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第十一話「それは孤高なる常道」④

 近代的な家屋の合間にロマネスク建築が覗く閑静な街並みは、時代が移り変わる瞬間を切り取ったかのようだ。

 けれども、日中で、しかもそれなりに形を保った建物があるにもかかわらず、人の息遣いを感じられないこの場所は、そこにいる者に妙な胸騒ぎを覚えさせる。

 長らく人の手が入っていない石畳は、隣同士で高さを競い合うように盛り上がり、その目地からは、悠々自適な雑草たちが生い茂っている。

 そこから視線を持ち上げて、九垓は前を行くイネッサの背中を見た。

 結局、(ふね)を出たのは、あれから小一時間ほど経ってからだった。

 いま九垓が背負ったバックパックの中身には、その間に準備した携帯式のシャベルやランタンといった野営の装備一式と、昼食用のレーションがふたり分、そしてなぜか替えの軍服が一着、入っている。いずれも艦でマシューに渡されたものだ。

 出発してから、ふたりは終始無言のままだった。砂利を踏みしめる互いの靴音だけを聞きながら、修道女の先導で死んだ街を行くそのさまに、

(巡礼かよ)

 と九垓は人知れず呆れ顔になる。どうもこの女は、こちらと交流する気がないらしい。

(まったく、嫌われたもんだ)

 などと思っていると、イネッサの姿が右へと消えた。

「また戻ってくるとはなあ」

 足を止めた九垓はため息交じりにそうつぶやき、右手にある石造りの門を見上げる。

 そこから視線を下げると、黒い鋳物でできたらしい格子状の扉が片側だけ押し開かれ、イネッサが通った痕跡が残されていた。

 九垓はそれをさらに押し開き、なかへと進む。すると、イネッサはさきに入ったにもかかわらず、崩れた教会の前で立ち尽くしていた。

「お前はここにいろ。さきに見てくる」

 そう言ってイネッサに肩を並べるなり、九垓は荷物を地面に下ろした。そのまま返事も待たずに行ってしまいそうになるが、

「……わ、私も」

 とイネッサの声がし、九垓は踏み出した一歩を戻しながら首をねじ向けた。

 イネッサは両手をへその前で組み合わせ、うつむいている。

(気ィ使ってもしょうがねえか)

 九垓なりにイネッサの心境を(おもんぱか)ったのだが、そもそも気に食わない相手を気遣うこと自体、この男にしては珍しい。九垓自身、イネッサの護衛は雇い主から与えられた任務であり、「それ以上してやる義理はない」と思って変わらない。

 しかし、

「前は俺が行く。足元、気ィつけろよ」

 九垓はやれやれといった具合で言うと、下ろしたバックパックを再び背負い上げ、教会に向かって歩き出した。

 それがいかに意外なことかは、昨日、基地にて言い合いをしたイネッサにはよくわかった。呆気に取られた表情のまま九垓の背中を目で追う。

 と、

「なんだ、行かねえのか」

 続かない気配に九垓はそう振り返った。

 イネッサは慌ててかぶりを振ると、深い呼吸をひとつし、やや間を置いてから九垓のあとに続いた。

 入るのは、もっぱら出入口にしていた礼拝堂からではない。向かって右側にある修道院の、グラディアが突き破った壁穴からである。

 先行する九垓はそのまま向こう側の中庭に抜ける気らしく、ずんずん進んでいく。

 続くイネッサは恐る恐るなかへ踏み込んだ。

 前を行く深緑色のバックパックを追いながら、ふと視線を右にやれば、修道院の廊下が奥へと伸びている。年季の入った木床が数十メートルさきまで続くそこは、昼間だと思えないくらいに薄暗く、朽ちていくものが放つ哀愁が漂っていた。

 イネッサはグラディアに追われたあの夜を思い出し、目を背けるようにして中庭へ出る。

 すると一転、修道院の暗さが嘘のように、彼女は陽光に包まれた。

 イネッサはまぶしげに顔をしかめながらあたりを見回し、やがて目が慣れていくにつれ言葉を失った。

 視界に広がったのは、ここが庭園であったとは信じがたい惨状だった。

 一面に敷かれた白い石畳は巨大な爪で引っ掻いたように抉れ、中央にあった円形の花壇に至っては、見る影もなく爆散している。自然のまま生えていた草花は無惨にも打ち捨てられ、土にまみれて死んでいた。

 イネッサは反射的に「ひどい」と口に出しかけたが、寸でのところで飲み込んだ。

 これは、九垓がグラディアを足止めした結果である。たとえ口が裂けても、言えるはずがない。

 当の九垓は特段思うところもないようで、中庭を斜めに突っ切って行く。そして、グラディアが最初に開けた壁穴の前に立つと、そっと頭だけを覗き入れた。

 その様子をイネッサはうしろから固唾を呑んで見守った。

 しばらくして、壁穴から身を引いた九垓が手招きした。それに従いなかを覗き込むと、

「……お父、さん」

 右手の奥に、うつ伏せに倒れたイヴァンの遺体があった。

 上顎から斬り飛ばされた頭部には無数の虫がたかっている。なくなった頭の一部を探して視線を左右に巡らせれば、残りは左手の廊下の片隅に転がっていた。無論、こちらも虫の餌食である。

 イネッサはおぼつかない足取りで遺体に近寄ると、(ひざまず)いて祈りを捧げた。

 その背中を見て、九垓は思う。

(俺は)

 こんなふうに(いた)んでもらうことは望めないだろう、と。

 九垓には、以前本人がマシューに語ったように、家族はおろか近しい人間のひとりもいない。

 これまで経験した戦場で、同僚の死をいくつも見てきた彼であるが、それについてなにか思うようなことはいままでなかった。

 だが、なぜか。

 父だったモノの亡骸に、長い祈りを捧げる彼女の背中は、

「それでいいのか」

 と問いかけてくるような、そんな錯覚を九垓に抱かせた。

 沈黙のなかに虫の羽音だけが響く。九垓は鬱陶しげに眉をひそめながら、しかし黙って、イネッサが満足するのを待った。

 ひとしきり祈り終え、静かに瞼を上げたイネッサは、なにかに気づいた様子ではたと振り返った。

「どうか、しましたか?」

 気まずそうに目を逸らした九垓に訊くが、答えは返らない。

 祈りのさなか、しきりに背中へ刺さっていた視線は九垓のもので間違いないはずなのだが。つん、とそっぽを向かれて、イネッサは首をかしげるしかない。

 その困惑した目に九垓は耐えかねた。

「埋めてやろう」

 苦し紛れも少しはあったが、ほぼ本心からそう言った。

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