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第二話 庇った日

 もっと昔の話をする。


 学院に入るより、ずっと前のことだ。


   ◆


 レインが十歳になった年、父が死んだ。


 騎士だった。西の街道で魔物の群れに遭い、部隊ごと壊滅した。生きて帰ったのは三人で、父はその三人には入っていなかった。


 葬儀は静かに行われた。参列者は少なかった。少なかったことを、レインは当時、単に父の交友が狭かったからだと思っていた。


 違うと知ったのは、その半月後だ。


 石を投げられた。


「人殺しの子」


 最初に投げた子どもが何と言ったかを、レインは今でも覚えている。


 意味がわからなかった。父は魔物に殺された側だ。人を殺してなどいない。そう言い返すと、その子どもは、大人がそう言っていた、と答えた。


 噂は、こういう形をしていた。


 ——アルディス隊は、逃げた。魔物の群れを引きつけたまま、隣の村を通り抜けて逃げた。だから群れが村に入り、村がひとつ潰れた。アルディス隊が街道で持ちこたえていれば、村の十七人は死ななかった。


 その話は、半分だけ本当だった。


 村がひとつ潰れたのは本当だ。十七人が死んだのも本当だ。だが父の隊が「逃げた」のかどうかを、その場で見た者はいなかった。生き残った三人は口を閉ざした。閉ざした理由も、レインには最後までわからなかった。


 わからないまま、噂だけが残った。


 噂というのは奇妙なもので、確かめようがないほど強くなる。誰も確かめられないから、誰も否定できない。否定できないものは、いつのまにか事実の顔をして棚に並ぶ。


 十歳のレインは、その棚の前に立たされた。


   ◆


 母は働きに出るようになり、家に人が来なくなった。


 近所の子どもたちは、レインを見ると散った。散る、という言い方が正確だった。追い払われるのではなく、こちらが近づくと向こうが自然に薄れていく。悪意ですらないその動きが、一番こたえた。


 学び舎では、隣の席が空いたままになった。


 教師は何も言わなかった。言えばもっと悪くなる、と判断したのだと、大人になってから理解した。当時は、この人も同じなんだと思った。


 半年ほど、レインは誰とも話さなかった。


 話さないことに慣れていくのが、自分でもわかった。慣れるというのは怖いことだ。声の出し方を忘れるわけではない。出す理由を忘れる。


 冬になった。


 村外れの川べりに、大きな柳の木があった。誰も来ない場所だった。レインはそこで、拾った棒を振っていた。


 剣の稽古のつもりだった。教わったことはない。父が振っていた形を、覚えている限り真似していただけだ。真似は下手だった。振るたびに手首が痛んだ。


 それでも振っていたのは、振っている間だけ、頭の中が静かになったからだ。


 その日も振っていた。


 背後で、枯れ草を踏む音がした。


 振り返ると、知らない子どもが立っていた。


 同じくらいの年に見えた。痩せていて、髪に寝癖がついていて、上着の袖が長すぎた。手には木の枝を持っている。レインが持っているのと同じくらいの、なんの変哲もない枝だ。


 子どもはレインを見て、それから棒を見て、それからもう一度レインを見た。


「なにしてんの」


「……別に」


「剣だろ、それ」


 図星だったので、レインは黙った。


 子どもは、ふうん、と言った。そして、なんの前置きもなく、自分の持っていた枝を構えた。


 構え方は、めちゃくちゃだった。


「やろうぜ」


「……は」


「剣。やろうぜ」


 レインは、自分の耳を疑った。


「……お前、俺が誰か知ってるのか」


「知らねえ」


「……」


「知らねえけど、いま暇なんだよ、俺」


 それが、ユート・カルヴァンだった。


   ◆


 結果から言えば、ユートはめちゃくちゃに弱かった。


 三回打ち合って、三回とも枝を落とした。四回目には自分から転んだ。五回目は転んだまま起き上がらず、「疲れた」と言って寝転がった。


「お前、強いな」


 息を切らしながら、ユートが言った。


「弱すぎるんだ、お前が」


「そうかな」


「そうだ」


「まあいいや。楽しかったし」


 ユートは寝転がったまま、両手を頭の下で組んだ。


 冬の空は高くて、白かった。


 レインは、自分がまだ棒を握っていることに気づいて、そっと下ろした。


「……なあ」


「んー?」


「俺の名前、聞かないのか」


「レインだろ」


 心臓が、一度、大きく鳴った。


「知ってたのか」


「うん」


「……じゃあ、噂も」


「聞いた」


 ユートはあっさりと言った。


 寝転がったまま、空を見たまま、あっさりと。


 レインは、次に何を言われるのかを待った。待つ間に、体のどこかが冷たくなっていくのを感じた。慣れていた。この後に来るものには、もう慣れていたはずだった。


「でもさ」


 ユートが言った。


「あれ、嘘だろ」


 レインは、ユートの横顔を見た。


 彼は空を見ていた。こちらを見ていなかった。だから彼の目に何が浮かんでいたのかは、わからない。


「……なんで、そう思う」


「なんとなく」


「なんとなく?」


「うん」


「……根拠は」


「ないよ」


 ユートは笑った。


「ないけどさ。噂してる奴らの顔、見ててさ。あいつら、楽しそうなんだよな」


 レインは、息を止めた。


「悲しいことがあったら、悲しい顔するだろ、普通。十七人死んだんだろ。なのにあいつら、その話するとき、なんか楽しそうなんだ。おかしくねえ?」


「……」


「だから、嘘だと思った。それだけ」


 枯れ草が、風で鳴った。


 レインは、口を開こうとした。開いたが、何も出てこなかった。半年ぶりに使おうとした声は、思ったよりずっと錆びついていた。


「あ」


 ユートが急に起き上がった。


「言っとくけど、俺、お前の味方とかじゃねえからな」


「……え」


「味方って言うと、なんか、責任みたいなの発生するだろ。俺そういうの無理だから」


「じゃあ、なんだ」


「暇なだけ」


 ユートは枝を拾い上げ、また構えた。


 やはり、めちゃくちゃな構えだった。


「明日も暇だから、来る」


 そう言って、彼は打ちかかってきた。


 レインは、それを受けた。


   ◆


 ユートは、本当に翌日も来た。


 その次の日も、その次の日も来た。


 毎日ではなかった。三日に一度、来ない日があった。来ない理由を訊くと「寝てた」と答えた。それは学院に入ってからも、まったく変わらなかった。


 彼は一度も、噂の話をしなかった。


 レインを励まさなかったし、慰めなかったし、大丈夫だと言わなかった。ただ、毎回めちゃくちゃに弱く、毎回楽しそうに転んで、毎回「明日も暇だ」と言って帰った。


 春になる頃には、レインはまた声を出せるようになっていた。


 その頃には、村の子どもたちの何人かも川べりに来るようになっていた。ユートが誰彼構わず声をかけたせいだ。「あいつ強いから、やってみろよ」と、まるで珍しい石でも自慢するように。


 噂が消えたわけではない。


 棚に並んだものは、そう簡単には降りてこない。今でも、レインの名を聞いて一瞬だけ表情を変える人間が、この国には何人かいる。


 ただ、川べりだけは違った。


   ◆


 一度だけ、こんなことがあった。


 夏の夕方だ。二人で川に足を浸していた。


「なあレイン」


「なんだ」


「お前、大人になったら騎士になんの」


「なる」


「即答かよ」


「決めてる」


「……親父さんみたいに?」


 レインは、水面を見た。


 足首のあたりで、水が割れて、また閉じていた。


「……違う」


 嘘だった。


 ユートが、こちらを見た。


 しばらく黙っていた。それから、水を蹴って言った。


「お前さあ」


「なんだ」


「嘘つくとき、目が泳ぐんだよ」


 レインは、思わず自分の目元に手をやった。


「泳いでない」


「今も泳いだ」


「泳いでない」


「泳いだって」


 ユートは声を上げて笑った。


 笑いながら、水を蹴って、レインの顔にかけた。


 レインもかけ返した。しばらく、二人でそうしていた。


 夕日が川面で割れて、細かく光っていた。


   ◆


 それから十年以上が過ぎた。


 レインは騎士になった。ユートは、詰所の書類係になった。


 二人の道の幅は、笑えるほど違ってしまった。学院の三年間で、それは決定的になった。ユートは剣を覚えなかったし、覚えようともしなかった。

 

 彼が最後から三番目で卒業した日、レインは何も言わなかった。


 言えなかった、というのが正しい。


 あの冬の川べりのことを、レインは誰にも話していない。


 フィーナにも、ノエルにも、バルド団長にも。


 訊かれたことは何度もあった。なぜあいつと一緒にいるのか、と。そのたびにレインは「幼馴染だから」と答えて、それ以上は言わなかった。


 言えば、たぶん、こう返される。


 ——それは昔の話でしょう。


 その通りだった。昔の話だ。


 だからレインは、いつも同じところで言葉を止める。


 止めたまま、二年が過ぎた。

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