堅物騎士は、旅行について思いを馳せる
「しかし父上。私達は今、旅行に行っている暇はないのです」
王の菜園の事業に加えて、ソレーユを受け入れる支度、社交界の人々との付き合い、それからコンスタンタンとリュシアンの結婚式の準備もある。
「仕事だって、山積みで――」
「いつ休んだ?」
「え?」
「二人揃って、ゆっくり休んだのは、どのくらい遡る?」
コンスタンタンはグレゴワールの問いに答えられない。
「休んでいないだろう?」
「……はい」
「お前だけではない。リュシアンさんもだからな」
グレゴワールの指摘に、コンスタンタンはハッとなる。
「コンスタンタン、お前が働きまくるから、リュシアンさんも休めないのだ。私はしきりに言っていただろう? たまには、ゆっくり過ごしたらどうかと」
確かに、グレゴワールはコンスタンタンに休むよう、声をかけていた。しかしコンスタンタンは、のんびり屋の父親が言う言葉だと思い、まともに取り合っていなかったのだ。
「私は、なんてことをしていたのか……!」
「気付いたのだったらいい。これからは、週に一度は何もせずに、ゆっくり過ごせ。この、私のようにな」
グレゴワールは胸を張り、誇らしげな様子を見せる。そんな父親を、コンスタンタンは胡乱な目で見つめていた。
「コンスタンタン! なんだね、その目は!?」
「いえ、父上は、いつでものんびりゆっくりしていたなと、思って」
「失礼な。私がのんびりゆっくり生きているのではなく、コンスタンタン、お前がせかせか生きているだけだ」
「そうでしたか」
そういうことに、しておいた。
「それはそうと、父上、突然旅行と言われましても、どこに行けばいいのやら」
「コンスタンタン。世界は広い。旅行先など、いくらでもあるではないか」
そう言われても、思いつく旅行先などない。
「旅行は貴族の娯楽だというのに……」
通常、貴族は二月から始まる議会をきっかけに、王都に集まる。そこから、社交期が始まるのだ。それ以外のシーズンは領地で過ごし、旅行に行ったり、乗馬に狩り、釣りをしたりと娯楽に興じる。
一方で、アランブール伯爵家は王都郊外に屋敷と小さな領地を持つ。社交期以外も王都にいて、王の菜園を守らなければならない。そのため、一般的な貴族の娯楽とは、縁がなかったのだ。
「馬車が通れない、石造りの村はどうだろうか? それとも、地中海を臨める街で、夕日を眺めるとか。ああ、ワインの名産地もいいな!」
「父上のほうが、旅行に行きたいようですね」
「いいや、私は久しぶりに、騎士隊に復職するからな! 見事に、隊長を務めてみせよう。旅行に行くのは、コンスタンタンとリュシアンさんだ!」
グレゴワールは新婚時代、コンスタンタンの亡き母としばしば旅行に行っていたらしい。
病弱だった母の療養も兼ねていたようだが。そのため、紹介してくれる行き先は観光地ではなく、のどかな田舎ばかりなのだろう。
いつか、グレゴワールとリュシアンと三人で、旅行に行けたらいいなと、コンスタンタンはぼんやり考える。賑やかなグレゴワールがいたら、きっと楽しいに違いない。
「さあさあコンスタンタン、どこに行く?」
「でしたら、アンの里帰りでも……」
「フォートリエ子爵領に行っても、迷惑になるだろう。リュシアンさんも家族とお前の間に挟まれて、気が休まる暇もなくなる」
「なるほど、そうですね」
そうなれば、グレゴワールが話していた田舎の町にでも行こうか。そこまで考えて、ふと我に返る。
「父上、婚前旅行は、許されるのでしょうか?」
「別に、部屋を一緒にするわけではないから、問題ないだろうが」
ロザリーも連れて行くので、二人きりというわけでもないという。
「気にせず、好きな場所に行くといい」
「好きな場所……」
ふと、記憶の中で鮮やかなルビーレッドの花に覆われたレンガの家を思い出す。それは、幼い頃の記憶だった。
「父上、私が小さいときに一度、旅行に行きませんでしたか?」
「旅行?」
「家が花に覆われた、美しい村です」
「ああ、ああ! あったな! コンスタンタン、あれは、ブーゲンビリアだよ」
ブーゲンビリア――秋に開花させる美しい花だという。
「あれは、お前の母さんの実家がある街だ」
「母上の?」
「ああ。そうだった。一度だけ、お前を連れて行ったな。確かあれが、最後の訪問だった」
コンスタンタンの母の具合が悪くなってからは、馬車で五時間の距離の移動も難しくなっていたようだ。
「母さんが亡くなってからは、すっかり疎遠になってしまって……。今の時季はミモザ街道の花が美しいと、私に語って聞かせてくれたよ。もう一度、連れて行きたかったのだが」
夏は暑く、冬は暖かい。そんな穏やかな気候だったという。
「父上、アンとの旅行は、母の実家がある街にします」
「え?」
「母の遺品を持って行って、ミモザの花を見せてあげようかなと」
「コンスタンタン、いいのか?」
「はい。アンも、ミモザの花が好きだと話していたので、喜ぶでしょう」
「そうか! だったら、そうしてくれ。天国の母さんも、きっと喜ぶだろう」
「はい」
なんだかしんみりとしてしまう。
生きている間に母親孝行はできなかった。せめてもの、償いである。




