Sky7-理不尽な死-
北方第七基地・ブリーフィングルーム。
外はまだ薄暗い。
壁のスクリーンには、基地から少し離れた「避難集落」の衛星画像が映っていた。
「昨夜から、帝国側の小規模な襲撃が続いている」
作戦担当将校の声は、いつも通り淡々としている。
「標的は補給路と――その近くの避難集落だ」
画面の一角が拡大される。
雪原の中に、寄せ集めのプレハブとテント。
かろうじて柵で囲っただけの、小さな集落。
(……あの時の)
基地の外れで雪を崩していた兄妹。
雪かきスコップを握っていた妹と、その隣の少し年上の兄の姿が、あすみの頭の中に浮かぶ。
「北方避難集落#3。オルディア系難民の比率が高い区域だ」
将校の言葉に、部屋の空気がわずかに固くなる。
「敵は少数だが、流れ弾一発であの規模の集落は吹き飛ぶ。
任務は二つ。敵性部隊の排除、並びに民間人の避難誘導だ」
スクリーンの端に、出撃メンバーのリストが表示される。
「第一出撃:SKY部隊。アルファ1〜3、出撃準備」
名前の横に、自分の識別番号が浮かんだ。
アルファ1:グレン中尉。
アルファ2:古賀あすみ。
アルファ3:セリ・アンダーソン。
「地上には機動歩兵部隊を回す。SKYはあくまで防壁と援護だ。――撃ち漏らすなよ」
将校の最後の一言が、乾いた冗談にも、冷酷な現実にも聞こえた。
「質問は?」
誰も手を挙げない。
「……ありません」
あすみの声は、思っていたよりちゃんと出た。
《――作戦開始まで、二十六分》
壁の隅で、カウントダウンが始まる。
*
第一格納庫。
昨日と同じように、整備班がSKYの足元を走り回っている。
でも、空気の張りつめ方が、少し違う。
「古賀二等兵、スーツの締め付け問題なし」
「心拍は……まあ、昨日の初出撃よりはマシだな」
「縁起でもないこと言わないでください」
医務班と整備班のやりとりが、耳の端をかすめていく。
「……地上戦、初めてか?」
機体へ向かう途中、グレン中尉がふと尋ねてきた。
「正規戦は、はい」
「そうか。――いいか、今日の仕事は“守る側”だ。
敵を撃ち落とすのも大事だが、守る相手を見失うな」
「……了解」
“守る相手”。
それが、具体的な顔を持っているのが、今は逆に苦しかった。
*
《アルファ1〜3、発進準備完了》
スロットルを押し込み、機体が雪原の上を滑るように走り出す。
今回は宇宙じゃない。
重力は、ずっと足元に張り付いている。
《行きは低空で。敵のセンサーに拾われにくいコースで行く》
グレン中尉の機体が先頭に立つ。
灰色の空、容赦なく吹き付ける雪。
視界は悪い。HUDのラインがなければ、地平線すら分からない。
(宇宙の“何もない”のとは、違う)
ここには、雪があって、風があって、人がいる。
だからこそ、何かを失ったときの音が、きっと重い。
《目標宙域――じゃないな、地上座標まであと三分》
管制の声が、少しだけ調子を変えて言い直した。
《敵影、まだ不明瞭。北側からの砲撃痕だけ確認》
スクリーンの右下に、小さな炎の点が増えていく。
(間に合え)
自然と、スロットルを押し込みたくなる手を抑え込む。
無理な加速は、LAAの頃にミュラー教官にも散々しぼられた。
(――「お前一人で突っ込むな、隊列を乱すな」)
今日は、輸送船じゃなくて、生身の人間が待っている。
*
避難集落#3は、思ったより「普通の生活の匂い」がした。
小さな畑の跡。
洗濯物を干すポール。
雪の上に置きっぱなしになった子どものおもちゃ。
その中に、黒く焼け焦げた家屋が、ぽつりと混ざっていた。
《敵機、確認。歩兵タイプ三、軽装甲車両一。帝国側の所属旗は未展開》
《民間人が周囲に散ってる。慎重に行け》
「アルファ2、集落の南側から回る。地上部隊の頭上に壁を作れ」
「了解」
SKYの足元で雪が弾け飛ぶ。
脚部スラスターで地面すれすれを滑るように移動しながら、視界を広げていく。
その時――
「――お兄ちゃん!」
通信でもスピーカーでもない、生の声が聞こえた気がした。
視線を落とすと、避難所のコンテナの陰から、小さな少女が手を振っている。
(昨日の――)
雪かきスコップを持っていたオルディアの妹。
その後ろから、兄らしき少年が慌てて彼女を引き戻す。
「危ないから隠れて!」
SKYの拡声器を通して声を飛ばすと、少女はびくっとして、それでもこちらを見上げた。
「……空の人、来てくれた……!」
その言葉が、胸のどこかを強く掴む。
《古賀二等兵、視線が下に落ちすぎだ。敵は上からも来るぞ》
「了解。……視界に民間人、確認してます。地上部隊到着まで、ここ押さえます」
《任せる》
背後で、地上部隊の装甲車が雪煙を上げながら近づいてきていた。
*
戦場は――静かに、うるさかった。
炸裂音、雪を巻き上げる風、誰かの怒鳴り声、泣き声。
全部が一度に押し寄せてきて、でも耳の奥では、どこか遠くに感じられる。
《装甲車両、右から回り込んできてる! アルファ3、足狙え!》
《了解!》
セリの機体が雪を蹴って飛び出し、膝関節を撃ち抜いた。
装甲車が、片側だけ雪に突っ込んで止まる。
敵歩兵がその影から飛び出し、無差別に銃を乱射した。
《シールド――!》
とっさに、あすみは機体の腕を前に出した。
装甲に弾丸が弾け、火花が散る。
その背後で、地上部隊が民間人を引き連れて走り抜けるのが見えた。
さっきの兄妹も、その列の中で必死に走っている。
(間に合う――)
そう思った瞬間だった。
《――上だ!》
誰かの声。
頭上の建材用クレーンの上から、遅れていた帝国兵が一人、慌てたようにロケットランチャーを構える。
照準は甘い。狙いも雑。
だからこそ――どこに飛んでいくか分からない。
「っ――!」
ロケットが放たれた。
滑るような軌道で、逃げている列の少し後方へ落ちる。
そこにいたのは、兄妹ではなかった。
幼い子どもを抱いた若い母親と、その横で手を繋いで走っていた、別の小さな男の子。
爆発。
雪と土と何かが、一度に宙に舞い上がる。
音が、一瞬だけ消えた。
(――届かない)
スラスターを最大出力にしても、間に合わない距離だったと、身体の感覚が先に理解してしまう。
視界の端で、兄妹が振り返る。
母親の方には、地上部隊がすぐに駆け寄っていくのが見えた。
だが――男の子の方には、誰もたどり着けなかった。
爆心地に近すぎた。
そこにあったはずの小さな身体は、もう形を成してはいない。
(いやだ)
喉の奥から、声にならない音が漏れた。
VR教室の「ゲームオーバー」とは違う。
画面の向こうで倒れていった、名も知らない機体とも違う。
たった今まで、ここを走っていた足音が、一つ、消えた。
《アルファ2! 敵を見ろ、目の前の!》
グレン中尉の声に、はっと我に返る。
クレーンの上の兵士が、再装填を試みている。
迷いは、一瞬だけだった。
「……古賀あすみ、撃ちます」
照準線が、兵士の胸元をなぞる。
トリガーを引く。
クレーンごと、その影が雪の上に崩れ落ちた。
*
戦闘が収束するまで、十分もかからなかった。
敵は小規模。
こちらは最初から迎撃態勢。
数で見れば、圧倒的な勝利――と報告書には書かれるだろう。
でも、雪の上には、黒い跡が残ったままだ。
《民間人死傷者、軽傷多数。重傷三。死亡、一》
管制官が、その数字を読み上げた。
さっきの男の子の顔は、ちゃんとは見ていない。
ただ、母親の背中に隠れていた肩の高さと、握っていた手の小ささだけが、妙にはっきり残っている。
*
北方基地・医務棟の裏手。
日が傾き始めた雪原が、薄い橙色に染まっている。
あすみは、建物の壁にもたれて、黙って空を見上げていた。
宇宙じゃない空。
でも、その向こうには、あの日見上げた星と同じ夜が待っている。
(全部守れるなんて――)
喉の奥で、言葉にならない言葉が渦を巻く。
頭では、とっくに知っていた。
訓練でも、ミュラー教官に散々叩き込まれた。
『お前一人で全部守ろうとするな。そんなのは傲慢だ』
(傲慢、か)
それでも――目の前で、あんな消え方をされると、
どうしたって「自分がもう少し早ければ」と思ってしまう。
「――お前、そこで凍えるぞ」
ゆるい声が、背中の方から聞こえた。
「……司令官」
振り返ると、ハイルトン大佐がコートの前を留めもせずに立っていた。
相変わらず、第一ボタンは開いたまま。
「昨日の今日で、もう“医務棟の裏で一人で空を見上げる新米パイロット”やるとはな。仕事が早い」
「……テンプレみたいに言わないでください」
「テンプレなんだよ。たいてい皆、一回はここに立つ」
ハイルトンは、あすみの隣の壁にもたれかかる。
少し離れて、同じ空を見上げた。
「報告は聞いた。よくやったよ」
「……一人、死にました」
「ゼロだったら祝杯上げてやるところだったな」
あっさりと言う。
「でも、今日は一だった。
お前のせいで増えた死人は、ゼロだ」
「――私が、間に合わなかったから」
「間に合わなかった“かもしれない”な」
ハイルトンは、足元の雪をつま先で軽く蹴った。
「いいか、古賀。
戦場ってのはな、“もし”を積み上げていくと、一晩で気が狂えるようにできてる」
全部、早く撃てばよかった。
全部、遅く撃ってればよかった。
そこに行かなければよかった。
行っていればよかった。
「――その全部を抱えたら、お前の足が先に折れる」
横目で、あすみの握りしめた拳をちらりと見る。
「全部守れるなんて嘘だ。
全部抱えたら、立てなくなる。
……だから、“届いたところだけ”ちゃんと見ろ」
「届いた、ところ……」
「あの兄妹は生きてる。
今日、基地に帰ってくる民間人もいる。
それは、“お前が今日そこにいた世界”の結果だ」
言葉は、驚くほど淡々としていた。
「死んだ子のことを忘れろ、とは言わない。
忘れたら、多分お前はお前じゃなくなるからな」
そこで、初めてあすみの方をまっすぐ見る。
「でも――全部は抱えるな。
“全部抱え込む英雄”なんて、やってる方は正義のつもりでも、現場から見りゃただの偽善だ」
ハイルトンは、それ以上説明しなかった。
“オルディア”
“連合”
どちら側かなんて、言葉にしなくても今はまだいい――という顔だった。
「上官として言っとく。
今日のお前は、よくやった。……それで十分だ」
その一言が、どんな教本よりも重かった。
胸の奥に絡みついていた何かが、少しだけ緩む。
「……はい」
それだけを、絞り出すように答えた。
ハイルトンは、満足げでも何でもない、いつもの気の抜けた声で続ける。
「明日も普通に訓練だ。寝坊するなよ」
「司令官みたいにはなりません」
「そう言う奴ほど、よく寝坊する」
軽口だけ残して、ハイルトンは踵を返した。
足音が遠ざかっていく。
残ったのは、薄暗い空と、白い息と――
医務棟の窓越しに、毛布をかぶった誰かの影越しに見える、兄妹の小さなシルエット。
(全部は守れない。
でも、“届いたところ”には、ちゃんと手を伸ばす)
それが、自分の立つ戦場なんだと――
ようやく、少しだけ、現実として腹に落ち始めていた。




