彩りの与奪
ーー今日朱己が君の告白に是といえば、君の要求に従う。
父の言葉に耐えかねて部屋を飛び出した。
「……とは、言われたものの……」
頭を抱えていると、廊下で戒が待っていた。
「葉季様。何やら、大変なことになりましたね」
恐らく何回か怒鳴ったのもあり、戒は廊下にいながら会話の中身を把握していたようだった。
「ほんとにのう。どうしたものか」
なんだか笑えてくる。
戒に視線を向けると、相変わらず無表情で堅物を絵に描いたような顔をしていた。
「……本気であれば、勝率はあります」
勝率。この場合の勝率は、朱己への告白の成功率だろう。
「あると思うか?」
「私は、葉季様に賭けています」
思わず目を瞠った。
「お主にしては、珍しいことを言うのう」
彼は現実主義者だ。
不確定なものやことを推奨するようなことはしない。いつだって十中八九自信がある確定の道のみ、是と言う。なのに、彼があまりにも不確かなものに「賭ける」とは。願望というものほど不確かなものはないというのに。
信じられないものを見るように彼を見つめれば、一点の曇りもない瞳。
「……葉季様にお仕えして数年、ここ最近の葉季様は色づいておられる。それは、うつつを抜かすという意味ではなく、色のない世界に色を挿した方がいらっしゃるということ。元来、世界には色彩が必要だ」
彼の紡ぐ言葉を静かに聞く。
「やっとお気づきになられたのでしょう、人生に必要な色を。故に、賭けています」
風が吹く。木々が揺れるのが見える。
誰かが廊下の窓を開けたままにしたのだろうか、廊下にもそよ風が吹く。
確かに前はそんなことはどうでも良かった。気づくこともなかった。季節の移ろいも、景色の移り変わりも、瑠璃を失ってからはどうでも良かった。どうでも良かったことが、心地良いものになった。
世界を、再び眩いものにしてくれたのは。
「今葉季様の中にある気づきは何ものにも代え難い事実であり、それは葉季様にとっての現実です。それが朱己様の人生の線と重なるかは、お伝えせねばわかりませんが」
「そうだのう」
いつの間にこんなにも戒は見て気づいてくれていたのだろうか。少し照れくさく口の端を上げると、彼もまた僅かに微笑む。
拳を突き出すと、戒が小さくぶつけてきた。
ーーー
風に吹かれるのは心地がいいのに、心は曇ったままだ。
「……」
ーーお主を失いたくない。
「あれは、何だったのかしら……」
あれから部屋にも戻らず、薬乃のところにも行かず、ずっとここにいる。もう半日はここにいることになる。葉季の言葉をどう捉えたらいいのか、頭の中で反芻しては感情の整理ができずにいた。
「朱己。ここにいたのかい」
突然聞こえた声に大げさに肩が跳ねる。全く気配がなく、一瞬で汗が吹き出すような焦燥感に駆られた。振り返ると、そこには美しい笑顔の伯父。
「白蓮伯父上……。どうなさったのですか」
この親子は本当に突然来る。
むしろ、今まで秘密基地で会ったことがなかったのは、たまたま運が良かったということなのだろう。
だが、現れた理由はなんなのか。白蓮伯父上の表情からは心が読めない。
「朱己、葉季から何か言われたのかい」
「は、はい?」
声が上擦る。見透かされているようで落ち着かない。
伯父上はすぐ近くまで来て続けた。
「その様子だとまだなのかな。……葉季には、瑪瑙と婚約して、平凡な生活を送ってもらいたいと思っているんだ。三条家から打診があってね」
目をそらさずにまっすぐ言葉を紡がれると、何も言えなくなる。葉季の相手が瑪瑙だという事実を聴いて、少しだけ心がざわついた。
「朱己。長の人生は、あまりにも酷だ。時には救いも必要だろう。だけどね、朱己。だからこそ、失って苦しい相手はそばに置かないほうがいい。君は、葉季のことは大切かい?」
「大切ではあります……が」
少し俯いて、伯父上から視線を外した。
さっきから、心がざわざわする。
自分の本音に霧がかかったままだ。
まだ婚約者を失ってから一年と数ヶ月。仇である時雨伯父上を見れば、心はささくれ立ち、余裕なんてなくなっていた。
葉季が私のささくれだった灰色の世界に光をさしたのは、何者にも変え難い事実だ。
彼の言葉と、彼の温度が。
「……朱己。私はね、葉季に色名を与えなかった。この意味がわかるね? センナを見れる君なら気づいていたはずだ」
伯父上が近づいてくる。顔を上げられずにいたのに、俯いても見える位置まで。
「私はね、葉季には、二条家に囚われずに幸せになってほしいんだ」
「……はい」
肩を叩かれて、少しだけびくついてしまうが、まだ顔はあげない。
「君のことは、信じているよ。顔をあげてくれるかい」
無言でゆっくり顔を上げれば、美しい笑顔でこちらを見下ろす伯父上がいた。
「……葉季には、幸せにと言っておきます」
「ありがとう。朱己」
伯父上は踵を返して戻っていった。
伯父上の背中を無言で見つめることしかできなかった私は、なんて弱いのだろう。
「私の本音は……こうちゃん、これで、いいのかな」
振り返り小さな墓石を見下ろす。
胸を押さえて、見て見ぬふりをする。滑稽だ。
長。
私がいつかなる立場。逃れられない未来。
白蓮伯父上が通ってきた道。だからこそ、あえて私に忠告しに来たのだ。「葉季を巻き込むな」と。
私の本音は、都合が良すぎる。
私の本音は、今必要ない。
今の私にできること。彼のために、できること。
「……葉季」
風に吹かれる髪の毛をもう片方の手で抑えながら、目を瞑って深呼吸した。
お読みいただきありがとうございます!
佳境に差し掛かります。




