Sky70-静かな瞳-
翌日の外縁防衛線は、夕方の乾いた風に包まれていた。
格納庫の外へ出た瞬間、視界の端で警報灯が赤く点滅し、
レーダー塔の上に据えられた警戒灯がゆっくりと回り始める。
基地全体に低い警告音が流れ、足下のコンクリートは、
待機していた機体が順に起動していく振動で細かく震えていた。
帝国軍接近。
管制塔から短い指示が飛ぶ。
「迎撃隊、発進」
格納庫の床を、白い巨体が一斉に立ち上がる重さが揺らした。
あすみの機体も、膝部の油圧を押し上げながらゆっくりと上体を起こし、
関節の奥で低く唸る駆動音とともに装甲の継ぎ目から白い蒸気を吐き出していく。
コクピットへ身を滑り込ませると、ハーネスが胸を締め、
計器がひとつずつ点灯し、HUDの光が視界の縁へ静かに浮かび上がった。
レーダー上に敵影が現れた。数は四。
セリの声が通信に入る。
《アルファ2より各機、迎撃。編隊維持》
機体を前へ出し、セリが編隊の先頭で滑走路の先へ向ける。
白い巨体が地面を蹴り、背部スラスターの炎を長く引いて空へ浮かび上がった。
あすみはその後ろを低空で滑るように飛び出し、
さらに後方からブラボー3とデルタ4が、高度差をつけながら続いてくる。
四機の白い SKY が平原の上を疾走した。
リオはやや右外側へ広がり、高度を少し落として、建屋と地形の影を使う外周寄りの軌道へ入る。
ユイは逆に高度を取り、機体が上空へ抜けて広く索敵を開いていった。
遠くの空に浮いていた黒い影が、こちらの進路を測るようにじわりと横へ散る。
帝国軍機だと分かった次の瞬間、細い光が空を裂き、曳光弾が肩装甲の横を掠めていく。
あすみは機体を左へ傾け、白い装甲の表面に一瞬だけ走った火花を視界の端で受け止めながら、
照準を前へ押し上げた。
レーダーの敵影が動く。
距離は四百。
一機が建屋の影へ潜り込み、もう一機が高度を上げた。
デルタ4が上空で旋回し、ユイの機体が敵機の動きを追ってHUDへ角度情報を送り続ける。
その情報を受けながら、あすみは照準を敵機の背へ滑らせた。
指がトリガーに掛かる。
……だが、撃たない。
一瞬、躊躇した。
もし外したら。
もしその奥に味方の車両がいたら。
一瞬の迷い。
敵機はその間に角度を変える。
照準が外れる。
「……っ」
あすみは舌打ちし、機体を振る。
《あすみ、遅れてる》
セリの声が飛ぶ。
あすみは返事をしない。返せないまま、照準だけを追い直した。
敵機がもう一機、低空から上がってくる。
距離は三百。
撃てる。
だが――
頭の奥で、昨日と同じ別の考えが浮かぶ。
カイト。ここにいる理由。アーロン艦長の言葉。
(正しさで埋めてなんかいない……)
(埋めてなんていないはずだ)
照準が揺れる。
敵機が撃ってきた。
弾丸が機体の横を通り過ぎる。
警告灯が点灯する。
《あすみ!》
セリの声。
あすみは機体を急上昇させた。
だが、黒い帝国機はそのまま食い下がり、噴射の尾をなぞるように一直線に迫ってくる。
相手は削るつもりではなく、最初から仕留めるつもりで距離を詰めていた。
あすみはトリガーを引いて発砲する。
弾丸が空を裂いたが、敵機体からは外れた。
敵機が旋回する。
黒い機体が機首を下げ、そのまま高度差を使ってあすみの機体の下へ潜り込み、
次の瞬間には機体の懐へ食い込むように持ち上がってきた。
空戦の距離ではない。肩装甲の継ぎ目も、胸部フレームも、コクピットハッチの輪郭まで見える。
黒い機体の銃口が、真っ直ぐこちらの胸を狙っていた。
《あすみ、上がれ!》
セリの声が飛ぶ。
スラスターを吹かす。けれど遅い。敵機はさらに踏み込み、距離は五十を切った。
照準枠が大きすぎて、逆に定まらない。
撃てる。
そう分かるのに、思考がそこへ行かない。
なんで、あそこにいた。
なんでセリは言わなかった。
私は、何のために――
敵機の引き金が動く。
《あすみ!》
そこに届く前に終わる距離だった。黒い単眼センサーが真っ直ぐこちらを捉え、照準警告が耳の奥で鳴り続ける。
(……考えたくない)
呼吸が浅くなる。
指先が冷える。
(分からないことばかり)
(苦しい)
(…逃げたい)
敵機がさらに一歩、踏み込む。
黒い装甲が視界いっぱいに迫り、機体同士の間にあるのは、
もう空というより、互いの殺意を通すためだけの薄い距離だった。
距離表示は九十を切っていた。近い、と思った時にはもう、
相手の胸部フレームもコクピットハッチの輪郭も見えていた。
引き金を引く。
……遅い。
弾丸が掠め、敵機がさらに接近する。
黒い機体の銃口が、今度は明確にこちらのコクピットを狙っていた。
次に撃たれれば、外さない。そう分かる角度だった。
(堕とされる)
あすみの中で、何かが静かに止まった。
(……だめだ。このままだと、終わる)
一度だけ、息を吸う。
(ーーー止める)
HUDの数字が、ただの光になる。
残ったのは、目の前の黒いコクピットだけだった。
距離も角度も中心線も、もう言葉にはならない。ただ狙うべき一点として、そこだけが視界の中に残る。
あすみは操縦桿を左に切った。機体が半身だけ滑り、敵の銃口がわずかに外れる。
空いた一瞬の時間で、右腕の照準が黒い胸部中央へ吸い込まれた。
コクピットハッチ。
そこだけを見てトリガーを引く。
至近距離の一撃だった。銃口の閃光がそのまま相手の胸部中央へ叩き込まれ、黒い装甲が内側から弾ける。
コクピットのあるブロックが破裂したように吹き飛び、帝国機の上半身がのけぞったまま回転し、煙を吐きながら地面へ落ちていった。
《REDROSE!》
誰かの声がした。
HUDの中央から消えた一機の隙間を埋めるように、残った黒い機体が角度を変えて広がっていく。
敵はまだ三機いる。
あすみはもう次を見ていた。
距離も角度も中心線も、もう言葉にはならない。ただ狙うべき一点として、そこだけが視界の中に残る。
全部見えている。
左に流れた一機へ照準を滑らせ、撃つ。
関節をひねり、機体を半身にして射線を通すと、ブラボー3が外から押し、デルタ4が上から逃げ道を切った。
その狭まった空間へ、あすみの照準が吸い込まれていく。
装甲が裂け、爆炎が広がる。
《……速い》
セリの低い声。
上空でデルタ4が敵の退路を切る。白い機体が被さり、最後の二機の進路を強引に絞った。
ブラボー3は外周から回り込み、撃つのではなく逃げ道だけを奪う角度で黒い機体の背後を押さえる。
一機が建屋の影へ落ちる。
あすみはそちらへ機体を滑らせ、遮蔽物へ入る寸前の脚部へ照準を通した。
左へ流れた機体に照準を合わせ、撃つ。
片脚が吹き飛ぶ。転がるように姿勢を崩した機体に、間を置かず二射目を入れる。
胸部中央を穿たれた黒い装甲が、内側から割れた。
もう一機が上空へ逃げる。デルタ4がその下を押さえ、ブラボー3が右から角度を潰す。
あすみはスラスターを吹かし、RED ROSEを静かに伸ばした。
加速に合わせて機体の重みが後ろへ引かれ、照準はぶれずに最後の一機へ重なっていく。
もう一機は上空から急降下してくる。
あすみは脚部姿勢制御を短く切り替え、機体を縦に返し、そのまま背後へ回った。
照準を合わせ、トリガーを引く。
帝国機が真っ二つに割れた。
破片が空に散る。
通信が一瞬、静まった。
アルファ2が機体を減速させ、戦域を見渡す。ブラボー3が外側から旋回しながら戻ってくる
レーダーの敵影が消え、空が静かになる。
あすみはゆっくりと高度を下げ、西方本部の滑走レーンへ戻っていった。
巨体が地面に着地し、脚部サスペンションが衝撃を呑み込む。
格納庫の天井灯が白い装甲を冷たく照らし、開いたコクピットへ外の空気が流れ込んだ。
あすみは操縦席から降りると、自分の手を持ち上げ、指に視線を落とした。
(……不思議)
少し震えている。でも、怖くなかった。
……楽になった。
撃つ理由も、守る理由も、考えなくてよかった。
カイトがいた理由を考えなくても。
ここにいる意味がなくても。
任務はある。
命令はある。
(…そっか)
(これで、いい)
(ーーーこれでやっと、楽になる)
胸の奥が、ひどく静かだった。
あすみは自分の手のひらを見ながら、その場に立っていた。
セリが整備班との話を終えてあすみに声をかける
「あすみ、食堂行くぞ」
あすみはセリの方に顔を向けて笑顔で言った
「うん、わかった」
セリは久しぶりに見たあすみの笑顔に、一瞬だけ戸惑った。
「…なんか良いことあった?」
あすみは、きょとんとしながらセリの隣を歩き始める
「別に?いつも通りだよ」
あすみの目が変わったことに、セリは気づかなかった。
その笑顔に、安心してしまった。
⸻
食堂へ向かう廊下は、戦闘を終えたあとの熱気をまだ薄く引きずっていた。
白い照明が磨かれた床に細長く落ち、格納庫の方角からは金属を叩く乾いた音と、
整備班の短い怒鳴り声が時おり遅れて響いてくる。
機体の油と焼けた金属の匂いが、換気の風に押されてかすかに流れていた。
先を歩くあすみとセリの少し後ろを、リオとユイが並んで歩いていた。
リオは気の抜けたような顔で両腕を首の後ろに回し、
さっきまで張っていた肩の力をようやく落とすみたいに、長く息を吐く。
「さっき、マジで落ちたかと思った」
前を向いたまま歩いていたセリが、ほんの少しだけ肩をすくめた。
振り返りもしない。その仕草だけで、さっきの距離を思い出しているのが分かる。
「普通あの距離まで入ってこないだろ。頭おかしいぞ、あの帝国機」
あすみは振り返らないまま答えた。歩幅は乱れず、声もいつもと変わらない。
「うん。あれは危なかった」
その返事を聞いて、リオが少しだけ口元を緩める。
軽口を叩いているようで、目の奥にはまだ戦闘の残り火があった。
「いや、でも助かったわ。あの距離で迷わずコクピット抜くの、判断速すぎ」
あすみも少しだけ笑った。
けれど、その笑みは頬だけが形を作ったような浅いものだった。
「……夢中だったから」
それから、何でもないことみたいに続ける。
「コクピットなら確実でしょ」
その言葉が廊下の白い壁に当たって、乾いたまま返ってきた気がした。
ユイは少しだけ足を止め、食堂へと入っていくあすみを目で追う。
淡い照明の下で見える横顔は、いつも通りに見えるのに、どこかだけ前と噛み合っていない。
(……でも、狙う場所ーー前と違うよね)
食堂へ入る直前、リオがユイの方に視線だけを送った。
何も言わない。その代わり、いつもの軽さを消した目だけが、今の一言をちゃんと拾っている。ユイは軽く頷くと、何事もなかったみたいな顔で三人の後を追い、食堂の明るい喧騒の中へ足を進めた。
ーーー
格納庫へ戻る途中、ヘイル大尉があすみを呼び止めた。
「古賀一等兵」
低く平坦な声だった。
あすみは、はい。と返し、セリたちから離れてブリーフ室の扉の横に立つヘイルの前へ向かう。
廊下の壁際に立つヘイルの制服は皺一つなく整っていて、その無機質な整い方が、西方本部そのものみたいに見えた。
ヘイルはいつも通りの無表情で淡々とあすみに言った。
視線はほとんど端末から上がらない。
「明日の哨戒は編隊を変える」
「REDROSEが先頭、他は後方支援に回す」
あすみは表情を変えずに、そのまま、ヘイルの顔を見た。
ヘイルは端末に視線を落としたまま話す。
「今日の帝国機への反応スピードに、上が興味を示した」
「…明日も同じ速さで迎撃しろ。赤域規定は上限だ」
返答に時間はかからなかった。
迷いも、引っかかりもない声で、あすみは言う。
「了解しました」
そう答えると、あすみはヘイルへ敬礼をして格納庫へ歩き始めた。
ブーツの踵が床を打つ音が、長い廊下に規則正しく続く。
歩きながら、あすみはポケットから端末を取り出した。
画面を開くと、送られてきた戦闘記録が淡い光を返す。
撃墜数と出撃回数が表示されている。
今までなら、見ると気分が落ち込む数字たちだった。
積み重なるたびに、胸のどこかが冷えていくような数字だった。
でも、何も思わない。
表示されているものは、ただの数字だ。
それ以外の意味はない。
あすみは端末をしまうと、前を向いてまた歩き始める。
廊下の窓には西陽があたり、縁の影が窓の形をして床の上に長く伸びていた。
その影を踏み越えていく足取りだけが、妙に迷いなくまっすぐだった。




