明るい日の下
セシリオとサクリーシャは愕然としていた。
先ほどから不可解なことの連続だったのはもちろんだが………それよりも今、目の前に広がる光景の方が遥かに驚くべきことだった。
…目線は机の上に向かっている…どうやら文字の読み書きの練習をしているようだ………
「…セシリオ………これ…どういうことなんだろ………」
サクリーシャはこの不思議な体験に戸惑っている様子だった。
セシリオと二人で、顔も見えない誰かの視線を共有している…そんな状況なのだから無理もない。
そしてその答えをセシリオが持たないことも分かっているが、問い掛けずにはいられないといった様子だ。
そもそもここは先ほど実際に訪れた地下室とは僅かに違う気もする。
うまくは言えないが、どことなく綺麗なのだ。
「………これは…まさか、過去か………?」
魔王も復活した。もう何が起こってもおかしくはない。
だがそのような憶測とは違い、セシリオがそう考えるのにはちゃんと根拠もあった。
それは少し前にヤモチ村でアガダミに見せられた映像と似ていたからだ。
あれは間違いなく過去の出来事だった………あの当時よりも少し前の、実際にアガダミが体感した景色を共有したのだ。
………ということはこれは………
「ショウバ!」
突然の元気な少年の声がセシリオの思考を中断させた。
「…デュアン様………今日のお夕食をお持ちしましたぞ」
そう言って自分に向かって優しく微笑むのは、先日会った時より少しだけ若いショウバだった。
彼の用意した料理はとても王子の食事とは思えぬ不出来なものだった。
しかしショウバの顔と食事とに慌ただしく動く目の動きから、本人はかなり楽しみにしていたのだということが伝わってくる。
「ぼく、ショウバのごはんだいすき!」
愛らしい少年の声を発しながら、次々と口へ料理を運んでゆく。
先ほどは思わず不出来などと思ってしまったが、これはショウバが作ったのかと申し訳なく思った。
「………セシリオ」
ぽつりと声を漏らしたサクリーシャが言わんとすることは分かった。おそらく自分とまったく同じことだろう。
「…ああ………おそらくこれは、デュアンの過去だろう………」
自分たちはなんと、幼少期のデュアンとなって過去の記憶を見せられているようだ………
「ねえショウバ見て!ぼく文字の―――」
あっという間に食事を平らげたデュアンは、嬉しそうに机の上のノートを見せようとしたが、それは部屋の扉を強く叩く音に遮られてしまった。
「…ショウバさん!いらっしゃるのでしょう!出てきて下さい!」
外から聞こえて来る怒鳴るような男の声に、デュアンは怯えているようだった。
それを見たショウバはデュアンに申し訳なさそうな仕草を取りつつ扉の方へ素早く向かった。
「騒がしいぞ。何事かね?」
「やはりまたこのような所に………」
「このようなとは何かね?デュアン王子のお部屋ですぞ」
「………………」
ショウバの『王子』という言葉に、訪問者はあからさまに不服そうな沈黙で答えた。
「………祭りの準備がありますので、お早めにお戻り下さい」
「分かった。すぐに戻る」
そんなやり取りを聞いていたデュアンは、持っていたノートの端をぎゅっと握った。
「…デュアン様、申し訳ありません………もう戻らねば………」
とても悲しそうな目をしたショウバに、デュアンは純粋に問いかけた。
「ショウバ、“まつり”ってなあに?」
想定外の質問だったのか、ショウバは一瞬だけ固まったがすぐに優しい笑顔で答えた。
「みんなで何かをお祝いしたりお願いしたりする催し…集まりですじゃ」
「へえ…もうすぐなの?」
デュアンのまっすぐな眼差しに、ショウバは少し戸惑っているようだった。
「…ああ………そうですね、もうすぐですね………」
「何をおいわいするの?」
次にそう問われることが分かっていたのだろう…ショウバはなんとも気まずそうに頭をかいた。
「…ある方の…お誕生日です………」
絞り出すようにショウバは答えた。しかも目線はデュアンの方からやや逸らされている。
「おたんじょうび………ぼくも行ってみたい」
デュアンは小さく手を合わせた。
「………デュアン様は、お忙しいので行けません………」
とても苦しい言い訳だった。
このような場所でろくな娯楽もなく、人とも関わらない少年が何に忙しいと言うのだろう。
それはショウバ自身もよく分かっている様子だった。
「そっか…」
しかしデュアンはやけに物分かりが良かった。
声色からはどう考えてもそれが本心でないことが伝わってくるのだが、ショウバの困っている様子をなんとなく理解しているのかもしれない。
彼のその子供らしからぬ聞き分けの良さは、かえってショウバの胸を締め付けていた。
ショウバは悲しげに唇を噛んだあと、優しくデュアンの頭を撫でてその部屋から去った。
「………………」
セシリオとサクリーシャはどちらも何と言って良いか分からなかった。
ただ黙ってデュアン達のやり取りを見ていたが、例の祭りがセシリオの誕生祭であることは容易に推測出来た。
(…この時の俺は…この現状をどう考えていたんだ………)
セシリオの中に、再び過去の自分に対する自責の念が沸き上がる。
まさか自分が首謀者なのでは―――
そう思いかけた瞬間、またもデュアンの姿や背景が目まぐるしく回転しぐちゃぐちゃになった。
…かと思えば舞台は再びデュアンのいる地下室の映像で幕を開けた。
―――
デュアンはこの日も机に向かっていた。
今日も文字の読み書きを練習しているようだ………最初の時よりもノートのページが進んでいることから、これが先ほどから数日経った映像だということが分かる。
文字の練習の傍らに、デュアンが祭りというものに思いを馳せている様子が伝わってくる。
人々が楽しそうに笑う絵や、『おまつり』という殴り書きがしてある………
「デュアン様!」
やけに楽しそうな表情のショウバが勢いよくドアを開ける。
「…ショウバ………おまつり、行かないの…?」
なるほど、今日がその祭り当日であるようだ。
ショウバは祭りに参加するため、今日は誰も訪ねて来ないだろうと踏んでいた様子のデュアンは手をもじもじとさせていた。
「行きますよ。これから………デュアン様と一緒にね!」
にっこりと微笑むショウバの手には、目元のみを隠す仮面とつばの広い帽子、そしてよそ行きの衣装が握られていた。
「………えっ」
デュアンは嬉しそうに体を震わせる。
「さあさ、時間がありません。早く着替えて、おいしいごちそうを食べに行きましょう!」
ショウバの優しい掛け声に、デュアンは椅子から飛び降りて急いで衣装に着替えた。
これまでにこのような衣服に袖を通したことがないのだろう、デュアンの手つきには戸惑いと興奮が見える。
手伝ってもらいながら着替えを済ませたデュアンは、ショウバに手を引かれて外の世界へと足を踏み出した。
―――
明るい空の下、デュアンは着慣れないおしゃれな衣装に身を包みサクサクと芝生の上を歩いていた。
外とはこれほど明るいのか。人とはこんなにもたくさんいるのか………デュアンはショウバの手をしっかりと握り、人通りの少ないルートで食事が並ぶエリアへと足を運んだ。
「あらっショウバさん!その子は…?」
しかしセルディアにおいて町人全員が知り合いであるショウバに、誰との接触をも避けるというのはやはり不可能だった。
「ああ、妹の孫なんです…ご馳走を食べさせてやりたくて!」
ショウバは一切怯むことなくそう言い切ってみせた。
「まあそうなの!かわいいお洋服来て…王子様かな?ナイトかな?」
女性はショウバの言葉をまったく疑わずにデュアンの仮装に手を叩いた。
「…王子です」
一瞬だけ悲しそうな目をしたショウバだが、あくまで声は楽しげに聞こえるトーンで答えた。
特別なイベントということもあって、子供の仮想はそう珍しくもないようだ。
それでもデュアンは自分に注目されているというだけでそわそわしてしまう。
「恥ずかしがりやな子でね、すみませんな………あ、これは職権乱用とも言えますので、このことはどうか内密に…」
ショウバはニヤリと冗談めいた顔を作ると、クスクスと笑う女性に一礼しその場を後にした。
「…さ、この机に並んでいるものは、どれだけ食べても良いからね」
立食形式の豪勢な食事が並ぶテーブルがよく見えるように、ショウバはデュアンを抱き上げた。
見たこともない、味を想像することも出来ない料理がずっとずっと先まで並んでいる………
「…すごい………」
デュアンは感動しきった様子で小さくそう呟いた。
こんな光景が永久に続いてくれれば良いと、デュアンだけでなくセシリオとサクリーシャも心の底からそう思った。




