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07 告白

 ーー扉を開けるとそこは雪国だった。


 女王が部屋に入ると、ブリザードを背負った銀髪の幽鬼が項垂れてソファーに座っていた。


 多忙な女王が今日の仕事を片付けて、やっとクラレンスが待つこの部屋に来たのは夜遅くだった。

 遅くなるから話は後日にしよう、先に休んでいてくれと伝言を伝えたのだが、急かすつもりはないので待たせてくれとの返事だった。やっと仕事が一山越え、帰って来てみたらこの凍った空気。何事か。

 いや、今は冬だし、外に雪は積もっているがそういう話ではない。暖炉で温められた部屋の空気は暖かいのに、彼の醸す空気が吹雪いている。


「……陛下。お疲れのところおいで頂き、誠に感謝……」

「どうした、そんな青い顔をして。腹でも痛いか?」

 この姉弟は、全く似てないようでいてどこか似ている。クラレンスは王弟殿下を思い出し、真っ白な頭の片隅でそう思った。


「……昼間の話の続きを伺っても宜しいでしょうか」

「しかし具合が悪いのではないのか?」

「大丈夫です」

 クラレンスは大丈夫でなさそうな凍った顔のまま言った。


 この部屋は、女王とクラレンスのみしか入れず、立ち聞きの心配のない部屋。女王陛下夫妻の寝室である。但し、その用途で使われたことはない。

 普通、貴族の夫婦は寝室が別だ。女王とクラレンスもそれぞれの寝室があり、その出入口には護衛がいる。この部屋はその二つの部屋の間に位置し、それぞれの部屋からしか入れず護衛は傍にいないため、密談にうってつけであった。


 女王は、クラレンスの前置きなしの単刀直入な話にも動じなかった。するりと頭を切り替え、クラレンスの前のソファーに座る。

 仕事柄、国を網羅する多種多様な案件の重要な最終決裁を次々こなしている彼女は、頭の切り替えに慣れている。

 彼をひたりと彼を見据えて言った。


「イリヤーナとの第三次通商条約の目処が立った。これで、互いの国の経済的結び付きは揺るがないものになる」

 クラレンスは目を見開く。 

「我が国とイリヤーナは既にいくつかの条約や同盟がある。結び付きの縄が複数になれば、どれかが弱った時、別の縄が支える安全装置になる。今回の縄は既存の縄の弱点を補い将来の安定をもたらす、丈夫な縄の一つとなるだろう」

 そういうことか。

 クラレンスは心にじわじわと冷たい水が染みてくるような感覚と共に理解した。

「クラレンスが国へ帰っても、もう両国の友好が崩れることはないだろう。9年間、よく両国を繋ぐ役割を果たしてくれた」

 もう、自分という『縄』は要らなくなったのだ。彼女が離婚を切り出したのはそういう訳だ。

 クラレンスは、深々と頭を下げ感謝の意を示す女王の旋毛を見ながら、胸に重い石が落ちるような感覚でその事実を飲み込んだ。



 女王は、この知らせをクラレンスに伝えることができて、実は少々浮かれていた。このため、伏せた頭の下の顔はちょっぴりニヨニヨしていた。


 9年前、女王は彼と2つの約束をした。

 彼を『人間契約書』から解放すること。そして政略結婚をなくすーー彼以外の国民も『人間契約書』にさせないこと。

 後者は、人権保護や女性・子供の搾取を防ぐための法整備、世襲や相続の制度の見直し、契約手法や人権の教育の普及など、着々と改革してきた。

 制度は作るだけでなく、組織と予算を適切に配備し監督し続けなければ実態が伴わない。長い時間がかかるが、ロードマップ(工程表)を公表し着実に進めており、このままいけば近い未来、約束を叶えられるだろう。

 そしてーー今回の条約で、やっと彼を解放するという約束が果たせる。

 それはとても晴れやかな気分だった。


 9年前、保護対象であるべき子供に『人間契約書』を押し付けた自分の罪は、ずっと心にのし掛かっていた。

 勿論、彼の青春時代の9年間を奪ったことは取り返しがつかない。それは今後も自分が償っていくべきことだ。

 しかし、これ以上は彼の人生を奪わずにすむ。そのことに、女王は心から安堵していた。

 クラレンスの喜ぶ顔が見られると楽しみにしていた。


 ーーしかしクラレンスは、王弟殿下から地獄の底から響いてくるようと評された声音で言った。 

「……陛下。私の至らぬ点を教えて頂けませんでしょうか」

「……?何の話だ?」

 クラレンスは突然何を言いだした。話の流れが繋がらなすぎて分からない。

「自分で非が分からぬことこそ、問題かとは思います。しかしどうか、償うチャンスをください」

「いや、クラレンスの非など心当たりがないが、何の話だ」

 クラレンスには、女王が思いやりでとぼけてくれているのかは分からなかった。自分からはっきり言うしかない、と腹をくくる。

「陛下が離婚を望まれる理由です。私へのご不満をお教えください。直してみせますから、どうかそのように仰らないでください」

 下げた頭から、長めの銀髪がさらりと卓へ落ちる。寄せた眉根は哀愁を帯び、目は悲しみの浮かんだ澄んだ水色、形がよい薄い唇は耐えるように引き結ばれている。


 いやもう、いつ見ても美形だな我が婿は、と女王はつい感嘆する。

 女王は人間の顔の美醜がよく分からない。というか興味がない。顔など個体識別できればよい。

 しかしこれ程の美形なら流石に分かる。この私に分かる位だから相当美しいのだろう。なのに私の婿だとは、宝の持ち腐れだ。勿体無い。


 脱線した思考を正し、女王は言う。

「私はクラレンスに何の不満もない。離婚をと言ったのは、初めからそういう約束だったからだ」

「しかしその後、王配のままでいていいと仰いました。離婚は、どちらかが嫌になった場合に、と」

 記憶の中を探るような顔をした女王に、クラレンスは、4年前に朝の散歩の時に、と付け加えた。

「あれ?あの時はーーあくまで『当面』、形だけ王配を続けてもらうが、追々別の道を考え続けてくれと、そういう趣旨の話ではなかったか?」

 女王は思い出した。自分としては、将来離婚するのは言うまでもない大前提で、それプラス、嫌になった時にも離婚でいいぞ、という意図だったのだ。

 女王は『何事もなければ離婚』、クラレンスは『何事もなければ結婚続行』、と認識していた訳だ。

 成程、それでクラレンスは、自分に非があったと考えたのか、と女王は腑に落ちた。

 ちゃんと書面にしない口約束は行き違いの元だ、と心の中でため息をつく。

 しかしその行き違いの旨をクラレンスに説明しても、彼の憂い顔は晴れなかった。


「……陛下は、私に王配を辞めてほしいとお考えですか?」

「いや、クラレンスの奪われた人生を返すべきだということだ」

「私のため、という話は別として。陛下ご自身のお望みは?」

 女王はクラレンスの意図を図りかねた。女王は『クラレンス(被害者)のため=理性的に正しいこと=自分の望み』と実に矛盾のない価値観をもつので、矛盾を求められるような質問が奇妙に感じられた。


 彼女のそんな様子を見て、クラレンスは一度俯いて強く息を吐いた。

「『こちらが腹を割らずに、相手に腹を割れと言えない』ですね」

 彼は、初対面の時に女王が言った懐かしい言葉を小さく呟き、腹をくくったように顔をあげると、強い瞳で言った。


「私は、あなたをお慕いしています。王や家族としては勿論ですが、それだけでなく、一人の女性として」


 女王は瞠目して固まった。

 クラレンスがその様子を見た時、目の色に一瞬痛みが走ったが、声の強さを失わぬまま続けた。

「あなたが私をそんな対象として見ていないことは知っています。無理に押し付ける真似はしません。ただ私は、あなたの一番傍にいて、あなたが目指す道を行く支えの一つでありたい。それをお許し願えませんか。私を、王配のまま置いては頂けませんか」


 白い肌を紅潮させ、強い感情に目を潤ませて必死の面持ちで言いつのる美形は、破壊力が凄まじい。

 しかも内容はまるでプロポーズのようだ。いや、実際プロポーズなのか?結婚9年目にして。女王は混乱した。

 何かの謀り事かと反射的に幾通りものパターンが頭を過ったが、すぐ否定する。クラレンスはここでこんな謀り事をする人間ではない。長いつきあいで知ってる。

 豪胆な女王には珍しく、頭が真っ白になる程動転して口をぱくぱくさせてしまった。


「あー…その…本件は持ち帰って検討させてほしい……」


 聡明な女王には極めて稀なことに、議論の場で準備不足が判明しすごすご帰る交渉者のような台詞しか出てこなかった。

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