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第十一話「それは孤高なる常道」⑨

「この私が裏切り者だと!」

 ブリッジに戻るなり聞こえてきたマシューの怒声に、神楽夜は剛三郎と顔を見合わせた。

 マシューは操縦席から腰を上げ、目の前の操作盤上に両手をつき、この世の終わりかのようにぐったりとうなだれている。その背に、

「通信が入ったって?」

 神楽夜は努めて淡々と訊いた。甲板から連れ戻される道すがら、剛三郎の口から何事かは聞き及んでいる。

「網を張られていたのだ。私たちが基地を出てすぐに」

 マシューは苛立たしげに唇を噛んだ。

「それで、なんて?」

 マシューのもとへ歩み寄りながら神楽夜は急かした。現況で通信が入ったならば、相手はもう目と鼻のさきに迫っている。マシューが言った「裏切者」という単語だけでも、一触即発の事態になると予測するに充分だ。

「私がアーキグスタフを奪い、逃亡したんだそうだ」

 マシューは自嘲気味に言うや、

「連合に忠を尽くしてきたゲッツェン家が……。この私が、裏切り……ありえん!」

 と、垂れた頭を嘆きに振った。状況は想像以上に悪い。連絡を取ってきた相手側は脱走兵の自分を捕らえる目的でなく、謀反を画策する重罪人として裁くためにやってくるのだ。男の心持たるや、それはそれは困窮したものである。

 軍人たるもの、死など怖くはない。名誉を抱え、戦場に果つるならば本望だ。だが、これから訪れるであろうそれは違う。いまここで(たお)れるは、すなわち自家の没落だ。それでは、亡父の代まで家の名を高めてきた先人たちに申し訳が立たない。

 その心の動きさえ、連絡を取ってきた相手は熟知していたのだろう。彼が受けた通信の内容は、罪状の通達以外にもうひとつあった。

 条件である。己の命と家の名、その双方を守るこれ以上ないほどの好条件だ。ゴビ砂漠で基地司令をしていた頃の彼であれば、躊躇なく飛びついたことだろう。

 しかし、

(やはり、呑むしかないのか……!)

 いまの彼は迷っていた。

 苦慮するふうのマシューを見かね、神楽夜はゼルクへ向かうべく踵を返す。備えるならばいましかない。その靴音を聞いたマシューは慌てて振り返った。

「どこへ行く!」

「捕虜じゃないって言ったのはどの口さ」

 言い捨てながらまっすぐ出口に進む神楽夜に、

「こ、この期に及んで逃げるか!」

 マシューは懐から抜いた銃を向けた。殺気など皆無であったが、なにかの弾みで撃たれてはたまったものではない。神楽夜はマシューを刺激すまいと歩みを止めると、

「まさか。戦うんだよ」

 首をわずかに横へ向け、背中で言った。

「戦うだと?」

 この娘に戦うすべなどないはずである。相手は間違いなくグスタフで武装してくる。<サムライ>を基地に置いてきたのだから、よもや素手で挑もうとでもいうのか。

「無謀な。蜂の巣どころか肉片になるのが落ちだぞ」

「ゼルクならやれる」

 すかさず振り返った神楽夜の目には、かつての熱が戻っていた。赤い瞳に燃ゆる俯仰(ふぎょう)不屈の魂は、牢のなかで見たそれとまったく同じだ。さきほどとは別人のような顔つきである。この数分の間に、彼女のなかでなにかが息を吹き返したのは明白だった。その理由を考えるうち、思わず絶句したマシューの脳裏にある推測が浮かび上がった。

「あるのか……<サムライ>が」

 そんな馬鹿なと言いたいところだが、神楽夜から否定の言葉はない。マシューが判断しかねるその間が惜しいと感じたか、神楽夜は再び出口へ体を向けようとして、

「待て」

 という緊張を孕んだ制止の言葉に、体の左横を見せたところで固まった。

「その機体、私が貰い受ける」

「お、おい、あんちゃん」

 剛三郎はマシューが本気だと感じ抗議の声をあげた。いまはそんなことをやっている場合ではない。剛三郎が聞いた限り、通信の相手はマシューを生かすつもりはないようだった。いまは九垓がいない。だから神楽夜を呼びに行ったのだ。ここで内輪揉めを起こしたところでなんの意味もない。子供でもわかる話である。

 されど、マシューは焦る剛三郎に一瞥をくれてやるだけで相手にせず、神楽夜に銃を向け続けた。

「どこにある! 言え!」

 たかだか拳銃一丁ですくみあがる神楽夜ではないが、彼女は自分とマシューの間に立つ剛三郎を気にして動けずいた。間合いにして五メートル弱。この距離で外すとは思えないが、万が一ということもある。

「あんたじゃ動かせないよ」

 神楽夜は鷹のごとき眼光で跳び込む機会を窺った。

「構わん! その機体だけでもあれば――」

 と、マシューは引き金にかけた指に力を込めはじめる。その時だった。

「時間だ、マシュー・ゲッツェン大佐。アーキグスタフと同行するアービターふたり、引き渡しに応じるか否か。答えを聞こう」

 ノイズ交じりの男の声が操縦席から聞こえ、マシューは目を見開き言葉を失った。

 それが、五分の猶予とともにマシュー・ゲッツェンに突きつけられた交換条件であった。アーキグスタフとアービターを差し出して、自身の命と家を守る。それで体面が保たれるならば、マシューにとって悪い取引ではないはずである。

「アービター、ふたり?」

 剛三郎は怪訝そうに声の出どころを見やると、その視線を今度はマシューに移した。

 マシューの意気消沈ぶりは相当だ。銃を握る腕をだらりと下ろし、いまにも喚きだしたい気持ちをぐっと堪え、晴らしようのない絶望感に奥歯を噛み締めている。手にした銃でいまにも自害するのではないかと、剛三郎は気が気でない。

 さらには聞こえてきたあの通信内容だ。同行するアービターふたりとはいわずもがな、九垓とイネッサに違いない。

(アニキ)

 剛三郎は顔を決意にしかめると身を翻し、弾かれたように出口に向かって駆け出した。それにはっと顔を上げたマシューが、

「ゴウザブロウ!」

 と呼びかけるが、神楽夜の脇をすり抜けていく少年が振り返ることはなかった。おそらく教会のふたりに知らせに行ったのだろう。マシューは歯がゆさに拳を握りしめた。

 ブリッジが、一瞬の静寂に包まれた。

「あんたはどうしたいの?」

 無音を斬り裂く神楽夜の問いに、マシューは心の臓が一度、猛烈に跳ねた気がした。

「私、か……?」

 事態が知られれば、九垓たちは逃げるだろう。剛三郎を止めなかったということは、それを許したということだ。このままでは積み重ねた名声が地に落ちる。父も己も、歴史に汚名を刻むことになる。それなのに、なぜ見逃したのか。

(私は……)

 ――オレ、アニキみたいになりたい。

 剛三郎のその純粋な目を、マシューは知っていた。秩序の守り手となることこそマシュー・ゲッツェンの使命である。そう心に留めた時の、あの日の自分と同じ目だ。

 ――親を見送るのは、子供の義務だ。

 イネッサに送ったその言葉は、それが叶わなかった自分のやるせなさを彼女に感じたからだ。

 ――へえ。じゃ、俺と一緒で天涯孤独か。運命だねえ。

 九垓を拾った時、彼はそう言っていたが、果たしてこの出会いを運命と呼ぶのかはわからない。ただ、たった数日とはいえ彼らと歩いたこの旅路で、マシューは置き去りにした自分を拾い集めた気がした。アルカンの言葉を借りるなら、昔に戻ったのかもしれない。そう、変わったのだろう。しかし、それを確かめるすべはない。もう、自分を理解してくれる者はいないのだから。

 ――ゆっくりでいいから、自分を許せる相手をもっと作るといい。

 あの時交わした酒の味が、いまとなってはとても苦い。

 決して努力しなかったわけではない。むしろ、己の信念のままに邁進し続けてきた。だが、正し過ぎることは時として、人を遠ざけるのである。

 理想に向かうその道は、孤高なる常道か。正義の在処、それを求めて心が軋む。

(私は!)

 されど、悠長に考える時間はなかった。遠巻きに聞こえた轟音に、マシューは外に視線を走らせる。輸送機のエンジン音だ。

「くそ!」

 吐き捨てたマシューが横を駆け抜けていくのを、神楽夜は尻目に見送った。

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