第2章-⑭ ~ズレた一票と祖母の作法~
第2章は全14話(①〜⑭)予定です。
マンガはこちら(第2章-①②③)
https://note.com/lush_plover1590/n/n336a21ab9b03
教授会の翌日。空は抜けるように晴れていた。柳澤と凛は学内のカフェテリアでコーヒーをすすっていた。
「……終わりましたね」
紙コップを指先で回しながら、凛がぽつりと言う。柳澤は眉をひとつ上げた
。
「何が?」
「選挙ですよ。研究科長選」
「ああ、それ。ま、実に人間的な投票劇だったな」
「人間的って、どういう意味ですか?」
「動物的とも言う。疑心暗鬼、空気読み、信頼と裏切り、で、最後は〝おばあちゃん〟の一言が流れを変える」
凛は苦笑した。「大迫先生のこと、ですか?」
「うん。あの人、実は『学部の祖母』だったんだな。祖母仮説的にいうと、繁殖を終えた個体が、若者の成功確率を上げるためにエネルギーを割くっていう……教授たちを動かしながら、彼女の行動は文学部の若い学生たちの育成に繋がっているんだ」
「個体って。人間に使う言葉じゃないですよ」
「まあまあ。人類も所詮、長寿型の社会性霊長類だ。言葉が通じるサルの一種でもあるんだよ」
「……で、柳澤さんご自身は、祖母仮説って実感あります?」
柳澤は一瞬、口元を引き締め、やがて遠くを見つめるように言った。
「うちの祖母がさ、まあ、印象的な人でね。俺が中学のとき、部活のケガが原因で学校に行けなかったのがきっかけで、引きこもった時期があったんだけど─そのとき毎日、祖母が部屋の前に『お昼ご飯よー』って弁当置いてくんのよ。俺は部屋から出られなくて、でも、おばあちゃんの作る卵焼きだけは好きだったから、そっと扉を開けて食べる。で、食べ終わったら黙って弁当箱を外に戻す」
「……おばあさんは何も言わなかったんですか?」
「うん、何も。二週間、毎日それ。で、ある朝だけ『今日は天気がいいから、庭の花がきれいよ』って言ったんだ」
凛はうなずいた。「それで?」
「俺は玄関の外に出た。……で、案の定、雑草だった」
「えっ?」
「庭の花って、そんなのなかったから。いやまあ、一応、咲いてたけど。草と変わらないようなやつ。でも、なんかその適当なやさしさがちょうどよかったんだよな」
凛は目を細めて笑った。
「大迫先生と似てますね。指示じゃなくて、含みで人を動かす」
「そうそう。庭の花が咲いたってだけで、部屋から引っ張り出す力がある。祖母ってのは、そういうもんだ」
「……柳澤さんも、誰かにそういう力を使ったことあります?」
「ないない。俺は観察専門。祖母力はゼロよ」
そう言って肩をすくめた柳澤に、凛はいたずらっぽく微笑んだ。
「じゃあ今回の報告レポートは、どうまとめますか?」
「タイトルはこうだな─
『ズレた一票と、祖母の作法』。サブタイトルは、『共同繁殖型知的集団における静かな影響力の研究』」
「論文っぽいのか、エッセイっぽいのか、はっきりしてください」
「じゃあ、やっぱりサブタイトルはこうかな。
『だいたい全部、おばあちゃんのおかげ』」
「それは……レポートじゃなくて、完全に柳澤さんのエッセイですね」
コーヒーの香りと笑い声が、午後の光の中に溶けていった。




