9話 一途になりたい一途な彼女
『まずは本屋にでも行きましょうか。私のおすすめ、もっと教えてあげますよ』
(確か私はそう言ったはずなのに……)
白は内心でそう呟いた。だがそんな彼女の周囲には服、服、服。ただひたすらに服が飾られ、売られている。
そして白の目の前には、売り物の服を片っ端から吟味し続ける歩が居た。白は内心で再び呟く。
(なぜ私は、服屋にいるんだろう)
なぜかといえば歩が「ちょっと見てこうよ!」といきなり言い出して白を押し込んだから。そんな一言で済むのだが、とにかく白は若干萎えていた。なにせ服にはあまり興味がなかったからだ。どれくらい興味がないのかと言えば。
小説>>>(越えられない壁)>>>服
大体、これぐらいだった。いつぞや歩を着せ替えたのだって、ファッションへの興味などではなく『元男に可愛い服を着せたらどんな反応をするか』という好奇心が動機の大半だ。
だが一方で、歩はノリノリだった。とてもノリノリだった。
色んな服を白のところに持ってきては、歩自身の体に当てて「どう? 似合う?」と幾度となく問いかけてくる。
だが白は軽く飽きていた。最初の方は律義にそれっぽい評価を返していたのだが、10着目に差し掛かったところでさすがに投げやりになってしまった。
「正直、元が可愛いんで何着てもそれなりに似合うと思いますよ」
「そ、そうかなえへへ……あ、でもそれなりじゃ駄目なんだって! 白って人のことよく見てるわりに無頓着なところあるよね」
「そういうもんですかね。そんなにやりこんで、誰に見せるんですか?」
そう言った途端、歩の表情が一変した。露骨にぷっくり頬がむくれたのだ。白はそこでようやく己の失言を察した。
「あー、その、すみません。失言でした」
「怒ってないし」
「怒ってるじゃないですか。あー……」
白は困った。とても困った。なにせ他人のご機嫌取りなんてろくにしたことがなかったから。だからまずは自分の考えを正直に言うことにした。正直に、ありのまま……
「えっと、どうせならその人の魅力が出る方がいいと思いますし、そういう意味では歩さんには明るい色とか可愛い系とかの方が似合うんじゃないかなと……」
「白ってどんなのが好きなの」
「え」
出し抜けに、そう問われた。呆然とする白に向けて歩はさらに問いかけてくる。
「だから、白の好み。この際だから教えてよ」
「好み。好みと言われても……」
それは白にとって難しい質問だった。彼女は人間観察こそ趣味にしているが、『好みのタイプ』なるものを考えたことは一度もなかったからだ。
だから白は、とりあえず歩に目を向けてみた。すると自然と目線が下がった。丈の短いプリーツスカートの下、白い肌が目に留まる。
――白い肌が文字通り眩しいですね
(そう、肌だ)
思ったそのときには、白の目線はもう上がっていた。歩には見えない瞳で、前髪に隠されたその瞳で、ある一点を見つめる。そしてそこに向かって手を伸ばした。
「白?」
歩の問いに構うことなく、白は……歩の首元に手を触れた。すっと伸びた首筋に。そのしみひとつない肌に。
「へ? へ?」
「歩さんって、肌が綺麗ですよね」
「な、なんですと?」
つうと動かせば滑らかな肌を指が滑る。白は理解した。自分が今、歩の無防備な部分に触れていることを。
「白くて、真っ直ぐで、柔らかい。丸見えなのも悪くないですが」
「わっ、わっ」
白は歩に言われた通り自身の好みを、今この瞬間に感じるありのままを言語化しながら、首から鎖骨へと指を動かしていく……やがて首元の布へとたどり着いた。それを引っかけて伸ばしてみれば、鎖骨を覆う白い皮膚が布の下から現れた。白はぽつりと呟いた。
「見え隠れするのも、いいかもしれない」
白の指が、また首筋へと戻る。首の側面へと指を這わせる。その先には耳がある。頭髪に覆い隠された耳がある。
(そういえば、髪も結構伸びてる)
歩の髪はもうショートヘアーと言えないほどに伸びていた。首のうなじを隠す程度に伸びた後ろ髪や耳を覆う横髪には、ふわりと柔らかいカーブが掛かっている。それは彼女の髪が短かったときには目立たなかった髪の癖だった。
(柔らかい髪だ)
歩の髪を指で触りながら白は内心で呟く。少しだけ感触を楽しんでから、やがてその髪をかき上げて――
「ストーップ!」
ほんの一瞬で、髪の感触が消えた。残った手が寂しく空を掴んで、白は眉を僅かにひそめた。
「むっ」
白が真正面に顔を向けると、歩が白から一歩分の距離を置いて立っていた。彼女はとても恥ずかしそうに白から視線を逸らしつつ言った。
「白の好みが、よく分かりました」
「そうですか? 私はあんま分かってないんですが」
もうちょっとで分かりそうだったのに。なーんて惜しい気持ちを感じていると、歩にジト目を向けられて。
「……白は結構、変態さんだ」
一言で総括された。
しかしなるほど、鎖骨やら首筋やらは言われてみれば、一般常識からはいくらか外れるかもしれない。
「自分の中の変態性……これが私のフェチというやつですか。勉強になりますね」
「真面目に感心しないでよ!」
歩にそう怒られた。だがそのあと、彼女がちゃっかりと首元の緩い服を購入したのを白は見逃さなかった。
(変態の好みに合わせる方も、わりと変態なのでは?)
服を買い終えて戻ってきた歩に対してそんな疑問を覚えたが、さすがにそれは口に出さない。代わりにもうひとつ、思ったことを口にした。
「ほんと一途なんですね、あなたって。可愛いですよそういうところ」
歩自身よりも、変態さんもとい白の好みを優先した彼女を白は素直に称賛した。しかし歩はその言葉に喜ぶことなく、むしろ珍しく大人しい苦笑いを見せた。
「いや僕なんて、そんな一途って褒められるほどじゃ……あ! だからって白以外の人を好きにはならないからね!」
「はいはい。それが一途って言うんですよ」
「そーかなぁー?」
「そうですよ」
「そーおー?」
「そうですって」
妙に食い下がってくる歩を適当にあしらいつつ、白は考える。
(妙に意地っ張りなとこあるもんなこの人)
しかし、それはそれで付き合っていて楽しいものだ。基本的に分かりやすい分、ちょっとくらい予測できない方が刺激的で魅力的。このとき、白はそう納得した……のだが。
◇■◇
なんだかんだでふたりはまた寄り道した。そこはスポーツ用品店だ。店内をぶらつきつつ歩が語ってくれたのは、彼女が彼だった時代にやっていたスポーツのことだった。
「小学生の頃はサッカークラブ。中学校ではバレー部。そんでもって、高校では卓球部……男子卓球だったから性別変わってやめちゃったけどね」
「それは残念ですね。女子卓球は入らないんですか?」
「あはは……そこまでしてやる気はないかな。正直、惰性で続けてただけだし」
「ふーん……?」
そこまで聞いて、白はなにかが引っかかった。ほんの微かな違和感? どうにも気になる。一度気になってしまえば、さらに掘り下げてみるしかない。
「色々やってたんですね」
「小中はちょー有名な漫画の影響で、高校はなんだっけ。ほら前に卓球の世界大会かなんかで盛り上がってたじゃん。あれがかっこよくてさぁ。あと卓球なら特別高い身長とかもいらないかなって……今思えば色々舐めてたけど」
「なるほど……あなた意外と影響受けやすいんですね」
「あはは。仰る通りで……ま、どれも伸びなかったけどねぇ。レギュラーとか入った記憶ないし」
「運動、苦手なんですか?」
「苦手ってほどでもないけど、得意じゃないかな。いやそもそも特技とか、なにも思いつかないし……」
「ふむ。歩さんの特技……」
しょんぼりと眉尻を下げる歩を前に、白は考えてみる……すぐに浮かんだ。
「打てばよく響く。弄られる才能はありますね」
「それ才能って言わない! もっとかっこいいのがいいー!」
「ほら響いた。それも立派な才能ですよ」
「く、くそぉ。絶対いつか見返して! 見返せる特技をまず見つけなきゃいけない……? そんな……」
(本当に表情がよく変わる人だ)
歩のテンションが乱高下する様子は見ていて飽きない。だが。
(なんだろう、やっぱりなにかが引っかかる)
◇■◇
なんだかんだのなんだかんだで、ふたりはまたまた寄り道した。今度は家電量販店だった。
その一角。家庭用ゲーム機のコーナーで、白はひとつのパッケージを手に取っていた。ゲーマーなら、あるいはそうでなくとも名前くらいは知っている有名な対戦アクション。その最新作だ。
「あ、これまだシリーズ続いてるんですね。小学生の頃、周りの男の子はみんなこれやってた気もしますが」
歩も横からひょっこり覗いてきた。
「確かに昔すっごい流行ったよねそれ。白もやってたの?」
「小学校の頃、友達の家で少々。まぁこういうのに触れとくのも一興かなと。自分では買わないんですが」
「え、友達って男の子……?」
「そこ食いついてくるんですか。まぁ昔は性差とか有って無いようなものでしたから。今もあんま気にしてないですが」
「……今はもうちょっと、気をつけてよね」
「はいはい。……あまりヤキモチ焼かれても困りますしね」
「へっ!? そ、そんなんじゃないって!」
「そうなんですか。……寂しいですね」
「さ、寂しいの? ほんと?」
「さてどうでしょう」
「もー! 白はすぐそうやっておちょくる! いやそういうのも白のいいところだけど、でも僕だって年上なんだからもうちょっと、1ミリくらいでいいから敬ってくれても」
「だから敬語使ってるじゃないですか」
「いつでもどこでも敬語じゃん」
「人によって言葉遣い変えるの面倒なんですよ。まぁ、しかし、そういえば年上の男の子だったんですよねあなた」
「そういえばって。それに年上は過去形じゃないって」
「そんな拘らなくても。で、男の子ってことはあなたも……やってなさそうですね。なんか」
「なにそのイメージ! バリバリやってたよ!? まぁ……実のところ、周りの子がやりこみ過ぎの強過ぎて、気づいたら見てるばっかりになってたけど。特に慧とか超やばいんだ。なんかひとりだけ床滑ったりバグみたいな動きしてたし。確かあいつ、この最新作もやってたと思うだけど……」
「あのイケメン、ゲームも達者なんで……って、んー?」
「どしたの?」
「いや、べつに……」
他愛もない会話だ。おかしなところはないはずだ。だがやはり、なにかが引っかかっていて……。
◇■◇
それからなんだかんだで、ようやく目的地である本屋に到着した。本棚が縦横無尽に連なる店内に足を踏み入れながら、白は歩に問いかけた。
「で、なにが読みたいですか? 恋愛? ミステリ? アクション? ホラー? 引き出しはそれなりにあると自負しますが」
「うーん……………………全部……?」
「ぜん、ぶ……?」
「あ、いや。とりあえず適当にぶらつかない? そんでさ、良さげなのあったら教えてよ」
「まぁ、いいですけど……」
相変わらず引っかかるなにかを感じながらも、白は歩に言われた通り彼女を伴って店内を散策し始めた。
自分が読んだことのある本を見つけては、あらすじや面白さなんかを歩に語っていく。すると歩はそのひとつひとつを真剣に聞いて頷き、驚き、あるいは喜びを返してくる。
その正に興味津々といった歩の態度に、白の口元も自然とほころんだ。
「あなた、思ってたよりずっと小説が好きなんですね」
それは白の口から自然と出てきた言葉だった、が……対する歩は、なにやら変なことでも聞いたかのように目をぱちくりと瞬きさせた。それからきょとんと首を傾げて。
「べつに小説は好きじゃないよ? あ、いやでも読むのは楽しいよ! 白から借りたのだって楽しく読んでるし!」
「いや、だからそれが好きってことじゃ……んん?」
白の中で、違和感がさらに増した。どうもなにかが食い違っている――
「あ!」
その声を上げたのは歩だった。白がその声に釣られて顔を向けたそのときには、歩はすでに1冊の本を手に取っていた。
「これ小説になってたんだ! なつかしー!」
「ほう。どれどれ……? あ、それなら私も知ってます。ていうか持ってますよ」
「ほんと!? 白も見てたの?」
「見てた……ああ。そういえば、アニメにもなってたんですね、それ」
白は記憶を引っ張り出す。歩が手に取っている一冊の本から、懐かしい記憶を引っ張り出す。それから呟くように、本のタイトルを読み上げた。
「電脳解傑P&C」
それから白は頭の中にあるそのあらましを読み上げていく。自然とこみ上げてきた懐かしさを楽しみながら。
「ジャンルは電脳ミステリとか呼ばれてましたっけ。当時としてはそこそこ目新しい、インターネットやヴァーチャルリアリティを題材にした小説で、主人公は電脳世界を股に掛ける電脳怪盗であり同時に探偵でもあるんでしたよね。で、確か10年ぐらい前に朝アニメにもなったとか。歩さんが見てたのも多分それでしょう」
「そうそう! へー、あれ元が小説だったんだ。好きだったんだけど、戦隊物の裏番組だから誰も見てなくてさぁ」
「ああなるほど。原作消化しきる前に打ち切られたとは聞いてましたが、そういうことでしたか。まぁぶっちゃけ絵面もわりと地味だし、朝の視聴層に反して内容もそれなりに難解だし……よく見てられましたね、あなた」
「いやぁ、あはは……正直、内容とか半分も分かんなかったけどね。それでも、好きだったんだ」
本を見つめる歩の目が、ふわりと和らぎ弧を描いた。
その瞳に映るのは幼き日の情景だろうか。彼女もまた、自分と同じものを懐かしんでいるのだろうか。
(この人はなにを見ているんだろう)
白はそれが知りたくなった。応えるように、歩が話の続きを語りだした。
「電脳世界にしか居場所がない孤独で孤高なヒーロー……ってコンセプトだったじゃんあれ。加えて怪盗と探偵の二重生活だから誰にも正体の全ては明かせないし、矛盾した生き方で罪悪感との板挟みになる……だけど主人公はその生き方に、確かな誇りも持っている。そういうのから逃げない一途な生き方……それは僕にできない生き方だった」
「っ!」
聞いた瞬間、白の中でひとつの核心が閃き弾けた。
(もしかしてこの人は、一途なんじゃなくて)
それに応えるように、歩が告げた。
「僕はいつだって、諦めてきたから。だから、一途な人に憧れるんだ」
(この人は、一途に生きたい人なんだ)
白の解釈と歩の言動が重なって、白の中でなにかが一回り重くなった。そして歩は語り続ける。
「僕は昔から飽き性で、諦め癖が強くて、ヘタレてて……実はさ、小説も読んでた頃があったんだけど……友達と遊ぶ方が楽しかったし、他にもやりたいことがいっぱいあって自然とやめちゃったんだ」
「やりたいこと?」
「サッカーとか、ゲームとか」
「なるほど。ま、年頃の男子なら妥当ですね」
「今こんなことになるって知ってたら、もっと読んでたんだけどなぁ。そうすれば、もっと白と深い話をたくさん……」
「深くなくても、いいですよ」
「え?」
そのとき、白は確かに微笑んでいた。瞳を見せずともその口が、彼女の感情をしっかりと歩に伝えていた。
「初心者に本を教えるというのは存外楽しい。おかげでそれを知ることができました。だから昔のあなたが今のあなたを、この時間を形作ってるならそれでいいんじゃないかと、私は思います」
「白……」
「それに、あなたはあなた自身が思ってるよりもきっと一途ですよ」
「そ、そんなことないって!」
歩は相変わらず否定の一点張りだったが、しかし白は知っている。歩の一途さ、その根拠を文字通り現在進行形で体感している。その事実を白は突きつけた。
「それじゃあ、別の人に浮気します?」
白の言葉に歩は目を丸くした。1秒、2秒、3秒と固まって……「ない!」甲高く、叫ぶようにそう言ってそれから。
「ないないない絶対ない! だってキミの目じゃなきゃ駄目なんだ!」
「はいはい、知ってますよ。信じてます」
歩がそこまで"目"とやらに執着する理由が白には分からなかったが、しかしそれでも歩の言葉は信じられる。なにせ、
「あなたは馬鹿がつくほどの正直者です。それはあなたの親友さんのお墨付きです」
「と、突然馬鹿にされた!?」
「褒めてるんですよ。そんなあなたが絶対ないというのなら、あなたは絶対に浮気しないでしょう? だったらそれは、一途ということじゃないですか。簡単な証明です」
「それは、そうかもだけど……それって言葉遊びみたいなものじゃ……」
「あなたにとってどうであれ、私にとってはそれが真実です。それともこの言葉は信じられませんか?」
歩は白の問いかけに一度押し黙った。だが、
「……もし。もし僕が一途に見えるなら」
ゆっくりと語り始めた。その顔から少しずつ、曇りが晴れていく。
「それは白、キミのおかげだ。キミが恋をさせてくれたから僕は変われた。毎日が楽しくなった。だからあのとき、告白してくれてありがとう」
彼女の表情はいつの間にか、照れくさそうなはにかみへと変わっていた。にひひと笑う彼女を見て、白の心にもある変化が訪れる。
(なんだろう。また……重くなった? 歩さんの、想いの実感……)
馬鹿でかい質量を直にぶつけられた気がした。なにやら平常心を崩されて、なにやら足下がおぼつかなくなる。なんとなく、今の自分を知られたくないと思って――
――そっと、前髪が捲られた。
「っ!」
白が気づいたそのときにはもう、彼女の瞳が露わになっていた。明るい茶色の瞳は今、
「白も、照れてる?」
歩からその視線を逸らしていた。目は口ほどに物を言う。つまるところ、白の内心はバレバレだった。
「っ!!」
それに気づいた途端、白の頭が真っ白になった。
反射的に歩から飛び退いて距離を置き、髪を直して瞳を隠す。なんとか心を落ち着けて、それから歩を見てみれば……彼女はとても幸せそうな笑みを浮かべていた。
「嬉しい。白とおんなじだ」




