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01 カーリー02

 BAP世界の午前中の時間がゆったりと過ぎる。

 結局、日比谷で上野陣営のパーティを全滅させたあとはたいした獲物は現れなかった。


 日比谷公園付近は今日現在、香織が所属する品川陣営の勢力圏の最北端に近く、北方の上野陣営プレイヤーがたびたび出没するのだが、この日はほとんど獲物に出会わなかった。午前中の売り上げは結局プレイヤー四人、ライオン三頭、シマウマ五頭で合計二万二千ゴールド、今朝のレートで現金換算すると六百円くらいだった。


 香織は狩場を変えることにした。

 香織はメニューから『帰宅』を選ぶ。帰宅が選べるのは周囲百メートル以内に他陣営の敵が存在せず、かつ敵から目視されていない必要がある。


 帰宅が成功するとその時所持していた装備一式と稼いだゴールドとともにBAP世界内の自宅に戻ることができる。そこで初めて正規のログアウトが可能となる。

 ちなみに死亡すると強制ログアウトとなり、ログイン中に稼いだゴールドは大幅に減額され、さらに4時間はログイン不可の制限がかかってしまう。


 高レベルのスナイパーはBAPに接続したまま食事をしトイレをし、何日も接続した状態で獲物を狙う。しかし香織は流石にそこまではしたくなかった。シャワーも浴びたいし、何より一日一回は本物の太陽の光を浴びたい。


 香織はいったんBAP内の自宅に戻りログアウトし、リアル世界の自室に戻った。視界が現実世界の香織の部屋に切り替わる、軽い疲労感が全身に広がる。頭にかぶったVR端末は汗で、下着は愛液でじっとりと濡れていた。

 VR端末を脱いでテーブルの上に置き、ミネラルウオーターをごくりと飲む。


 BAPをプレイする時は定期的な水分補給が重要だ。ゲームに集中するあまりリアルの体が脱水症状を起こしてしまうプレイヤーも少なくない。もちろん食事もである、空腹を感じにくいので現実の時間を常に意識していないと危険だ。


 香織は服を脱いでシャワーを浴びる。

 香織の現実世界の自宅は、神奈川県の西の山の中腹にひっそりと建っている平屋の一軒家だ。

 勤めていた会社を辞めた時に、大切にとっておいた父親の遺産を使って百万円で購入した家だった。人里離れた山奥の廃屋で、格安の値段だった。


 購入当初は朽ちた廃墟だったが、香織は自分で内装の材料を買って修復し、半年ほどかけてなんとか人が住める状態に復元した。

 社会から隔絶された完璧な静寂と孤独の世界、それが彼女にとって心休まる胎内空間であった。


 午後、香織は軽めの昼食を済ませると再びBAPにログインした。

 霞ヶ関周辺で一稼ぎしたあと、恵比寿方面に移動する。


 恵比寿駅は渋谷陣営の勢力圏なので近づくのは危険だが、駅から東方向に伸びている国道305号線上に一キロ以上の直線があって絶好の狙撃ポイントとなっていた。

 恵比寿の『入り口』から入って目黒方面を目指す渋谷のプレイヤーはだいたいこの国道を横切るので獲物は多い。しかしその分敵地に近いためスナイパー狩りに襲撃されるリスクも高まる。そのため、いつもより念入りなリスク管理が重要になる。


 スナイパーのリスク管理は狙撃ポイントに向かって移動している段階から始まる。偵察用のドローンを飛ばして周囲を念入りに索敵しながら移動する。敵地に近いほどこの作業は重要になるため、銃は軽いものにしてドローンを多めに持っていく。


 再ログイン時の香織はドローン四機、銃は旧ソ連製のドラグノフを選んだ。

 ドラグノフは狙撃銃としては軽量なほうで、スケルトンストックを採用した細身の銃だ。命中精度も高くセミオートの射撃も可能なので、いざという時の保険にもなる。香織のお気に入りの銃である。


 香織は品川陣営のチームメイトが独自に開発した鳥型の小型ドローンを左右に一機ずつ、さらに前方に少し間を開けて二機並べて飛ばした。ちょうど香織を中心にした前方半円をカバーするような配置だ。周囲を念入りに偵察しながら慎重に移動する。


 リアルの戦闘でも同じだが、このゲームではどれだけ質の高い情報を多く持っているかで生死が決まる。ポイント周辺に少しでも不審な兆候があればその場所での狙撃は潔ぎよくあきらめて撤退する。


 目標の狙撃ポイントが見えてきた。首都高を挟んで恵比寿駅とは反対側に十階建ての古い雑居ビルが建っている。そこの七階が香織が目指すポイントだった。彼女はその狙撃ポイントを『ビール』と名付けていた。


 香織はビルのすぐ近くまで近づいたがすぐに中には入らない。ドローンからの情報を確認しつつ、目視でも周辺を確認する。建物に入るところを見られたらゲームオーバーだ。

 トラップにも気をつける。彼女は十分ほど辺りを警戒してから、やっと『ビール』に入った。


 ビルの七階の恵比寿駅側の部屋は会社のオフィスのような内装になっていた、机や書棚が整然と並べられている。

 香織は室内の安全を慎重に確認してから部屋に入り、窓際に机を並べて上に乗る。持参した灰色の遮光シーツを天井から吊り下げて室内に天幕を張る。


 窓を開け吊り下げたシーツの間に体を入れドラグノフをケースから取り出して銃口を外に向けて置き、机の上で伏射の姿勢を取る。

 この時、ガラスから銃口まで少なくとも1メートルは距離を開けてポジショニングする。一見して窓からはかなり離れたような体勢だが、窓の近くにポジショニングすると外から室内の動きが見えやすくなってしまう。ちなみに映画のように窓から銃身を出して狙うのは論外である。


 香織は全ての準備が整うと天幕のカーテンの間に身を潜めて、双眼鏡で国道305号線の直線を偵察した。


 改めて眺めるとまさに絶好の狙撃ポイントである。今この時からこの道路は、足を踏み入れた敵プレイヤーにとって死の道路となる。自分の不運とこの道路を作った設計者を怨むがいい、香織はまだ一発も撃っていないにもかかわらず興奮で身体が熱くなるのを感じた。


 人を射殺する時になぜ興奮を覚えるのか、自分でもよく分からなかった。それは肯定してはいけない禁忌の感情であることは分かっていたが、抑えきれない衝動がマグマのように身体の中心から湧き出してしまうのであった。

 同時に子供の頃、大好きな兄に殺されそうになった時の情景が頭に思い浮かぶ。それは香織にとって甘美で幸福な記憶であった。


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