06 4年前-猶予期間-
王宮の庭園に朝の爽やかな風が吹き、そこに華やかな薔薇の香りがのる。
美しい青年の少し長めの銀髪が風にそよぎ、彼を見上げる高貴な女性のドレスの繊細なレースと結い上げた髪の後れ毛も揺れる。
端から見ると吟遊詩人の歌に出てきそうな光景だが、話している内容は、ばっさりゴツゴツしていた。
「民主制……?」
クラレンスは驚愕する。遠方の国で試み始められた制度と聞く。しかしまだまだ王政の国が殆どだ。
しかも、王自身が民主制を主導するなど自殺行為のようなものではないか。
女王は何でもないことのように言う。
「王族と貴族が特権階級にいるこの国の制度は、不公正や辻褄の合わない言い訳に満ちていて、既に限界だからな。国のためにと合理的に考えたら、誰でもその結論に行き着くだろう」
いや、普通の特権階級は行き着かない、とクラレンスは心で突っ込む。普通はもっと我が身が可愛いものだ。
特権階級が富や特権を自ら差し出すのは大抵、民衆に喉元に剣を突き付けられてからだ。
「王が乗り気な方が制度移行による国のダメージも最小限に抑えられる。それに、制度移行して安定するまでには数十年単位かかる。既に他国で始めているのに、今から着手していては遅い位だ」
そうだった。女王はーージェラルディンは、こういう人だった、とクラレンスはストンと納得した。
先入観に囚われず、広大な俯瞰視点を持ち、合理性と理性を重んじる。そして国民のための最善を果断に選びとる。ーー自分個人の利害は考えない。理想的な王。
理想的ゆえに王をなくそうとする王。
「勿論すぐには無理だ。国民に義務教育を広げているところだ。
教育を受けた子供が成人するのに10年。教育された世代が10年分蓄積される20年後位に、選挙と議会の導入を具体化する。制度立ち上げに10年、試行錯誤に10年、その後ある程度安定するまで10年程私もバックアップする、と。
まぁ、ざっくり50年計画位で考えている。長生きしなきゃならないから数年前から酒も止めたし、こうして毎日運動も続けている」
そういえば酒も断っていた、とクラレンスは思い出す。
元々あまり多く飲む方ではなかったが、社交の最低限を除いてぱったりと飲まなくなった。程々なら健康にいいと言いますよと言ったら、近年の科学的研究では少量でも体に悪いと言われているそうだ。
長生きするのも仕事の一環だったのか。この毎朝の散歩も。ーー色々突っ込みが追い付かない。
いや、健康のために散歩を勧めたのは自分で、それを重んじてくれたお心はありがたいと思うのだが…王宮の美しい庭園を王と王配の二人きりで過ごす貴重な時間、という側面としては微妙だ。
「……壮大で、大胆な計画ですね」
「そうか?50年計画だから無理はないぞ?
我々特権階級より平民の方が、社会の問題の被害を被りやすい最前線な分、現状の改善を考え時代感覚が早くなる。
今まさに苦しんでいる平民は、50年は遅すぎると感じるだろう。可能ならもっとペースをあげたい。
先祖代々が『都合の悪いことは永遠に時期尚早』やってたツケが、溜まり溜まって我々の世代にのしかかっているのだから、迷惑な話だ」
女王はケロリとした顔のまま、ため息を吐いて見せる。
先祖代々のツケを自分の代で何とかしてしまうのは、彼女が有能だからというだけでなく、地位に見合った責任感の強さ故だ。当たり前にそれができるその人柄こそが、彼女を名君としている真髄だ。
「……私の他に、王配を持つおつもりはないのですね?」
クラレンスは確認する。それが一番気になっていた。民主制導入という歴史的大きさの改革の話も当然驚愕したが、自分の心が引っ掛かるのは何故かそこだった。
「ああ、そうだ」
女王は明言する。
「王族直系の血筋は絶つつもりだから、王配は必要ない。折角民主制にしても、子供を王政復興に担ぎ上げられたら戦乱の種になるから、そこは譲れない。
ーーあ、王配という役柄がいらないということで、クラレンスがいらないってことじゃないからな。クラレンスは大切な家族だし、両国の友好に貢献してくれた。王配を辞しても不自由ないよう手配しよう」
女王が慌てて付け足す。ばっさりした物言いをするのに、こういうところでクラレンスを大切にしてくれていると伝わってきて心が温かくなる。あくまで、家族としての大切さだと分かっていても。
「私が跡継ぎを産まないと、次はエディアルドとエレインが、彼らに子供が生まれればその子供が、担ぎ出される可能性はあるが……二人共玉座に興味がないし、まぁ大丈夫だろう」
エレイン王妹殿下は既に半ば王家と縁を切っているし、王政復古を考えるような保守的層にとっては、女系の血統は魅力が薄い。
エディアルド王弟殿下は、何というか…本人も周囲からも、王に向いてないと納得されている。幼少の頃に病弱で国王に必要な教育を受けられなかったから、率直に言って実力的にも厳しいだろう。
彼に子供ができたら取り上げられる危険性はあるが、女王曰く『あいつの婚約者はこの国一番の魔術師でな。万一の時はさっさと異国にでも逃げて、夫と子供守って食わせていく位の甲斐性はあるから心配していない』だそうだ。
「王族の傍系はいくつもあるが、直系程人を集める吸引力はないから、民主制に移行しやすくなるだろう」
女王の褐色の目は朝日を受け金色に光っている。ーーこの目にはこの国の設計図が見えている。クラレンスはそう感じた。
独りよがりな願望で描いた図面ではなく、情報を常に更新し国や時代の方向性の骨子を把握し落とし込んだ、客観的な情報の塊だ。
彼女自身の判断や行動はその骨子を埋めるものとして表出している。彼女個人の結婚や子孫も、彼女にとっては国を最適に導くツールの一つなのだ。
クラレンスは息を吐く。
やるせない。彼女は人と国を幸せにすることに貪欲だ。なのに彼女個人の幸せは顧みられていない。
彼女に幸せになってほしい、と自分が強く想っていてもーー。
ーーそう。クラレンスは認めた。
自分は彼女を愛している。女王として敬愛するだけでなく、一人の女性として。彼女が『夫』をそういう対象とみていなくても。
彼女は『与える』ばかりだ。こんこんと沸きだす泉のように周囲を潤す。
そんな彼女に、少しでも『与える』存在になりたい。
彼女は強く優れた人で、自分如きがこう考えるのは不遜かもしれないけれど。
クラレンスはいつの間にか俯いていた顔を上げ、微笑んで言った。
「他に王配を持つ予定がないなら……私がこのまま王配でいたらいけませんか」
「いや、クラレンスは普通の幸せを掴んだ方がいいと思うぞ。私は王位と心中しても本望なんだが、そういう感覚は一般的でない」
普通は、王配の地位に居座り続けるのが幸せとされると思うのだが。女王は自分の夫になるのは不幸と決めつけすぎる。
真っ直ぐで、あくまでクラレンスの幸せを願ってくれる女王。けれど、彼が女王に恋慕しているとは欠片も思い付かないようだ。
「陛下。私が王配を辞したらその空席を巡って騒がしくなるでしょう。子を持たないという選択も反発が大きいのは想像に難くない。私が王配でいれば、そんな有象無象からの盾になれます。子がいないのは私のせいにしても良し」
「おい、それではクラレンスが」
「今まで通り形だけの王配で結構です。私も、陛下の目指すものに共感するし、力になりたい。それは私自身の意思ですので、否定しないでください。
陛下は既にあまりにも大きな重責を担っています。こんな些末なことまで背負う必要はない。私が分けて背負うことができることは私が背負います」
女王の目に、痛みに耐えるような色がよぎった。
暫しの沈黙の末、女王は苦味を含む笑みを浮かべた。
「すまぬな。当面お言葉に甘える」
クラレンスはどっと安堵が押し寄せ、知らず詰めていた息をそっと吐いた。
少なくとも当面ーー王配の席に、彼女の一番傍にいられる。
「だがあくまで、当面だ。クラレンスも、王配でない他の人生の選択肢を捨てないで、将来を考え続けてくれ。ーーいつか私達のどちらかが、嫌になったら離婚しような」
女王は笑って言うようなことじゃないことを笑って言う。
「少なくとも、私からは嫌になりません」
わざと子供っぽくすねたような調子で言い返す。
本当の夫婦でなくても、せめてこんな関係でいられたらいいーークラレンスはそう思った。
ーーその時には。