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SKY  作者: RUI
BASE UNION

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56/125

Sky56-狭まる世界-

本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。

 


 西方配属から二ヶ月が過ぎて、作戦だけが淡々と積み重なっていった。

 静かな廊下を歩くアスミの靴音が、規則正しく響く。一歩、また一歩。白い床が光を反射して、影が薄い。

 ブリーフィングルームの前の掲示板には、今日の予定が分刻みで貼られていた。紙は新しい。インクも濃い。貼り方が綺麗すぎて、触る前から手が汚れない感じがした。

 セリが横で腕を組む。セリの癖だ。肘を締めると、声も締まる。

 扉が開き、隊員たちが入室していく。誰も雑談しない。誰も肩を叩かない。ただ、自分の席に向かって歩くだけ。その規律正しさが、かえって息苦しい。

 アスミは椅子に座り、背もたれに触れない姿勢のまま端末を開いた。隣のセリも同じ動きだった。鏡に映したように揃っている。

 楽な姿勢を取る前に、次の指示が来る。

 ヘイルが端末を操作すると、前方のスクリーンに地図が映し出された。

「結論から話す」

 そう言って、投影を切り替える。無駄な前置きがない。挨拶もない。

 画面には線と点が並ぶ。輸送路。車列。時間。風向。高度制限。避難区域の薄い囲い。

 全てが記号化されている。記号の下に、人がいる。

「本日の任務は、境界線西側輸送路の確保。第十四警備中隊が移動中。上空支援は第〇試験飛行隊。目的は殲滅ではない。輸送の継続だ」

 継続。その二文字は、感情の入り込む余地を塞ぐ。

「敵性勢力は散発。小火器および簡易対空を含む。上空支援は牽制を主とする。必要な場合のみ撃墜」

 セリが低い声で呟いた。アスミにだけ届く距離で。

「……散発って言い方、嫌いだ」

「並びが嫌」

 短く返すと、セリは小さく頷いた。表情は硬いまま、目だけがよく動く。

「散らばってるように見せて、実は計算されてる配置だ。散発じゃない」

 アスミも頷く。散発という言葉は、現場の手触りを薄める。薄めた分だけ、責任が曖昧になる。

 ヘイルは淡々と続けた。

「逸脱は禁止。射線管理を徹底。避難区域への流入を許すな。地上部隊の報告を優先しろ。REDROSE、Alpha2。以上」

 終わり方まで乾いている。質問の空白が残るのに、誰もそこへ手を入れない。空白に触れた瞬間、責任が生まれるからだ。

 部屋を出ると、廊下の白い灯りが目に刺さった。

 セリが歩きながら言う。声は低く、硬い。

「止めるぞ。今日は」


 *


 コクピットの中で息を吸う。ヘルメットの内側で、自分の呼吸がやけに大きい。

 《REDROSE、聞こえるか》

 管制の声は落ち着いている。

「聞こえます」

 短く答える。HUDの隅で、オルタイト反応の数値が揺れた。上がる。下がる。上がる。規定値の線に触れて、触れないふりをして、また触れる。

 《……出力、黄色帯。維持は推奨されません》

 機械音声が言う。丁寧で、無責任な声。

 分かってる。そう頭の中で言って、アスミは唇を噛んだ。噛んだところで、現場は待ってくれない。

 発艦レーンへ向かう振動が、足元から伝わってくる。

 《発進カウント、入る》

 管制の声が落ちる。機械の音と同じ高さで。

 《三、二、一——》

 世界が、音だけになる。金具。振動。呼吸。警告音。声は少ないまま、逃げ道だけが、静かに消えていく。

 HUDが立ち上がる。緑の表示が並び、機体の状態が数字で揃う。揃うと、気持ちも揃いそうになる。

 《Alpha2、準備完了》

 《BRAVO3、準備完了》

 《DELTA4、準備完了》

 《REDROSE、準備完了。滑走路進入》

 誘導灯が流れ、機体が震える。スロットルを押し込むと、背中に加速の圧力が乗った。身体が座席に押しつけられる。重いほど、速度が出ている証拠だ。

 地面が落ちる。基地が箱みたいに小さくなる。

 《合流》

 セリが右後方につく。視界の端にセリがいるだけで、やってはいけないことと、やってしまうことの境目が少し曖昧になる。止められる声があるからだ。


 *


 現地上空。地形の起伏が無線を削り、声が途切れ途切れに届く。

 《第十四警備。上空のREDROSE、聞こえるか》

「受信。状況を」

 《前方が止まりかけてる。撃って逃げる感じじゃない。車列を止めたい動きがある》

 止めたい。固めたい。固めたところを叩く。

 HUDの熱源が、道路脇に点々と見えた。散っている。散っているのに、寄り方が同じだ。散発に見せた配置。散発じゃない。

「セリ。右の空き地。熱源、寄ってる」

 《見えた》

 セリが外へ膨らみ、角度を取る。牽制射。土煙。影が伏せる。伏せた瞬間、別の位置から光が走った。

 輸送路の前方。路面が弾け、先頭車両がブレーキを踏む。後続が詰まり、車列が固まる。固まると、次が来る。

 《止まるな!》

 《前が……塞がった!》

 地上の声が乱れる。乱れると、人は今に張りつく。今に張りつくと、列は動けない。

 アスミは照準を、撃ってきた位置へずらした。

 撃ち合いは目的じゃない。射線を切る。切って、列を動かす。

 だが、射線は一つじゃない。建屋の影から、低い位置から、別の角度からも火花が走る。逃げ道を塞ぐような撃ち方。止めるための撃ち方だ。

 地図の端に、避難区域の薄い囲いが見えた。

 そこへ流れれば、地上はさらに固まる。固まれば、次が来る。

 ――今、切る。

 アスミは前傾姿勢に入り、背部スラスターの出力を絞った。巨体が建屋の高さまで滑り降りる。

 危ないと分かっていて入る。入らなければ、もっと重い事故が起きる。

 姿勢制御で推力を抜く。機体重量が脚部フレームへ落ちる。身体が一瞬軽くなり、ハーネスが胸を締めた。軽いと揺れる。揺れを抑えて、さらに落とす。

 距離表示が縮む。

 八〇〇、六〇〇、四〇〇。

 建屋の縁が、コクピットの視界いっぱいに迫る。

 《アスミ、下がりすぎだ!》

 セリの声が跳ねた。

 建屋の陰から、簡易対空の曳光が跳ね上がる。右肩装甲に擦過。装甲温度上昇。火花は細いのに、線がいやに正確だった。

 《その角度から戻れ!》

「分かってる」

 アスミの返事は短い。短くないと、手が遅れる。

 照準を合わせる。派手な目標じゃない。車列を止める〝手〟だ。

 建屋の影に隠れた車両。荷台。そこから何かを下ろそうとしている。対空砲か、ロケットか。

 地上の声が割り込んだ。

 《上空、そいつだ! そいつが列を止めてる!》

 アスミは即座に引き金を引いた。

 乾いた連射音。火花。次の瞬間、車両が跳ねる。熱源が弾け、炎が上がり、黒煙が立ち上る。射線が途切れた。

 車列が、ようやく動き出す。止まっていた点が、また線になる。

 ――動いた。

 喜びじゃない。確認だ。確認が取れたら、次へ進む。

 その瞬間、機体下部装甲が内側から叩かれたように跳ねた。

 ゴン、という鈍い音。

 衝撃は遅れて背中に来る。コクピットフレームが軋み、座席が突き上げられる。歯が噛み合う。

 HUDに警告が増える。橙色の表示。一つ、二つ、三つ。増え方が嫌だ。赤に寄らないのが、逆に嫌だ。

 《BRAVO3、右抑える!》

 曳光が斜めに走る。屋上の影が崩れる。だが射線は止まらない。

 《くそ、止まんねぇな……》

 《被弾したか》

 セリの声が一段低くなった。低い声は、本気で止める声だ。

「当たった。軽い」

 軽いと言い切る。言い切らないと、判断が遅れる。

 軽い被弾ほど危ない。軽いから動ける。動けるから、もう一回踏んでしまう。そして、次に当たったときは軽くない。

 後方から追撃の光が来た。低姿勢のまま機体を起こそうとして、機体が一瞬遅れる。遅れた分だけ距離が詰まる。

 《上がれ!》

 セリの声が割れた。通信にノイズが混じる。

 アスミは返事をしなかった。返事の代わりに、背部スラスターの出力を押し上げる。

 推力が噴き上がり、重量が脚部フレームから背へ移った。身体が座席に押しつけられる。胸が圧迫される。呼吸が浅くなる。重いほど、上がるための力が出ている。

 HUDの端に赤が増える。REDROSEの運用域。

 誰も驚かない。驚く段階は、とっくに過ぎている。

 ただ、赤が濃い。赤の重なり方が嫌だ。

 《……同期させすぎるな》

 セリが言った。オルタイトの反応値が行きすぎている。いくらアスミがオルディア人だからといって、長時間は危険だ。

 《DELTA4、REDROSE出力域、規定超過》

 《ログ保存。継続観測》

 ユイの声は揺れない。だが、言葉が増えている。

 オルタイト反応が跳ねる。数字が最大域に張りつく。九九・八、九九・九。機体が細かく震え、その振動が座席を伝ってくる。

 視界は歪まない。息も乱れない。

 けれど、指先は冷えていた。グローブ越しなのに、冷える。冷えたまま、細かく震える。震えは止まらない。でも、邪魔にはならない。

 震えたまま、レバーを握り直す。グローブの中で、指先の感覚が遠い。冷たい。握りすぎないようにすると、機首が滑らかに上を向いた。

「……っ!」

 引き起こしで加速の圧力が増える。身体が重くなる。視界の端が暗くなる。重いほど、上がっている。

 距離表示が跳ね上がる。

 二〇〇、四〇〇、六〇〇。

 建屋の縁が視界から落ちる。

 《……あの動き、基準にすんなよ》

 リオの小さな呟き。全軍回線には乗らない。

 追撃の射線が切れる。光が届かなくなる角度へ落ちた。

 《よし。……離脱。帰れ》

 セリの声が、元の低さに戻った。止める声が、次は帰れに変わる。

 地上の無線が入る。

 《車列、動いてる! 輸送継続!》

 目的は達成だ。達成は勝利じゃない。運用が回ったという報告だ。

「第十四警備、輸送継続確認。離脱する」

 《了解! 上空、帰れ!》


 *


 帰還ルートに入ると、赤は薄くなり、橙が残る。

 《REDROSE、機体状態を報告》

「帰還可能」

 《了解。滑走路進入許可》

 誘導灯が流れる。脚部が滑走レーンに接続して、ゴトン、という重い衝撃が腰に残った。脊椎を伝って首まで来る。止まった瞬間、遅れていた震えが追いついてきた。

 コクピットを開けると、乾いた空気が流れ込んだ。息が、ようやく深くなる。

 隣にAlpha2が並ぶ。セリが梯子を降りてくる。ブーツが金属を踏む音。

 眉間に深い皺。怒りじゃない。安堵の皺だ。安堵しているのに、まだ緊張が残っている。

「……ギリギリだった」

 アスミは頷いた。頷き方が早い。

「うん」

 それ以上、言わない。言い訳になるから。


 *


 二人は格納庫を出て、管理区画へ続く廊下を歩いていた。セリが前を見たまま言う。

「アスミ。今日の戦い方、生きてたからいいけど、無茶するなよ」

 アスミも前を向いたまま、即答する。

「分かってる」

 角を曲がった先で、声がした。通りすがりの、小さな声。

「REDROSEだ。今日の見た?」

「凄かったな。さすがSランク」

 軽い笑い。

「お前だったらすぐ帰ってきてたな」

 聞こえる。聞こえてしまう。

 アスミは歩幅を変えない。ヘルメットを抱える腕にだけ、少し力が入る。

 その先の壁際に、リオが立っていた。すでに制服に着替えている。飛行後の汗を流してきたのか、髪がまだ湿っていた。声のした方を見ようとして、やめた顔をしている。

 少し離れた位置で、ユイが端末を閉じた。何も言わない。

 リオが一瞬だけアスミを見て、目を逸らす。

 セリが、さらに声を落とした。

「今日のは、正しくはないからな」

 アスミは遅れて頷いた。頷いたのに、喉が鳴らない。

「……うん」

 白い光が、全部を同じ色にする。同じ色になるから、違いだけが残る。

 今日、危ない飛び方をした。自分でも分かってる。降下して、ぎりぎりでオルタイトの出力を上げて上昇する。全員ができるわけじゃない。命と引き換えの危険行為だ。

 それでも。同じことをしても。生き残った人だけが、正しかったことになる。

 じゃあ、死んだ人は。

 言葉は、置き場を失ったまま残る。二人の足音だけが、一定に続いた。

「私、管理課に行ってくる」

 アスミがふいに言った。セリが横目でこちらを見る。

「どうした」

「……ちょっと」

 そう言って、セリと別れ、管理区画へ続く廊下を歩いて行った。


 *


 白い照明の下。廊下の壁には、各部署の案内板が並んでいる。

 管理課の扉を開けると、中は静かだった。窓口が三つ並んでいて、一つだけ空いている。

 アスミはその窓口に向かった。靴音が床に響く。響くたびに、胸が少しずつ冷えていく。

 窓口の向こうに、担当者が座っていた。三十代くらいの男性。軍服ではなく、背広を着ている。端末から視線を上げない。

「要件を」

 声が平坦だ。事務的で、温度がない。

 アスミは息を吸った。吸って、言葉を整える。

「行方不明者の照会許可を申請します。個人名でのデータベース検索と、関連ログの閲覧です。手元の端末でも今までできていたはずなんですが、弾かれてしまって……」

 担当者の指が端末を滑る。そして、止まる。短い沈黙なのに、やけに長く感じた。

 顔を上げた。目がこちらを見る。でも、アスミを見ていない。胸元のパッチを見ている。REDROSEの徽章を。

「REDROSEの運用規定が変わりました。許可は出せません。規定外です」

 声の調子は変わらない。抑揚がない。感情がない。

 アスミの胸が、一度だけ跳ねる。

「でも……いままでは」

 途中で切れた言葉に、担当者は被せるように返した。

「いままでとは、貴女の規定も運用方針も違います」

 正しい言い方だった。

 端末の画面には、申請項目が残っている。未入力。未承認。

 赤い文字で「アクセス拒否」。

 なんで。そう言っても、ここは規定です、と返されて終わる。そのことは、もう嫌というほど分かっていた。

 アスミは頷くだけで窓口を離れた。言葉が出ない。出そうとしても、喉が閉じている。

 廊下に出ると、足音だけが戻ってきた。

 さっき見た「規定外」の文字が、目の裏に残っている。赤い文字。冷たい文字。


 どこにいても、ずっと探していた。

 休日になると、ヴィーラで上空を飛んだ。難民船が通る航路を、何度も何度も飛んだ。見つからなくても、探せていた。探せているという事実が、希望だった。

 行方不明者リストも、端末で見られた。毎日、更新を確認した。名前がないことを確認するのが、日課だった。

 西方は中枢だから、もっと詳しく辿れるかもしれないと思っていた。もっと多くの情報があるかもしれないと思っていた。

 ――思っていただけだった。

 強くなれば、探せると思った。強くなるほど、自由がなくなる。

 REDROSEになるほど――REDROSEになったから、探せなくなった。

 カイトを探すために、ここまで来たのに。

 廊下の壁に、ポスターが貼ってあった。規律。統制。効率。大きな文字。綺麗な文字。その下を通り過ぎる。足音が響く。誰もいない廊下で、自分の足音だけが響く。

 曲がり角を曲がったところで、立ち止まった。壁に手をつく。冷たい壁。息を吐く。吐いたのに、胸が軽くならない。REDROSEだから。ここでは、自由に探せない。

 問いに、答えはない。答えがないまま、問いだけが残る。アスミは壁から手を離し、また歩き始めた。

 窓の外に、基地の滑走路が見えた。格納庫へ戻す途中の、白い装甲の機体が並んでいる。REDROSEの機体も、そこにある。

 あの機体で、空を飛べる。敵も撃てるし、民間人も守れる。でも、カイトを探すためには飛べない。

 並んだ機体の胸部が、夕方の光を受けて同じ角度で光っていた。どれも同じ形をしている。どれに乗っても、行ける場所は決められている。

 なんで。

 問いは胸の中に落として、消した。

 窓から目を逸らし、自室へ向かって歩き出した。その足音だけが、無機質な廊下に響き続けた。


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