第十九話 城全体の角を揃える日
大掃除当日の朝。
日の出前に起きた。眠れなかった。楽しみすぎて。前にいた場所で眠れない夜はたくさんあったが、楽しみで眠れないのは初めてだ。
棚を確認した。水差しの位置を見た。巾着とリボンに触れた。窓を開けた。庭木は霜で白い。空気が澄んでいる。とっても掃除日和だ。
今日配る用の手順書は複製が済んでいる。しっかりと紐でくくられているのを確かめてから、平らなまま抱えて食堂に向かった。
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食堂にはもう人が集まっていた。マルタさんが掃除班を仕切っている。洗濯班たちが雑巾を束にして運んでいる。ブルーノさんが厨房から大きな薬缶を持ち出している。掃除のあとに温かいお茶を出すらしい。
ハインリヒ伯は年末の挨拶回りで城を留守にしている。近隣の領主への訪問と王都への書簡の届け出で、戻るのは年明け前になるとリーゼ様が言っていた。城主がいない間に城を隅々まできれいにしておく。帰ってきたときに整っていれば、それがいい。
「おはようございます。手順書を配ります」
各班に一枚ずつ渡した。エリアは東棟、中央棟、西棟、地下、厨房。移動班、掃除班、廃棄班が連なる。それぞれに担当者の名前と、時間ごとの工程が書いてある。
「一日目は東棟の三階から始めます。大きな調度品は全て庭に運び出してください。あとで一度に拭いていきます。どこからもってきたのかが分かるように、あらかじめお渡ししてる紙を書いてしっかり貼ってください。そこから天井のすす払い、壁と窓の拭き掃除、床の掃除へと移ります。埃は上から下に落ちるので、上の階が終わるまで下の階は手をつけないでください。終わった班から休憩に入りましょう。休憩は東棟一階の広間で、リーゼ様が差し入れを用意してくれています」
マルタさんが隣で頷いている。洗濯係の娘が「将軍だ」と小声で言った。将軍ではない。
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東棟三階から作業が始まった。
リーゼ様の部屋は手順書通り二日目の予定だが、リーゼ様本人が三階に来ていた。
「見学しに来たよ! あとお菓子はたくさん用意したから!」
踊り場から階下を覗き込んでみると、籠に焼き菓子が山盛りになっている。フリーダが隣で「リーゼ様、多すぎます」と言っている。多いほうがいい。掃除はお腹が減るので。
三階の客間から取りかかった。普段は使われていない部屋が三つある。家具に布が掛けてあり、棚は空だが、窓枠と天井の隅に一年分の埃が溜まっている。
「まず窓を全部開けてください。風を通します。それから天井の隅を箒で払います。箒は上から下に。壁をなぞるように」
掃除係のみんなが動き始めた。わたしも箒を持った。指揮だけではなく、自分も手を動かす。天井の隅に箒を伸ばす。埃がぱらぱらと落ちてくる。一年分の埃。落ちていく埃を見ていると、部屋が呼吸を始めるような気がする。
窓枠を拭く。棚板を拭く。床を掃く。隅から順番に、一列ずつ。
三部屋を終えたところでリーゼ様の焼き菓子が配られた。みんな座り込んで食べている。わたしも食べた。すっごく甘い。ブルーノさんの焼き菓子とは違う味がする。
「これ、どこのですか」
「城下町のパン屋さんに頼んだの。ミーナが前にお世話になったところ」
あのパン屋さん。棚板の釘を直した店だ。焼き菓子にも力を入れていたのか。疲れた身体と頭に染み込んでいくくらいに、おいしい。
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午後は中央棟に移った。
テルナー様の執務室も大掃除の対象だ。テルナー様が机の上を自分で片付けていた。
「手順書通りにやるのか」
「はい。テルナー様の執務室は今日の午後三時からです」
「律儀だな。棚の中身は出しておいた」
さすがだ。この人は自分でもできる人だ。わたしは棚を拭いて、戻すだけでいい。
棚を拭きながら、テルナー様がわたしの手元を見ているのに気づいた。
「何か」
「いや。楽しそうだなと思って」
「楽しいです。棚を拭くのが好きなので」
「変わった子だ」
「よく言われます」
ニクラスさんの机も同じ要領で片付けた。ニクラスさんは帳面と筆記具を自分の鞄に入れて、棚の前で待っていた。わたしが棚を拭いている間、黙って横に立っていた。拭き終わって中身を戻すとき、わたしが「ここに入れますね」と言うと、ニクラスさんが帳面を差し出してくれた。何も言わずに。息が合う。いつものことだ。
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二日目。東棟の二階と中央棟の三階を並行で進めた。人員は手順書通り二手に分けた。ケスラー内務官の修正が効いている。四部屋同時ではなく二部屋ずつ。あの修正がなかったら、午後に人が余って混乱していただろう。
リーゼ様の部屋はハンナさんが事前に準備してくれていた。化粧台の小瓶は全部下ろしてある。わたしが並べ直した配置を覚えていて、掃除後にそのまま戻してくれた。
「ハンナさん、配置を覚えていてくれたんですね」
「ミーナ様が作ってくださった配置図を、化粧台の引き出しに入れてあります」
配置図が生きている。仕組みを作れば、人が維持してくれる。カティさんも、フリーダも、ハンナさんも。仕組みは種のようなものだ。蒔いておけば、誰かが水をやってくれる。
リーゼ様が差し入れの焼き菓子を持って巡回していた。各階の掃除班に配って回っている。城主の娘が焼き菓子を配る姿を見て、兵士たちが少し照れている。
「ミーナ、順調?」
「予定通りです。リーゼ様の差し入れのおかげで士気が高いです」
「士気! 軍隊みたいね。嬉しい」
三日目は西棟。使用人たちの居室と共用の洗濯場、物置。ここが一番物が多い。棚から全部出す。分類する。戻す。何度やっても同じ手順だが、飽きない。規模が違うだけで、やることは最初の仕事――マルケス商会の倉庫と同じだ。全部出して、種類で分けて、順番に戻す。
洗濯場のシーツ棚を整理していたら、洗濯係の娘が手伝ってくれた。前にシーツの畳み方を教えた子だ。
「ミーナさん、端を合わせて、手のひらで撫でる。でしたよね」
「覚えていてくれたんですね」
「毎日やってたら、手が覚えました」
二人で棚にシーツを入れた。角がぴったり揃っている。教えたことが伝わって、その人が自分で続けている。これもまた種が育ったのだ。
フリーダの部屋は維持確認だけで終わった。木箱の名前札が更新されていて、色別の仕分けもそのまま。棚の上の埃だけ払った。フリーダが「合格ですか」と聞いてきたので「満点です」と答えた。
四日目は厨房。ブルーノさんが腕を組んで見守っている。食器棚の中身を全部出した。ブルーノさんの顔が少しこわばった。自分の領域に人を入れるのは落ち着かないのだろう。
「大丈夫です。ブルーノさんの配置はほぼ完璧ですから。鍋と皿の段を入れ替えるだけです」
「……わかった。好きにしろ」
好きにした。入れ替えた。ついでに、調味料の棚も使用頻度順に並べ直した。塩が一番手前。次に胡椒。使わない香辛料は奥に。ブルーノさんが入れ替え後の棚を見て、しばらく黙っていた。
「……うん。実際、確かに取りやすいな。腰を曲げなくていい」
「ブルーノさんの腰を守るのも、大掃除の仕事です」
「余計なお世話だと言ったろう」
でも少しだけ嬉しそうだった。
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五日目。最終日。
地下の掃除。武器庫は除外。それ以外の地下倉庫と通路を掃く。地下は暗くて寒いが、松明を持って入れば問題ない。
倉庫のひとつに、古い木箱が積まれていた。中身は季節の装飾品。祭りの旗や冬至の飾り。埃をかぶっているが、来年も使うものだ。箱を出して、中身を確認して、使えるものと傷んだものに分けて、箱に戻して配置図を貼った。さらに奥の部屋は使われていないと前もって聞いていたので、手前だけを掃いて完了だ。
地下を掃き終わったとき、マルタさんが降りてきた。
「ミーナちゃん。全部終わったよ。五日間、予定通り」
「予定通り! 良い響きです」
「手順書のおかげ。毎年一週間かかってたのが五日で終わった。しかも、去年よりきれいになってる」
「角を揃えただけです」
「出た、その台詞」
マルタさんが笑った。掃除係のみんなが地下に集まってきて、ブルーノさんが温かいお茶と焼き菓子を持ってきた。地下の冷たい空気の中で、湯気が立つお茶を飲んだ。
「ミーナさん、ありがとう」
洗濯係の娘が言った。他の人も頷いている。マルタさんが「ほら」という顔をしている。
「どういたしまして」
自然に出た。もう迷わない。
城全体の角が揃った。一年分の埃が払われて、棚が拭かれて、物が正しい場所に戻った。五日間で城がまるごと整った。
ああ、これが大掃除だ。最高だ。




