第六十五話
しかし、書類は一向に片付かない。
時刻は日を跨ぎ、深夜。
シルヴィオと男が居る部屋は静まり返り。
紙にふれる音と、ペンを走らせる音、判を押す音だけが小さく音を立てている。
(……くそ、焦点が…………)
シルヴィオは必死に睡魔と、山積みの(朝見た時よりは減った)書類と戦っていた。
「……おい。テメェふざけてんのか?」
突如、不機嫌全開の地を這う程低い声音。
もちろん発生源はこの部屋で書類整理している、銀髪の男。
この男。
顔は大いに整っているが、『精神を病んでいるんだ』と言われれば、すぐさま納得できるほどこの男は異常だ。
中でも恐怖を覚えるものは、死んだ魚のように淀んだ、何を考えているのか解らない、血走ったモスグリーンの瞳。
だが、それだけではない。
目の下は真っ黒。
そして、目をこれでもかとカッ開き、首を若干傾けて見下して来るのだ。
おまけにその傾ける方向は右。
左側に緩く結ばれた髪が顔にかかり、この男を一層病んでいるように見せている。
(絶対医者にかかったほうがいい。もちろん精神の……!)
男の声と顔のおかげで、シルヴィオの頭が一瞬で覚醒。
この時、シルヴィオの顔は酷く引きつっていた。
彼はこのこともあり、ただでさえも急いでいる書類の整理をさらに急ごうとしたが、適当に読んでむやみにサインするわけにもいかない。
その歯がゆさに舌打ちしそうになりながら、書類整理を進めた。
しかし、書類はこの間ずっと回ってくるためなかなか片付かず。
終わったのは、四日後の早朝だった。
彼が次から次に出てくる書類を終わらせたころ。
仕事が無くなった銀髪の男が『帰れ。二度と仕事をためるな』と言って立ち去った。
これにホッと一息ついて、いつもなら絶対に玄関から入るが、緊張の糸が切れたせいで襲ってきた眠気に勝てず、直接自室に移動。
五日ぶりに睡眠をとった。
◆◆◆
空は雲一つない晴天。
しばらく見えていた空から、視点が変わり、地面が写った。
大地は荒れ果て、折れた剣に、倒れた大勢の人間。
そして大勢の人間と同じよう地面に転がる、見たことのある二人の男。
この男たちは、体中に弓を受けていた。
一人の男は急所に矢が当たったのか、息をしておらず。
耳のとがった男は死にきれなかったのか、か細く息をしている。
すると、突然近くから小さな声がした。
『…………アルティファス。俺が必要とし、大切にしているものすべてを、お前にくれてやる。その代り、この二人に『死』ではなく『生』を……………………!』
そう呟くと同時に、二人の体に刺さっていた矢と、傷は消え。
耳の尖った男が、驚愕の表情を浮かべ、ゆっくりと体を起こしていた。
だが、それは最後まで見ることはなく。
視点は先ほどの男の隣。
先ほどまで死んでいたが、今は眠っている男に近づいて、視点が地面に近くなり、眠っている男の頭に手が乗った。
『っ…………お前――』
『この事と私の事。誰にも言わないで下さい。もし、誰かに言った場合。あなたの首が飛びます』
耳の尖った男の言葉を遮った、とても近くで聞こえる言葉。
遮られた男がどんな顔をしているのかは見えない。
見えているものは、眠っている男と、男の頭の上にある手。
そして、再び近くで聞こえた声。
『あぁ。それと、彼は『私が突然できた地面の割れ目に落ちた』と、記憶を書き換えました。ついでに、あなたの記憶をいじらせていただきます。マディティス大尉』
ゆっくりと男の頭から手を下ろして、耳の尖った男に視点が移動し、フッと小さな笑い声。
『まぁ、もっともこれは、意識のある者にはあまり有効ではないので、前置きをさせていただきました』
この言葉に、耳の尖った男は目を見開き、何か言いたげに小さく口を開けたが、ゆっくりと閉じて俯いた。
◆◆◆
「ーー……ぃ。……………さい。シルヴィオ」
ゆらゆらと体を揺らされる振動で、シルヴィオは目を覚ました。
「……なんだ、ウェル?」
シルヴィオは、寝癖でぐちゃぐちゃの頭をガシガシ掻いて問い。
その様子に、ウェルコットは苦笑した。
「シルヴィオ。あなた本当に皇子らしくありませんね」
「もともと皇子じゃなかったからな」
めんどくさげに言ったシルヴィオに、ウェルコットは「そうでした」といって小さく笑った。




