恋心
暗い地下室で落ち着きなく歩き回る―――そんな光景から次の記憶はスタートした。
デュアンは何度も鏡の前に立ち、しきりに身だしなみを気にしているようだった。
そんな動きを繰り返して数分後、意を決したように両頬をパシンと叩いたデュアンは大きな帽子を被ると外へ踏み出した。
この年は前回約束したように、サクリーシャの方がデュアンの部屋まで向かうということになっていた。
地下室に最も近い出入口で落ち合うことになっていたが、なにぶんデュアンは人目につく訳にはいかない。
彼女が現れるだろう時間を見計らってその場所へ向かったのだ。
…だがしかし、待てど暮らせど彼女は現れない。
こんな目立たない出入口とはいえ、途中何度か人の出入りはあった。
だがそのどれもがサクリーシャではなかったために、デュアンはその度に慌てて身を隠した。
サクリーシャを待つデュアンの仕草には、明らかに動揺がみられた。
今年は彼女は来ないのか…もしくは迷ってしまったのではないか………デュアンは何度かパーティー会場へと向かおうともしたが、すれ違うことを懸念してかその場から離れることはしなかった。
どのくらい待っただろうか………年に一度、この時だけを楽しみに過ごすデュアンにしてみれば途方もない時間だっただろう。
何人もの人間が行き交ったその場所に、とうとうサクリーシャが現れた。
芝生を踏みしめながら近付いて来る彼女に、デュアンは素早く目を向けた。
これまでもデュアンの視線は常にサクリーシャにのみ注がれており、彼女がいる場合に他の者に目を向けることはほとんどしなかった。
………だがこの時だけはサクリーシャを見つけたその直後、彼女の隣に立つ人物に視線が釘付けになっていた。
更にそのままデュアンは石になったかのように動かなくなってしまった。
「…あっ!デュアン…!ごめんね、お待たせ………やっぱり迷っちゃって…それで………」
あのサクリーシャの声すらも聞こえていない様子だ。まったく反応しない。
「…君は………?」
そんな硬直するデュアンに、サクリーシャの隣に立つ少年が美しく透き通るような声で尋ねた。
太陽の光に照らされてきらきらと輝く銀髪に、吸い込まれそうなほど深い紫の瞳―――誰がどう見てもまさしく美少年だ。
「…ああ、突然すまなかった………私はセシリオ・インセルズという者だ。今日はこの日のために集まってもらって感謝するよ」
そう言って彼はデュアンに向かって微笑みながら手を差し伸べる。
見るからに高級そうな衣装に身を包み、式典用の長いマントと冠を身につけたセシリオ少年はまごうことなき“王子様”だった。
…もう、年に一度のこの日が誰のためのものなのか………デュアンも既に感付いていた。
更に言うと目の前の彼が、自分にとって何であるのかも………
「…君は………彼女に、ここに住んでいると聞いたのだが―――」
不思議そうに話しを続けるセシリオの言葉が、デュアンに届いていたかは分からない。
デュアンは激しく動揺し、視線を泳がせながら一目散にその場から立ち去った。
「―デュアン!?」
それを見ていたサクリーシャが慌てて声をかけるが、今は彼女の声すら耳に届かないようだった。
―――
「…なんで………」
地下の自室に閉じ籠もったデュアンは、薄っぺらい布団の上に四つん這いになり頭を抱えていた。
おそらくどうやってここまで戻って来たのかも分かっていないのだろう。
視線を共有しているセシリオ達でさえ、あまりのスピードに景色を追うことすら出来なかった。
「…どうして………どうして僕の前に現れるんだ………」
デュアンは両の拳で強く布団を殴った。
何度も何度も…誰にともなく問い続けながら、悔しさを滲ませる。
…そんな映像でこの年の記憶は途絶えた………
―――
「…セシリオ………」
気まずそうにサクリーシャが口を開く。
…デュアンの過去にとうとう自分が出て来た。
…これを見た限りではデュアンに対する扱いを知っていながら放置、もしくは率先して迫害しているという訳ではなさそうだった。
おそらく何も知らず………ただぬくぬくと、何不自由なく何の疑問も抱かずに暮らしているのだろう………
「ああ…俺もまだ思い出せはしないが、あれは俺だろうな………」
呪われる前の自分。
自らの声で話し、アザのない普通の目を持った自分………
何を思い、どう生きていたのだろう………
色々と思うところはあるが、今はただこの記憶の続きを追うことしか考えられなかった。
―――
その年の記憶は、祭り当日であるにも関わらず黙ってただ天井を見つめる景色で幕を開けた。
きちんと着替えは済ませているものの、どうもデュアンの腰は重いように見える。
長いため息をついた後、彼はゆっくりと立ち上がり部屋を出た。
「…あ、デュアン………お、おはよ!」
外へ出るとそこには既にサクリーシャの姿があった。
昨年のデュアンの逃走が影響してか、どこかぎこちない様子の彼女だがそれ以前に―――
「………どうしたの、サクちゃん…その格好………」
毎年、城に招かれているとはとても思えない少年の普段着のような服装に身を包んでいた彼女が………見違えるような美しい“女性”に変貌していたのだ。
こうしてきちんとお洒落をすれば、彼女がだんだんと女性らしい体型に成長しつつあるのが分かる。
「あー…やっぱり変、かなぁ?」
サクリーシャは照れ臭そうに頭をかき笑った。
「いや!全然、変じゃなくて…むしろ………その………」
そんなデュアンの反応で、彼の落ち込んでいた気持ちがみるみる回復していくのが伝わってくる。
「…でも…どうして―――」
そう問い掛けると同時に、彼の目はサクリーシャの手元に移った。
彼女の手には大事そうに小包が握られている。
「…いや、あの、お城のパーティーなのに今までずいぶん失礼だったなぁって!汚いカッコで、プレゼントも用意しないで………」
そう話すサクリーシャは何故かずいぶんと顔を赤らめている。
「えーと、その………セシリオ王子様はどこにいるか分かる…?」
彼女が恥じらいながら言ったこの一言が、デュアンにとってどれだけ残酷なことか………ここで客観的に歴史を追って来たセシリオ達には痛いほど分かった。
それを受けたデュアンは言葉を発することすら出来ず、ただ荒く呼吸をしていた。
「あ、あ、あの!別に直接渡せなくてもいいの!お城の人とかに渡せば、きっと届けてくれるだろうしね………」
で、あれば何故プレゼントを持ったままここへ来たのか………
その答えは簡単だった………昨年デュアンが走り去ったあの後、ここで二人だけの時間があったのだろう。
そしてそこで、彼女は幼い初恋に落ちた。
まるで絵本の中から飛び出して来たかのような、美しい王子様に………
自分とは真逆の、輝かしい人生を歩み誰からも愛される………兄に―――
「………ごめん、僕、何も分からないや………」
掠れた声でやっとそう言うと、デュアンはふらふらと後退りする。
そのただならぬ様子にサクリーシャも心配そうに声をかけるが、もはやデュアンにそれは届いていなかった。
逃げるようにその場から立ち去ったデュアンは、部屋に戻るなり帽子とマントを乱暴に捨て去った。
そして大きな鏡の前に立つと、渾身の力を込め思い切り鏡を殴りつける。
まだ幼さの残る小さな拳は割れたガラスの破片で血まみれになっていたが、そんなことを気にする様子は一切なくただひたすら鏡を殴り続けた。
変装のために着用していた仮面で、デュアンの表情までは分からない。
…しかし足下には拳から流れ出る血と共に、大量の涙が水溜まりを作っていた………
「………ちくしょう…ちくしょう………………サク…ちゃん………」
彼女は自分とは違って外の世界に生きている。
いつか自分以外の誰かと恋に落ちることを、デュアンも想像しなかった訳ではないだろう。
しかしよりによって、何故ここで。
何故またしても兄に奪われてしまうのだろう。
すべてを持つ兄が。
何故、唯一の拠り所までもを奪っていくのだろうか………
「………セシリオ………」
最後にそう呟いたデュアンの声色に、もはや少年の幼さは残っていなかった。




