第9話 規則違反
目を開けると白い天井が見えた。
消毒液の臭い。まわりを白いカーテンが囲んでいる。
協会の、医務室か。
「やっと起きた」
横を向くとパイプ椅子にリタが腕を組んで座っていた。
「……どれくらい、寝てた」
「ひと晩。もう朝よ」
体を起こそうとして、やめた。腕が鉛のように重い。魔力は少しずつ戻ってきているようだが。
「エリザは」
「隣。額を切ったのと、足をくじいただけだって」
リタがカーテンの向こうをあごで示した。
それから組んでいた腕をほどいて、膝の上で指をいじりはじめる。
「……ありがと」
「何が」
「エリザのこと。あいつ、嫌なやつだけど。死んでいいやつじゃ、ないから」
リタはそっぽを向いたまま言った。
エリザとの間に何があったのか俺はまだ聞いていない。それでも、こいつなりに思うところはあるらしい。
「女王の点は、私についたわ。補助の手柄は、監督に入るから」
そこでリタは口をとがらせた。
「……倒したのは、あんたなのに」
「いいんだよ、それで」
手柄なんてどうでもいい。ただでさえ目立ちすぎた。
カーテンが乱暴に引き開けられた。
「目が覚めたか、黒瀬」
権藤だった。
「支部長がお呼びだ。お前の違反について、聴き取りをする」
隣のカーテンの向こうで衣ずれの音がした。
~~
リタの肩を借りて医務室を出た。
支部長室は受付の奥にある。
机の向こうに座っていたのは四十がらみの女の人だった。協会の紺の上着に短く切りそろえた黒い髪。眼鏡の奥の目が俺とリタを順に見る。
「七番支部の支部長だ。座ってくれ、黒瀬君。……顔色が悪いな」
俺とリタが椅子に座ると、権藤は机の横に立ったまま口を開いた。
「黒瀬の違反は、二つです」
権藤が指を一本立てる。
「一つ。監督官の私が、広間で待てと命じたにもかかわらず、それに背いて三階へ入った」
もう一本。
「二つ。資格のない者が、人の命に関わる場で力を使った。救助でも禁じられていることは、崩落の件で、本人が一番よく分かっているはずです」
「あの映像が作り物だって話は、どうなったのよ」
リタが低い声で言った。
権藤の口もとがぴくりと動く。
「作り物でないことは、認める。だが、規則は規則だ。違反があれば、支部から裁判所に申し立てる。そのための聴き取りだ」
申し立てが通れば補助の話は消える。待っているのは元の刑――ダンジョンに五年入れないあの刑だ。悪ければそれよりも重い。
支部長は黙って権藤の話を聞いていた。それから机の上の紙を一枚めくる。
「黒瀬君。広間で待てと言われたのに、三階へ向かったのは、なぜだ」
「……赤城が、行くと言ったので」
本当は俺の足のほうが先に動いていた。だが補助として答えるならこう言うしかない。
「補助は、探索者のそばにいるものでしょ」
リタが身を乗り出した。
「赤城リタのそばで、補助探索者として一年間活動すること。判決に、そう書いてある。私が三階へ行くのに、補助を広間に置いていったら、そっちのほうが判決に背くことになるじゃない」
「判決は、裁判所が決めたものだ」
支部長が静かに言った。それから権藤のほうを向く。
「監督官の命令で、判決を曲げることはできません。権藤さん、あなたの役目は、黒瀬君を見張ることです。判決と違うことを命じることでは、ありません」
権藤のあごがこわばった。
「……二つ目は」
権藤がうなるように言った。
「それも、判決の中に答えがあります。あとは、その時の黒瀬君が、赤城君のそばにいたかどうかですが――」
支部長がそう続けた時ノックの音がした。
「失礼いたしますわ」
返事を待たずに扉が開く。
額に白いガーゼを貼ったエリザが、ニールの肩につかまって立っていた。右の足首には包帯が巻いてある。
「エリザ君。休んでいなくていいのか」
「寝てなどいられませんわ。聴き取りと、聞こえましたもので」
エリザは権藤には目もくれずに支部長の前へ進み出た。
「わたくしを助けたのは、その無資格ですわ」
そう言って横目で俺を見る。
「わたくしのドローンの映像を、ゆうべ見返しましたの。その無資格が力を使ったのは、いつもリタさんのすぐそばでしたわ。反対側から、全部撮れておりますの。お確かめになって」
エリザはつんとあごを上げた。
「借りは作らない主義ですの」
昨日、岩場でリタに言われた「貸し一つ」をさっそく返しに来たらしい。
支部長は小さくうなずいてから権藤に向き直った。
「権藤さん。補助探索者は、監督の探索者のそばにいる時は、その仲間として探索に加わり、力を使えます。黒瀬君は、赤城君のそばで、その仲間として力を使いました。資格のない者が勝手に力を使ったことには、なりません」
権藤は何か言いかけて口を閉じた。
支部長がエリザを見上げる。
「エリザ君。女王が出た時、なぜすぐに退かなかった」
エリザの肩が小さく揺れた。しばらく黙ってから絞り出すように言う。
「……配信の、見栄えを気にしましたの」
言いながらエリザの目が一瞬だけ俺に向いた。
「おととい、そちらの方から、岩食いが浅い階まで上がってきていると、忠告を受けておりましたのに。聞き流しましたわ」
ニールがその横で小さく頭を下げた。
「それと、権藤さん」
支部長の声が少し低くなった。
「おととい、一階の奥のかじり跡について、黒瀬君から報告を受けましたね」
権藤の目がわずかに見開かれた。
「赤城君の配信の記録で、見ました。そんな男の見立てを、協会が取り上げると思うか――そう言って、調べもせずに退けましたね」
「あれは……」
「その見立てのとおり、次の日、三階に岩食いの女王が出ました。黒瀬君たちが間に合わなければ、エリザ君とニール君は、死んでいたかもしれません」
権藤は何も言わなかった。
握りしめた拳が白くなっている。
支部長は俺とリタに向き直った。
「黒瀬君の違反は、どちらも認めない。申し立ても、しない」
隣のリタが机の下で、小さく拳を握った。
「権藤さん。報告を退けた件は、あとで、あなたから話を聞きます」
権藤はしばらく黙っていた。それから短く「はい」とだけ答えた。
「黒瀬君。君の力は、測定器に映らないそうだな」
「……十一回測って、十一回ともゼロです」
「そうか」
支部長は眼鏡の位置を指で直した。
「本部が、君に会いたがっている」
権藤がはじかれたように顔を上げた。
協会の、本部。
測定ゼロの俺に一体何の用だ。
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