第五十八話
早速最寄りにある漫画喫茶へと赴いた。
道中で買った下着にはトイレで着替え、古い方はコインランドリーに放り込んだ。
洗濯機の中でひらひらと一枚のパンツが踊る様は、なかなかシュールだった。乾燥機も使用したが、やはりシュール。
今はウィッグを付けていない以外は女装時と同じ格好だが、カジュアルな服装なので見るからに何の変哲もない男子だろう。なので下着泥棒なんてのも現れるわけもないのだが、そのシュールさからなんとなしに見届けてしまった。
洗濯したての下着と一緒に、ドリンクバーから持ってきたコーンスープを片手に個室に入る。
「まったく、ここは相変わらずドリンクバーにゴキブリが住み着いてるな」
ずずっとコーンスープを啜りながら椅子に腰かける。
最後に来たのは一年ぐらい前だったか。台風による影響で自宅周辺が断水になって、風呂をどうしようかと家族会議があって。母さんと彩音の賛成多数でスーパー銭湯になったのだが、ウキウキしてる二人を尻目に俺は自宅から近いここを風呂代わりにすると突っぱねたのだ。
風呂なんてシャワーを浴びるだけで十分。烏の行水と小馬鹿にされても結構。
結局俺を除いた家族三人はスーパー銭湯、俺は一人でここへ来たのだがそれ以来の来訪だった。
あの時は俺だけ車を降りる時に、父さんが素っ気なく千円札を差し出してきたっけか。あの野郎、当時から母さんと彩音には甘々で、自分だってスーパー銭湯なんて興味ないくせに賛成多数の一助になりやがって。自分ってのが無いのかっての。
ま、あんな奴の事は忘れよう。今回は勿論俺の自腹だ。一年前とは違い俺も働いてるからな。
ともあれこうして漫画喫茶にまできた理由は下着の洗濯もあったが、一番の理由は別。それが何かと言えば、ゾンハンだ。
個室のパソコンからゾンハンをダウンロード及びインストール。その間手慰みにスマホを触っていると。
「ん?」
彩音からのメッセージが来ていた。
昨日家出をしてから彩音からはちょいちょい連絡が来ていた。だがそれを全て無視した上で、でもこのまま無視し続けるのも可哀そうかと思い、先ほど『とりあえず泊まる場所を見つけたから心配しないでいい』とだけ返した。
それから初めてのメッセージ。その文面は。
『ちょっと何やってるでありますか!』
「何やってるって、漫喫を満喫中だよ」
一人ごちながらスマホを机に放る。
多分だが、送る相手を間違ったんだろう。脈絡が無さすぎるからな。我が妹ながらおっちょこちょいである。
今はそんな些事はともかくゾンハンである。
インストールまで終え、ログインも終え、ゾンハンの世界にダイブ――ブブブブブブブブ。
「うるせえなぁ! さっきっから何なんだよ!」
バイブするスマホを手に取ると、耳に当てながら個室を出た。
声を潜めながらも苛立ちを込めた俺の声に、彩音は電話越しに怯むことなく、むしろ向こうも向こうで苛立っていた。
「何なんだよじゃないであります! 聞いたでありますよ!」
「聞いた? 何をだよ。こっちは忙しいんだよ。無駄話は今度に――」
「どうせ満喫でゲームしてるだけでありますよね?」
「な……」
「辺りを見渡しても無駄であります。監視なんてしていないであります。司の行動なんて監視しなくても手に取るように分かるでありますから」
彩音の言う通り、思わず辺りを見渡してしまった。まったくもって無様である。
このまま彩音の手のひらの上でコロコロ転がされていては、兄としての沽券に関わる。
なので俺は努めて冷静に口を開いた。
「ふ、フフフ。流石我が妹よ。その洞察力の高さは俺に負けず劣らずだな。だがまだまだお前には俺を超えることは――」
「ジョニトリーの店長さん、愛猫さんから家にお電話があったでありますよ」
「ふぁ」
「そ」
「ラシド……じゃないんだよ! 何だよ愛猫さんから電話があったって!?」
兄としての威厳なんて最早かなぐり捨てて上ずり声で問いただす。
「言葉通りでありますよ。愛猫さんから私たちのお家、太田家に電話がさっきかかってきたでありますよ」
「な、なんで?」
「司が一番よく分かってる事じゃないでありますか? 昨日から愛猫さんのお家にご厄介になっているのでありますよね? 全部愛猫さんがお話になったでありますよ。大人としてよそ様の『娘さん』を匿っていることを保護者に伝えるために連絡したようであります」
「な、な……」
ば、バレた? バレたのか?
自然の成り行きとして俺が『娘』ではなく『息子』であると、俺の保護者である両親が愛猫さんに告げただろう。そうなると、愛猫さんは俺が『男』であると知るってことで。つまりあれだ。
――まず間違いなくジョニトリーはクビ。
それだけならまだしも性別を偽って妙齢の女性宅に足を踏み入れ、一夜だけとはいえ寝泊まりしてしまった。訴訟だ。こんなの訴訟されるに違いない。このご時世どんなことで訴訟されるか分からないってのに、これは間違いなく訴訟案件だ。どうしよう、どうすればいいんだ。……そうだ、彩音! 彩音なら事務所に所属しているし、何かよく分かんないけど弁護士とかにも繋がりがあるだろう!
「彩音、お願いが――」
「事務所の専属弁護士はいるでありますけど、こんなこと頼めるわけないであります。お勤め、頑張ってくださいであります。初犯だから運が良ければ拘留だけで済むかもしれないでありますし」
勝手に俺の心を読んだ挙句に、なんかよく分かんない難しそうな話をし始めた! 色んな意味で絶望である。
と、口を半開きで呆然としていたら。
「……と、なりかけていましたけど、ママは丁度お出かけしていて、愛猫さんからの電話には私が出たのでありますよ。ママに成りすまして」
「え」
「だから一先ずはバレてません」
「ナイスだ彩音!」
思わずガッツポーズを一人で決めるが、電話先の声は冷静だ。
「片棒を担いでしまったのは本望ではありませんけど、元はと言えば私が寝ている司にメイクをしたのが始まりでありますから。運命共同体であります。でも、もしもこんなことがママならまだしもパパの耳に入ったら大変でありますよ。本当に警察に突き出されるかもしれないであります」
「ど、どうしよう……」
「家に帰ってくるつもりはないんでありますか?」
「ない」
「はぁ……でも、このまま愛猫さんのお家にご厄介になり続けるのは私としても賛成しかねるでありますよ。せめて性別を偽らずに泊めてくれるような同性のお友だ――何でもないであります」
そんな友達いるわけないか、と彩音が瞬時に理解したようだ。勿論だが俺は怒らないし言い返さない。事実だからな。えっへん。
彩音はそのまま「もっと現実な方法を考えなくてはいけないでありますね」と、まるで俺に同性の友達を作ることが現実的ではないかのような言い方をしてきた。勿論だが俺は怒らないし言い返さない。むしろそんなあり得ないことを言ってきた時こそ怒って言い返す時だ。うんうん。
「ともかく、あまり愛猫さんにご迷惑をおかけしちゃダメでありますからね。何らかの間違いも犯したりしては――まぁ、それは大丈夫でありますか。司でありますから」
『品行方正な兄だから何らかの間違いも犯すはずがない』と捉えることも可能だが、今回の彩音の発言は『司はヘタレだし何らかの間違いなんて犯したくても犯せないでありますね』である、絶対に。勿論だが俺は怒らず、言い返さず、頷くのみだ。よく俺を理解している妹である。誇らしいぜ。




