湖の守護者~マーヤとの出会い~
平和を歌う鳥や木々の声が聞こえる。
ふわりと優しく髪を撫でる風のにおいも心地よい。
ここセルディアの湖は野蛮な魔物ばかりのこの大陸において、実に場違いな癒しの観光スポットだった。
しかしそもそもセルディアに観光に来る者など滅多に存在しないために、結局地元民が土地神に手を合わせに来るだけの場所と化していた。
「ここに祀られているのはとても強い魔力を持った神であるため…周辺の魔物が近付くことは出来なくなっている」
「…なるほど…確かに、すごく空気が綺麗………」
うっとりと前方を見つめるサクリーシャは呟くようにそう言って深呼吸をする。
この場所は善き人間にとってはいわゆるパワースポットであり、セシリオにも同じく力が湧いて来ている。
「…そしてこの神というのが…実は俺の先祖なのだ………かつて魔王を勇者ピナシェと共に滅ぼした、あの………」
「ええっ!!そうなんだ………じゃあ元は人間だったの?」
「そう………ただ人間とするにはあまりに強大な魔力を扱ったと伝えられているがな」
今からおよそ千年前………
当時二人の子に恵まれたインセルズ家の跡を継いだのは長男だったと歴史には残っているが………魔王を滅ぼしたのは妹であるルクシメニア・インセルズとなっている。
彼女は幼き頃よりとてつもない魔力を持っており、その力を役立てる為に女性でありながら魔王討伐の旅に名乗りを上げたという。
一説によるとひとつの国をも吹き飛ばしてしまう強力な爆発を起こしたり、対峙する相手を意のままに操ったり、はたまた死者を蘇らせたりと…その全てを魔術によって可能としていたとも伝えられている。
「へええ………今よりもっと厳しい時代だったろうに…お姫さまなのにすごい勇気だね」
自らの先祖である勇者のことに加えて、女性も活躍したその話にサクリーシャは興味深そうに頷く。
セシリオとしては、自身の得意分野ともいえるセルディアの歴史に関して食い付いてくれて正直助かる。
「…だが…ここからはあまり知られていないのだが…」
この後の話は、目を輝かせてこちらを見つめるサクリーシャにはあまり言いたくない歴史だが………あえて隠すというのもおかしい。
「…彼女、ルクシメニアは…ここで自ら命を絶ったと記録されているんだ…」
セシリオが苦々しげにそう述べた時、二人は湖が一望出来る開けた場所にたどり着いた。
「…えっ………ええっ?」
そう言って驚いたサクリーシャの顔が、足下の美しい湖に反射してゆらゆらと揺れている。
「…原因についてはいまだ解明されていないのだが………彼女のために、共に祈ってくれないか…」
セシリオは大真面目な顔でそう言うと両手を合わせて目を閉じた。
隣で手を合わせる音が聞こえる…サクリーシャも祈りを捧げてくれているようだ………
………
…
「…よし。ではこの湖をいっしゅ………」
ゆっくりと目を開きつつサクリーシャに語りかけようとしたセシリオは、あまりの光景に驚きで言葉を失い固まってしまう。
なんと隣に立つサクリーシャが音も無く湖に落下していたのだ!
セシリオがそれに気が付いたのは、最後に残った彼女の右足が湖にすっぽりと飲み込まれるまさにその時だった。
「―!!?サクリーシャ!!」
またしてもいつもの呪いか…一瞬たりとも彼女から目を離すべきではなかった―――
混乱しながらも上着を脱ぎ、とりあえず湖に飛び込んだセシリオだったが………
(…いや待て。もう呪いなど解けたではないか!)
考えがまとまらぬまま、水中で懸命に目を凝らすセシリオが見たのは―――
―――淡く光る巨大な渦に包まれるサクリーシャだった。
そんな彼女の不思議な姿に美しさすら感じながら…必死に水を掻くセシリオは、あまりに儚くそして切ない女性の声を聞く………
『…マーヤ………マーヤ………会いたかった』
サクリーシャに接近したセシリオの目に飛び込んだのは、彼女の身体をいとおしそうに抱く………ルクシメニア・インセルズだった………
城に残された絵画と同じように真っ白な肌と長い漆黒の髪をウェーブにした彼女は、絵画の不機嫌そうな顔とは違い心底愛しい者を見るような目でサクリーシャを見つめている。
(…何が、どうなっているというのだ………)
しかし水中でいつものように熟考する訳にいかない。
セシリオはサクリーシャ達へと向かって懸命に泳ぎ続けた。
するとそれに気が付いたルクシメニアがカッと目を見開きこちらを睨み付ける。
『…寄らないで………マーヤは私のものなの………!』
ルクシメニアのものと思われるその声が直接脳裏に響いたかと思えば次の瞬間………セシリオは魔王との戦いぶりに意識を飛ばされる感覚を味わった。
―――
もう、耐えられない。
あなたが私と共にいてくれないならば
いっそ記憶ごと消してしまいたい………
だけど私の力でも、そんなことは出来ない。
だから私はずっとこの痛みを抱いて生きていかねばならない。
そんなの、もう―――
―――
「初めまして。ルクシメニア様…私の名は、マーヤ・ピナシェと申します」
私に向かってそう言ったその人物は、すらりとした長い手足を丁寧に動かしてその場に跪いた。
「………」
あえて何も返さずにそっぽを向いてやった。
どうせこいつも、私の力を利用したいだけ。
「早速ですが私に力を貸していただけませんか?」
ほうらやっぱり。
今は下手に出てるけど…その内にどんどん本性が出てくるのよ。
今までだって皆そうだった…今度はどんな風に追い払ってやろうかしら。
「私と共に、ちょっくら魔王討伐といきましょう」
私は、耳を疑った。
―――
「ああ、緊張した………でもまさか本当に付いて来てくれるなんて」
穏やかな晴れの日だった。
私、ルクシメニア・インセルズはどこの馬の骨とも知れぬこのマーヤと共に草原を歩いていた………
「僕の言ったこと、王様が信じてくださって良かった!素晴らしい所だね。このセルディアは………」
マーヤの言葉は、私がセルディアの王女であるために飛んでくるいつもの機嫌取りとは違った。
自分でもかなり屈折している方だと感じるこの私が、さっき会ったばかりの人間をそう分析するのはマーヤの父たちへの態度を見てである。
他国出身にも関わらず堂々と城に乗り込んで来たマーヤは、この世界を苦しめる魔王を討伐したいとやって来たのだ。
そんな無礼者…いやもはや頭のおかしい人間など、普通であれば門前払いすべきなのだが………
そんなものに興味を持ち、とにかくまずは話を聞いてみるというのが我が父セルディア王だった。
まんまと王の前に通されたマーヤは物怖じせずに自身の考えを述べ、あろうことかこの私をそのお供に指名した。
読書を楽しんでいたにも関わらず突然王の間に呼びつけられた私は、自信たっぷりに魔王討伐に力を貸してほしいのだと演説され今に至る………
しかしさすがに愛娘をほいほいとくれてやる訳にいかぬ王は、城の騎士たちを集めマーヤの力を試した。
…だがマーヤの戦闘力は騎士たちが束になってかかって来ようがまったく問題ないほどのものであり…これまでの誰より速く騎士たちを片付けてみせた。
そういうわけで私は今マーヤに同行させられている………
「…ルクシメニア様!いや、インセルズ様?どちらでお呼びすれば―――」
そう言ってマーヤは笑顔でこちらに振り返ったが、その場からまったく動く気配のない私を見て首をかしげる。
「いかがされましたか?お疲れでしたらここらで」
「…お父様はどうしてあれだけのテストで相手を信用してしまうのかしら…」
腕を組みその場に立ち尽くす私に近付いてきたマーヤに対し、ため息まじりに呟く。
「………言われてみれば、愛するお嬢様をあのようにあっさりと………」
不思議そうな顔をして考え込むマーヤの目の前で、私は術の詠唱を始める。
…一番初めは他国の学者が私の力を研究させてほしいとやって来た時だった。
その国を信用していた王はそれを承諾し、数日だけという条件付きで私をその男に同行させた。
…しかしそれが気に食わなかった私は…道中で強大な威力の魔法をぶっぱなし、その場から逃げ出したのだ。
後で分かったことだがそいつはその国とは何の関係もない、つまりただの悪人だった。
その後も様々な人間が、噂に尾ひれがついた私の力を悪用しようと何人もやって来た。
その度に毎回きちんと相手の話を聞き、簡単な試験ひとつで娘を任せてしまうような王は…それでもやっぱり私の父なのだ。
「お父様。先ほどの御方、途中で気が変わったそうですわ」
これまでに相手が実は悪人だったとか、そのへんの真実を王に伝えたことはない。
いつも人目につかない所で奴らを始末し、そう嘘をついて城へ戻っていた。
もはやお決まりの…言うなれば散歩のようなものだった。
「…さあ。あなたほどの御方なら、これをくらえばどうなるかお分かりでしょう…?私、これまで殺しまではしたことありませんの」
両手いっぱいに大きくなった魔法弾を見せ降伏を促したが………マーヤの反応はここでもこれまでとは異なった。
「ルクシメニア様、お止め下さい」
瞬きすら出来ないほんの一瞬の間に私の目の前まで距離を詰めたマーヤは、恐れもせずに私の両手首を掴みそう言った。
「!!あなた何を…!!あっあっ危ないでしょう!!」
まさかこのような真似をされるとは夢にも思わず、私は構えていた魔法弾を不発に終わらせてしまった。
「はい。危ないですのでお止め下さい」
眉ひとつ動かさずにそう呟くマーヤに、何故か無性に腹が立った。
「―――っ!良いわ。そこまでなめた真似をして下さるのなら、次は本当に当ててみせますわ!」
後退して距離を取り再び詠唱を始めた私は、怒りに任せてマーヤに向かって魔法弾を数発放つ。
…もちろんさすがに当てるつもりはなかったけれど………マーヤのいた辺りにはしばらく黒煙が立ち込めていた。
…やりすぎてしまったかもしれない………
「ルクシメニア様」
急に背後から両手首を掴まれた。
「きっきゃあ!」
思わず甲高い声が漏れ出てしまう。
「やめましょう………僕には攻撃が当たりません…何故ならば―――」
私を掴むマーヤの手に、ぐっと力が込められる。
「僕はとても運が良いのです」
そう凄むマーヤの吐息が耳にかかる。
その迫力に気圧されてしまい、言い返すことも出来なかったけれど………
よく考えれば大真面目に、この人は何を言っているのだろう?




