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第十一話「それは孤高なる常道」⑩

 朱色の空を覆うように唸る飛行音は、艦の傍まで戻っていた九垓たちにも当然ながら聞こえていた。険しい顔で音の方角を探る九垓の前で、口論のあとからひと言だって口にしなかったイネッサが、

「なに、この音」

 と不安げに夕闇の空を見上げる。そこへ、必死に叫ぶ剛三郎の声が聞こえてきた。見れば、ただ事ではない形相である。

「なにがあった!」

 九垓が訊きながら駆け寄ると、

「つ、通信が、あって。アニキたちと、交換だって」

 答える剛三郎は落ち合うなり肩を弾ませた。

「交換――」

 九垓にはそれだけで事態を察するに充分だった。教会からの道中、街中に妙な気配を感じていたのもある。ひとけのない街であるはずなのに、どうにもなにかが這いずり回っている気がしていたのだ。

 嫌な予感にしかめた顔で、視線だけをあたりの家屋に振り向ければ、案の定、物陰から狙撃の体勢を取る歩兵の姿が確認できた。いまだ殺気がないあたり、号令はかかっていないと見える。

(それで隠れたつもりかよ)

 九垓は敵に悟られぬようイネッサらと物陰に隠れながら、心中で呆れた。

 マシューの輸送艦がある大通りは、周囲を背の高い建物に囲まれている分、狙撃するに絶好の立地である。物心つく前から傭兵として生きてきたこの男が警戒しないはずがない。敵に包囲されつつある現状であるが、当然、ここからの脱出路はすでに検討済みであった。

「おい、俺から離れるな」

 九垓はいまだ距離を取って立つうしろのイネッサに首をねじ向けた。はじめは不快そうに眉を寄せたイネッサだったが、すぐに不穏な空気を感じ取ったらしい。恐る恐る指示に従い、その背を九垓に預けた。

「兄貴はどうした」

 訊きながら九垓は、剛三郎を自分とイネッサの間にやった。万が一の際、射線から遮るためである。

「それが――」

 剛三郎が口を開きかけた矢先、閑静な大通りにモーターの激しい駆動音が響き渡り、三人は突としてそのほうを見た。

 停泊した艦の後部ハッチが倒れるようにして開いていく。さらに、閉ざされていた隔壁が左右に引き開けられ、縦二十メートル、横二十五メートルの四角い闇が現れると、やがてそのなかから一機のグスタフが進み出てきた。

 あの艦に搭載された機体はその一機しかない。<ヘルシャフト・カスタム>は腹に収まった主の操作を忠実に実行し、艦から大胆にも跳躍するや、固唾を呑んで見守る三人の前に立ちはだかるようにして着地した。

 それと同時に満ちはじめた物々しい雰囲気に、九垓はあたりを睨めまわした。

 建物の陰から姿を見せた連合の<フォルクス>たちは、市街地戦用に明るいグレイの塗装を施されている。九垓らが艦へ駆け出すより一歩早く、包囲は完了した様子だ。

 言葉も交わさぬまま、<ヘルシャフト・カスタム>は手にしたアサルト・ライフルの銃口を眼下の三人に向けた。九十ミリ口径の弾丸が飛び出てくるその穴は、拳ひとつがすっぽり収まりそうである。この至近距離では爆ぜた時点で助かるまい。

「本気か、兄貴」

 九垓は雇い主の機体を厳しい面持ちで見上げた。

「許せ……。私も、男なのだ」

 己の心を踏みにじるように、マシューは声を絞り出した。

 自分は組織に生きる者である。ゲッツェン家が秩序を守るというならば、組織の秩序を自ら壊すようなこと、進んでできようはずはない。別けても、あのヴェルナー・ゲッツェンを父に持つマシューには。ヴェルナーは幼き彼に「父親の役目とは一家の秩序を守ること」と断じるような男なのだ。マシューがここで己が正義に殉じるなど、はなから無理な話であった。

 これで、提示された条件の半分は達成される。これで、おそらく家の名は守られる。これで、マシュー・ゲッツェンは終わらない。

(これで!)

 マシューは奥歯を噛み締めた。

 だが安堵はない。マシューは難民を銃殺した過去を思い出しながら、同じことを繰り返した己の浅はかさに、忸怩(じくじ)たる思いを禁じ得ずにいた。

 それを雪ぐには、残る<サムライ>を押さえるほかない。任務を完遂し、大手を振って帰るのだ。ハウトマンのことは、それから考え動けばいい。

 マシューは艦に残してきたはずの神楽夜を捕らえるべく、足元の三人から視線を持ち上げようとした。

 その時だった。

「それがあんたの意志か、マシュー・ゲッツェン!」

 突如として響き渡った女の声に、マシューの視線は出どころを探して駆け巡った。そして、茜色の屋根に揺れる黒い髪を見つけると、その異様さに肝を冷やした。

 沈みゆく陽光を背に立つ<カグヤ・イヴ>は、逆光に(かげ)るその顔に赤い眼光を輝かせ、どこか神々しさすら湛えながら、マシュー・ゲッツェンを射抜くように見据えている。

 それが己の意志なのか。マシューが答えられないのは、その光景に息を呑んだからではない。答えられないのだ。己の抱く正道が、求められるものと同じとは限らない。組織に生きると決めたのならば、ゲッツェン家を継ぐと決めたのならば、その秩序こそマシュー・ゲッツェンの抱く正道でなければならない。「多」の前に「個」は死ぬしかないのだ。

 それを知るがゆえに、マシュー・ゲッツェンは答えられない。

 だがそんなこと、この娘には知れたことだった。

「なら、その迷いを打ち貫く!」

 神楽夜は猛々しくそう言い放つや、鉄砲玉のように駆けだした。

 家屋の合間に立つ<フォルクス>たちの一斉射が、疾走する神楽夜の横っ腹めがけ飛翔する。狙い定まらぬ銃撃は次々に周囲の屋根と外壁を炸裂させ、彼女の行く手を遮った。しかし破片も銃弾も意に介さず、屋根から屋根へと疾駆は続く。

 娘は止まらない。止まるはずがない。確かにあるのだ。いまがその時だと、たったひとつの確信が。

 そう。いまこそ、己が迷いを断ち切る時。

(宙ぶらりんなのは過去がないからだって、ずっと思ってた。――でも)

 結局過去は、あればあったでそれにすがり、なければないで探し求める。どちらにしてもつきまとう。そうとわかってもなお綺麗に割り切って生きるなど、そんなつまらない大人には、残念ながらまだなれそうもない。

(でも、そう。ないなら、つくればいいだけだった)

 いまの自分が仮初だったとしても、過去を想うこの心だけは譲れない。それは自分のはじまりだからだ。だから、問い続ける。自分は確かにここにいる。それでいいのかと訊いてくる、いまの自分がここにいる。そこに、根拠などいるものか。

 その自分が辿ったこの旅路、それを嘘だと誰に言える。

 ないならつくる。求め、あがき、築き続ける。

 急駛(きゅうし)する神楽夜の道たる家屋らが、ついに銃弾の雨に崩された。<フォルクス>に乗る一兵卒は宙に放り出された娘に狙いを定め、続く彼女の行動に驚愕した。

「弾を足場にッ!?」

 駆ける神楽夜は横から飛び込む九十ミリ口径の銃弾を踏み、人ならざる俊足をもって天へと駆け上がった。彼女にとってはすべてが道だ。行けないところなどありはしない。そう、ありはしないのだ。

 なぜなら。

(だって私は――!)

 神楽夜はその身を横に捻りながら、迎え入れるように開かれたゼルクのコクピットに背中から滑り込み、叫んだ。

「いま、生きているんだから!」

 背面から飛び込んだ勢いをうしろに下げた左足で殺しつつ、右手を地につけ前傾する。

 そして、

「リンケェェジッ!!」

 神楽夜は上体を跳ね起こし、己が存在を高らかに吠え上げた。

 <フォルクス>の銃撃にさらされながら、<アームド・ゼルク>が黄金の輝きを放ちはじめる。そこに、

「――それが、貴女の望みなら」

 コクピットのなか、足元から立ち昇る金色の光に、いつか聞いた声がこだました。

 声の主は何者か、いまは考えなくてもいい。ただ目の前の事実にだけ、全身全霊をかければいい。神楽夜はその身が光に飲まれるのを進んで受け入れた。

 刹那、拒絶するような稲妻が、壁から伸びる鎖のごとく神楽夜に向かって走り出た。たちまち神楽夜の身は床に伏せられ、這いつくばった彼女は忌々しげに内部を睨み上げた。

 なぜゼルクは自分を拒むのか。やはり自分では無理なのか。本来の持ち主でない自分では。

(違う。拒んできたのは私のほうだ)

 自分すら定かでないのに、そこに別の色を足すことなどできなかった。しかし、いまは違う。

 神楽夜は背中の傷が開いたと錯覚するくらいの激痛に歯を食いしばった。

 同時に、頭に膨大な情報が雪崩れ込んでくる。星が生まれ、そして死ぬまでの永い永い時間を一瞬のうちにねじ込まれるような途方もない奔流は、この行いがヒトの身に余ることであると如実に訴えかけてくるようだ。

 圧に耐えかねて大きく目を剥いた神楽夜はついに、上から押さえつけられることに抗おうとして力んでいた四肢を伸ばし、大の字に突っ伏して、喉が張り裂けんばかりに絶叫した。

 その脳裏にまるで走馬灯のごとく、いくつかの景色が流れて消える。

 暗黒に浮かぶ月、雲のない青い空、自分を取り囲む五人の人影――そして、逆光を浴びながら手を差し伸べてくる誰かの姿。次々にノイズ交じりの映像が繰り出された、その果てに。

 神楽夜はまばゆい輝きのなかで宙に浮き、静かにその瞼を持ち上げた。

「まさか……動かせるのか」

 黄金をまとうアーキグスタフを見て、マシューは唖然とした。四方八方から飛びかかる銃弾の雨を物ともせず、標的たる<サムライ>は直立不動のままでいる。さすがに異常を感じたか、包囲する連合の兵士らは怖気づいた様子であとずさった。

「マシュー・ゲッツェン!」

 神楽夜に名指しされたマシューは身構えた。

「己を信じろ。そう言ったのはあんただったな」

「なに?」

 さきほどの与太話がなぜここで掘り返されるのか。怪訝な顔つきになるマシューに、神楽夜は続けた。

「私にも、ひとつだけあった。過去を諦めて、新しい自分を生きるんじゃない。過去を求めて、これからの自分を生きるんだ。それは、誰かに与えられた役割なんかにすがらない、絶対に嘘偽りなんかない、純粋な自分(わたし)だけの意志だった!」

 ――理は意志のもとに生まれる。そして意志とは、己の内にのみ宿るのだ。

 神楽夜はアレスの言葉の意味をいま、真正面から受け止めた。

 なくした記憶と過去を求めながらも、その行動さえ嘘でないかと、神楽夜は己を不確かなものと思い込んできた。だが、なんのことはない。はじめから持っていたのだ。

 問い続けろ。そうあの黒騎士が言った理由が、いまならばよくわかる。答えは己のなかにあった。それを掘り起こし、光を当てるため、自分にはこの旅が必要だったのだ。

(ここからだ)

 有象無象に用はない。神楽夜はマシュー・ゲッツェンのみを視界の真ん中に収めたまま、光のなかで悠然と<鳳鱗拳(ほうりんけん)>の構えを取る。半身になって腰を落とし、左手を抱くように右胸へ置き、手のひらを天に向けた右手を目線の高さで突き出す、あの構えだ。

 すべては、決別するために。

 その突き出された右手の親指を除く指先が、「かかってこい」とマシューを煽る。

(こいつ――)

 マシューは歯噛みした。あれほど落ちていた気迫を取り戻すどころか、この娘はもう己で定めた道を歩みだしている。

 衆目を前にしての挑戦に、この男が退くはずはない。否や、退けるものか。

「やはり、最後はこうなったか」

 マシューは数奇な廻り合わせを自嘲するようにそう言うや、機体の重火器をすべて強制排除(パージ)した。そして、左腰に携行した得意の長剣を引き抜くと、その切っ先を宿敵と定めた<サムライ>めがけ振り向けた。

 言うべきことは、ただひとつ。

「その機体、このマシュー・ゲッツェンが貰い受ける!」

 これまで幾度となく聞いた台詞を合図に、マシューと神楽夜はどちらともなく間合いを詰めた。

 以前もこの地で干戈(かんか)を交えた両者であるが、その時とはすべてが違う。持てる限りの覚悟と矜持(きょうじ)相対(あいたい)するは、いずれも過去の己である。片や娘は信じる道を歩みだし、片や男は過去の妄執に囚われる。両者の対峙はここに至り、避けられぬ必然へと相成った。

 神楽夜の攻め手は怒涛のごとき勢いである。マシューがひと薙ぎ振るうたび、金色(こんじき)の輝きが尾を引いて、十は超える拳の連打が返される。それでもマシューは一歩も退かず、直撃とならない絶妙な受け方で相手の拳をいなし続けるが、相手は曲がりなりにもアーキグスタフ。徒手とはいえ、娘の早業を再現する<サムライ>は、手数の面で一枚上手(うわて)だ。

「ぐっ」

 受け損ねた掌底が、<ヘルシャフト・カスタム>の胸部を打ち出した。肉薄していた両者の距離が開く。すかさず囲っていた<フォルクス>たちが手にしたアサルト・ライフルを構えだした。

 が、

「ちゃちゃを入れるな!」

 引き金を引きかけた連合兵らは、マシュー入魂の一喝に怯みあがった。よもやあのゲッツェン家の七光りが、これほど熱き激情を見せるとは予想だにしていなかったのである。

「これは私の決闘だ! 我が道を決めるためのッ!」

 マシューは背中から転倒しかけた機体をなんとか持ち直し、再び跳び込んでくる<サムライ>相手に剣を構え直した。

 あの娘は立って見せた。課せられた使命のためでなく、ただ己のためだけに、己の意志で立って見せた。

 超えねばならない。組織に生きると決めるなら、決して敗北は許されない。

 だから、マシューは吼えずにはいられなかった。

「秩序を守るはゲッツェン家の教え! かくあれと生き、そのために果てるは我が士道!」

 打ち込まれること七度。神楽夜はそのすべてを切り払った。しかし、振るわれた刃のいずれもが次なる一刀にかけての布石である。

「ゆえにッ!」

 マシューはここぞとばかりに渾身の力で剣を薙いだ。強く重い金属音を轟かせ、<サムライ>こと<アームド・ゼルク>は機体が大きく浮くほど苛烈に後方へと払い退けられた。

 続けざま、マシューはひと息に間合いを詰めようと踏み出す。

「迷いなど――ない!」

「心を縛るのは自分だ!」

 叫びとともに、神楽夜は大地に踏み止まる。すでに振りかぶっていたマシューは息を呑んだ。相手は拳を腰に溜めている。こちらの胴はがら空きだ。

(返される――!)

 咄嗟に剣を前に下げた。そこへ間髪入れず、神速の一打が放たれる。直撃から少し遅れて、どん、と体の奥を震わせる低い音がしたと思いきや、<ヘルシャフト・カスタム>の姿はその場から瞬く間に消え失せた。

 否、マシューの機体は遥か上空へと弾かれていた。

 さきほどまで立っていた地上が玩具のように遠い空。マシューは理解が追いつかないまま姿勢を制御するのに躍起になった。剣は砕け、刀身は半分も残っていない。それでもマシューは捨てなかった。

 <サムライ>はたった一歩で眼前に迫り来る。瞬間移動さながらの直線機動に、がむしゃらに機体の腕を振るうマシューであったが、そのことごとくは容易く打ち払われ、あえなく地面へと蹴り落とされた。

「はが――ぁっ」

 背中から突き上げられるような激突の衝撃に、彼は喘ぐように息を吸った。すると、頭に昇った血がさっと引けていくのを感じた。

 自分は父にはなれない。そんなことはわかっていた。

 では、どうしてそこを目指す。大した思い出が、あるわけでもないのに。

「ああ――」

 緩やかに視線を空に這わせれば、黄昏色の空が零したかのように、天空から黄金の光が舞い降りていた。

(ただ私は……あんなふうに輝いて、いたかった)

 軍に入って以来、より強く感じるようになった父との壁。なした事の大きさはあまりにも違い過ぎ、しかし、それもいずれは越えられると若き彼は信じてきた。

 けれど、現実は違った。彼自身、皮肉な話だと思っている。秩序を守るという意味を考えなかったわけではない。そのために人を殺めることになるのも理解していた。だのに、いざ引き金に指をかけてみれば、躊躇する自分がいた。

 だが、彼は撃った。同じ人間を撃つという行為すらおぞましいことなのに、それ以上の暴力でもって難民たちを肉片に変えた。およそ人のやることではない。父と同じ道を歩むうえで切っても切り離せない正義とやらが、そこからマシューの心を石臼にかけるようにして擦り潰していった。

 マシューには父という(しるべ)以外、なにもなかった。なにもないから、家を、名前を――父が遺した栄光という影にすがった。劣等感を覆い隠すだけだった言動は、やがて己の正当性を主張するための方便へとすり替わり、潰れてしまいそうな己をただただ欺瞞し続けた。

「私は光のゲッツェンことヴェルナー・ゲッツェンが嫡男、マシュー・ゲッツェンである」

 と。さも大儀があるかのように、装って。

 父にあって自分にないもの。現実にくじかれてなお理想を目指す、その揺るがぬ在り方が、羨ましかった。

 そう。

(認めることが、怖かった)

 ――昔のマシューに戻ったようで、安心した。

 その言葉を彼に渡したアルカンがどれほど心安らかであったことか。

 自分を守るあまり過去の威光をひけらかしては、他人が離れていくばかりの人間になったに違いない。現にそうなりかけていた。されど、いまはひとりではない。踏みとどまれたのは、いまだその心根に、他人を(おもんぱか)る温かさがあったからだ。剛三郎の明日を案じたように。

 それはなくしたわけではない。父の教えを守り、生きてきた日々に埋もれただけである。もう一度それを手にすることができたのは、いうまでもなく、肩書などに囚われない彼らの存在が大きかったはずなのだ。

 ここまで甘んじてきて、積み上げてきたものすべてを手放すことなどできないだろう。だが、このままでは自分は、人としての誇りすら保てなくなる。

(それでいい――わけがない)

 <ヘルシャフト・カスタム>は鈍い悲鳴を上げながら立ち上がった。その音は、地の底から這い上がらんとする主の嘆声(たんせい)を体現するかのようである。

 マシューは、廃屋の上で腕を組み立つ宿敵を睨み見た。彼女の背後にある遠い空には、すでに夜の帳が下りている。だからより一層、彼女の輝きは増して見えた。

 それから目を逸らすことなく、彼は右手の折れた剣を強く握り直すと、頭上高く掲げ示した。

「折れたが、捨てはしない!」

 その心までも、持って行く。

 そして挑むべき相手に、いまはなき切っ先を振り向けた。

「地球連合軍ユーラシア西部軍管区<アルカン領>、マシュー・ゲッツェン! その機体、貰い受けるッ!」

 腹の底からの雄叫びとともに、マシューは跳んだ。決して届かないと、知りながら。

 それでも彼は手を伸ばす。

 まっさらな自分で飛び込むには、この世界は広すぎる。

 彼女との距離が近づくたび、マシューの恐れは増していく。しかし目は逸らさない。あの輝きの向こうに、自分の、マシュー・ゲッツェンとしての世界があると――そう、信じたかったから。

 神楽夜は、眼下より挑みかかってくるその姿を、もう、以前の自分と重ねない。いまここに至らんとするのはほかでもない、マシュー・ゲッツェンというただの男である。

 だからこそ、神楽夜は全力で向かうと決めた。

(なってからの時のなかで、誰かが言った「らしさ」だけが積もっていく。へばりつくように自分を覆う過去(じぶん)。それが、心を殺してしまうというのなら)

「打ち貫くは、我が拳!」

 構える神楽夜にマシューは絶叫とともに振りかぶる。それに応えるようにして、神楽夜もまた渾身の一撃を解き放った。

「旭光照拳・御剣流、奥義! 翔王! 覇神撃!!」

 叫ぶや否や、猛然とした炎の軌跡が、廃屋の上から地面に向かって斜めに走り抜けた。<アームド・ゼルク>の姿はそのさきにあり、右拳で正拳突きを繰り出した体勢のままでいる。

 対する<ヘルシャフト・カスタム>は、振り切った右腕ごと炎に剣と腰を射抜き砕かれ、目指した場所に立つこと叶わず、上下に身を分けて舞い落ちながら(くずお)れた。

 仰向けに倒れた機体のなかで、藍色の空をぼうっと見つめるマシューの心は、まるで夢から醒めたようであった。今度こそ明確な敗北である。しかし、悔いはない。

 狙い澄ましたあの一撃。やろうと思えばコクピットを貫くこともできただろうに、まだ、自分はこうして生きている。

(なるほど……貫く、か)

 生きろと。あの娘は命でなく、歪んだ心を打ち抜いた。

 自分が追い求めていたのは秩序や人を守りたいという大きな理想などではなく、単なる父の影だった。それを飲み込んだ自分には、いまこそ不確かな、マシュー・ゲッツェンの道が見えている。

 貫かねばならぬ信念を、新たに探す長い旅路が。

「兄貴! 大丈夫か、兄貴!」

 外部から聞こえた声に正気を取り戻せば、自分の腹――すなわち<ヘルシャフト・カスタム>のコクピット・ハッチのまわりで、心配そうに様子を窺う九垓たちの姿がある。

(そうか――そうだな)

 マシューは自嘲気味に笑うや、コクピットのハッチを解放した。

「あんちゃん!」

 覗き込んでくる憂いに満ちたふたつの顔に、ヘルメットを脱ぎ取ったマシューは、

「……所詮、私もなにかにすがって生きる人間だ」

 と寂しげに、けれどもわだかまりのない表情でそう言った。

 決闘の幕は下りた。となれば、呆気に取られ固まっていた連合の<フォルクス>たちが動きだす。いまだ光を失わぬ神楽夜の<アームド・ゼルク>へと、こぞって銃口を振り向けた。

 そこへ、

「ブラーバ! これは想像以上だ!」

 と、場の緊張感にそぐわない嬉々とした男の声とひとり分の拍手の音が響き渡り、神楽夜は何事かと夜空を睨んだ。九垓によってコクピットから引き上げられたマシューも同様であったが、こちらには驚愕の色が強く浮かぶ。それもそのはず、声の主は、マシューがよく知るあの男であった。

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