01 カーリー01
志田香織は、BAPの世界で『カーリー』というハンドルネームを名乗っていた。
カーリーはヒンドゥ教の神で、血と殺戮の女神である。
香織は残酷な自分の性格にぴったりの名前だと思っていた。
香織は今日も朝からバーチャルリアリティゲームのMMO『BAP』にログインしていた。
VR端末が創り出すグラフィックを通してビルの窓から外を見下ろすと、朝の光に照らされた日比谷公園の緑がきらきらと輝いている。端末のヘッドホンを通じて、どこからか鳥のさえずりが聞こえる。
香織はこの朝の穏やかな風景の中で人を殺すのが大好きだった。
――― ピピッ
短くアラームが鳴り、香織の視界の中央に『ALERT』の赤い文字が表示される。
文字を指でタップすると目の前にウィンドウが現れる。上野陣営のプレイヤーが四人、日比谷通りを南下している姿が映し出されている。
これは香織が事前に日比谷方面に飛ばした偵察ドローンの空からの映像で、ウィンドウの右下に距離910メートルと表示されている。
双眼鏡で目視確認すると、上野プレイヤーの一団はちょうど日比谷の交差点を日比谷公園の方角に向かって横断しているところだった。
彼らはとても警戒している様子で、姿勢を低くしてあたりを伺いながらノロノロと移動している。
最後尾のプレイヤーはなんと腹ばいになってほふく前進をしていた。旧ドイツ軍将校の軍服のアバターだ。
見通しの良い交差点は素早く渡るのがセオリーなのに、明らかに素人集団だった。
香織は愛用のバレットM82スナイパーライフルを構えた。
バレットは狙撃銃の中でも大型の部類で、重量は十キロを超える。しかしその分威力は絶大で普通の乗用車やトラックならば楽々と大穴を開けることができる。
香織は距離と風向きを計算し、伏射の体勢でスコープを覗き込み、慣れた手つきで素早くスコープのダイヤルを調節する。最後尾の軍服の男がのそのそと這っている姿が拡大されて視界に入る。
スコープの照準線を目標の男に合わせると香織はいつもの決まったクセのような動作に入った。
まず肩の力を抜き肛門を軽く締め目を少し細めて半眼になり、自分の心臓の音に耳を澄ませる。
その鼓動のタイミングに合わせて細く絞り出すように息を吐き、その息が震わせる微妙な振動の波に合わせて、静かに引き金を引く。
――― ダァンン!
大音量の発射音が朝ののどかな日比谷のビル群に響き渡る。
同時にバレットから12.7ミリの弾丸が放たれた。
弾は腹ばいプレイヤーの腰のあたりに命中した。
男はもう少しで日比谷の交差点を渡り終えるところだったが、バレットの強力な弾丸によってアバターの腰のあたりが真っ二つに裂け、上半身と下半身は大量の血をアスファルトにまき散らしながらそれぞれ逆方向にくるりと一回転ずつ回って止まった。
男は一瞬、自分に何が起きたか分からないという表情だったが、千切れた自分の下半身を見て悲鳴を上げながら絶命し、強制ログアウトされた。
男の断末魔の声は香織には届かなかったが、その引きつった恐怖の死に顔を見て、香織は下半身がじわりと熱くなるのを感じる。
銃声と仲間の悲鳴を聞いて、前の三人が一斉に振り返った。香織は素早く次弾を装填すると最初に撃った男の死体に向けて二発目を撃つ。
――― ダァンン!
再び大音量の発射音が響き渡る。
弾は今度は死んだ男の頭に命中した。砕けた頭の血しぶきがすぐ前にいた男にべっとりと飛び散る。香りはうっすらと笑みを浮かべる。
敵の一団は恐怖の表情でパニックになった。
ちなみに現実世界のスナイパーがわざわざ死体を撃つことはまずありえない。これは単に香織の異常な性癖によるものである。
先頭にいた敵プレイヤーが猛然と走り出した、日比谷公園に逃げ込むつもりだろう。よく見ると黄色いタンクトップを着た女性のアバターだ。異様に大きい胸がゆさゆさと揺れている。
BAPではカスタマイズ機能を使うことでリアルとは異なる性別のアバターも作ることができる。つまり女性の外見だったとしてもリアルの性別が女とは限らない。
そもそもゲームの性格上、女性プレイヤーは圧倒的に少ないから、男が女装している可能性は高い。
香織のような本物の女性は実はレアなのだ。
香織は双眼鏡で巨乳アバターの動きを追った。
女アバターは日比谷公園に逃げ込むと木の陰に隠れた。しかし香織はためらいなく、再びバレットを構える。
女アバターが隠れた木の中ほどに狙いをつけると心臓の音を聞き息を細く吐きながら引き金を引いた。
――― ダァンン!
三たび、大音量の銃声が響き渡る。
弾は木の幹を貫通し、隠れていた女プレイヤーの側頭部に命中した。女アバターは頭を砕かれ、反動で5メートルほど吹き飛んだ。木はメリメリと音を立てて二つに折れて倒れた。
香織はスコープから目を離し、双眼鏡で交差点付近を偵察する。交差点の奥の方向に敵プレイヤーが一人全力で逃げていく後ろ姿が見える。
香織はその走る男の足に狙いを定め引き金を引いた。
弾は男の腿から下を引きちぎった。男がもんどり打って地面に転がる、激しく四回転くらい転がって顔をこちらに向けて倒れた。
スコープ越しに男の恐怖と絶望の表情がよく見えた。香織の下半身が再度じわりと熱くなる。
「うぅ」
快感の声が漏れそうになる。
BAPのシステムは、VR端末のスキャン機能と連動していて、AIがプレイヤーの表情をリアルタイムに読み取ってアバターに反映する。これによりプレイヤー同士の現実に近い双方向コミュニケーションが再現される。
この時の男の表情は香織に向かって片方向にコミュニケートされ、香織の性的な感情を昂らせた。
香織は興奮をこらえながら倒れた男の額に弾を撃ち込む。男の頭が生卵のように割れて弾け散る。
背筋がゾクゾクし身体の芯が熱くなる。香織はこらえきれず小さくあぁと絶頂の時のような喘ぎ声をもらした。
香織が交差点に視線を移すと、四人目のプレイヤーはまだ最初の位置で固まったままだった。仲間の血がついた手を見つめたり、キョロキョロとあたりを見回したり、空を見上げたりしている。
VR端末を通して見ている映像と自分が置かれている状況をうまくマッチさせられずに戸惑っている様子だった。バーチャルリアリティを使い始めたばかりの頃に良く陥いる感覚機能のパニックの一種だろう。
香織はその男の心臓に照準を合わせると、自分の心臓の音を聞きながら静かに引き金を引いた。