Sky68-背中の面影-
雲の下は湿って暗い。木々の上を流れる風が重くて、機体の腹を押し上げる感触がある。古賀あすみはスロットルを絞り、計器の針が落ちるのを目で追った。耳の奥でエンジン音が低くなり、代わりに枝を払う音が増えていく。
「降りる。脚、出す」
短く言うと、僚機のセリが返事の代わりに高度を合わせてきた。横に並びすぎない。離れすぎない。間だけをきっちり保って、同じ場所へ落ちてくる。
着地の瞬間、脚が泥に沈んだ。機体がきしみ、金属が鳴る。キャノピーの外に土の匂いが入ってきて、肺が一度だけ詰まった。
(空のほうが分かりやすかった)
(地上は、叫び声と銃声が耳に残る)
降りた途端に、叫び声が真正面からぶつかってきた。
「こっちだ! 列、止めるな!」
「担架! 担架こっち!」
走る足音。乾いた発砲音。怒鳴り声の途中でひっくり返る泣き声。森の中だと、全部が近い。距離があるはずなのに、耳の中へ直接落ちてくる。
あすみは銃を持って機体を降りた。足元の泥が靴底に絡み、立ち上がるたびに重い。すぐそばでセリも降りてくる。セリは周囲を一瞬だけ見回し、何も言わずにあすみの左斜め前へ回った。撃たれた時に、射線が一本減る位置。
難民の列は木立の間を蛇のように伸びていた。老人の背中に子どもが縋りつき、荷物が落ち、誰かが拾う。地上兵が腕で誘導しているのに、恐怖で足が止まる。
その列の外側――難民のすぐ脇で、武装した集団が動いていた。
装備は揃っている。動きは訓練されている。けれど連合の迷彩でも、帝国の徽章でもない。誰かが短く合図を出し、別の誰かが難民を背中に庇いながら射線を切っている。
その中心で、リーダー格に見える青年が軽機関銃を構えていた。
撃つ姿勢が、上手い。腰を落として、反動を受け止める。撃ちっぱなしにしない。短く刻んで、帝国兵の頭を上げさせない射撃。
(第三勢力……)
(でも、難民を庇ってる)
あすみは列へ走り込み、転びかけた子どもの肩を掴んで立たせた。指が細い。震えている。握った手が汗で濡れていて、ぬるい。
「大丈夫。前、行ける?」
子どもは頷けないまま目だけ動かした。あすみは背中を押し、母親らしい人の腕へ渡す。次に、足を引きずる老人がいる。地上兵が抱えようとして抱えきれず、呻いている。
あすみは黙って肩を入れ、持ち上げた。骨が軽い。服が湿っていて、土の匂いが濃い。
(肩に、骨の軽さが乗る)
その時、軽機関銃の射撃が一瞬止まった。止まった理由が、弾切れか、
状況判断か――判断する前に、青年が半身を翻した。
背中がこちらを向きかける。
あすみの足が、ほんの少しだけ止まった。
左が少し下がる肩の癖、首筋から顎にかけての骨格。
(見たことがある)
そう思った瞬間、別方向の銃声が増え、煙が森の低いところを這って視界を切った。
あすみは老人を地上兵に渡し、煙の向こうへ声を投げた。
「そこの人、動かないで!」
自分でも驚くほど、声が強く出た。
その声は、煙に吸われた。
返事はない。
でも、煙の向こうで――金属が擦れる音が一つ、耳に入った。
誰かが半身を翻す。
顔じゃない。輪郭でもない。
背中だけが、薄い灰の向こうで一瞬だけ形になる。
肩甲骨の位置。武器を支える腕の角度。
難民の列に対して、身体を“盾”にする寄り方。
あすみの足が、ほんのわずか止まった。
(……)
言葉は出ない。出せる場所でもない。
帝国兵の射線が木の幹を削り、樹皮が弾ける。
近くで子どもの泣き声が跳ね、誰かの「伏せろ!」が重なる。
「列! 止めるな!」
地上兵の怒鳴り声に引き戻され、あすみは息を吸った。
泥が靴底に絡む。踏み直すたび、重い。
背中は、もう見えない。
煙が厚くなって、森の奥が一枚の壁になる。
それでも――
さっきの一瞬が、目の奥に残ったままだ。
あすみは銃を構え直し、列の外側へ身体を寄せる。
転びそうな荷物を引き上げ、次の人の背を押した。
指先に残る震えを、引き金に渡さないように。
もう一度だけ、煙の向こうを見る。
そこには、灰色しかない。
(……背中だけ)
あすみは、それを飲み込んだまま、前へ動いた。
煙が薄くなった一瞬、爆撃で上がった炎で青年の顔が見えた。
髪色が違う。記憶の黒髪より少し薄いグレー。目の色も違う。
森の光のせいかもしれない。
それでも――視線が遮蔽物を拾う順番だけが、記憶と同じだった。
あすみの指が勝手にセーフティを探し、肩が銃床を押し込んだ。
第三勢力。識別不能。武装。近距離。
銃を構える。肩を入れる。照準が上がる。
(……。)
さっき見えた、あの顔。はっきり見えたわけじゃない。
それでも、自分の直感が言っていた。
あの青年の顔を、知っている。
そして……口が、勝手に動いた。
「……カイト?」
確認じゃなかった。言ってしまった時点で、胸の奥が決まってしまう。
青年が、こちらを見た。
ほんの一瞬、肩が止まった。
銃声の中で、呼吸の音だけが残る距離だった。
その目が、あすみの銃口を一度なぞった。
(……嘘)
(ーーなんでここに)
カイトは、あすみの目を見た。
煙越しでも分かる。銃口の軌道より先に、目が決まっている。
撃つ時の目だ。迷いが残る前に、手順へ落ちる目。
(……そうか)
分かっていたはずだった。
西方で飛んでいる“赤い薔薇”が、軍の中でどう扱われるか。
どう変わるか。
自分が会わないほうがいい理由も。
それでも、あすみの瞳を見て、胸の内側が一度だけ沈んだ。
(こいつは――俺を識別する前に、撃てる)
(…もう“撃てる眼”になってしまった)
あすみの銃口が上がる角度が、こちらの肩の高さに揃う。
距離。風。遮蔽物。全部が数字みたいに整列していく。
カイトは反射で、難民の背に自分の背を寄せた。
撃たれたら、ここで受ける位置。
銃を振り向けるより先に、守る姿勢が出てしまう。
(……あすみに見られた)
避けてきたはずの瞬間だった。
⸻
次の瞬間、横から衝撃が入った。
セリが飛び込んできて、あすみの銃口を押し下げた。
強くはない。逃げられない程度。けれど確実に下がる角度。
「バカ、撃つな! 民間人庇ってるだろ!」
セリの声は荒かった。
怒鳴っているのに、視線はあすみから逸らさない。
あすみの顔を見て、状況を見て、その順番を崩さない。
あすみは息が詰まったまま、銃を下げきれない。
下げきれないのに、もう撃てない。
カイトが、あすみを見た。
その視線は、知っている“人の目”じゃなかった。
距離と角度と、次に動く方向だけを拾う目だった。
こちらの感情が入る余地がない。
爆発音が近くで鳴った。木が裂け、煙幕のように煙が増える。
視界が白と灰の間で揺れ、地上兵の叫びが割り込む。
「救護班! こっち来い!」
「列、動かせ! 今だ!」
救護班が担架を押して飛び込んできた。担架の金属が鳴り、布が擦れる。
目の前を人が横切り、射線も視線も切られる。
その隙に、カイトは難民の方へ身体を寄せた。銃を下げるのではなく、
難民の背中に自分の背中を当てるようにして守りながら、仲間と一緒に後退する。
あすみは一歩出た。
「………待っ!」
「カイト!」
声が届く前に、煙が濃くなった。
森の奥へ、影が溶けるみたいに消える。
足は踏み出せない。難民の列がまだそこにある。
(待って)
(なんで)
(追いかけたい、でも……)
(いま追ったら、列が割れる)
あすみは銃を握ったまま、立ち尽くした。銃を握る手に力が入る。
ーーー
帝国兵の射撃が、ふっと途切れた。
途切れた瞬間に訪れるはずの静けさは来ない。森は、静かになり方を忘れている。
泣き声、咳、怒鳴り声、枝を踏む足音。救護班が担架を引きずる金属音。
どれもが湿った空気に吸い込まれず、耳の奥へ直接落ちてくる。
「撤退! 帝国、引いたぞ!」
「列、動かせ! 止まるな! 通路あけろ!」
地上兵が腕を振って、難民の列を押し出した。
列は蛇みたいに伸びて、木立の間に吸い込まれていく。
荷物が落ち、誰かが拾い、拾えない人の分を別の誰かが背負う。遅い。けれど動く。
あすみは、煙の濃かった方向を一度だけ見た。
影はもういない。代わりに、難民の背中がある。背中の向こうに、
まだ撃てる距離の帝国兵がいなくなったことだけが、地上の空気を少し軽くしていた。
(今は終わらせなきゃ)
「あっち! 負傷者!」
救護班の声が刺さる。担架が二つ、ほぼ同時に運ばれてくる。
片方は肩を押さえた若い男、もう片方は脚を動かせない老人。
老人の手が、空を掴むみたいに震えていた。
あすみは駆け寄り、担架の横を押さえた。担架の端を持つだけで、重さの伝わり方が変わる。
救護班の隊員が息を詰めた顔で「助かる」と言い、あすみは頷くだけで返した。
「列は? 子どもが――」
言いかけて、声が途中で引っかかった。視界の端に、小さな頭が見えた。さっき肩を掴んだ子どもだ。
母親の腰にしがみついて、目だけでこちらを見ている。目が合って、すぐ逸れる。
「あすみ! 上!」
地上兵の声で、あすみは反射で空を見る。木々の切れ目の上に、リオとユイの機体が、低い高度で旋回している。
味方の音だ。安心するはずの音なのに、今日は胸の奥が固くなる。
セリが、少し離れた位置から手を上げて合図した。撤収。機体へ戻れ。
動きはいつも通りで、いつも通りだからこそ、さっきの衝撃だけが浮いたまま残る。
あすみは担架の端を離し、救護班に押し付けるように任せた。
「ありがとう!」
救護班がそう言った。あすみは返事をしないまま、頷きだけで済ませた。
機体へ走る。泥が靴底を掴む。重い。地上は、何もかもが重い。
SKYの脚元まで来て、あすみは一度だけ立ち止まった。
機体の脚に跳ねた泥の跡が、さっきの着地をそのまま残している。
キャノピーに手をかける。手袋越しでも冷たい。
背後で、セリの足音が近づいた。半歩ずらし、周囲を見渡しながら、あすみの横に止まる。
「戻るぞ」
あすみは頷き、コクピットに滑り込んだ。
ハーネスを引き、バックルが噛み合う音を確かめる。キャノピーが閉まる。
――外が、薄い膜の向こうに移動した。
泣き声が遠のく。土の匂いも薄まる。湿った空気の重さが、急に軽くなる。
代わりに、自分の呼吸がヘルメットの中で反響する。
(……さっきの目が頭に残ってる)
計器が立ち上がる。手順が、きれいに整列する。
無線が入る。セリの声。近いのに遠い。
『あすみ? 聞こえてるか』
返事が遅れた。遅れた理由を、自分で説明できない。喉が乾いて、舌が動かない。操縦桿を握った指が硬い。
『……おい』
二度目は短い。急かしていない。確認だけ。
あすみは息を吐いて、短く言った。
「……カイトがいた……」
無線が一瞬、空白になった。セリの呼吸が止まる気配が、マイク越しに分かる。
『……』
その沈黙を切ったのは、管制の声だった。平らで、事務的で、今は救いみたいに冷たい。
『アルファ2、REDROSE。上空へ復帰。残敵監視。
地上班、撤収完了までカバー。燃料残量、報告』
管制の声がもう一度あすみを呼んだ。
『ーーーREDROSE?報告』
あすみは急いで視線を計器へ落とす。数字へ逃げる。逃げることで、崩れずに済む。
「REDROSE、燃料残、――」
途中で一瞬だけ息が引っかかった。胸の奥が、森をもう一度見たがっている。だが手順が先に来る。
「――残、六二。現空域、風弱。機体、軽微汚損のみ。飛行継続可能」
『了解。アルファ2は?』
セリが続ける。声は平常、けれど少しだけ低い。
『アルファ2、燃料残、五九。飛行継続可能』
『了解。二機、上昇。高度一二〇〇。航路デルタへ。』
スロットルを押し込む。エンジンが息を吸い込み、機体が震える。脚が泥を離れる。枝を払う音が消えて、森が下へ落ちていく。
上昇するにつれて、現場の音が薄くなる。薄くなるほど、置き去りにしたものだけが重くなる。
(追えなかった)
(追わなかった)
旋回。視界の端で、難民の列が小さく見える。列の隣に、地上兵と救護班の動き。担架が動く。列が動く。動いていることだけは、確認できる。
『地上班より。列、抜け道へ誘導中。帝国、接触なし。周辺、警戒継続』
『管制、了解。アルファ2、REDROSE、監視続行。』
あすみは視線を遠くへ置く。遠くへ置くことで、冷静になろうとした。
セリの無線が、短く入った。
『……見間違いだろ』
あすみは、即答しなかった。
「……間違えたりしない」
説明はできない。したくない。
説明したら、自分がカイトに銃口を向けた事まで言葉にしてしまう。
セリは返さなかった。
(…セリ、あの時……なんで止めたの。)
スロットルを握るあすみの手が、かすかに震える。
監視時間が過ぎ、管制から帰投指示が来る。
『アルファ2、REDROSE。帰投。前線拠点、滑走路アルファへ。降下指示、追って出す』
雲の下へ降りると、森の湿気がまた近づく。けれど今度は地上の中ではない。
空から見ると、森は“面”になる。面になると、さっきの背中が見えない。
(見えない)
(だから、今は飛べる)
前線拠点の滑走路が見えてくる。短い。仮設。周囲にテントと照明。救護車両が何台か走っていて、赤いライトが地面を舐める。
『管制より。REDROSE、進入許可。続いてアルファ3。風、右から二。』
「REDROSE、了解」
降下。速度。角度。手順。レーンが近づき、脚部が接地する
衝撃が足元から来て、体の中の硬さが一段増える。
キャノピーを開けた瞬間、外の匂いが戻ってきた。
消毒液、泥、火薬。救護の声。金属が鳴る音。
全部が混ざって、夜の薄さが始まっている。
整備兵が近づいてきて、手を上げた。
「REDROSE、機体外観チェック入ります。泥、脚部に付着。損傷確認します」
「お願いします」
あすみの声は普通だった。
セリが隣で降り、ヘルメットを外した。
彼はあすみを見ないまま、整備兵に短く言う。
「アルファ2も同様。急ぎで頼む」
整備兵が頷き、ライトを当てて脚部を覗き込む。光が泥の跡を白く浮かび上がらせる。
救護班が担架を運ぶのが見えた。担架の上の老人の手が、まだ空を掴むみたいに動いている。あすみはその手から目を逸らし、代わりに端末の通知を開いた。
「残敵監視、報告済」
「帰投、受領」
「次ブリーフ時刻:〇七三〇」
画面が冷たい。冷たいから、手が止まる。
あすみは端末を消さずに、ただ画面の明るさを落とした。光が弱くなると、さっきの目がまた浮かぶ。
(間違えるわけない)
(ーーーあれはカイトだった。)
遠くで、救護の声が交差した。発電機が低く唸り、テントの布が風で鳴った。
あすみはヘルメットを抱え直し、息を一度だけ深く吸った。
吸ったのに、胸の奥の硬さはほどけないままだった。
銃を持っていた自分の手を見つめる。
ーーさっきの森で、私はカイトに銃を向けていた。
ーーー
前線拠点へ戻ったのは、日が沈みきる直前だった。
森の湿気を腹に溜めたまま、輸送車のタイヤが泥を噛む。
車列のライトが短い影を切り刻み、テントの列が暗がりに浮いた。
救護班の灯りだけが明るい。担架の金属が鳴り、消毒液の匂いが鼻の奥に刺さる。
あすみは降車してすぐ、ヘルメットを抱え直した。
泥が乾きかけた手袋がざらつく。自分の心拍が、耳の奥で遅れて響く。
「古賀一等兵、アンダーソン一等兵。こちら」
誘導兵の声に従って、簡易デブリーフ用のテントに入る。
中は狭い。地図板、タブレット、赤鉛筆。椅子は足が短くて、座ると膝が上がる。
担当の士官は、最初に“結果”を言った。
「難民列、第一集結地点まで誘導完了。連合側死傷、軽微。帝国小隊、撤退。以上」
それからようやく、目が上がった。
「第三勢力の目撃報告は?」
あすみは、喉の奥で一度だけ言葉が引っかかった。誰かの背中。半身。目。煙。銃口。
セリが先に口を開く。
「識別不能。連合でも帝国でもない。難民を庇って後退した」
「交戦は?」
「なし。こちらも撃っていない」
士官は頷き、画面に何かを入力した。
「了解。次、弾薬・燃料」
数字が並び、チェックが入る。ペン先が紙を叩く音がやけに乾いている。
あすみは「了解しました」と言った。言えた。言えたのに、胸の奥に別のものが残ったままだった。
テントを出ると、夜が落ちていた。
仮設テントの布が風で鳴り、発電機の低い唸りが地面を震わせる。
土の上に敷かれた板が軋み、誰かのブーツが遠くで止まる。消毒液の匂いと、火薬の残り香が混ざっている。
救護の列の端で、難民の子どもが小さく泣いていた。母親らしい人が背中を撫でている。
あすみは視線を向けたまま、足が出ない。出せば、さっきの煙の向こうが戻ってくる。
(向けたのは、私だ)
あすみはテントの陰で立ち止まった。
ヘルメットを抱えたまま、指が顎紐の縫い目をなぞる。締めた感触がまだ残っている。
セリが少し遅れて来た。髪に泥が跳ねている。頬のあたりに小さな擦り傷。
セリはそれを気にせず、あすみの正面には立たない。半歩ずらして、逃げ道を塞がない位置。
あすみはセリを見上げた。目が乾いているのに、瞬きが増える。
「なんで止めたの」
声は震えていなかった。震えていないから、余計に硬い。
セリは目を逸らさない。けれど踏み込まない。肩の力だけ少し抜いて、短く言った。
「あいつは民間人庇ってた。こっちに銃向けたのは帝国だけだ」
あすみは唇を噛んだ。噛んだのに、言葉が止まらない。
「撃つか撃たないかは、私が決める」
言い切った瞬間、喉の奥がひりついた。
セリの眉がわずかに動いた。怒った顔じゃない。事故を想像した顔だ。セリは一拍だけ置いて、息を吐く。
「材料が足りないなら、まず撃たないって選択もあった」
その言い方が、あすみの胸に刺さった。正しい。正しいのに、地上でそんな余裕がなかったことも分かっている。
あすみはヘルメットを抱える腕を少し強く締めた。顎紐の金具が、微かに鳴る。
セリは低い声のまま、もう一つだけ言う。
「お前、今の自分の顔見てみろよ。」
あすみは何も返せなかった。返せないまま、ヘルメットを抱える腕に力が入る。指の関節が白くなる。
沈黙が落ちた。テントの布がまた鳴った。発電機の唸りが変わらないまま続く。
あすみは喉を動かし、声を絞った。
「……知ってるの? さっきの人のこと」
セリはすぐに答えなかった。間があった。その間に、あすみの中で“答え”が先に形になる。
セリは一度だけ目を伏せた。それから顔を上げる。
「……知らねえよ」
セリはそのまま、言葉を足した。言い切るのに迷いがない。
「嘘。何か知ってるんでしょ?」
あすみはセリに一歩近づく。
「ずっと探してたって知ってたのに」
「なんで、私に何も言わなかったの?」
セリは手で裾を直しながら静かに言った。
「だから、知らねえって」
あすみが泣きそうな顔でセリを見つめる。
セリはあすみの顔を見て、視線を足下に逃した。
「会えたのに」
「……またいなくなった」
本当に言いたいことは、別にある気がした。
でも、まだ言葉にならない。
「私、なんのためにーーー」
あすみは途中で言葉を止めた。
それ以上言ったら、この場に立っていられない
そう思った。
テントの奥で誰かが咳をした。救護の声が遠くで交差する。戦場の夜は続いていく。
セリの指先が一度だけ動いた。自分の袖口の泥を払う仕草――いつもなら雑にやるのに、今夜は妙に丁寧だった。
あすみはそれを見てしまって、余計に目を離せなくなる。
セリは少し間を置いた。
「お前は?」
「前にホルストに廊下で何を言われた?」
セリの視線があすみの目に合ったままだ。
「あれからずっと変だぞ」
あすみはセリを見返した。ホルストに言われた言葉達があすみの脳裏に蘇る。
「……それは今関係ないでしょ」
「じゃあ、俺もだ」
セリは短く返事をした。
「この話は終わりだ」
息を吐いて、視線を少し逸らした。逸らした先は救護の灯りだ。
逃げたわけじゃない。見ていられないものがある目だった。
あすみはヘルメットを抱え直し、息を一度だけ深く吸った。吸ったのに、胸の奥の硬さは残ったままだった。
(セリは、何かを隠してる)
(……なんで隠すの)
その確信だけが、夜の薄さよりはっきりしていた。
テントに戻る道すがら、端末が震えた。次の行動予定の通知。時刻。集合場所。装備点検。短い文が並ぶ。
あすみは画面を消さなかった。消せなかった。
暗いままの画面に、自分の目だけがうっすら映っていた。
その奥に、煙の向こうでこちらを見た“あの目”がまだ残っていた。
ーーー
翌朝、第0小隊は第七艦隊へ帰還命令を受けた。
格納庫に着き、あすみが機体から降りるとセリが整備班と話していた。
整備班が機体の脚部を見ながら笑っている。
「泥だらけじゃねえか。ぬかるんだところに着地しやがって」
セリは機体から降りながら、少し困ったように笑っている
「森でぬかるんでない場所を探せって方が無茶だって」
あすみはセリの方には視線を向けないまま、黙って横を通り過ぎる。
セリは格納庫の出口へ歩いていくあすみの背中を見たが、すぐに視線を逸らした。
リオとユイは、その様子を自分たちの機体の側で端末を操作しながら見ていた。
ユイが端末に視線を落としたまま言う。
「昨日、テントの外で言い合ってた」
リオは自分の機体の脚部に寄りかかってセリの方に目を向けていた。
「盗み聞きは良くないぞ」
ユイの視線は端末から離れない
「聞いてない。布一枚向こうで、聞かないようにする方が難しい」
リオがふっと笑う。
「そりゃそうだ」
そして、鼻から息を吐くように、軽くため息をつく
「あと数日で本部に帰るっていうのに、うちの隊はどうなることやら」
ユイは手に持っていた端末を持ち直し、リオの前を通り過ぎる
「なるようにしかならない」
「お腹すいた、食堂行こ。」
あすみは廊下を歩きながら、何度も同じ言葉を思い返していた。
けれど、答えはまだ見つからない。
数日後には、本部へ帰る。
アーロン艦長が副官と共に廊下の向こうから歩いてくる。
廊下を歩いている他の船員達がすれ違いながら敬礼をしている。
あすみも廊下の端で足を止め、敬礼をして道を譲る。
艦長は少し立ち止まり、敬礼を返した。
「戻ったか。ゆっくり休め」
ありがとうございます。とだけ返して、あすみは自室へ向かって歩き始める。
副官が通り過ぎるあすみに一瞬だけ視線を向ける。
あすみが廊下を曲がるのを見届けると副官が口を開いた。
「……REDROSEは今日もピシっとしてますね」
アーロンが短く答える
「そうだな」
(抱えきれないものが目の前に落ちてきた時)
(人間というのはいつも以上に冷静を装うものだ)
(だが、目だけは嘘はつけない)
前日までの慌ただしい空気はもうない。
そして、第七艦隊は静かに波を切って進んでいく。
3月21日より、毎週土曜日に3話連続更新と変更になります。
詳しくは活動報告にてご確認ください。




