最終話:感謝の言葉とそれぞれの帰る場所
静かになった食卓で、私たちは食事を終えた。
翔太はすっかり意気消沈してしまい、あれから一言も発さずに黙々と箸を動かしていた。
不貞腐れているのか、ショックを受けているのか、あるいは自分の行いを反省しているのか。
まあ、少しは頭を冷やす時間が彼には必要だろう。
「ごちそうさまでした。片付け、手伝うわね」
「いいえお義母さん! 私がやりますので、座っていてください」
私が食器を下げようとすると、美咲さんが慌てて制止した。
その表情は、私が来た時のような怯えたものではなく、どこか吹っ切れたような明るさがあった。
じゃあ、お言葉に甘えてそろそろ失礼しようかしら。
「それじゃあ、私は帰るわね」
「はい、玄関まで送ります」
美咲さんが先導してくれる。
翔太はといえば、リビングのソファに背を向けたまま、缶ビールを開けていた。
まだ拗ねているらしい。
やれやれ、本当に子供なんだから。
◇
玄関で靴を履いていると、美咲さんが深々と頭を下げた。
「お義母さん、今日は本当に……本当にありがとうございました。またいつでも遊びに来てくださいね」
「ええ、また来るわ。今度は指導役じゃなくて、ただのお客さんとしてね」
私が笑うと、美咲さんも嬉しそうに微笑んだ。
さて、最後にもう一つだけ、あのバカ息子に言っておかなくては。
私は靴を履き終えると、わざとリビングにまで聞こえるような大声で話し出した。
「美咲さん。たとえマザコン男でも、あなたは生活を共にしているんですから、翔太への感謝を忘れちゃダメよ?」
美咲さんがキョトンとした顔になる。
私は構わず、リビングの背中に向かって言葉を投げかけた。
「翔太! 聞こえてるわね?」
ビールの缶を置く音が聞こえた。
「美咲さんはあなたの母親じゃないし、家政婦でもない。あなたの世話をしてくれる美咲さんに感謝しなさい。夫婦なんだから、『養ってやっている』『世話してやっている』じゃなくて、『支え合っている』のよ」
「 ――お互いに『ありがとう』を言いなさい」
リビングからは何の返事もないが、沈黙は肯定と受け取っておこう。
私の言いたいことが伝わったのか、美咲さんは私の手をギュッと握りしめ、無言で、けれど力強く何度も頷いてくれた。
その手は温かかった。
「じゃあね、二人とも仲良くね」
私はひらひらと手を振り、息子の家を後にした。
◇
外に出ると、夜風が心地よかった。
自転車を漕ぎながら、私はふと今日の自分の言葉を反芻した。
『お互いに感謝しなさい』
偉そうなことを言っちゃったわね。
そういえば、そんなことを言っている私自身、最近お父さんに「ありがとう」って言ったかしら?
空気のような存在になっていて、やってもらって当たり前になっていなかっただろうか。
人のことをマザコンだの何だのと説教できるほど、私はできた妻だっただろうか。
「……ふふっ、ブーメランってやつね」
私は苦笑いをこぼすと、ペダルを漕ぐ足に少しだけ力を込めた。
早く家に帰りたいと思った。
◇
ガチャリ、と自宅のドアを開ける。
「ただいまー」
「お、帰ったか。どうだった、翔太のやつは」
リビングに入ると、夫がテレビを見ながらのんびりとくつろいでいた。
いつもの変わらない光景。
でも、今日はそれが無性に愛おしく感じられた。
「ええ、ちょっとお灸を据えてきたわ。美咲さんの料理、とっても美味しかったのよ」
「そうかそうか、やっぱり翔太の大げさだったか。安心したよ」
夫は優しく微笑んでくれた。
私は荷物を置くと、夫の隣に座った。
「ねえ、お父さん」
「ん?」
「私を行かせてくれてありがとう。おかげで、あの子たちの役に立てたわ」
「……なんだ急に、改まって」
夫は少し照れ臭そうに頭を掻いた。
「それとね、いつもありがとう。私、お父さんと暮らせて幸せよ」
「よ、よしなさいって。熱でもあるのか?」
夫は顔を赤くして慌てているが、その口元は緩んでいる。
やっぱり、言葉にするって大事なことね。
「ふふ、熱なんてないわよ。ねえ、久しぶりに二人で晩酌でもしましょうか。美咲さんに負けないくらい、美味しいおつまみ作るから」
「おお、それはいいな。とっておきの焼酎を開けるか」
私たちは顔を見合わせて笑い合った。
息子の家のことは心配だけれど、まあ、あの二人ならきっと大丈夫だろう。
雨降って地固まる、というしね。
私はキッチンへと向かった。
今夜のビールは、きっと最高に美味しいはずだ。
(完)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
息子夫婦の問題を通して、自分たち夫婦の絆も再確認する……そんな由美子さんの温かい強さを描きたくて執筆いたしました。
読者の皆様に、少しでも「スカッと」した、あるいは「温かい」気持ちになっていただけたなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。
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また別の物語でお会いできることを楽しみにしています。




