第5話 異郷の一日
由来代が詠玖の使いと対峙していた頃、世夏は入念に依頼の準備を行っていた。
「明日の用意は出来たか?」
「とりあえず、持っていくものは枕元に置いた。お金と紙束。それに師匠」
「私を荷物に含めるな!」
怒る師匠に笑い掛ける世夏の顔は、いかにも子供らしい。肝心の依頼はまだだが、街についた直後と比べれば、いくらか不安も和らいでいる。
「そろそろ風呂に入るか。なんか、裏に温泉があるらしいし」
「私も連れてけ!」
「あ、最後にもう少し確認しとこうかな……」
「心配性だな、先に行っているぞ」
世夏としては、あの師匠と入るのは画的に大丈夫なのかと思いつつ、最悪見てから考えようという結論に至ったのだが、もちろん既に師匠の姿はない。忘れずに部屋の鍵を閉め、階下に降りる。
「入浴なさいますか。先程連れの方が歩いていきましたよ。言い忘れましたが、タオルは貸し出してます」
「ありがとうございます。じゃあ、大と小を二枚ずつお願いします」
ひとまずの目撃情報に安堵して、二人分のタオルを借りる。
「どうぞ。ああ、湯加減は調整出来ませんので、調度良いところを探してください」
「分かりました?」
温泉に向かう途中、余計なことを考えないよう無心で足を運んでいたが、ふと師匠の事が頭をよぎる。
「そういえば、師匠の服ってなにで出来てるんだろう……」
宿の裏手まで来ると、背の高い竹の柵で囲いが作られており、簡素な扉には宿泊客専用と書かれた板が取り付けられている。
改めてこの宿の客なのだと実感しつつ、扉を通り抜ける。作りは荒いが大きさは中々のものであり、三十人ほどは入ることが出来そうだ。湯から少し離れたところに着替え所とおぼしき仕切りがある。また、のぼせて仕切りにたどり着けず、うつ伏せに寝転がる幼女の姿も確認できた。
「師匠……」
「この湯は、少し熱すぎる……」
「うわ、熱! 火傷しそうだな」
世夏は手で温度を確かめると、一時でも入ろうと思った師匠に感服しつつ、すぐさま引っ込める。
「受付の人の言っていた意味がわかったぞ」
師匠の回収も兼ねて一回着替えに退散した後、再び温泉に挑む世夏が呟く。
「やー少年、こっちは良い加減だぞ」
ふと、奥の方から声が掛けられる。湯煙に紛れてなんとか大柄な男性の姿が確認できた。
「ありがとうございます。貴方も開封屋なんですか?」
「ああ。もうすぐ引退時とは思うが」
物悲しげに話す様に、掛ける言葉を探すが見つからない。自分を、そして他の開封屋を重ね合わせると、他人事には感じられない。
「そうなんですね」
「来たところで悪いが、私は先に失礼する。そうだ、この竹筒の水をあの子に飲ませると良い。いくらか回復する筈だ」
先方は世夏の脇で立ち上がると、横に浮いていた桶から綺麗な竹を取り出し、世夏に渡す。
「え、ありがたいですけど、流石に申し訳ないです」
「良いんだ、いつも飲まないで上がってしまうから。それに、初めてこの湯に来てのぼせる奴は多い。一息着く場所で他人をしっかり休ませてやるのが好きなんだ」
一際強い風に湯煙が払われる。思わず閉じた目を再び開く頃には、世夏の前からも温泉からも男はいなくなっていた。
――思うところは多々あるが、主に師匠のことが気になってしまい、世夏は風呂を早々に切り上げて脱衣所に戻った。
「師匠、風邪引くぞ!」
「まだ引かぬ」
「そう言うことじゃないよ。さっき親切な人に飲み物を分けて貰ったからこれを飲むんだ……聞き分けが良いな。あっちは温度が低いから最後に少し入らないか?」
「少し入る」
せめてさっき言われた通りにしっかり休息を取ろうとのんびり温泉に浸かる。横で水を飲む師匠を眺めながら、竹筒に視線をやる。ひょっとしたらかなり貴重な品なのかもしれないが、こういう思考に蓋をするのは世夏の得意とするところだ。
「よし、上がろう。師匠、タオルを借りてきたから濡れたまま歩くなよ」
「私をなんだと思っておるか」
着替えを済ませ、今度は晩御飯を考える世夏だったが、とりあえず財布を持たねば始まらない。宿に帰り、タオルを返しにフロントに立ち寄ると、いつも淡々と話す受付の彼女が珍しく目を輝かして待っている。
「タオルありがとうございました」
「お前、ずっと感謝してないか?」
「良いだろ別に」
「世夏様、温泉は如何でしたか?」
「え? いや、大きいなって」
「子供か」
思わぬ言葉に単純な感想しか出てこない世夏。
「師匠には俺より広く見えたんじゃないかな」
「おい、それはーー」
師匠の声が遮られる。
「そうでしょう! 本館では宿泊者様単位で別途の空間を提供しているので、十分におくつろぎ出来たかと存じます!」
「宿泊者単位って、どういうことだ?」
「入浴される方々毎に、と言う意味ですね」
受付の人が不思議そうに答える。確かに世夏の思う意味に相違無かったが、だからこそ疑問が残る。
「俺と師匠は一緒の場所だったけど」
「お連れ様は同じ空間に招かれることが原則となっております」
「でも、連れじゃないおじさんも混ざってたけど」
「それは……まことでしょうか」
風呂上がりに緊張が走る。
「ああ。師匠が持ってる竹筒を渡してくれたんだ」
「……」
三人の間に気まずい沈黙が流れる。彼女もまさかこんなことになるとは思ってもなかっただろう。
「なんでしょうね……曰く付きではない……筈なんですけど」
「へ、部屋に帰ろうかな」
気持ち早足で階段を駆け上がる。あの男性から悪い気配はしなかったが、怖いものは怖い。
部屋に帰ると、先程は見ていなかった押し入れも確認する。
「そういえば、一応布団あるんだな」
「私の分まであるとは殊勝な心掛けだ。明日は早そうだし、もう寝るか」
「あれ? ご飯はどうするんだ?」
「明日の朝まとめてで良い。保存食は残りがあるだろ」
「そんな! いや、依頼が終わるまでの辛抱か。千里庵の料理、美味しかったな……」
昼間の、主に食べ物の事を思い出しつつ、布団を出して眠りに就く。




