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王都はどの国であっても必ず国の中心にある。なぜなら城塞都市で言う恵みをもたらす神器の代わりが、国単位で言えば王の玉体そのものであるからだ。王は女神アフレイアの祝福を受けて王となるが、そのとき多大な神通力を右腕の甲に渡される。王はその力を持って気脈を整え、家臣に力を与え、国を整えていく。この力は神器よりも強大なため、王都が国の中心にないと大地の気脈にひずみが生じてしまう。過去何度かは王都を離れて過ごした王もいたようだが、たいていその国では実りが失われ、妖魔があふれる。
あれから馬を飛ばして七日目、一輝とカブツは王都まで来ていた。
「いやまた、これは何とも荘厳な……」
「建物の趣向がよその国と全然違うな。途中の城塞都市もそうだったが」
城門をくぐって見えたのは広大に広がる城下町。そのほとんどが石作りか煉瓦作り。通りには街灯がこれでもかと立ち並び、花壇が大量に並んでいてよい香りを放っている。大通りには多数の露店が店を開いており、人々の喧騒は活気に満ちている。そして遠くに見えるのは巨大すぎる王城。特徴的なとんがり屋根の尖塔が大量に突き出しており、明らかにほかの国では見られない独特の建築様式だった。
「火の国の王城なんかは半分木造の寺院みたいな作りでしたし、ここに比べたらミニチュアもいいとこですよ。やはり金があるところは違いますねえ」
「いや、それは単に文化の違いだろう。火の国は何千年も前に仏教が初めて流れてきた土地柄だから建築様式に影響が出たんだ。それに女神アフレイア様を祭る教会ってのがあるのは基本的には水の国だけだろ? こちらの建物が石造りのとんがり屋根が多いのもそのせいだ」
もともとはどの土地でも地方信仰があり、遺体を様々なやり方で荼毘に伏していた。そこへ大昔に仏教というものが伝わり、次第に土着の信仰を飲み込み始め、葬儀の後に埋葬にするという文化が広まっていったという。
この仏教というものは死後の霊魂を鎮め司る死霊山を神聖視しており、各地の寺院で集まったお布施の一部は黒衣に寄進してくれている。これが黒衣のほぼ唯一の収入源である。
当然この水の国でも死者は出るので寺院はある。しかし水の国にはそれとは別に女神アフレイアを祭る教会というものがあるのだ。起源は古く、水の国では太古の昔から生命の源である気脈を司る女神アフレイアを信仰している。人は生命と死とどちらに信仰の重きを置くか、その答えがこの国にはあった。この国では教会というものは各地にたてられ、寄付金も多く集まり、関わる人も多い。それにこの国では何らかの事情で食い詰めたとしても、教会の者が炊き出しと称して食べさせてくれるのだ。そういう社会制度を国が後押しして作り上げている。それに対してこの国の寺院とはどこも古くて人が集まらず、陰鬱で活気がない。
ひょっとして、と一輝は思う。水の国はかつて女神アフレイアが最初に現出し、人々を統治していた特別な国なのだという伝説は事実なのではないかと思う。だからここだけ大きく文化が違う。ほかの国ではこことは違う別の世界から流れてきた者により漢字が伝わっているが、水の国ではほとんど使わない。根拠も定かでないただの神話の話ではあるのだが。
しかしこの世界では様々な髪の色、瞳の色があるが、中央にある水の国だけはそれが際立ちすぎていた。他の国では黒髪の者が半数は生まれる。教会で描かれている女神アフレイアの肖像はよく白く長い髪に褐色の肌、白目が黒く黒眼が白い姿で描かれている。肌には魔力文字の文様があり、赤い宝石を胸に下げている。それが人にあらざる色彩でたいへん美しい。そういう特徴は水の国の国民の姿と通じるものがある。それに水の国では魔術師が生まれやすい。他国ではそう滅多に生まれるものでもなかった。
王が倒れ、新しい王が誕生するときに女神アフレイアはその人物の前に降臨し、右腕に力を授ける。女神アフレイアは存在する。しかし逢って何かを問うことは不可能だった。なぜなら女神がいるとされる金剛山は巨大な障壁で覆われており、決して誰も入れない。その障壁がまるで光り輝くダイアモンドの山のように見えるから金剛山と呼ばれている。女神に会えるのは王になるものだけ、もしくはその時たまたま近くにいた幸運な者だけだ。
さて、と一輝はそろそろ王城に向かうべく馬を翻してカブツを促す。しかしその長い大通りを一輝たちは馬で進むことはなかった。なにやら大通りでは人々が上空を見て騒いでいる。不穏な気配ではなかった。見上げると、上から羽ばたく騎影が六騎、この場に下りてくるところだった。
姿形からしてそれは幻獣グリフォン、鞍が付いているので野生のものではなく飼いならした騎獣である。一輝は少なからず驚いた。幻獣を騎獣とするのはどこの国でも見られること。馬よりも何倍も速い。名のある騎士や剣士ならば、仕える王や領主に褒美として下賜されることもある。しかしその中でも飛行ができる騎獣というのは特別中の特別である。滅多に現れるものではないし、まして買い集めるのは不可能である。
それが六騎も。
「失礼、雷神殿でいらっしゃるか」
六騎は降り立った後、一番先頭にいるものがそう問うてきた。背には巨大なバスターソードを背負っている。着ている鎧は青を基調としたものに白いラインが入ったもの。ならばかれらは王の傍仕えの騎士たちだ。
「雷神……というか、黒衣の鳳一輝ならおれで間違いないが……」
「わざわざ出迎えてくれたんですかね?」
カブツが騎士に向けたのか一輝に向けたのかわからない質問をした。先頭の騎士が答える。
「城塞都市ラクから雷神様が向かっていると早馬で連絡が来たのです。女王陛下が迎えに行くようにとおっしゃられたのですが、早馬と半日違いで到着したようですな。
しかし王城まではまだ距離がありますのでせめてここからでも送らせていただきます。さあ後ろにお乗りください」
いまさら馬でも大した違いでもないだろうに、とも思ったが、とくに断る理由もなく一輝とカブツは馬を門番に引き渡してグリフォンに騎乗する。騎士はしっかりつかまるようにと促した後、グリフォンの腹を蹴って軽やかに飛び立った。
――それでは雷神殿、
騎士は言う。
「女王陛下のもとへ案内します」
5
王城に着くなり一輝たちはさっそく玉座の間に通された。広く長いその部屋には豪奢な赤い絨毯が敷き詰められている。多くの花が飾られる中、両脇にはずらりと並ぶ国官たち。少し離れた前方には大きな玉座と小さな玉座が一つずつ。大きいほうには二十歳ほどであろうか、白を基調としたドレスを着て王冠をかぶった金髪碧眼の美しい女性がいる。その右腕の甲にはぼんやりと光る魔術の文様が浮かんでいた。左手には閉じた扇子を持っている。水の国の女王エカテリーナであった。ならばその隣の小さな玉座にちょこんと座るのは妹のプリシラだろうか。
エカテリーナの左には、ただ一人ほかの国官と違って壇上に控える身なりの良い高齢の男が立っていた。おそらく宰相あたりだろう。
どこの国でも王城を訪ねる時は玉座の前まで進み、膝をついて一礼するのが礼儀である。これは家臣として仕える折に跪き、右手の紋章に口づけをして女神の力を貸し与えてもらう儀式と同じである。しかし両脇から集中する国官たちの好嫌入り混じった視線に居心地の悪さを感じ、一輝はちらりと視線を上向けて高い天井を見た。見て、一輝は驚く。そこには天井がなかった。いや、ないわけではないのだろうがそこに見えるのは瞬く星々と輝く月光。夜空であった。
思わず立ち止り、見る。絵というわけではない。光が瞬いている。それにわずかずつだが月が巡り、かけていく。普通の夜空にある自然な月の満ち欠けの早さではない。これは魔力による装飾だ。
「黒衣殿はわが王城の夜空が気に入りましたか?」
足を止めていた一輝に女王エカテリーナが声をかけた。
「この王城は代々増築や改築もなされましたが、この玉座の間だけは誰も手をつけてはいないのだと言われております。この夜空の星々は遥か昔の国王が、何十人もの大魔術師の力を借りて作成したのだと言われています」
「……これは――見事なものですね」
驚いた。豊かであり、魔術への造詣も深い国とは聞いていたが、このような巨大な魔術の品も作れるとは。もしかしたらすでに魔道器くらい作る技術はあるのかもしれない。
魔道器が作れるのは今のところ霊峯山のみとされている。中の国三山の一つで、死霊山、金剛山、霊峯山である。死霊山の近くにあるので妖魔の湧く危険な場所ではあるが、気脈が集中する土地でもあるので幻獣も湧きやすい。各国で普通の研究や魔道実験に飽いた魔術師は国を離れ、この霊峯山に居を構えて大量に気脈を必要とする実験を繰り返す。黒衣はここの魔術師たちとは古くからの親交があり、魔力の力が込められた武器や魔道銃などはここで買いつけられている。
一輝は視線を玉座に戻すと、ほほえみを浮かべるエカテリーナの前まで進み、膝をついて深くお辞儀をした。刀は外して左に置く。
すると脇から荒々しい声が一輝に向けて放たれた。
「おいッ! 帯刀したまま玉座に上るなど無礼だろう! いったん下がって刀は侍従にでも預けてこいよ!」
一輝は声がしたほうに顔を向ける。声の主は親衛隊のものだった。すらりとした体躯で金髪を短く刈り込んでいる。顔がまだ若い。十代の雰囲気が抜けていない男だった。
「これカビィ、黒衣殿に失礼な口をきくのはおやめなさい」
「しかし、黒衣というのはどこの国にも仕えていない、よくわからない平民の集団でしょう?身分違いの者に対し礼を失して……」
「わたくしが黒衣殿を呼んだのです。この国の窮状に対する国策として招待したのです。もとより黒衣殿が悪いことなどするはずがないでしょう。武器を取り上げるなど無礼なことです」
エカテリーナがそういうと、カビィと言われた騎士はしぶしぶという表情で引き下がった。エカテリーナはそれを見ると目を閉じ、再び目を開いて一輝を見る。
「ごめんなさいね黒衣殿。我が国には今、とある問題があって軍の者は特にピリピリしているのです」
「……ここに来る途中、立ち寄った城塞都市で妖魔が湧いたところに出くわしました。通常の城塞都市ではまずあり得ないことです。もしかしてそれと関係が?」
一輝が問うと、国官の並びから動揺のような気配が走るのを感じた。やはりなにか関係があるのだろう。軍人や騎士の並び、親衛隊のほうからは緊張のようなものが伝わってくる。
エカテリーナは視線をやや下げると、さて、と口を開く。
「どう話せば良いものやら……」
初めはある城塞都市を任せていた領主の反乱からだったという。城塞都市クルドの領主にして、老魔道師のサーラーン。三百年続くこの国の平和のなかでサーラーンはよく地を治め、都市を守り、後進の魔術師たちを育て上げた。領主ということは格で言えば位は一位。ここに並ぶ国官や大臣よりも上である。これより上となると王と宰相がいるのみだ。当然、直接王の右手の紋章に接吻し、強い女神の祝福を与えられている。その寿命はほとんど不老不死に近いだろう。
「サーラーンは三百年前、わたしが王となったときにわたしから訪ねて行ったのです。サーラーンはここにいる宰相のエルロンとともに山奥で魔道を研究する大魔術師でした。当時わたしはただの世間知らずな小娘に過ぎず、国のことや王のことなどまるでわかりませんでした。ですので、できればお二人のそのお知恵を民のために使ってくれませんか? と頼みに行きました。ですが二人は魔術の追求にしか興味のない研究者だったのです。何度も追い返されました。それでもわたしは諦めず、何度も何度もお願いをしにいったのです。やがて二人はわたしに仕えることを考え始め、ついにはサーラ-ンを城塞都市クルドの領主に、そしてエルロンをこの国の宰相にすることを条件に、わたしに仕えることを認めてくれました。」
この時、サーラーンはもう一つ条件を出した。城塞都市クルドの宮中にて魔術の研究を許すということだ。これは当時の国官からは大反対を受けた。歴史と伝統ある神器を祭る宮殿に魔術の研究所を作るとは何事かッ! せめて宮殿の外の私邸でやればよかろう、と。
しかしエカテリーナは強引に話を押し通した。ただでさえサーラーンは研究者としての人生を全うしようとしていたのだ。そこへ何もわからない小娘がきて家臣になるよう言ってきた。領主の仕事は多忙を極め、宮殿から出られない日々が続くことも多い。ならば宮中に研究所を作るくらいは良いだろう。
エカテリーナの隣に立つエルロンは言う。
「実際のところサーラーンは領主として優秀でした。豊富な知識から治水をし、田畑を広げる。城塞都市クルドの領主としての名声は瞬く間に、他の四つの城塞都市とは比べ物にならないものとなっていったのです。しかしサーラーンは領主としては優秀でしたが、魔術師としては天才でした。魔術のこととなるとすぐに寝食を忘れてのめり込む。
……わたしも若いころから魔道を極めんとサーラーンと肩を並べ、この歳になるまで研究を続けました。しかしサーラーンはいつも一歩私の前に行く。きっとあのまま生涯を研究に費やしたとしてもサーラーンに追いつくことはなかったでしょう」
老いた宰相エルロンは自らの顔のしわを撫でながら寂しそうに話す。その風貌は老境のそれだが、実際の年齢は老境どころではない。王から女神の祝福を受けたのが八十代だったというだけだ。即位の当初から仕えていたとなると、実際に生きた年数は三百八十年ということになる。直接王の右手に口づけをした一部の臣下というのは、女神から注がれる気脈が体内に流し込まれるため、まず老いない。
しかしあまりに多くの僕にこの力を貸し与えてしまうと事情はことなる。女神の祝福を受けたものは、さらに別のだれかに右手の甲に口づけさせてこの力を貸し与え、配下になることを要求できる。誰もが不老不死になれるのならと領主や将軍の配下になりたがるが、貸し与えるほうは自分の力が弱まっていくのでおいそれとは与えられない。あまりにも力が薄まると肉体はゆっくりとだが老いていき、いつかは寿命を迎えるだろう。それに貸し与えてくれた上位の相手が落命しても、そこから別れた枝葉の権利は消える。領主が死ねばその部下全員が、王が死ねば国中の全ての祝福が失われる。
それにこの力は奪い取ることもできる。口づけを受けた右の手をもって相手の額に触れればよいのだ。相手より上位者の祝福を受けた者ならばそれが出来る。国家としての仕事を辞するとき、あるいは何らかの理由で放逐されるときにそれは行われる。だが滅多にあることではない。
「サーラーンは良き領主であり、偉大な大魔法使いであり、三百年もの長きに渡ってわたしによく尽くしてくれました。それが……」
それが突然、狂気に走った。
ことが起こったのはひと月ほど前だったという。突如、城塞都市クルドの宮殿から妖魔が大量に溢れ出した。街はたちまち悲鳴に満ち、すべての住民が取るものも取らず逃げ出すこととなった。街には城塞の守備兵もいたが、抵抗もむなしく多くの犠牲を出した。そもそも城塞兵の指揮をとるはずのサーラーンの二人の高弟の姿が見えない。サーラーン自身の姿もだ。これはいったいどういうことなのか?
やがて逃げ出した兵士の中に、あれは使役されている妖魔だと言いだすものが現れた。妖魔の額には魔法文字が輝いていたのだという。サーラーン、と。
エルロンは忌々しげに言う。
「これは気脈のひずみから自然に現れる妖魔ではなく、明らかに禁じられた邪法によって召喚された妖魔の特徴です。なるべく魔力の高い人一人の命を奪い、その苦痛や絶望、体内の気脈や魔力、それら全てを儀式の供物として捧げることによって強制的にひずみを生みだし、異界から妖魔を召喚して魔力で縛る。縛られた妖魔の額には自分を使役するものの名前が現れる。学ぶことが禁じられた邪法ではありますが、知識として伝え聞いた程度なら知っています。サーラーンは禁呪に手を出したのです。邪悪な魔法に。」
エルロンが邪悪と断ずるには根拠があった。禁呪には禁じられるだけの理由があるのだ。少なくともサーラーンは呼びだした妖魔と同数の人間の命を奪っている。それもおそらく魔術師の才能の豊かなものばかり。そのほうがより強い妖魔を召喚できる。
街は多数の妖魔に占拠され、街中の人間が難民として王都に押し寄せた。国や軍は急きょ難民への救援手配をしながらも、何が起こったのか直ちに知るべく飛行騎士隊が急ぎ城塞都市クルドに派遣された。その後の連絡と逃げ出した者たちから集まる情報を寄り合わせてやっと事態が判明した。城塞都市クルドはすでに妖魔の跋扈する魔都と化している。そして領主サーラーン乱心、と。
「それから二週間ほどはまるで経験したことのない大変な騒ぎでした。難民は教会に分散して預かってもらい、避難してきた兵たちとその家族は王城で世話しています。とりあえずそれで急場はしのげましょうけれども、いつまでもこのままというわけにもまいりません。それに……」
わけを知りたいのだと、エカテリーナは言った。今まで三百年も共にやってきたというのに、なぜいきなりこんなことに。
王都の将軍ゼリスのもとに王都守備兵が集められ、編隊を組んで城塞都市クルドに送られた。結果は返り討ち。城塞の上から現れた数百体の妖魔のために六千名の兵が陣形をかき回され、多くの死傷者を出して敗走させられた。サーラーンは結局姿すら見せなかった。
エカテリーナは言う。
「もともと我が国の軍は乱の鎮圧などやりつけないのです。この三百年間は争いらしい争いなどしたことがなかったのですから。妖魔などほんのたまに湧く程度なので、実戦経験のある兵士などごく一部。大半は犯罪者の取り締まりや警備任務しかやったことがないのです」
なるほど、と一輝は思う。これは豊かな国ならではの弊害ということか、と。何も問題のない豊かで平和な国、というのは言葉の上だけで存在するものだ。問題の根というものは尽きることがない。この国の兵士は単純に平和馴れしすぎていて非常時に弱いのだ。それゆえいざ緊急事態が起きると対処できない。経験がないから。
一輝は問う。
「その妖魔は白かったですか?」
「え?」
一輝の問いに、エカテリーナは一瞬顔に疑問符を浮かべ、すぐに臣下の列にならぶゼリス将軍に視線を傾ける。ゼリスは一礼すると一歩前に出、
「たしか白い妖魔が混じっていたと思います。少なくとも数十体くらいはそうであったかと……」
「なら一般の兵士では勝てないのも当然です。妖魔のなかでも白い体躯をしたものはすべてある特徴があるのです。それは普通の鉄の武器などが体表を貫きにくいというものです。戦うなら魔道器を持った魔道騎士か、魔法を使う魔術師でなければ」
これは様々な妖魔と戦った経験則から黒衣に伝えられていることだった。何故かは分からないが白い妖魔には攻撃が効きにくく、総じて強い。雪の国ではこれの最も強いと思われる白棺兵ばかりを召喚されて大変な犠牲者を出した。
乱の鎮圧に失敗し、今度はその後始末に追われて忙しくなった。そうこうするうちに更に一週間が経ち、また事件が起こる。王都に急報が届いたのだ。いわく、城塞都市ラクの神器が奪われてしまった、と。
神器の形は国によってそれぞれだが、水の国でのそれは指輪の形をしていた。それが五個、王都を囲むように存在する各城塞都市に祭られ、気脈を安定させている。水の国では五つとも同じ形をしていて、総じて複雑な魔力文字が彫られており美しい。かつてはその美しさに心を奪われ、五つ全部を王城において眺め楽しんだ王もいたそうだが、すぐに気脈は乱れ作物は枯れ、妖魔が現れるようになった。たちまち民は困窮し、各地で反乱が起きる。そうして死者が死霊山に溢れはじめると黒衣が下りてきて問題解決に手を貸す。
この世界にはいくつか決まりごとというのがあり、それは長い年月をかけて定まっていった。それは破ることはできるけれど、結果はろくなことにならない。神器のことも同じであり、あれは決められた場所の決められた位置に祭られていなければならないのだ。そうでなければ国が荒れる。
「城塞都市ラクの祭壇を襲ったのはサーラーンの高弟、ジャッコとメキドラの二人です。ラクの宮城ではそのとき同時に死霊の軍勢が現れて、街や軍が大混乱に陥ったと報告が来ています。その隙を突かれて指輪は奪われました。二人は指輪を奪うとすぐに姿を消したので、その後どこに向かったかはわかっていません」
ジャッコとメキドラは城塞都市クルドで唯一、サーラーンが女神の祝福を貸し与えた配下であった。かれはこの二人しか不死の配下を作っていない。
その事件でサーラーンの目的が神器と分かり、城塞都市に急報が飛んだ。至急神器の有無を確認し、神器を守れ、と。
「報告はすぐに帰ってきました。とりあえず現時点では神器は無事です。そのあとわたしは王城の秘宝として伝わる魔道器の鏡を使い、死霊山の玲花様に連絡をとりました。事情を話すと雷神様を派遣していただけることとなり、こうしてお呼び立てを……。それと」
エカテリーナは付け加えて言う。
「宝物庫に魔道器の鏡を戻しに行ったときなのですが、そこでわたしたちは宝物庫の書庫が荒らされていることに気付いたのです。あそこは何千年も前から伝わる古い本があるだけで宝物など何もない。そもそもその本に書かれている文字は見たこともない、読めない文字なのです。だから長い間ずっと放置されてきました。それがかなりの数紛失していました」
「読めない文字?」
「ええ。意味のわからない絵や記号が並んでいるだけで、それが本当に文字かも分からない。ひょっとして魔術に関係するものかもしれませんが、いつの間にか失われていました。もしかしたら今回の事件に関係があるのかも」
言われて一輝は考えてみるが、読めない文字と言われてもピンとこない。古い本といえば魔道書などにはよくある話だが、
「ひょっとするとそれが禁呪の召喚魔法と関わりがあるのかもしれません。禁呪は伝承などされていないからどこかで教わることもできませんし、サーラーンはどうやってそれを学んだのか」
「きっとそうにありません、エカテリーナ様」
宰相のエルロンは同意を示す。
「おそらく王都の宝物庫には、とても世に出せない危険なものも隠されていたのでしょう。それをサーラーンめは長い時の中で奪い去っていた。魔道への研究心に耐えられなかっために」
一時までならサーラーンは自由に王城に上がれる身だった。そのくらいのことなら時間をかければやれないこともないだろう。
これで、と一息つきエカテリーナは結ぶ。
「いま我が国で起こっていることの大凡は話し終わりました。それゆえに黒衣殿のお力をお借りしたいのです」
いえ、と一輝はいう。肝心の話がまだだ。
「結局のところ、つまりおれはこの国で何をすれば良いのでしょう? エカテリーナ女王陛下」
単刀直入に聞いた。
するとエカテリーナは少し恥ずかしそうに俯くが、意を決したように顔をあげて答える。
「つまり、あの……。伝説の強さを持つ雷神様に、わが軍が戦えるよう鍛えてほしいのです」