もう戻れない
記憶を取り戻したキヨミの身体がカタカタと震え出した。
言葉にならない雄叫びを上げ、狂ったように泣き叫ぶ。
「キヨミ!?」
「キヨミちゃん!!」
「おねぇちゃんっ!」
三人に呼ばれたキヨミはゆっくりとそちらを振り向いた。
しかしケースケとショウの姿が視界に入ると、途端に叫んだ。
「いやぁああああ!!!!」
「おい、キヨミ!
どうした、大丈夫か!?」
「やめて、来ないでっ!触らないでぇええええええ!!!」
錯乱状態のキヨミに手がつけられず、ケースケとショウは後退る。
頭を振り乱して泣き叫ぶキヨミは、自分の髪が短くなっていた、と気づいた時とは比べ物にならないほど荒れていた。
そんな中、涙ながらにギュッと抱きついたのはマコトだ。
「おねぇ、ちゃん…おねーちゃ、ん…」
徐々にその声がキヨミに届き始める。
涙と鼻水で酷い顔をしていたが、首をギシギシとさせながら縋り付くマコトを見た。
マコトの顔はキヨミと同様に涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
「…マコ、ト…くん
何で、泣いて…るの…?」
突然戻ったつらい記憶に一時は恐怖に呑み込まれていたキヨミだが、マコトの様子に少しだけ冷静になれた。
「おねぇ、ちゃんが…ないて、るから」
口をへの字にして大きな目を潤ませるマコトに優しく触れ抱きしめた。
そしてまた泣いた。
無くしていた記憶と向き合うにはまだ時間がかかりそうだけれど、マコトの存在はキヨミを優しく包み込んでくれた。
寂しい時に慰めてくれるぬいぐるみのように、側にいてくれるだけで心強かった。
そうしてどれだけ時間が経っただろう。辺りは暗くなり始めていた。
キヨミが顔を上げると薄紫の帳が降りかけている。
腕の中には眠ってしまったマコトが収まっていた。
抱きしめている腕に少しだけ力を込め、ゆっくりと後を振り返る。
心配そうな顔が二つ並んでいて、キヨミは気まずそうに笑ったが、上手に笑えてはいなかった。
「ごめんね…」
掠れた声でそう告げると、二人は首を横に振り笑った。
温かな笑みだった。
ケースケがマコトをおぶり、その後ろをショウとキヨミが並んで帰路に着いた。
キヨミは無意識にショウから少しだけ距離をとって歩いていた。
何も聞いてこない二人の優しさがつらくて、キヨミは自分のわがままさにまた泣きそうになった。
「俺たち今日はケースケの家に帰るよ」
マコトを寝かせるなり、ショウが告げる。
「え…何で?
私の…せ、い…?」
問いかけるような言葉になってしまったが、その自覚は充分にあって、申し訳なさで一杯になる。
「また明日くるよ
ほら、ケースケの家を何日も留守にするのもアレだから」
言い訳じみたものいいだった。
また気を使わせてしまったと凹むキヨミにケースケが笑う。
「気にするんだったら、早く笑えるくらい元気になれよ」
細まった目が父親を思い起こさせ、また涙が溢れた。
「笑えって言ったそばから泣くなよ」
その言葉に攻めている感情はこれっぽっちも感じられなかった。
その日キヨミはミカちゃんのぬいぐるみを抱き抱え、マコトの隣で小さく丸まって眠った。
私はいったい何のために産まれて生きていたんだろう。と考えながら。
「大丈夫かな、あいつ…」
ケースケのいつアイツはキヨミに他ならない。
ほんの数日ぶりのケースケの家はなんら変わってないかった。
キヨミとマコトがいる家と比べると随分散らかった印象を受ける。
二間続きの安アパートということもそういう印象を後押ししていた。
ショウは自然な動きで冷蔵庫から麦茶を取り出す。
古くなったそれをコップに注ぎ、飲み干した。
「…わからないけど、無理に何か聞き出したりするのは悪手だよ」
「わかってるよ」
ムッとしながらもショウに向けて手を伸ばす。
俺にも寄越せ、ということらしい。
ショウは小さく肩をすくめ、ケースケの分の麦茶を注いだ。
「記憶を取り戻したのかなぁ」
「じゃなきゃ何だってんだ」
「…高所恐怖症?」
「そんなんであんなになるかよ」
「どちらにしろ、僕たちを見て怯えた目をしてたね」
「…そうだな」
ケースケは麦茶に映り込んだ自分の顔を見て顔を顰めると、それを一気に飲み干した。




