30.「ですが、それと同時に人を愚かにもします。暴走もさせます」
「基本的なことを言うのならば、妻帯者に言い寄るのはマナー違反だ。それに、たとえ俺と妻の結婚生活が上手く行っていなくても、エイリーン嬢には関係ない」
冷たい声でそう言って突き放せば、エイリーンはぽろぽろと涙を零し始めた。やはり、彼女は打たれ弱いらしい。それに内心でため息をつき、ルーシャンは「じゃあ、俺は戻る」と言って踵を返そうとする。が、その手首をエイリーンが掴んだ。それに、露骨に驚いてしまう。
「わ、わたくしの力を示せば、ルーシャン殿下はわたくしを見てくださいますか?」
どうして、こんなにも諦めが悪いんだ。そんなことを思い、内心で舌打ちをした後「さぁな」とだけ素っ気なく言葉を返しておいた。その可能性は、限りなく無に近い。しかし、これ以上騒ぎを大きくされたくなかった。そういう意味も含めて、ルーシャンは適当に相槌を打ったのだ。
「……分かりました。では、わたくしがいかにルーシャン殿下に相応しいか、示させていただきますわ。ごきげんよう」
淑女の一礼を披露し、エイリーンは連れてきたのであろう侍女と共に王城を出ていく。それにホッと一息つくものの、一体どうやって示すというのだろうか。少なくとも、エイリーンに特殊な力はないはずだ。それに、ドロシーよりも興味がそそられるとは、考えにくい。
(……面倒な奴に、捕まったな)
ああいうタイプは優しくすればつけあがる。まぁ、優しくするつもりなど微塵もないのだが。それが分かるからだろう、ダニエルが後ろでため息をつく。そのため息を聞きながら、ルーシャンは部屋に戻ろうと歩き始めた。
「殿下」
「どうした」
部屋に戻ろうと歩いていると、不意にダニエルが声をかけてくる。それに端的に言葉を返せば、ダニエルは「エイリーン様は、どういう行動を取るのでしょうか?」と問いかけてきた。……そんなもの、知る由がない。表情だけでそう伝えれば、ダニエルは少し表情を歪めた。
「……ああいうタイプは、ろくなことをしませんよ。あんな適当な返事をしておいて、大変なことになったら……」
「そこまではしないだろ。それに、そんな度胸などないはずだ」
すたすたと歩きながらそう言葉を告げれば、ダニエルは「恋は」と小さな声で言った。ダニエルから恋などと言う単語を聞くのが意外過ぎて彼の方向を振り向けば、彼は「……恋は、人を強くします」と続けた。
「ですが、それと同時に人を愚かにもします。暴走もさせます」
「……何が、言いたい」
「いえ、この予感が嫌な予感のままで済むことを、願っているだけです」
全く、歯切れの悪い言い方だな。そんなことを思いながら、ルーシャンは「大丈夫、だろ」と言葉を発した。その声には何処となく自信が持てない。それは、どうしてなのだろうか? そんなもの、簡単である。ダニエルの言葉が、胸に突き刺さったから。
(……嫌な予感、か)
思い込みの激しいエイリーンの行動は、確かに読めない。公爵家の権力を振りかざすくらいならば、まだ許容範囲かもしれない。だが……もしも、聖女の力を悪用しようとすれば? その場合、別の人間たちにも被害が行くのではないだろうか。
「……おい」
その可能性が思い浮かび、ルーシャンは少年従者に声をかける。そうすれば、彼は「は、はい!」と慌てたように返事をした。どうやら、呼ばれるとは思っていなかったらしい。
「エイリーン嬢の監視を、してこい。あの調子だと、何を起こすかが分からない」
首を横に振りながらそう指示を出せば、彼は「承知いたしました!」と言って慌てて駆けていく。……一応、念には念を。
(聖女の力の悪用は禁じられているし、厳しい罰がある。そんなバカなことをするとは、思いたくないが……)
ダニエルの「恋は人を愚かにする」と言う言葉が、胸に突き刺さってしまう。その所為なのか、不安が尽きなかった。それに、一番嫌なのは……ドロシーに攻撃すること、かもしれない。
(なんだかんだ言っても、情が移ったのか)
ドロシーと過ごすうちに、彼女に情が移ったのだろう。そう判断し、ルーシャンはまた歩き始める。この感情は、情に決まっている。一時期でも婚姻していた相手への、情。だから決して、この感情は恋などではない。そう自分に言い聞かせ、ルーシャンは目を瞑った。
(エイリーン嬢なんかよりも、ずっと……)
その先の気持ちは、言葉にしたくない。言葉になど、出来るわけがない。実感したくない、気持ちだから。……何故ならば、やはり自分だけが意識をしているというのが、なんとなく悔しいのだ。
おもむろに手を握り、ルーシャンはダニエルに「……一応、母上に報告しておくか」と声をかける。
「……そうで、ございますね」
「エイリーン嬢、馬鹿な真似はしないといいけれどな」
自分の心の中に渦巻き始めた嫌な予感を誤魔化すように、ルーシャンは部屋の扉を開いた。……ドロシーへの気持ち、エイリーンへの不安。尽きない悩みに、頭が痛くなってくる。それでもきっと――いつかは、消えるはずなのだ。この二つの悩みは。




