Sky57-迎撃戦-
ブリーフィングルームの空調は、一定の風を吐き続けていた。椅子の脚が床を擦る音だけが、妙に目立つ。
壁面モニタの格子図に、淡い点がいくつか灯っては消える。まだ「戦い」ではない段階の光だ。
ヘイル大尉は端末を机に置き、顔を上げた。眉ひとつ動かさず、結論だけを落とす。
「迎撃。帝国軍のSKY編隊が侵入する。目的は撃滅じゃない。侵入阻止だ。線を越えるな。押し返して戻せ」
モニタに赤い細線が引かれる。ここから先へ出るな、という線。
線の内側にいる限り、何とかなる。その外は、味方の“目”と“手”が届きにくい。
管制の声が遅れ、援護も遅れる。線を越えた瞬間からは、追った側が先に孤立する。
「散発扱いだ。……ただし散発に見えても散発じゃない。上は釣り、下は抜け」
点滅が揃っている。高度も角度も、整えて来る。整えて来る相手に、こちらは削られながら合わせる。
「管制の更新に従え。独断で追撃するな。帰投後、戦闘ログ提出。共有対象は指示する」
共有、という単語が落ちた瞬間、室内の空気がわずかに固くなる。拍手も賛辞もない。西方では、言葉が「次の手順」に変わる。
あすみは頷いた。頷いたら、ここでは受領という意味になる。隣の席でセリが腕を組んだまま顎を少し引く。目だけが線を追っている。
後列で、トムが椅子の背にもたれたまま、息を吐いた。笑いは小さいのに視線が柔らかい。
「攻撃が断続的に続くって事か……困るなあ」
トムが、誰に向けるでもなく言った。
マックスが小さく噴き出し、すぐ喉を鳴らして止める。リサは肩をすくめるだけだ。
ヘイル大尉は拾わない。
「呼称確認。REDROSE。ALPHA2。その他、指定通り。――出撃準備」
椅子が引かれ、床の摩擦が一瞬だけ重なって、すぐに消えた。
⸻
廊下に出ると、足音が乾いた壁に返った。角を曲がるたび空気の匂いが変わる。
格納庫が近づくにつれ、油と熱の匂いが濃くなり、工具の乾いた音が輪郭を持つ。
格納庫は照明が強く、影が薄い。整備灯の下でREDROSEの機体が待っている。
脚立の上の整備士が端末を叩き、あすみへ目線だけを投げた。目の下に薄い影があり、指先は油で黒い。
「反応値、上がってます。制限はいつも通り。……戻ってください」
言い切って、整備士は機体側面のパネルへ視線を戻す。
「了解しました」
あすみは短く答え、ヘルメットを被る。内側の布が額に触れた瞬間、口の中の乾きがはっきりする。乾いたままにしておく。余計な熱が出る前に。
隣でセリが顎紐を引いた。金具が噛み合う小さな音。セリはあすみの機体のランプを一つずつ目で追い、最後にあすみの顔へ視線だけを寄せる。
「境界線を守る。追わない」
責める口調ではない。必要な注意だけが残る言い方だった。
「分かってる」
あすみが返すと、セリは短く頷いた。受け取った、という形だ。
コクピットに乗り込み、ハーネスが肩を締める。胸の前で金具が噛み合う。キャノピーが閉じると、外の音が薄くなった。機体の振動が床から上がり、背骨に沿って伸びる。
警報が鳴る。音より先に胸に薄い圧が乗る。
『スクランブル。迎撃。REDROSE、ALPHA2、発進許可』
「REDROSE、了解」
「ALPHA2、了解」
拘束が外れ、機体が前へ投げ出される。重力が背中を押し、胸がハーネスに押し付けられる。呼吸が浅くなる。浅くなるだけで、息は乱れない。
*
空に出ると状況を目で確認する。上空は広いのに、線が見える。
HUDに反応が灯る。数は多くない。中規模。散っているのに、進入角が揃っている。
『敵影、帝国軍SKY編隊。迎撃線維持。侵入阻止』
管制は乾いた声だ。余計な色がない。
遠くの光点が輪郭になり、輪郭が装甲の形になる。二層だ。上はわざと光って、こちらの視線を引っぱる。
下は雲の縁みたいに薄く、迎撃線の“隙間”だけを狙って滑ってくる。
追わせて、穴を開ける。穴が開いたら、下が抜ける。
ブリーフで聞いた言葉が、そのまま機体の動きになっている。
トムの声が先に入った。
「下、二。抜ける角度」
少し間を置いて、言いづらそうに続く。
「上、見せてる。……釣りだと思う」
別回線で、リオの声が弾けた。
「RED ROSE、無茶すんなよ! お前、今線ギリだ!」
軽口の形なのに、少しだけ速い。
ユイが重ねる。
「でも、角度きれい。……下、完全に読んでる」
評価でも称賛でもない。
ただの観測。
あすみは返さない。返さないまま、機体を置く。
あすみは視線を切った。下層の一機が迎撃線の内側へ薄く潜り、その背にもう一機が重なる。二機で穴を作る。抜けるための穴だ。
低く入って、抜ける時だけ上げる。あすみは機体を落とし、雲の縁に沿うように姿勢を作る。重力が胸の奥に乗り、耳の奥が軽く鳴る。視界の端が少し滲む。
手が冷える。冷えるだけで、指は止まらない。
上層の一機がわざと目立つ角度で光る。視界を引っ張る。釣り。指が一瞬だけ前へ行きかけた。
その瞬間、セリの声が割る。戦闘中の無線は短い。短いから、強い。
「あすみ。追うなよ。線を越えるぞ」
声に余計な感情がない。でも、いつもよりほんの少しだけ早い。
あすみは息をひとつ吐いた。
「了解」
追わない。追う代わりに、抜けたい方向へ立つ。敵が抜けようとする線に、自分の機体を置く。機体を傾けると、重力が横へ滑り、内臓が片側へ寄る感覚が走る。胸の圧が増す。耳鳴りが薄く広がる。
ロック音が短く鳴る。まず一機、こちらの標準から逃げるように回避する。逃げた先に、もう一機が“待っていた”みたいに胴体を差し込んでくる。
挟まれるーーそう理解した瞬間、背中に冷たい汗が浮いた。
トムが短く言った。
「来る」
あすみは息を一度深く入れ、機体の姿勢を作り直す。重力が一瞬だけ軽くなり、胸の圧が抜ける。その瞬間に、引き金を引く。
光が一直線に走って、相手の胴体のどこかを“噛んだ”。次の瞬間、姿勢制御がほどけたみたいに機体がよろけ、火花が散る。落ちるーーではなく“引く”。判断が速い。
派手なのに音は遅れてくる。爆ぜる音が薄く追いかけてきて、すぐ遠ざかる。
『撃墜確認』
管制が淡々と告げる。淡々としているから、胸の奥で勝利の形にならない。数字になるだけだ。
帝国機は引く。判断が速い。穴が塞がれたから戻る。損耗を嫌って撤退線へ乗る。追えば戦果は増える。増えれば次が増える。
セリの声がもう一度だけ入った。
「追わない。境界線で終わる」
「了解」
あすみは迎撃線の外側へ出ない。押し返して戻す。今日の目的はそれだけだ。トムの声が、少しだけ柔らかく落ちた。
「……線、残ってる。だから今はそれでいい」
褒め言葉ではない。確認の言葉だった。
⸻
帰投指示が入り、機体の振動が少しずつ落ちる。格納庫の光が近づき、着艦の衝撃が身体の芯に響く。キャノピーが開いた瞬間、油と熱と汗の匂いが戻ってきた。地上の匂いだ。
格納庫の片隅で、リオがヘルメットを抱えたまま言った。
「なあユイ。あの高度であの角度、普通戻るよな」
ユイは端末を見たまま答える。
「普通は戻る。戻らないのがRED ROSE」
「いや、褒めてねえよ俺」
「知ってる」
軽い笑い。
笑いは軽いのに、視線はあすみの機体を追っている。
デブリーフは短かった。
戦いの最中に聞こえた風切り音も、胸の圧も、管制の乾いた声も——そこには残らない。
残るのは時間と座標と回数だけだ。
最初に出るのは数字だった。侵入距離、交戦時間、交戦高度、撃墜数。誰がどんな顔をしていたかは、そこに載らない。
ヘイル大尉は端末を見たまま言う。
「侵入阻止、達成。撃墜一。――戦闘ログ提出。共有対象、REDROSE」
あすみは頷き、端末を開いた。時間、座標、交戦線、射撃回数。チェック項目が整列している。整列しているから、逃げ場がない。送信を押すと、小さな送信音が鳴った。鳴っただけで、今日の戦いが“処理”になる。
送信後、画面が自動で切り替わる。提出済み一覧の上段に、自分のログが並び、横に短い判定が付いていた。
《迎撃線維持:適合》
《追撃:なし》
《交戦高度:規定内》
《被弾:軽微》
《オルタイト反応:上限域》
《再現性:要観測》
要観測。
あすみは指先を端末の縁に当てた。手が震えるのを端末の縁で止めた。
爪の先が一瞬白くなる。言葉にすると減るものがある気がして、声が出ない。
ヘイル大尉の声が、画面から目を上げないまま落ちる。
「このログを基準にする。次回も同じ線、同じ手順で行く」
基準。成功が次の要求に変わる言葉だ。
あすみは頷いた。頷き方はいつも通りだった。いつも通りでいられることが、ここでは評価になる。
端末の片隅で、次の提出期限が点滅を始める。あすみは端末を閉じ、立ち上がった。椅子の脚が床を擦る音が短く響き、すぐに消えた。
次回更新は2/28 21時前後になります。




