香卦良との対面
ーー一人で行け。触れられる程に近づくな。
父に言われたとおり、二条家の古い書斎の奥の本棚に来ると、本当に毛色の違う本があった。
「これね」
奥に差し込むと、本当に謎の空間に続く穴が現れた。少し躊躇しつつも、意を決して穴をくぐる。
穴の先には実験室のような、手術室のような機械や器具の置いてある空間があった。薬品の独特な匂いの立ち込める空間は、奥に扉があり、どうやら奥へ続いているようだった。
「ここは、何なのかしら……薬乃の治療室とも違うわね」
一番薬品を取り扱う身近な人といえば薬乃だが、彼女の治療を受ける際に通される治療室は、こんなに器具や機械はおいていない。
「とりあえずここにはいなさそうだし、奥に行ってみるしかなさそうね」
奥の扉を開けると、広がる「無」。
思わず目を瞠る。一気に汗が背中を伝う。
なにもない。空間がちぎられているように。
真剣に頭の中で考えを巡らせる。
そして唐突に頭に響く中性的な声。
「誰だ」
「……!」
罠かと構えてから、下手に動いて戦闘になる方がまずいと考えを改める。
「……長である壮透の娘、朱己です。……香卦良様ですか」
なにもない眼の前の無に向かって話しかける。
しばらくすると、歩いたら割れそうな、薄氷の通路が出現した。
「壮透の……通れ」
名乗らない声の主が誰なのか疑いながらも、言われたとおり割れそうな通路に足をかける。
その瞬間通路は割れた。
通路だったものの欠片が、無の空間へ消えていく。
咄嗟に、風属性の力で体を浮かせ事なきを得たが、全く手荒な歓迎だ。
体を浮かせたまま通路の上を歩いていく。
あるところまで歩くと、急に視界が開け、牢屋のような殺風景の部屋になっていた。
眼の前には、簡素な部屋。
一人の若い男。腕など見えるところだけでもかなりの痣や注射痕のようなものがあり、痛ましい印象を受ける。
薄浅葱色の髪を、朱色の組紐で結い上げた男は、ゆっくりとこちらを見て微笑んだ。
「ようこそ、朱己。よくたどり着いた」
「……手厚い歓迎、痛み入ります。香卦良様ですね?」
眼の前の男はくつくつと笑った。
「すまないね、子孫の力量は定期的に確認したい質なんだ。いかにも、私が香卦良だ」
「子孫……?」
「私が、何者か気になるようだな」
思わず顔がこわばる。
少しだけ汗ばんだ手は、緊張故なのか、それとも畏怖なのか。無意識にじっと見つめると、香卦良は静かに手招きした。
「教えてあげよう。こちらへ来なさい。お前の目的も知っている……ごほっごほっ」
「大丈夫ですか!?」
目の前で突然血を吐く香卦良に、反射的に近づいて体を支える。
「これを」
近くにあった水を手渡すと、水ではなく手を掴まれその場に押し倒された。
景色が反転して、視界いっぱいに薄浅葱色が広がる。
「なっ……」
「吐血はいつものことだから心配はいらない。お前の目的は、私の子種だろう。……案ずるな、すぐ終わる」
馬乗りになる香卦良は、口の端から血を流しながら顔を近づけてきた。咄嗟に思い切り顔を叩き飛ばすと、香卦良は勢いよく転がって、その場でまたむせた。
「いきなりなんですか!」
「げほっげほっ……叩かれるなんて、久々だ。目的は子種じゃないのか?」
「違います!」
違うと言われたことが余程意外だったのか、香卦良はしばらく口を押さえながら、目をぱちくりさせていた。しばらくそのまま頭の整理をしたようで、こちらに改まって向き直る。
「……そうか、それは失礼した。二条家の女人が私のもとに来るのは、いつも子種のためだったから……てっきりそうなのかと思ったんだ。近づいてきたしな」
「子種……をもらいに、ですか?」
「ああ。お前は壮透から本当に何も聞いてないんだな。そもそも、子種目的じゃない女人は、触れられる程近くには来ない」
そう言われてはっとする。
ーー触れられる程に近づくな。
「あっ……」
「なんだ、言われていたのか?」
「……今思えば、とだけ」
父に初めての悪態を心のなかでつくが、今となってはもう遅い。
「私は目の前で吐血した人を、放っておけなかっただけです。……貴方が何者か、教えていただけませんか?」
「いいだろう。そこに腰掛けなさい」
香卦良は床からこちらを少しだけ見た後、立ち上がり古びた椅子に腰掛ける。
「血を吐いただけで心配とは、お前は優しい子だね。私は、ナルス建国の長、冠と祭の弟だ。姉らの死後、継いだ長の実験台にさせられたことによって、永遠に死ねないセンナを手に入れた。もう数千年は生きている」
「なっ……初代の……弟……」
言葉を失う。
センナは破壊されるか、病気等で消滅しない限りは消えないが、肉体は違う。
センナの能力が顕出した者であれば、数百年から千年もすれば肉体は滅び、センナは新たな肉体が得られるまで、隠密室の格納庫に格納される。
センナの能力が顕出していない人間はそれよりも短く、百年も経たずに肉体が朽ち果てる。
「時の長の人体実験により、不老不死のセンナと肉体を手に入れさせられた。そして、歴代の長は、センナの研究を、ずっと私のセンナで行っている」
「センナの……研究……」
ーーこれは、私の研究の紙束だ。
白蓮伯父上が渡してきた、あの紙束。
眼の前の香卦良の体にある、無数の痣や注射痕。袖から出た腕を見ただけでもかなりの数だ。恐らく服を脱いだらもっとあるだろう。
「ん、服の中が気になるなら見せるか?」
「冗談はやめてください」
得体のしれないおぞましいことが、自分の知らないところで、こんなにも行われていたという、恐怖と嫌悪。
思わずこみ上げる吐き気を、手で口を押さえながら必死に耐える。
香卦良は静かに、水をこちらに差出した。
「どんな研究をしているか知りたいか? ことの発端は、不老不死になりたかった長が、躍起になって研究を始めたことだな。我々は、元来不老不死ではない……センナは朽ちずとも、肉体は朽ちる。ところで、朱己……何故肉体が朽ちるか、知っているか?」
「……輪廻による、センナの浄化のため、ではないのですか?」
香卦良は目をそらさずに言った。
「センナが罪で汚れようと、別に肉体に影響はない。心が保てなくなったとき、センナは体を崩壊させるようになっている」
「それは……初めて、聞きます」
頭が痛い。頭を手で支えるが、何も変化など起きるはずもない。
「生き続けることへの恐怖や絶望、生への執着がなくなったとき、センナが体を破壊する。そしてセンナは輪廻のために、格納庫に組み込まれる。輪廻によるセンナの浄化は、副産物だ。ただ、それがわかったのは、私や、他の罪人のセンナを使った実験の結果だ」
「実験に使われていたのは、香卦良だけではないのですね」
それさえも、腹の奥底で渦巻く嫌悪を増幅させるには十分だ。
「実験に使われた者たちは、みな等しくセンナが崩壊していったり、肉体が朽ちてセンナが回収されていった。だが、私は突然変異か何かで死ねない体になってしまったことで、その輪廻に組み込んで貰えなくなった。心が疲れても、センナが肉体を手放さない」
「それが現実なら、途方もない、絶望にまみれた世界なのではないですか?」
「……朱己、お前は本当に優しい。センナが揺れている。これ以上は恐らく体に支障をきたす。今日はもう話さない。もしそれでも聞きたくなったら、またおいで」
彼は、温かく優しい笑顔だった。
卓に手をつき、必死に支えながら立ち上がって香卦良に向き直る。
「すみません……また、来ます」
「ああ。待っているよ。愛しい子孫」
見た目は、私と同じくらいなのに。
背負っているものが違いすぎる。
香卦良の部屋を後にして手術室のような部屋にたどり着くと、この空間に繋がっている穴が出現した。どうやら、この部屋に戻ってくると、自動であの書斎に戻れるらしい。
父のところへ行くべきなのだろうが、とてもそんな気にはなれなかった。
お読みいただきありがとうございます。
引き続きよろしくお願いいたします。




