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5-2. 親友

『本当に生きているのだろうな』とはまた困ったね。気付かれているのか、いないのか。或いは知っているのか、いないのか。愛しい嫁に口付けして「今生の別れにはしないよ」と涙ぐみながら暫しの別れを告げ、玄関先の聖騎士と話しながら酒瓶を手に閉鎖領域の上層へと移動する。


「貴公は多忙だろうに。もしや使用人に要らぬ事を吹き込まれて心配させたか?」

「……そうだ。そも、貴様のような人材が官職を拒否し道楽に(ふけ)るせいで多忙なのだ。我らが神の栄光に浴し、軍で責を負う気はないのか」

「向き不向きの問題だ。(まつりごと)は向かぬ。尻拭いの手間が増えるだけだぞ。それとも尻を拭きたいのか? 奇特な趣味だ」


 皮は能力よりも性格に問題があった。僕には当然できるだろうが、愛する嫁を満たすのに忙しい。


「……そうはならぬよう人を付けてやる事はできる」

「愛想をつかされる未来しか視えん。人材がいるなら貴公自身の為に使え」


 軽めに返し、戦いたくはないがと思案しつつ中層を抜け上層へ昇る。

 考えてもみて欲しい。僕自身は決して武断派の勇者や英雄ではない。むしろ単純な武力は劣る部類で、得意な事と言えば善良な市民生活全般だ。嫁と過ごす居室を僕の手で整えるのが楽しくてならない。魔術は蛮族よりは洗練されたものを扱えるし、相性さえ良ければ一方的に蹂躙(じゅうりん)して踊り食いもできる。無防備に臓器を晒した蛮族が相手なら内臓と管に栓をして一方的に刈れる。だが……笑ってくれるなよ、僕はお化けの類が怖い。極めて相性が悪い。下手をすれば手も足も出ない。そして神とはお化けの総元締めのようなものであり、僕では敵わない。嫁の感触と気配が遠くなるにつれ、頭が少しはマシになって来た感覚がある。そうだ、冷静に向かい合わねば。


「時間があるなら久し振りに飲みたいが、勤務中か?」


 清掃は魔術でさっと処理した。最近は使っていなかった私室の食卓に手早く酒器と肴を用意する。上層は通常空間とそれほど大きく変わらない外観を維持している。打ち付けられた窓が異様だろう程度さ。愛する嫁を造り替えた寝室を初夜の記念碑と思えば潰したくなかった。嫁、可愛い。……いや。僕は本当にどうかしている。集中しろ。


「……時間は取ろう。締め出されている我が配下を邸内に入れてくれる気はあるか」

「なんだ、供が見当たらないと思ったら結界に引っ掛かっていたか。急な訪問だが、もてなしてやってくれ。術を解こう」


 要望に応じ、邸外に巡らせた幻惑の結界を緩める。完全には解かず、放心状態を脱した武装した教団兵が入り込んだ後は再び閉める。僕にはカーテンのようなものだ。使用人らには応接を命じておく。どうせ外で引っ掛かるほど精神が弱い者には閉鎖領域の入口すら見えまい。


「待たせた。工房は片付いていないが入ってくれ」

「クディルファ、貴様……」


 拒絶の結界を緩め、聖騎士のみを閉鎖領域内へ招き入れる。昼夜問わず灯している照明術具に照らされた鍛冶に大工、彫金にガラス細工と雑多な仕事道具が散在する工房を目にしても聖騎士に動揺は伺えない。皮と聖騎士は抱擁で迎えるべき間柄なのだが、我々の間には聖騎士から放たれる怒気が満ちている。どう見たってその拳は痛そうだが、仕方ない。甘んじて受ける。


「クダ! なんだ、この有様は!?」

「ぐぅっ」


 胸に貰った一撃はやはり痛い。生まれてこの方で一番いいのを貰った気がする。嫁を置いて来た判断は完全に正しかった。息が詰まり、視界が一瞬飛んだ。仕方のない犠牲である。怒りの鉄拳を避けていたら完全に流血沙汰を避けられなかった。


「私はクダが『戦争奴隷に熱を上げて一月もろくに食事を摂っていない。諌めて欲しい』と聞いていたのだぞ!」

「せめて出した手紙に返信を寄越しておればまだしも、私に便りさえ返さぬとは何を考えていた!?」

「今日に至るまでクダと会う機会を持てなかった私は親友を名乗る資格があるのかと思い悩んだ時間の浪費を返せ、馬鹿者!!」


 ああ、真剣に心配して損した。

 語調は違えど向こうもそう思っているようだが、暴力神に対して深刻に警戒していた僕が実に滑稽で馬鹿馬鹿しく思える。手紙なんて知らないぞ。この男の手紙に返信しないのは自殺志願と同等の愚挙だ、と皮の知識が今更教えてくれる。クダと愛称で呼ばれたので僕からも愛称のレダで呼べ、とも。親友同士の約束事らしい。


「げほ、けほっ……。レダの、手紙? うん、そりゃ申し訳なかった……。食事はしてる……」


 聖騎士と皮は同い年の幼馴染、なおかつ戦友だ。息を整え直しつつ言えば胸倉を掴まれる。不必要に顔が近い。放して欲しいと言ったらおそらく殴られる。


「不健康そうに見えるか」

「顔が」


 ぴしゃりと言われ、どきりとするよりも前に僕は安堵した。


「いや、目付きがおかしい」

「そんな熱病に浮かされた目をするクダは見た事がない。声もふわふわと浮付いている」


 あ、聖騎士は気付いてはいないね。


「嫁が可愛いんだ」


 安堵してしまった僕の自制は酷く脆かった。或いは最初から存在しなかったのかもしれない。聖騎士の拳がもう一発、今度は顔を打った。打たれるなら嫁にされたかったね。殴り飛ばされた僕の耳を小鳥の悲痛げな叫び声が(くすぐ)る。聖騎士が怒れる瞳のまま小鳥を見た。


「彼女がパンナか」

「……き……てはいけない、と言った」


 小鳥の名を知る聖騎士に僅かばかり不快感を覚えつつ痛みに耐え、倒れたまま腕を上げる。魔力を小鳥に向ける。迅速に、しかし丁寧に。小片と言えども愛しい嫁には違いない。


「……ろう!」


 廊下から工房を覗いていた薄絹の夜着を羽織っただけの小鳥が不可視の掌の上に乗せられ、寝室へと連れ戻される。巨人ほどもある念動力の見えざる掌は嫁と戯れるのに重宝する魔術でもある。


「……そうだよ、小鳥だ。愛らしい、大切な、とても大切な嫁だ」


 立ち上がる。既に二発も貰ってやったんだ。一発は僕にも許されよう。聖騎士は布の服しか着ていない僕を容赦なく殴り飛ばしてくれたが、僕には板金鎧の上から精悍な筋肉の塊を殴り付けると言う苦行が用意されている。何と言う理不尽。だが、やってやる。この為に用意しておいた小鳥人形だ。


「君は……嫁を怯えさせたな……?」


 歯を剥き出しにして笑えば、聖騎士が小さく頷き返した。

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