第51話 母なる泉 1
朔夜の音楽に運ばれて静湖が辿りついたのは、山中の滝つぼだった。
一目で、神聖な場とわかった。
滝は白銀のしぶきをあげ天のごとき高みから注ぎ、山林は高々とそびえ青い影を落とす。滝の奥には洞窟が見え、滝つぼは小さな神殿として祀られるかのように、水辺に石像が並んでいた。音の流れを表す石像のようだ。
静湖を運んできた朔夜の音楽は、滝の音にまぎれ薄れていった。
代わりに、静湖がはじめに追ってきた青の響きが、あたりに満ちているのがわかった。
静湖は靴を脱ぎ、静かに滝つぼに足を踏みいれた。水面にスカートがふわりと広がる。水をすくい、泥だらけの顔を洗った。清々しい水と空気に心まで洗われる気がした。
そのまま滝のほうへ泳ぎ、体をあおむけて水面に浮かび空を見た。
たゆたいながら、心が歌う。静湖の中に流れる、静湖そのものの歌を。その歌は、あたりに満ちる青の響きによくなじんで溶けあった。
青い鳥が木立のほうから飛んできて、静湖の上に遊んだ。静湖は目を閉じ、鳥の心を知ろうとする。自分も鳥も、水も風も木々も、すべてがひとつになって命を呼吸しているのが感じられた。
そのうちに、肩に優しく手を置かれた。
「静湖」
目を開くと、顔をのぞきこまれていた。
「お母さん」
瞬きをしても母の姿は消えなかった。肩をつかむ手も確かなものだった。
静湖は泳いで体を起こす。隣に、真っ白な巫女装束の母が、青い髪を水面に揺らし、人魚のようになめらかに立ち泳ぎをしていた。
静湖が母に飛びついたのか、母が静湖を抱きよせたのか。
二人は言葉もなく、水の中でしばし強く抱きしめあった。
*
母、更紗にいざなわれ、静湖は滝をくぐり奥の洞窟へ立ちいった。数人が入ればいっぱいになる狭い洞窟だが、最奥には立派な石の祭壇があり、龍の像が鎮座していた。
静湖は岩壁のくぼみに更紗と隣りあって座った。
小さくくしゃみをすると、更紗が手を握ってくれた。
「私たちは今〈宙〉の存在だから、なんでも思いのままです」
握られた手から温もりが広がり、体と服を乾かしていく。
更紗はそっと静湖の名を呼び、じっと見つめてきた。
「ごめんなさい。寂しい思いをしたでしょう。幼いあなたをおいて、私がこちらに居を移してしまったこと」
「お母さん……どうして」
やっと言えた言葉だった。更紗は静湖の手を握ったまま、憂いを帯びたまなざしで目を伏せた。
「あなたのお父さんに、会いたかったの」
「お父さん……?」
「青の〈流〉と言えばわかるかしら」
静湖は大きく目を見開いた。
「僕のお父さんは青の〈流〉なの? あのね、他の〈流〉に言われるんだ、僕の名前は〈青流〉、青の〈流〉だって……」
「静湖。青の〈流〉とはかつての流王陛下のこと。私は死にかけていた流王陛下をこの身に宿し、産んだのです」
はっきりと語る更紗は、神話の人物のようだった。
更紗はそれから静湖の手の上に手をそろえ、まっすぐに体を向きあわせた。
「この地は、私があなたを宿したときに〈宙〉に呑まれた聖域です。本来なら音と影がゆらぐだけの世界ですが、今は私が形あるものを司っています。時間はあまりありません。話を聞いてくれるかしら、静湖──流王陛下をいかに私が継承したか」
静湖がうなずくと、更紗は祭壇のほうへ片手を伸ばした。
その先に透明な球が現れ、なにかを映すようにゆらめいた。
「それは陛下がひとつの命を終えたときのこと。あなたのもうひとりのお父さん、波空の王太子であった天海と、私の友となった御影がこの地にやってきた三日間のお話」
透明な球はそのまま洞窟いっぱいに広がっていき、淡い幻影を現した。
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