六芒の市松(上)
息を切らしながら廊下を駆け抜け、勢いのまま扉を叩いて叫んだ。
「父上! 葉季です。いらっしゃったら返事を!」
自分とは対照的に、中から穏やかな声が返ってくる。
「入りなさい。葉季いらっしゃい。どうしたんだい、お行儀が悪いね」
「申し訳ございません。確認したいことがあります。……これを」
急いで父の座る卓に駆け寄り、手に持っていた埃まみれの紙束を差し出す。父は一瞬紙に目を落とすと、すぐわしへと視線を戻してきた。
「これが、どうかしたのかな」
特に何でもないかのように、笑顔でわしを見る。その笑顔と余裕に思わず苛立ちがこみ上げるが、深呼吸して取り繕う。次の言葉を紡ごうとすると、父が手を上げて制した。
まだ叩かれていない扉に向って声をかける。
「すまないが、火急の用らしい。……入りなさい」
苛立ちを隠せずに舌打ちをしながら振り返る。
入ってきた隠密室の者の顔色を見るやいなや、ただ事でないことを察した。父の方を横目で見ると、父もまたそれを理解しているようだった。
「敵襲です! 稽古場にて、夏能様、朱己様が応戦中。ただ、空間がまるごと抉られており、状況は全くわかりません」
「なっ!?」
予想もしない展開に目を瞠り声を荒らげた。
「まさか六芒か? ……兄上は本気のようだね」
「六芒……?」
父を見ると、父は少し考えたように視線を落としながら立ち上がった。
「壮透にはもう言ったね?」
「はっ、壮透様には既にお伝えし、稽古場へ向かっていただきました」
「わかった。私達も向かおう。行くよ葉季。話はあとだ」
「はい!」
ーー朱己。無事でおれ。
逸る気持ちを必死に抑えながら、部屋をあとにした。
ーーー
「……ここは」
先程、力が増幅し空間が食べられるかのように、一瞬で飲み込まれた。夏能殿が同程度の力をぶつけて相殺しようとしたのを最後に、視界が暗転した。
「久岳の能力……?」
立ち上がりながら、色んなことが脳裏をよぎる。
「お目覚めですか、朱己様」
腹の底に響くほど低い声で、名前を呼ばれ振り返ると、そこには久岳が立っていた。
「久岳……じゃないな。久岳の中に誰が入っている?」
肩をすくめながら、久岳は見たことのない笑顔でこちらを見ている。
「朱己様何をおっしゃいます。久岳です」
「久岳のセンナと別に、もう一つセンナが見える。名を名乗れ」
久岳は心底楽しそうに笑い、頷きながら拍手し始めた。私のことを嗤うように。
「お見事ですぅ。朱己様ぁ、私は時雨様直轄の戦闘部隊“六芒”が一人ぃ、市松ですぅ。以後お見知りおきをぅ」
ーー伯父上の差金か。これは一筋縄ではいかないか。
強く手を握りしめる。
その時、どこかから耳鳴りのように甲高い音と共に地面が揺れた。地面とは言っても、闇の中にいて、自分が本当に立っているのか浮いているのかも怪しいため、空間ごと揺れているのかもしれない。
「……邪魔が入りましたねぇ」
目の前の男は、心底嫌そうな声で呟く。しばらくすると何処からともなく夏能殿の声がした。
「朱己! 無事か!」
「夏能殿! 私は無事です!」
咄嗟に叫んで答えるが、夏能殿の姿は見えない。
今この空間が揺れているのは、夏能殿の闇の力。
つまりこの空間はいくつかに分割されている。夏能殿は空間の何処かから、私達のいるこの空間へ「融和」を図ろうとしているのか。
この空間を創り出している能力の属性が、仮に闇属性である場合、同じく闇属性の夏能殿とは相性が悪い。
しかし、同属性同士だからこそできる他者の能力への侵入ーー“融和”を使えば、この空間へも侵入できる。
目の前の男が聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いたのを、聞き逃さなかった。
「……邪魔は、させませんよぉ?」
次の瞬間、大きく空間が揺れ私は体勢を崩した。
ーーー
私たちが稽古場へたどり着いたときには、既に稽古場は闇の空間に大半が飲み込まれた状態だった。
私の弟の側近が、どうやら空間の中で融和を試みている最中、思い切り空間から弾き出されてきた。
まるでその空間は胃袋から異物を吐き出すかのように勢いよく、彼のことを選択して吐き出したように見えた。
「がはっ」
彼はぎりぎり受け身を取ったようだが、痛みで顔が歪んでいた。
「夏能!」
弟が彼の元へが駆けつけていく。私達も続いた。
「何があった? 朱己はどうした」
弟が夏能を起こしたが、すぐに彼は自力で立った。彼らしくもない、弟の質問に答えないとは。いや、答えられないのか。正直何が起こったかよくわからないのだろう。
彼は少しだけ悩み、口を開いた。
「六芒の市松が、久岳の中にいる。この空間に融和して、朱己のところまで行こうとしたら……弾き飛ばされた」
「なんだって?」
「さっき何処からともなく聞こえた朱己の言葉を信じるなら、の話だが。こちらが名を叫んだ時に返事が来たからには、おそらく本物だろう」
ーーやはり、六芒か。
口元に手をあてながら、次の手を考えていると、弱々しい声がした。反射的に振り返る。
「……夏能、様」
そこには久岳の妻、朱公が腕から血を流しながら、こちらへ向かって歩いてきていた。腕を抑えてはいるものの、出血は少なくないのが見て取れる。夏能が声を荒げながら駆け寄る。
「お前、大怪我じゃねえか!」
ーー君も中々怪我してるけどね。
彼に言いたい言葉を飲み込んでいる間に、直様夏能が朱公の応急処置をした。その間に葉季に薬乃を呼びに行かせる。
「申し訳ございません……久岳が、こんなことに」
あおざめた顔、震える体。
ここにいる誰しもが考えているであろうことは、わざわざ意識合わせをせずともわかっている。
「今朝とか昨日とか、久岳におかしい素振りはあったかい?」
彼女は怯えるように私達を見て、物凄い勢いで首を横に振った。
「ありません! ……私が、気づかなかっただけなのかもしれませんが……すみません」
心底申し訳無さそうに薬乃の治療を受けながら視線を落とす彼女を、私や壮透達は黙って見ていた。
目の前の黒い無音の空間に目をやる。
姪の本領発揮が見れるのか、それとも彼女が選んだ側近の裏切りが見れるのか、はたまた、別のなにかか。
静かにただ、見据えた。
ーーー
「こ、のおお!」
思い切り振りかぶって刀を振り落とす。
続けて低く踏み込んで、脇に潜り斬りかかる。
市松はわかっていた様に刀身を掴み、思い切り放り投げてきた。
直様刀を消し空中で体勢を戻す。
市松目がけて左手で四角をなぞると、たちまち炎で包まれた呪符が連なって市松を包み込んだ。
直後、一瞬で炎は消され、薄気味悪い笑顔で久岳ーーの中の市松がこちらを見ていた。
攻撃が効かない空間か、それともあの市松自体が別の空間にいるのか。
「無駄ですぅ。私に攻撃は効きません」
「……そのようだな」
空中で止まったまま、久岳から市松を引き剥がす方法を考えるが、センナが溶け合っているかのようにぴったりと折り重なっている。
壊さずにどうやって引きはがすか。
「久岳のセンナに何をした?」
にたにたと気味の悪い笑顔でこちらを見上げながら突っ立っている。
久岳のセンナから引き剥がさないと、久岳ごと殺すことになる。それだけは避けなければならない。もう二度と側近を殺すなんて御免だ。朱公にも似た傷を背負わせることになる。
刹那、背後から凄まじい気配が近寄ってきた。
「考え事とはぁ、余裕ですねぇ朱己様ぁ!」
目にも留まらぬ速さの斬撃をくらう。
思わず笑ってしまうほどに。
「この時を待っていた……っ!」
防御した片腕から血が吹き出すが無視。
斬撃を闇の力で消し去る。
同時に右手で市松の腕を掴む。
「攻撃を仕掛けるためには、同じ空間に来るか、空間同士の距離を縮める必要がある。攻撃が本当に当たったとき、私と限りなく近い空間にいることになる。私とあなたの空間の狭間を闇の能力で無力化すれば、必ず捕えられる」
瞠目する市松の腕を、骨が軋む程強く握る。
ーー絶対に、離さない。
「お礼はたっぷりさせてもらおう」
笑顔で顔面を殴りつけた。
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