Sky51-第0試験飛行隊-
本作『SKY』は作者本人が小説家になろうにて連載・管理しています。無断転載・無断利用を禁じます。
翌日、西方の朝は北方よりも静かだった。
身支度を整えて部屋を出ると、セリも同じタイミングで出てきた。アスミは、その頭の寝癖に目をやりながら言った。
「おはよう。よく寝れたみたいだね」
寝癖を触りながら、セリが短く返す。
「枕が変わっても寝れるのが特技だからな」
アスミは口角を上げて「そうだっけ?」と笑った。いつも通りのやり取りをしながら、二人は食堂まで歩いていく。昨日の緊張は、今朝はいくらか和らいでいた。
朝の食堂は、昨日の夕方より人が多かった。とはいえ、話し声より食器の音のほうが多い。天井の高い空間に、金属のトレーが台を滑る音と、椅子を引く音だけが等間隔で響いている。
トレーを受け取って列に並ぶと、サラダ、魚、パン、スープが順番に、規則正しく乗せられていった。盛りつけの量まで、前の人と寸分違わない。
「魚か。珍しい」
セリがトレーを見ながら言う。
「確かに。でも朝からお肉じゃなくて、私はちょっと嬉しいかも」
アスミは席を探しながら、セリの前を歩いた。二人は隅のほうの席に向かい合わせで座る。
「今日の予定は配属ブリーフィングだけか?」
セリがパンを口に入れながら、端末の予定表を確認している。
「午前中は配属ブリーフィング、そのあとは格納庫と管制室に配属の挨拶、午後はシミュレーション室の確認と小隊会議……分刻みだね」
アスミはスープを一口飲んでから、スケジュールをスクロールした。
「分刻み……えぐいな」
「北方だったら午前任務、午後任務とかだったよね」
セリが鼻で息を吐く。
「それはそれでやばいけどな」
「まあね」
短く返しながら、アスミは端末を閉じた。
今日から、ここではコードネームで呼ばれる。西方での戦い方を模索する日々が始まる。その緊張は、昨日よりも強くなっていた。
*
会議室は、北方基地のものより狭くて、ずっと無機質だった。白い壁には掲示物も傷もない。天井に埋め込まれた照明が影を作らない角度で降りてきて、机の上の薄いプレート状の端末を淡く照らしている。紙は一枚もなかった。
長方形のテーブルがいくつも並び、灰色の椅子が整然と据えられている。座面の高さも、机との距離も、全部が同じだ。
アスミは、その一番端の席に腰を下ろしている。制服の袖を、膝の上でぎゅっと握った。隣ではセリが背筋を伸ばし、正面のスクリーンをじっと見つめている。
空調の風と、どこか遠くで鳴る搬入用リフトの低い振動。それだけが聞こえる。北方で聞き慣れていた、整備兵たちの笑い声や、廊下を走る足音はない。
静かすぎる。どんな小さな音でも、拾われてしまいそうだった。
扉が開く音に、アスミは視線を上げた。
年配の将校が二人、入ってくる。一人は肩章に大佐の階級章。短く刈り込まれた灰色混じりの髪に、鋭い目。もう一人は大尉。やや無精な前髪を後ろに撫でつけ、落ち着いた茶色の瞳が部屋を一周した。
「全員、着席のままでいい」
大佐が低い声で言う。スクリーンの上にホログラムが立ち上がり、部隊名と部隊章が表示された。
《NTO統合軍西方方面軍 第〇試験飛行隊》
「ホルスト大佐だ。今日からお前たちの上官になる」
冷ややかというより、温度を切り離したような視線が列を眺めていく。アスミとセリのところで止まったが、何も言わず、すぐに資料へ戻った。
「本隊は試験飛行隊だが、やることは、どこにでもある前線部隊と同じだ。ただ一つ、違うのは――」
ホルストが指先で空中の資料をめくると、オルタイト結晶を模した図形と、いくつもの数字のグラフが浮かんだ。
「戦果と、データが同じ重さで求められる。ここでは、お前たちの動き一つひとつが、全部数字になる」
アスミの背筋に、冷たいものが走る。
数字。北方でも、出撃ごとに記録は取られていた。ただ、あそこでは先に「生きて帰ったか」があった。その上で、撃墜数、被害。この部屋では、最初からホログラムの中央に、棒グラフだけが立っている。
セリが横で小さく息を吐いた。視線は真っ直ぐ前を向いたまま、膝の上の指先だけが、きゅっと握られる。
「オルタイト運用試験部隊である以上、適合率、負荷データ、被弾時の機体挙動。それらは全て、次の機体、次の戦場のための材料になる。感情は評価しない。数字だけが残る」
ホルストの声には、良くも悪くも感情の波がない。その淡々さが、逆に逃げ場のなさを際立たせていた。
「以上が、本隊の役割だ」
そこまで言うと、隣の大尉に視線を投げる。
「ヘイル大尉。指揮官として、一言」
ヘイルと呼ばれた男は、椅子の背にもたれていた体をゆっくり起こした。整った顔立ちだが、口元にはかすかな笑い皺がある。アスミたちのほうを見て、柔らかく口角を上げた。
「ヘイルだ。第〇試験飛行隊の隊長をしている」
声は穏やかで、ハイルトンを思わせる落ち着きがどこかにある。けれど、その瞳の色はハイルトンよりずっと薄く、何かを測るように静かだ。
「……まず、来てくれてありがとう」
意外な第一声だった。
「ここは前線だ。試験って名前が付いてるからって、安全な場所じゃない。けど、そのおかげで、お前たちのデータが、この先のどこかで誰かの命を救う」
テーブルの上に置いた指が、トン、と一度だけ鳴る。
「だから、敬意を込めて、今日からお前たちを呼ぶ」
ヘイルがホログラムの表示を切り替えた。
《S-RANK/REDROSE》
赤い紋章が、光の中に咲く。
「Sランク枠。第〇小隊に配属される。アスミ・レイナー一等兵、セリ・アンダーソン一等兵」
名前を呼ばれ、アスミは立ち上がった。セリも一緒に椅子を引く。視線が一斉にこちらを向き、数秒だけ、会議室の空気が重くなった。
ヘイルは、その空気を読み取ったように、肩をすくめてみせる。
「勘違いしてほしくない。特別扱いと言っても、偉いわけじゃない。お前たちは単に、ここで一番データが欲しい二人ってだけだ」
さっきまで優しげだった声が、そこで硬くなる。
「戦果を出して、生きて帰る。その過程で、お前たちがどう感じたかは、報告書に書いても書かなくてもいい。けど、操縦レバーを握る手を離しちゃいけない。こっちは、お前たちの〝数字〟に責任を持つ」
ヘイルの視線が、まっすぐアスミに刺さる。アスミは逸らさなかった。胸の奥を、北方の雪と、ハイルトンの声がよぎる。
……ちゃんと、飛ぶ。心の中で、静かに言い直した。
敬礼すると、ヘイルは満足げでも不機嫌でもない、淡い表情で頷いた。
「着席していい」
二人が座る音に合わせて、空調の音が戻ってくる。
ホルストが再び前に出た。
「Sランク枠の運用について」
ホログラムに、任務区分の一覧が表示される。
「レイナー一等兵、アンダーソン一等兵。お前たちは原則として、対帝国《オルタイト兵装》出現時の迎撃担当だ。通常パトロールにも出てもらうが、優先されるのはデータが取れる戦場だと思っておけ」
アスミは、スクリーンに並ぶ文字を黙って追った。
迎撃。オルタイト兵装。優先。
単語だけが、薄い痛みになって胸に刺さる。
セリが横目でちらりとこちらを見た。言葉にはしないが、大丈夫か、と聞いている目だ。アスミは小さく頷いた。ちゃんと前を向いているふりをして。
「質問は?」
ホルストが全体を見回す。誰も手を挙げない。ここで「嫌です」とは言えないことを、全員が分かっている空気だった。
沈黙を区切るように、ヘイルが軽く咳払いをする。
「じゃあ最後に一つだけ。ここは〝家〟じゃない。帰ってきて、ほっと息をつく場所じゃない」
その声が、先ほどより低くなった。
「でも、戦場から戻ってきたときに、『まだ次が戦える』って思える場所にはしたいと思ってる」
彼は、柔らかく笑った。
「だから、必要なことがあれば言え。可能な範囲で聞く。……不可能なことは、ホルスト大佐に泣きつけ」
「誰が泣きつかれるか」
ホルストが小さく眉をひそめる。しかし否定はしない。会議室に、わずかな笑いが生まれた。
アスミは、その笑いの中にいる自分が、どこか遠くの人みたいに感じた。
ここは家じゃない。頭ではとっくに分かっていたことを、はっきりと言葉で突きつけられる。北方の食堂。雪かき。みんなで囲んだカップの湯気。あそこは、家だった。
今いるこの部屋は、効率的で、整っていて、綺麗で、冷たい。テーブルの端に置かれた自分のネームタグだけが、急に軽く思えた。
「以上。第〇試験飛行隊への正式配属を、歓迎する」
ホルストの言葉でブリーフィングは締めくくられた。
椅子が一斉に引かれる音。端末を閉じる小さな電子音。解散の声とともに、隊員たちが立ち上がって出口へ向かう。
アスミは、席を立つときに制服の袖を一度、握り直した。布がきしむほど力を入れたわけじゃない。それでも指先が、勝手に固まる。
隣のセリは背筋を伸ばしたまま椅子を引いた。金属の音が短く鳴り、すぐ消える。横目で見ると、表情は変わらない。ただ、目の奥だけが静かに硬かった。
「レイナー一等兵、アンダーソン一等兵」
ヘイル大尉だった。近くで見ると、穏やかな目元に、いくつか細かな傷が走っている。前線で過ごしてきた時間の長さが、顔の端々に刻まれていた。
「移動の疲れ、残ってるだろうけど。今日のうちに、格納庫とシミュレーター室だけは見ておいてくれ」
「はい」
セリがきちんとした声で答える。ヘイルは、アスミのほうを見た。
「……北方第七基地のハイルトンのことは、こっちの連中も噂してる」
意外な単語に、アスミは瞬きをする。
「司令、ですか」
「ああ」
ハイルトンの姿が、脳裏に浮かぶ。ヘイルの口元に、親しげな笑みが浮かんだ。
「あの北方のやり方を、丸ごと捨てろとは言わない」
静かに続ける。
「自分のやり方を忘れずに、ここで生き延びる方法だけ新しく覚えろ。……それができれば、この基地も、少しは居心地がよくなる」
アスミは、ゆっくりと頷いた。
「了解しました」
その返事の声は、思っていたよりも落ち着いていた。セリが横で小さく肩を揺らす。安心した時の、あの笑い方だった。
「行こう、アスミ。まずは、ここの空を見ないとな」
「うん」
会議室を満たしていた端末の淡い光が、ふっと落ちる。椅子の脚が床を擦る音がいくつも重なって、無機質な部屋にだけ、やけに生々しい気配が戻ってきた。
空調の風が、紙のない空間を冷たく撫でていく。ここには、必要な音しか残らない。
「……行くぞ」
セリが低い声で言う。アスミは小さく頷いて、出口へ向かった。
扉を出た瞬間、廊下の空気が違った。会議室より温度がある。と言っても、それは「人の体温が近い」という程度の差だ。隊員たちが端末を抱えながら散っていき、靴底が床を叩く音が規則正しく反響する。
その流れの中で、背後から軽い足音が近づいた。かかとを引きずらない、少し跳ねるような歩き方。
「なあ」
声が近い。セリが半歩だけ立ち位置をずらした。警戒ではない。反射みたいな動きだ。
アスミが振り返ると、オレンジブラウンの髪の青年がひょいと顔を覗かせた。短い髪、少し笑っている口元。目は笑っているのに、眉間だけが薄く寄っていて、現実を知っている顔だった。
「さっきのさ——」
青年は、親指で会議室のほうを指し示す。仕草が軽いのに、指先がどこか落ち着かない。
「データが欲しいって言われるとさ。俺ら、急に実験動物に見えてこない?」
笑い話みたいな口調だった。でも、笑っていい話じゃない温度が混ざっている。
セリは視線を外さず、短く返した。
「……見えるだろ」
青年が肩をすくめる。
「だよなあ。なあ、俺、リオ・ドーター。BRAVO3」
言いながら、手を上げる。大げさな敬礼じゃない。雑な挨拶でもない。ちょうどいい軽さだった。
その横に、いつの間にかもう一人が並んでいた。足音を立てない歩き方。視線だけで状況を測るような、静かな女性だ。背筋はまっすぐで、口元はほとんど動かない。だけど、目つきが冷たいわけじゃない。淡い灰色みたいに、落ち着いた温度をしている。
「ユイ・ブラン。DELTA4」
小柄で、ダークブラウンの短い髪。それだけ言って、小さく会釈した。
アスミは反射で姿勢を正す。
「アスミ・レイナーです。REDROSE」
名乗った瞬間、自分の名前がやけに軽く、そして重く感じた。さっきまで数字の中に沈んでいたのに、今度は人の目の中に置かれている。
リオが、腕章のあたりをちらりと見て、口角を上げた。
「REDROSEの人、平気?」
軽い質問だった。けれどその一言で、「平気でいろ」と言われた気がした。
アスミは、返す言葉より先に呼吸を探した。喉が乾く。胸が、少し遅れて動いた。
「……平気、かどうかは、まだ分からない」
自分の声が、思ったより落ち着いて聞こえた。落ち着いているのが、逆に怖い。
ユイが、アスミの顔をまっすぐ見た。慰めるでもなく、煽るでもなく、ただ事実を確認するみたいに。
「それでいいと思う」
言い切るとき、目が逸れない。
「ま、とりあえず俺ら四人、今日から同じ小隊の仲間としてよろしく」
リオは肩を回してから、いつもの軽さで言う。
「で、出撃命令が来たら生きて帰ろ。それで十分だろ」
セリが小さく笑った。笑いはすぐ消えたけれど、消え方が悪くなかった。
アスミは、胸の奥に残る重さを抱えたまま、足を動かす。セリが隣にいて、リオとユイが同じ方向へ歩いている。隊として、同じ廊下を進んでいた。
廊下の窓の向こうには、雪ではなく、乾いた西方の空が広がっていた。滑走路の向こうに、遠く薄く霞む地平線。そこから、まだ知らない戦場の風が、ゆっくりと吹いてくる気がした。
*
西方本部に到着してから、待機の一週間が過ぎようとしていた。
ブリーフィングルームの空気は、いつもより重い。壁一面のスクリーンには地図が表示されている。青い線で区切られたエリア、赤い点で示された目標地点。北方基地で見ていた地図より、ずっと細かい。
ヘイルが、レーザーポインタを滑らせた。
「――本日一四〇〇、初回運用確認を行う」
その一言が、部屋の空気を一段階だけ引き締めた。
アスミは背筋を伸ばして座っている。隣でセリも同じ姿勢だ。前列には、マックスとリサが座っている。全員、表情は動かさない。
「目標は、ここだ」
ヘイルが示した赤い点が、地図の中央やや右に光る。
「帝国側補給車両の通過ルート。この地点で遮断する。推定車両数は五、護衛ヴィーラは二から三機」
スクリーンが切り替わり、衛星写真が表示された。細い道路、両脇の林、そして目標地点を示す赤い枠。
「REDROSE、Alpha2はこのルートから進入」
アスミは頷いた。
「目的は遮断。殲滅ではない。車両を停止させ、退路を断つ。それだけだ」
「了解しました」
声は平らに出た。
「補足する」
ヘイルが次のスライドを呼び出す。地形の断面図が表示された。
「この地点は谷間だ。視界は限定される。敵が高所に対空火器を配置している可能性がある。接近は低空で、展開は迅速に」
後列で、誰かが小さく息を吸う音が聞こえた。
「BRAVO3、DELTA4は後方支援。補給車両が別ルートへ逃げた場合の追撃を担当」
「了解」
リオとユイが同時に答える。ヘイルは資料を一枚めくる音を立て、全員を見渡した。
「これは初回運用確認だ。REDROSEの反応値、判断速度、Alpha2との連携精度――それらを記録する」
記録する、という言葉が、やけに大きく聞こえた。
「ただし」
ヘイルの声が、そこで一段落ちた。
「記録のための任務ではない。実戦だ。撃たれれば墜ちる。迷えば殺される。――以上」
椅子が一斉に引かれる音が響いた。
*
格納庫の空気は、オイルと金属の匂いで満ちていた。天井のクレーンが低い唸りを上げて横切り、その影が床を一度だけ横断していく。整備員たちが機体の周りを動き回り、最終チェックを進めていた。工具の音、通信機の電子音、誰かの短い指示。それらが重なって、一つの音になっている。
弾頭を並べた台車の金属が、照明を鈍く反射していた。
少し離れた場所で、セリと整備員が弾頭を並べながら話している。
「西方は通常弾頭。宇宙用は積まない」
「宇宙用って、オルタイトのやつ?」
整備員は、間違いがないか端末と弾頭を交互に見ている。
「そう。真空用。艦隊戦の距離じゃ、そっちじゃないと届かない。地上で使う話じゃない」
アスミは自分の機体の前に立ち、見上げた。
白い装甲が、格納庫の照明を受けて青みを帯びている。胸部の下、RR-01のマーキング。新しく塗り直されたばかりで、周囲の装甲より白が濃い。開いたコクピットハッチの向こうに、座席が見えた。
北方で何度も乗った機体だ。雪の照り返しの下では、この白はもっと柔らかく見えた。ここでは、ただ明るいだけだ。
「REDROSE、準備完了です」
整備班長が近づいてきて、タブレットを差し出す。
「オルタイトコア、高純度B-7搭載。出力安定。燃料満タン。武装、標準ロードアウト。署名をお願いします」
アスミは画面にサインを書いた。自分の字だけが、妙に人間っぽく見える。
「ありがとうございます」
班長は頷いて、次の機体へ向かった。セリが隣に歩いてくる。ヘルメットを脇に抱えていた。
「初めての西方実戦だな」
「そうだね」
「北方と違うぞ、たぶん」
「……うん」
短い会話だったけど、それで十分だった。セリは表情を緩めて、アスミの肩を軽く叩く。
「じゃ、第〇試験飛行隊での初任務だ。行くぞ」
「うん、行こう」
アスミはヘルメットを被り、整備足場に足をかけた。
コクピットに収まると、世界が狭くなる。胸の奥に、機械の硬さがある。座席が背骨を受け止め、骨の位置まで固定してくる。ハーネスを締めると、金具の噛み合う音が耳に残った。
計器をチェックする。数字が並ぶ。全部、正常。HUDが起動し、視界に情報が重なった。
《システムチェック開始》
《オルタイトコア:接続確認》
《出力:安定》
《武装:オールグリーン》
アスミは深く息を吸い、目を閉じて、すぐに開ける。
出撃の前に思い浮かべる顔は、北方にいた頃から変わっていない。今日も、同じだ。守るために、出る。
《RR-01、発進準備完了》
通信を開く。
「REDROSE、システムオールグリーン」
《こちらAlpha2、問題なし》
セリの声は、いつも通り落ち着いている。
《BRAVO3、DELTA4も準備完了。いつでも行けます》
後方支援の声が入った。
《全機、発進許可。ルートは送信済み。目標到達予定時刻、一四三七》
管制の声が、機械的に告げる。
駆動音が一段上がる。背面と脚部の推進器が低く唸り、機体の内部が細かく震えた。射出台の灯りが、床のラインを流れ始める。誘導灯が「ここだ」と示すように点滅し、視界の端で白く滑っていく。
固定が外れる感触。次の瞬間、背中を押される。
射出。
身体が一瞬、宙に放り出される。そのまま推進が点火した。重さが消え、機体が浮くのではなく、持ち上げられる。
*
隊列維持は、北方でも何度も練習した。でも、西方の空域は少し違う。
雲が低い。風が強い。地上の地形が複雑で、センサーに映る情報が多い。HUDには、自分の機体を示す青いマーカーと、セリの機体を示すもう一つの青いマーカー。少し後方に、後方支援の二機。
隊列は崩れない。リンク距離は一定。高度も揃っている。
《目標まで、残り一五キロ》
管制の声がした。
《了解。降下する》
セリが先に沈む。アスミも追従した。推進の向きが変わり、機体の腰がわずかに落ちる。脚部の姿勢制御が細かく働き、視界の揺れを抑えた。
雲を抜けると、視界が開けた。眼下に、地形が広がっている。
森。針葉樹の濃い緑が、斜面をそのまま覆っている。その真ん中を、谷が深く裂いていた。底に細い道路が一本通っていて、両側から迫る岩肌の影が、路面の半分を暗く沈めている。
ブリーフィングで見た地図と、同じだ。地図では、ただの細い線だった。
《アスミ、レーダーに反応。方位二二〇、距離八キロ》
セリの声に、緊張が混じり始める。アスミはセンサーを確認した。小さな光点が、複数動いている。
「確認。車両、五つ。――護衛は?」
《まだ見えない。低空にいる可能性》
《こちらBRAVO3。上から監視する》
リオとユイの二機が上昇していく。推進の尾が薄く伸び、雲へ吸い込まれた。
アスミは呼吸を整える。ここから先は、実戦だ。
《目標、視認》
セリの声。アスミも目を凝らす。
谷間の道路に、車両の列が見えた。装甲車両が五台。黒っぽい塗装。帝国の軍用トラックだ。その周囲を、何かが動いている。
《護衛ヴィーラ、二機確認》
「了解」
心臓が速くなる。
北方での戦闘は、避難民を守るためだった。敵が来て、追い払った。今回は、違う。こちらから、止める。
《REDROSE、Alpha2、降下して接近。BRAVO3、DELTA4は上空待機》
ヘイルの指示が入った。
「了解」
アスミは姿勢を切り替える。肩と腰が連動して沈み、推進の向きがわずかに前へ寄った。機体が落ちる感覚が、腹の底を引っ張る。
低空に入ると、雲の下は音が違った。風が装甲を擦り、耳の奥まで硬い唸りを押し込んでくる。地面が急に近づき、森の輪郭が一気に粗くなった。谷の縁が、刃みたいに鋭く見える。
速度計の数字が跳ねるたび、心臓も同じテンポで叩いた。
止めるんだ。そう言い聞かせて、アスミは視線を車列へ固定する。
《敵ヴィーラ、こちらに気づいた!》
セリの警告と同時に、レーダーに赤いマーカーが現れた。
敵が、向かってくる。
最初の一撃は、アスミが撃った。照準環が敵機を追い、重なる。と思った途端、耳元で乾いたロックオン音が鳴り、指先が勝手に引き金へ力を込めていた。
光が走る。空を裂いた筋は、敵機の装甲を掠めるだけで、決定打にならない。
外した、と理解するより先に、喉がひゅっと鳴った。
《回避!》
セリの声が聞こえ、アスミは反射で腰を捻る。推進を横へ噴かして、機体を滑らせた。さっきまで自分がいた空間を、敵の光がまっすぐ貫いていく。
速い。
北方で相手にしてきた帝国機より、判断も切り返しも、ひとつ上だった。
《アスミ、右へ。俺がカバーする》
セリの機体が前に出る。アスミは指示通りに身体を切った。視界が回る。機体の内側で重さが寄り、関節が軋んだ。姿勢制御が追従し、揺れを最小限に抑える。
セリが撃つ。光が敵機に直撃し、肩部の推進ユニットが吹き飛んだ。姿勢が崩れ、回転しながら落ちていく。制御しきれないまま、谷の斜面へ吸い込まれた。
《一機撃破。もう一機、後方から!》
上空のリオから警告が入る。アスミは振り返らず、レーダーと地形投影を同時に見た。赤いマーカーが、真後ろから接近している。
「セリ、任せた」
《了解》
セリの機体が鋭く踏み込み、敵機を正面の迎撃線に押し込む。
一瞬の睨み合い。
そして、セリが撃つ。敵も撃つ。敵の照準がわずかに遅れ、セリの射撃が先に姿勢制御系を叩いた。
敵機が爆ぜる。破片が飛び散り、黒煙が上がった。
《敵ヴィーラ、全滅》
セリの声。少し息が荒い。
「……ありがとう」
《礼はいい。車両を止めるぞ》
アスミは視線を地上に戻した。車両の列は、まだ動いている。護衛が落ちたのに、止まらない。
《車両を攻撃。先頭を狙え》
ヘイルの指示が入る。
アスミは短く息を吸って、車列の先頭へ視線を寄せた。先頭の装甲車。あれが止まれば、後ろは詰まる。
照準がぶれたのは、怖さじゃない。巻き込むな、という意識が、狙いを必要以上に細くした。手を落ち着けて、狙点を装甲車の側面へ置き直す。入力。反動の震えが腕に返る。
次の瞬間、装甲車が跳ねるように傾き、横転した。
金属が道路を削る音が遅れて響き、黒い煙が谷間に重く立ち上がる。後続車両が急停止し、さらに一台が追突して列が歪んだ。
――止まった。止められた。
《車両停止。任務完了》
セリの声。
《こちらBRAVO3。別ルートへの逃走なし。全車両確認》
《了解。全機、帰還せよ》
ヘイルの指示が入る。
アスミは推進を上へ振った。身体が持ち上がり、視界の地面が遠ざかっていく。
地上では、黒煙が上がっている。横転した車両。動かなくなった列。
任務は、完了した。でも――
アスミの手が、震えていた。
*
帰還後、コクピットから降りると、足が少しふらついた。
整備足場の金属が、まだ機体の熱を持っている。手すりを掴むと、掌に温度が伝わってきた。一段ずつ下りて、床に足がつく。そこで初めて、自分の呼吸が荒いことに気づいた。
「REDROSE、お疲れさま」
整備班長が駆け寄ってきて、機体の状態を確認し始める。
アスミはヘルメットを外した。汗が額を伝う。セリが隣に降りてきた。彼も汗をかいている。
「……西方の初戦闘、どうだった?」
「……戦い方が違くて、怖かった」
素直に出た言葉だった。セリの肩から、力が抜ける。
「そうだよな。怖いよな」
「うん」
アスミは自分の手を見た。まだ、少し震えている。
「でも……やれた」
「ああ。やれた」
セリが肩を叩く。いつもより、強く。
「よくやったよ」
「ありがとう」
アスミは小さく笑った。笑えた。怖かった。でも、やれた。
北方での戦闘とは、確かに違った。守るものが目の前にいなかった。避難民も、兄妹も、村もない。ただ、任務があって、敵がいて、戦った。
それが正しいのか間違っているのか、まだ分からない。
「行くぞ、報告だ」
歩き出したセリの後ろに、アスミも続いた。
足は、まだ少しふらついている。手も、まだ少し震えている。でも、歩ける。それが、今できることだった。
*
ブリーフィングルームに戻ると、ヘイル大尉が待っていた。
スクリーンには、さっきの戦闘のログが表示されている。時系列のグラフ、機体の軌道、射撃のタイミング。全部が、数字とラインで記録されていた。
「着席」
アスミとセリが椅子に座る。ユイとリオも、後ろの席に座った。
ヘイルは、無駄な前置きなしに始める。
「結論から言う。任務は成功だ」
「ありがとうございます」
「評価は四つ」
ヘイルがスクリーンを指差した。
「稼働率。出撃準備時間。整備工数。判断ログ。全て、基準値を上回った」
グラフが表示される。青い棒が、基準を示す赤い線より高い。
「特に、REDROSEの目標捕捉から発砲までの時間は優秀だ。反応値も安定している」
アスミは頷いた。褒められている、と思う。でも、どこか実感がない。
「ただし」
ヘイルの声が低くなる。
「初弾を外した。理由は?」
アスミは一瞬、言葉に詰まった。
「……敵の速度を、読み違えました」
「次は?」
「……修正します」
「どう修正する」
「……経験を積んで、予測精度を上げます」
ヘイルは頷いた。
「良い。次は当てますではなく、どう修正するかを答えた。それが正しい」
アスミの胸に、小さな安堵が生まれる。
「もう一つ」
ヘイルが別のグラフを表示した。
「Alpha2との連携。タイミングは良好。ただし、REDROSEの回避行動が一度、Alpha2の射線を妨げた。ここだ」
スクリーンに、機体の軌道が重なって表示される。確かに、アスミの機体がセリの前を横切っていた。
「……すみません」
「謝罪は不要。次に活かせ」
「はい」
ヘイルは資料をまとめた。
「本日の戦闘ログは、全て記録済みだ。各自、復習しておけ。――以上、解散」
椅子が引かれる音。アスミは立ち上がり、部屋を出た。廊下でセリが横に並ぶ。
「……ログ、見るか?」
「……うん。後で」
「じゃあ、飯行こう。腹減った」
セリの軽い口調に、アスミは救われた。
「うん」
*
食堂は、夕方のピークを過ぎて少し空いていた。
トレーを持って席に座ると、マックスとリサ、それにトムが隣のテーブルにいた。三人は第〇試験飛行隊の別の小隊だが、食堂ではいつも一緒に食事をする同僚になっている。たまにリオとユイも合流するのが、この一週間の日課だった。
「よう、REDROSE。お疲れさん」
マックスが手を上げる。
「お疲れさまです」
アスミが答えると、マックスは笑った。
「初任務、どうだった?」
「……怖かったです」
素直に答えると、マックスは意外そうな顔をする。
「お、正直だな。まあ、怖いよな。俺も最初は怖かった」
「そうなんですか?」
「当たり前だろ。撃たれるんだぞ。怖くないわけがない」
リサも頷いた。
「でも、慣れるわよ。すぐに」
「……慣れる、んですか」
「慣れるっていうか……ま、体が覚えるっていうか」
リサは、少し言葉を濁した。
アスミは自分のトレーを見る。食事が並んでいる。カロリー表示がある。栄養バランスが計算されている。北方では、もっと雑然としていた気がする。
「……食べないの?」
セリが横から声をかけた。
「食べる」
アスミはスプーンを取る。
一口、食べる。味がする。温かい。それが、嬉しかった。
*
夜、個室に戻ると、アスミは端末を開いた。通知は来ていない。電源を落とすと、画面が暗くなり、そこに自分の顔が薄く映った。すぐに伏せて置く。
ベッドに横になって、天井を見る。白い。まっすぐで、平らで、節も歪みもない。
今日、戦った。敵を撃った。車両を止めた。任務は、完了した。
でも、守ったものが、見えなかった。
北方では、避難民がいた。兄妹がいた。守るものが、目の前にあった。西方では、補給路を断った。それが、誰かを守ることになるのか。まだ、分からない。
これが、西方なんだ。
アスミは目を閉じた。
怖かった。でも、やれた。それが、今日の答えだ。明日も、きっと任務がある。また、戦う。そのために、今は休む。
違和感は、ある。戸惑いも、ある。でも、適応しなければ。ここで、戦うために。
アスミは、静かに眠りについた。
夢は、見なかった。
ただ、暗闇の中で、機体の軌道を示す青いラインだけが、まぶたの裏をゆっくりと流れていた。
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