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8話 あくる夏の日、いつものデート

 ――それは私がまだ幼稚園児だった頃。ある日、二匹の三毛猫が我が家の裏庭に現れた。


 二匹のじゃれ合いはとても可愛かった。そして、常に心を通わせ寄り添い合うその姿はとても綺麗だった。だから私は二匹を描いた。絵本の中のお姫様と王子様のような、仲睦まじい恋人のような二匹を、お父さんから貰ったスケッチブックに何度も何度も描いていた。愛用していた12色入りのクレヨンは、明るい色ばかりがすり減っていった。

 私はその遊びにいつまでも飽きなかった。だって二匹は色んな姿を見せてくれたから。

 裏庭で二匹一緒に寝起きする姿。どこかから拾ってきたボールで遊ぶ姿。ある時は公園を散歩して、ある時は塀の上で追いかけ合う姿……。

 明日はどんな姿が見れるのだろうと、毎日楽しみにしていた。


 ――私の中の、色褪せない光景だ。


◇■◇


 白が歩と付き合ってから3か月ほどが経った。慌ただしかった始まりに反して、ふたりの仲は順調に続いていた。

 高校と中学という違いこそあれど、お互いに土日休みがしっかりある帰宅部の身。だから何度もデートできたし、実際にしてきた。そして今日もまたデートの日だった。


 と、いうわけで。

 白は家でデートの準備をしていた。準備と言っても適当なズボンとTシャツに着替えて必需品を持ち出すだけで大体終わるのだが。

 というわけで白はさっさと家を出てデートに向かう……その前に、一度"アトリエ"へと寄った。白の家である一軒家の隣には、彼女の父が所有しているアトリエが建っているのだ。白の父親は画家であり、たった今も自分のアトリエで作品作りに勤しんでいるはずであった。

 白はその父親に一言挨拶しようと、アトリエに足を踏み入れて……父はすぐに見つかった。

 アトリエの一室にして作品を生み出す中核でもある、父専用の作業部屋。そのど真ん中に置かれた真っ白いキャンパスを前にして、ひとりの男が仰向けに寝転がっていた。

 脱色された白い髪。大きく若々しい目。そして痩せ気味の角ばった顔つき。どうにも年齢不詳のその男が、


「何してるんですか。父さん」


 白の父親だった。

 彼は白の言葉に対して寝転がったまま、気だるげな返事を返してきた。


「休んでるぅ」

「あっそ……私、ちょっと外行ってきますから。今日は母さんもいないし、鍵は掛けときますからね」

「ふーん……今日も例の子とデートかい?」

「そうですよ。今日はショッピングモールです」


 白は事もなげにそう答えた。父にはすでに歩とのことを(ごっこ遊びであることも含めて)おおよそ話している。べつに隠すようなことでもなかったからだ。

 だが芸術家の父にとって、娘が女と付き合っているという事実は(たとえ遊びであっても)興味を惹くのに十分な事案だったらしく、たまにこうして近況を尋ねてくるのだ。そして今もまた、彼は白の報告に弾んだ声を上げていた。寝転がったまま。


「ほう! デートスポットと呼ぶには少々日常的過ぎるが、若いとむしろそういう方が映えるかもね。かけがえのない当たり前というやつさ! それにしても女の子同士か……今度のテーマはそういうのもありだな!」

「言っときますけど、モデルとかはやりませんよ」

「えー、白のいけずぅ……あ、そうだ。その彼女さんにもチラシ渡しといてよ」

「チラシってなんですか」

「広告ぅ」

「なんの広告かって聞いてるんですよ……」

「えー、親のことなのに知らないー? 2か月後ぐらい? だっけ。たぶんウチで個展開くからほら、そのチラシ」

「あなたこそ、自分の個展なのに扱いが雑過ぎるのでは……」

「いいのいいの。雑に生きられるってことは人に恵まれてる証拠さ。とにかくよろしくー、そこら辺の机に余ってるから。あ、そうだ。個展ある日は僕もここいるし。せっかくだし紹介してよ」

「えー……」


 文句を言いながらも、白はチラシを見つけて手に取った。そこには確かに個展開催の知らせが描かれていた。

 それから再び父を見た。父はタオルを目の上に乗っけていびきを掻いていた。タオルは、絵の具で汚れていた。


(普通に家の恥だ……)


 白は歩の顔を思い浮かべる……なんとなく、会わせたくない気がした。だからチラシを元のところに戻そうとして……不意に父が尋ねてきた。

 

「あ、そうだ白」

「はい?」

「まぁチラシは好きにしていいけど、それはそれとしてその日は予定空けといてね? 手伝ってほしいからさ」

「えぇ、めんどくさ……まぁ考えときますよ」


 そう言いつつも、白は結局チラシを手放さないまま部屋を出るのだった。


 ◇■◇


 アトリエを出たあとは真っ直ぐ待ち合わせ場所へと向かった。今日は雨が降っているので、近場のショッピングモールをデート場所に選んでいる。

 白がショッピングモールの中に入ると、入り口近くのベンチに待ち人の姿があった。歩だ。ベンチに腰かけて本を読んでいる彼女の姿を見て白は思った。


(今日も先を越された)


 デートの際、歩はいつも白よりも先に来ている。

 あるときそれに気づいた白は、それから回数を重ねるごとに待ち合わせよりも10分、15分、20分……と少しずつ行く時間を早めてみることを試みてみたのだが、どうしても歩の方が早かった。ちなみに今日は待ち合せよりも30分早く来ているのだが、やっぱり歩の方が早い。

 次はいっそ1時間ずらしてみようか。そんなことを考えながら、白は歩に声を掛けた。


「歩さん」


 歩はその声を聞いて白に顔を向ける。白と目が合った瞬間、歩の表情がぱぁっと華やいだ。


「白!」

「待たせましたね」

「ううん、全然」


 そう言いながら歩は立ち上がり、彼女の方から白へと小走りに近づいてきた。彼女の下半身、はためくスカートを見て白は気づいた。


(また新しい服だ)


 歩が上に着ている花柄のブラウスは、確か初デートのときに着ていた物だ。だが下のスカートは過去のデートを振り返ってみても記憶になかった。

 そしてその下、歩の履いているプリーツスカートは、形状こそ学校の制服にも使われているものとかなり似ている。しかし学校のそれよりも、丈がかなり短かった。必然的にがっつり露出する生足へと目を向けながら白は歩に言った。


「そのスカート、初めてのやつですね」

「わっ、よく覚えてるね。……似合う?」

「いや、まぁ似合いますけど……短くないですか? 膝どころか太ももまで見えてますけど」

「えへへ。ほら、うちの高校じゃここまで短くすると校則違反だし……ちょっとした挑戦? みたいな。……僕なんかには、大胆過ぎるかな」

「確かに大胆過ぎますね」


 白がそう言えば「だよねぇ」と、歩が少しがっかりした様子で呟く。しかしそれを見計らって白は言葉を付け加えた。


「しかし、大胆だから新鮮です。あなたの眩しい一面が強調されてるようで可愛いですよ」

「本当!?」


 ほんの0.5秒。たったそれだけで歩の表情ががらりと変わった。輝きに満ちたその表情を見て、白も口元を綻ばせる。


「ええ。無防備な白い肌が文字通り眩しいですよね」

「白、その言い方はちょっと……」


 そう言って歩は股をきゅっと閉じて、文庫本で顔を隠してきた。


(可愛らしいリアクションをするようになってまぁ……)


 パンツ見られて硬直していた時代も、あれはあれで良さがあったのだが。過ぎ去った情景を懐かしみつつ、今度は歩の手元の本へと目を向けた。

 サイズはいわゆる文庫本。そして本を保護する布製のブックカバーには真っ青な快晴に掛かる虹が描かれている。だからその中身は一見しただけでは分からないはずだが、


「ところでそれ、何巻まで読みました?」


 白はタイトルに触れることなくその話を切り出した。なぜなら白には、歩の読んでいる本が分かっているからだ。

 なにせその本もブックカバーも、白が歩に貸した物である。

 2週間前、白は全10巻のシリーズ物の小説を歩に貸していた。それは白にとってお気に入りの小説だった……が。ぶっちゃけると、一般的には名作……というよりも怪作と呼ばれるような類だったから。


(おそらく、まだ2巻か3巻……いや、1巻目すらあり得る。まだ投げられないだけマシ……)

 

 そうやって"アタリ"を付けていた白だったが、歩の口から出たのは予想外の返事だった。


「今はねー、5巻の中盤ぐらい。えっと、急に推理物始まりだしてびっくりしたとこ」

「あ、もうそこまで読んでたんですか? えっと……その推理なんですが、意外と本格的で多分またびっくりしますよ」

「びっくりしたの? 白が?」

「私だって驚くことくらいありますよ。実は今だって驚いてます」


 目の隠れた無表情で淡々と言っても説得力はなく、歩は当然疑わしげな表情を見せてきた。


「驚いてるように見えないけどなぁ。ていうか、驚くところあった?」

「正直、ここまでペースが早いとは思ってなかったです。その小説自体、かなり癖強いし……」

「そうかな? そうかも。でも面白いからついつい読み進めちゃうんだよね……なんか色々ごった煮な感じが好きなんだ。2巻の恋愛とかすごいドキドキしたよ! 結構過激だったとも思うけど……あと4巻のビルぶっ壊れる中でのアクションとかも超燃えたし!」

(あ、意外と話が分かる人なんだ。それにこの本が読めるんなら……思ってたよりも、読書好きなのかも)


 脳内でこっそりと付けてる歩観察日記(本人の許可はもちろん取ってない)にまたひとつ書き込みを加えながら白は言葉を返す。


「そうそう。毎回ジャンルが変わるんですけど、ひとつひとつにちゃんと力が籠ってて私も好きなんですよ。ま、文章含めてアクが強いから世間の評判だって良くも悪くも……といった感じだったので少し心配だったんですが、どうやら杞憂だったみたいですね」

「えへへ……ぱぱっと読んじゃうから、そしたらもっと小説の話しようね!」


 歩が幸せそうな笑顔を見せて、白は不意に気づいた。


(そういえば、人とこうやって感想言い合うのって初めてかな)


 自然と口元に笑みが浮かぶ。淡々とした声音にだって、ちょっとした抑揚が生まれていた。


「"ぱぱっと"よりも、"じっくり"でいいですよ。その方が深い話もできるでしょうし……私だって、小説は自分のペースで読みたいですから」


 白は、髪に隠れた瞳を閉じて空想する。自然と浮かんだ情景をゆっくりと語っていく。


「穏やかな午後の昼下がり。窓から差し込む日が暖かくて、窓を開けるとたまに涼しい風が入ってくるそんな時期。自分の部屋の、自分に馴染んだ椅子に深く腰を下ろして、傍らに一杯の珈琲と茶菓子をお供にじっくりと文字の羅列を追いかける……気づいたらすっかり辺りが暗くなってて、そういうときに充足感みたいなのを感じたりするんです」


 白がそう言ってから瞳を開けると、目の前には歩の優しい微笑みがあった。そして彼女が発した声もまた、優しさのこもった音色だった。


「小説、好きなんだね」


 それを聞いて白の脳裏に"?"が浮かんだ。今更その事実を口にすることになんの意味があるのだろうか。


「まぁ趣味の一環ではありますが……言ってませんでしたっけ? あなたに本を貸すときに話したような気がするのですが」

「うん。白の言う通りなんだけど、なんか……改めて実感したっていうか……」

「?」

「あ、いや白のことを疑ってたわけじゃないんだけどね!? その、むしろ嬉しくて! ってなに言ってんだろ僕……」

「??」


 歩の言動の大半が白には理解できなかったが、しかし反応の方でなんとなく理解できたこともある。これこそ、今更と言えば今更だが。


「あなた、私のこと本当に好きなんですね」

「はひぇ!?」


 白の眼前、あっという間に歩の顔が赤くなった。


「な、なに言って」

「え、否定するんですか?」

「し、しないけどぉ……」


 今度はもじもじして、それから。


「ていうか、今さら……? もしかして僕の告白、本気にしてなかった……?」


 最後は不安げに、白を上目遣いで見上げた。彼女は挙動からしてとても正直で、ひとつひとつの仕草に想いがこもってる。なんとなくそう思いつつ、


「そんなことありませんよ。ただあなた風に言えば……そう、実感したというか……あっ」

「あっ?」


 ようやく分かった。さっき歩が言っていた言葉の意味が、ようやく分かった。


(私が小説について長々喋ったから、この人は私の趣味を実感したのか。嘘をついていないという証拠、というよりも……重みかな。単なる情報とはまた違う……なるほど、悪くない心地。安心? いや、嬉しい……?)

「しーろー?」


 歩に名前を呼ばれて、白はようやく物思いにふけるのを止めた。それから正直な気持ちを歩に告げた。


「いえ、おかげさまで貴重な経験ができたなと。ありがとうございます」

「貴重?」

「ええ。ま、そんなことよりも」


 白は唐突に、歩の手を取った。自分の手よりも少しだけ小さいその手をしっかり掴んで、それから一歩前に出た。


「立ち話だけじゃデートになりませんし、まずは本屋にでも行きましょうか。私のおすすめ、もっと教えてあげますよ」

「ほんと!?」


 白の言葉に表情を明るくする歩。だが彼女は繋がれる手を見てなぜかむっと眉根を寄せ、それから前を向くと、大きな一歩を踏み出しながら。


「じゃあ行こう!」


 その声を合図に、白の体がくっと引っ張られる。白が前を見ると、自分より頭ひとつ分小さい少女が自分の体をぐいぐい引っ張っていた。その光景に、白は目を細めて。


「そうですね、行きましょうか」


 言うや否や、歩を抜き去り前に出た。歩よりも長い足、広い歩幅を存分に活かせば容易いこと――と、白の体が再び引っ張られる。引っ張っているのは歩だった。再び目の前に現れた背中を見ながら、白は思う。


(この人は、やっぱり意地っ張りだ)


 歩観察日記にまたひとつ、記述が加わった。


(もう少し試してみたいけど、さすがにちょっと可哀想かな)


 だから大人しく引っ張られてあげることにする。

 白は、現状を楽しんでいた。歩との日常を、楽しんでいた。


 ――あなたが反転病だから。それだけですよ。


 白紙だった観察日記は日を追うごとに、どんどん分厚くなっていく。

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