彼女の「眠っている人たちのため」という言い分もわからなくはなかった。さきほど自らの手で埋葬したのだ。確かに、この場で騒がれるのはいい気はしない。
九垓は加勢すべくイネッサの横に並ぼうと歩き出した。その時だった。
「この音……」
神楽夜は空に轟きはじめた輸送機らしき飛行音に頭上を見上げ、視線を走らせた。そして、見覚えのある赤い船体を見つけるや、
「あれは、ヴェントゥス!」
と驚嘆の声をあげた。
上空を通過するヴェントゥスから滑空した白銀のアーキグスタフは、身を覆う盾を片手に、周辺の瓦礫が跳び上がるほどの衝撃を伴って<アームド・ゼルク>の眼前に降り立った。
「レジーナ!」
泰然として構える騎士のごときその背中は、わずか一日ぶりだというのにもはや懐かしい。思わぬ再会に喜ぶ神楽夜であったが、続けてうしろに舞い降りた赤いアーキグスタフには怪訝な目を向けた。
焔のごとき光を放つ翼に覚えはなかったが、テンガロンハットのような頭部の形状や手にした槍と見紛うほど長い細剣は、ジック・ブレイズの機体<フライハイト>の特徴に合致する。
「ジック……?」
そう訊けば、
「ああ。うまくいったもんだな」
ジックは答えつつ、マンションの屋上に立つ見知らぬ男に剣を構えた。
すると男――灯弥は、ジックらの姿を認めるなり、その身を覆うようにして青い光を発しはじめた。光の粒子が灯弥の周囲を球状に満たしていく。
「待て、トウヤ!」
壁に張りつく鍾馗は食らいつかんばかりに吼えた。されど灯弥は踵を返し、
「ショウキ。お前が大切にするものもわかる。だが、俺は行かねばならない。――暴くために」
と背中で答えるのみである。
「暴く、ため」
その意味するところが解せず困惑の表情を浮かべる鍾馗の脇から、
「月だろう、トウヤ?」
とレジーナがはじめて言葉を発した。だが灯弥は振り返ることなく、強まっていく光のなかでローブをはためかせたままだ。
「私も行く。連れて行ってくれ」
突然なにを言い出すのか。そんな周囲の視線に構うことなくレジーナは続けたが、
「――カグヤに勝てたら認めてやる」
灯弥は尻目に<エスクード>を見やり、束の間、激しい閃光に包まれ姿を消した。その現象を目にした鍾馗は、元来の気難しそうな顔をさらに険しくせざるを得なかった。
「アストラル・シフト……」
いましがた灯弥が姿を消した仕掛けである。青い粒子の輝きを伴って、現在地から特定の地点までを瞬時に移動する超技術。鍾馗が厳めしい面をしたのは、それを持ち得るのが、現状、白銀機関だけであるからだ。黄金の繭を撃退して間もなく、黒騎士ことエルソードらが、月という遥か彼方から日本にたどり着けたのは、これを使用したためである。
その原理の仔細は当然ながら明らかにされていない。いわずもがな、流浪の身である灯弥が持つはずはないのだ。白銀機関という組織はことに秘密主義であるため、時代遅れにならない限り自らの技術を外部に漏らすようなことはしない。これは、長きにわたってかの組織と関係を保ってきた鍾馗だからこそ言える。
鍾馗は屋根から立ち昇る青い粒子の残滓を睨むと、その視線を、立ち尽くす<アームド・ゼルク>に向けた。
「養父さん……」
神楽夜は黄金の輝きが収まっていくゼルクのなかで、養父がいた屋上を見つめた。
――カグヤに勝てたら認めてやる。
なぜそこで自分の名前が出たのか、神楽夜には甚だ見当がつかない。その言葉をかけられたレジーナに真意を問おうにも、背中が訊くなと言っている。
(月って、言ってたな)
そして暴くとも。
(なにをしようってのさ、養父さん)
空を仰げば、減速のための旋回を終え、大通りめがけ着陸の体勢に入ったヴェントゥスがいた。




