第1話 最悪の終戦
オーゼル国民よ!過去5年間、日々のパンを勝ち取る戦い、生存を勝ち取る戦いに身を投じてきた臣民諸君よ!
憎き仇敵は終ぞ我が国を滅ぼすことはできなかった!
しかしこの戦争は今、最も苛烈な要求を国民全体に課すこととなった。
あの悪魔どもは我が国に核兵器を発射した。主要都市全て全てにである。
我らは断固として報復しなければならない!我らの保持している兵器は核、非核兵器を問わず、全て彼らの頭上へ向かって発射される。
臣民諸君よ、今日こそ勝者のいない最悪の終戦記念日である!!
――オーゼル共和国第十八代大統領 エリッヒ・フォン・アイフェルによる最後の演説――
俺は東部戦線の塹壕の中で、ヘッドセットから終戦宣言を聞いた。
「ねえ!ニコラス聞いた!?」
19歳で徴兵された時に出会ってから3年間、ずっと俺の観測手を務めていた戦友がこちらの胸倉に掴みかかるような勢いで話しかけてきた。
「聞いたよノア、終戦なんだってな」
俺はもう必要なくなったヘルメットとヘッドセットを外し、肩から下げていたスナイパーライフルもろとも投げ捨てながら言った。
「そうじゃないよ!主要都市全てに核が落ちるって・・・具体的にはどこに落ちるの?バルバロッサにも落ちるの!?」
彼がそんな風に食って掛かるような物言いをするのを、俺は初めて聞いた。
「撃ち合いなんか怖くてできない。君と一緒にいて、敵から離れたところで双眼鏡を覗いているだけで精いっぱいだよ」
徴兵後の訓練でペアになった頃、一つ年下の彼からそんな話を聞いたことをふと思い出した。
そのとき支給され、真新しかった深緑色の戦闘服とコンバットブーツは、泥まみれであちこち擦り切れている。着用しているものは俺もほとんど同じ有様だ。
そして俺の黒髪とは対照的な、明るい亜麻色の髪。ヘルメットから飛び出すほど伸びたそれは、記憶の中の彼よりも大人びた印象を与える。
「君と並んで戦地にいると、目立つ髪色の僕の方がきっと先に狙われるよ・・・」
初陣の前もそんな泣き言を言ってコーヒーカップを持てないほど震えていたっけ。
「そうだな、そうならないように目深にヘルメットを被っておけよ」
俺は冗談めかしてそう答えたものだ。その時から彼は、目立つ髪色を隠すために視界の大半を遮るほど深くヘルメットを被るようになった。
しかし、つばの下で異様な光を放つ瞳だけは、これまでの弱々しい印象とはかけ離れていた。
「わからない。俺だってお前と同じ演説しか聞いてないんだから」
俺はその目に気圧されて一歩後ずさった。
「僕の故郷は・・バルバロッサはどうなるの・・・みんな死ぬの?」
ノアは誰に問うでもなく呟いていた。
その瞬間、背後の祖国からあらゆる兵器が敵国領へ向けて放たれた。ミサイル、榴弾、ドローン。夏の青空に思い思いの軌跡を描いて飛んで行く。恐らく敵国へ放たれた核ミサイルも混じっているだろう。俺はそれらが鳥の群れのように頭上を飛んでいくのを見送りながら言った。
「俺だって怖いさ」
10分ほど経っただろうか、ぱたりと音が止んだ。ミサイルの滑空する音も、ドローンの耳障りな羽音も聞こえなかった。しかし、これから世界を破滅させる核爆弾が飛んでくるのだと思うと、空から目を離すことはできなかった。
しばらくすると空に微かな光が見えた。
「ノア、双眼鏡貸してくれ。ノア?」
振り返ると、彼は俯いて啜り泣いていた。
「ノア・・・大丈夫だここには落ちてこないから」
俺は努めて明るく言い、彼が首から下げている双眼鏡を借りた。そして光の見えた方を覗き込む。その流れ星のように瞬く物体は、鮮やかな青い空に放物線を描き、真っすぐ西の地平線へ落下していた。
「あれが核爆弾か。方角は295度ってとこだな」
俺はコンパスと地図を取り出し、落下地点だろうと思われる街を探した。
「多分、レムリア市の中心部だな。バルバロッサの方角じゃないぞノア。だから安心して・・」
「バルバロッサに落ちる爆弾ならこの距離からじゃ観測できないよ。それにレムリアの街の規模で標的にされてるなら、きっと・・・」
俺の貧弱な励ましは、ノアの冷たい声にはっきりと遮られた。兵科柄、地理や観測可能範囲に詳しい彼のことだ。持てる知識を総動員した結果、最悪の仮説にたどり着いてしまったのだろう。
「でも、分からないじゃないか・・・」
俺が言葉を続けようとしたその瞬間、青空が異様な蒼色に光り輝いた。俺は振り向いたが、その光を見た途端、目に鋭い痛みを感じた。思わず目を閉じ、塹壕の土壁に背を預けてしゃがみこむ。焼けるような痛みを抑えつけるように両手で目を覆い、耐える。一瞬だけ見えたその光は、自然の美しい青とは全く違う。科学的で、人工的で、不気味な蒼い色だった。
次に目を開けた時、空の色は元に戻っていた。
「ニコラス・・・・・見てよ」
隣にいた戦友は掠れた抑揚のない声で、俺に西の方を見るよう促した。俺は塹壕から恐る恐る顔を出し、懐かしい祖国を覗き込んだ。灰色の毒々しい煙が幾筋も立ち昇り、刻々と成長している。その奥には尚も、蒼い閃光が炸裂しているのが微かに見えた。
「終わったな・・・何もかも」
俺は戦友の嗚咽を聞きながら呟いた。敗北感とも、安堵とも、憎しみとも言えないぼんやりとした気持ちだった。
「これから俺たちどうなるんだろうな・・」
返事は無かった。代わりにすぐそばで一発の銃声が耳を貫き、体が竦んだ。しかしすぐさま音のした方へ振り返る。
横に立っていたはずのノアが横様に倒れていく。
亜麻色の髪が赤黒く染まっている。
ハンドガンを堅く握りしめた彼の右手が空を切る。
一瞬、彼と目が合ったような気がした。
瞳にも、目尻にたまっている涙にも、光はなかった。
しかしこれまでに見た何よりも美しかった。
アクアマリンのような淡い藍色の瞳。
彼が左肩から地面に崩れ落ち、鈍い音がした。
ぼんやりとしていた自分の感情が、黒く迸る濁流に吞み込まれていくのを感じる。
「おい・・・・・何やってんだよ・・・ノア!」
俺は跪いて彼の両肩を掴み、力いっぱい揺さぶった。
「ノア!なに死んでんだよ!!後追いのつもりか!?」
彼の体は軽かった。首にかかっている二枚綴りのドックタグが擦れ合って無機質な音を立てる。
「ふざけんなよ!銃なんてまともに撃ったことないくせに・・・返事しろよ!!」
「やめろ!」
誰かが鋭く叫んで俺を羽交い絞めにし、彼から引き離す。
「狙撃手と観測手は二人でひとつなんだ、勝手に死んでんじゃねえ!」
俺は引きずられて行きながら力の限り叫び続けた。
8月6日11時02分。世界の主要都市に核爆弾が着弾。
故エリッヒ・フォン・アイフェル大統領の演説から35分後のことであった。




