Sky49-並行する線-
ブリッジヘッド攻撃から三日後。第1作戦室に、また全員が集まった。
スクリーンには、また地図。
今度は、小国群の境界線付近。いくつもの国境線が、複雑に入り組んでいる。
投影光が室内の壁を薄青く染め、地形の凹凸が壁面に影を作っていた。
影が動くたびに、室内の温度まで変わる気がする。
カイトは自分の席に座り、隣にサジが腰を下ろした。
椅子が軋む音が響く。
金属の冷たさが背中に伝わってくる。フライトスーツ越しでも感じる、基地特有のひんやりとした空気。
換気ダクトから流れる風が首筋をかすめていく。乾いた風だ。喉が渇く。
「また地図か」
「また地図だな」
軽口を交わすが、その奥に緊張が走っている。
前回の任務——ブリッジヘッドの炎が、まだ目の裏に焼き付いている。火薬の匂いまで思い出す。
「おはよう、ボリー。よく寝れた?」
リアがいつものパーカー姿で椅子に座っている。
今日はヘッドセットを首にかけず、端末を膝に乗せて何かを読んでいた。
画面の光が顔を青白く照らしている。目の下に薄い影がある。リアも寝ていない。
「まあまあ」
「嘘。顔に書いてあるわよ」
「書いてない」
「書いてある」
リアの目だけは笑っていない。
この人は、いつもそうだ。軽口の奥で、ちゃんと人を見ている。
「着席を」
ミナの声に、室内の空気が引き締まる。
換気の低い音だけがかすかに響いている。誰かがコンソールを操作する小さなクリック音。椅子が床に擦れる音。それだけで、何人いるかが分かる。
前方のスクリーンには、いつもより多くの色が並んでいた。
赤。青。緑。黄色。
全部、違う陣営。
全部、この地図の上で交わろうとしている。
カイトは息を吸った。
空気が乾いている。肺の奥まで冷たい。
⸻
「じゃ、始めよう」
ニコの声が、スピーカーから響く。いつもより低い声だ。
「今日のメニュー。小国防衛戦、前哨戦」
地図の上に、新しい矢印が追加される。
帝国の矢印。連合の矢印。そして——小国群の矢印。
全部、一点に向かっている。まるで獲物を狙う矢じりのように。
「ここです」
ミナが、レーザーポインタで地図を指す。
赤い光が地図の上を滑る。壁に映った影が揺れる。
小国群の境界線。グラディウス共和国の国境付近。
「ここで、帝国軍と連合軍の主力が、正面衝突する可能性があります」
ミナの声が低くなった。
画面が切り替わる。
衛星写真。平原に広がる都市。その周辺に、軍事施設の影。建物の輪郭がぼやけている。解像度が低い写真だ。情報が古い。
「グラディウス共和国。人口約200万。現在、難民流入により人口は300万を超えています」
数字が画面に表示される。白い文字。冷たい数字。
グラディウス共和国。
その中に、どれだけの街があって、どれだけの人が住んでいて。
——どれだけの人が、逃げようとしているのか。
「連合は?」
ウィリスが短く訊く。
腕を組んだまま、スクリーンを見上げている。椅子に深く腰掛けたまま動かない。
「連合からの非公式情報では、次の小国防衛戦に主力部隊投入予定です」
スクリーンに青い印が追加される。
連合主力部隊。
第3艦隊。
第7艦隊。
西方防衛軍。
そして——
カイトの視線が一つの文字で止まった。
西方中央統合基地・第0試験飛行隊・SKY編成部隊。
心臓が一度だけ大きく跳ねた。
西方。
喉の奥が乾く。唾を飲み込む。
赤い薔薇は、西方に移った。
食堂のモニターで見た映像。
赤い残光。あの色。
でも、今は西方にいる。
そして、まだ飛んでいる。
カイトは無意識に手の平を握りしめた。
爪が掌に食い込む。痛い。でも、握る手が緩まない。
「連合主力の構成は?」
サジが椅子を前に傾ける。金属がきしむ音がした。
「第3艦隊が中核。空母2隻、巡洋艦8隻、駆逐艦20隻以上」
ミナがデータを表示する。
「西方防衛軍からは、精鋭パイロット部隊が参加予定です」
画面に機体のシルエットが並ぶ。
その中に——
赤く光る機体。
スクリーンには名前が出ていない。
でも、あの赤い光だけで、誰もが分かる。
「……つまり?」
サジが椅子を傾ける。
「つまり、“赤い薔薇”も来るかもしれないってこと」
ニコの声があっさり言った。
室内が一瞬だけ静かになる。換気ダクトの音だけが響く。
赤い薔薇。
誰も動かない。誰も息をしていない。
カイトはスクリーンの中の西方中央統合基地の文字を見た。
もしかして。
胸が詰まる。
でも、その先を考える前に——
ドアが開く音。
自動ドアの圧縮空気が抜ける音がシュッと響く。
全員が振り向く。
室内に入ってきたのは、ケイだった。
煙草を咥えている。
煙がわずかに揺れる。室内の照明に照らされて、白い筋を描く。
スクリーンの前に立ち、地図を見る。
ブーツの音が床を叩く。カツン、カツンと。
そして——
ケイの視線がカイトを捉えた。
わずかな沈黙。
西方中央統合基地の文字がスクリーンに映っている。
ケイは知っている。
カイトはケイの目を見返した。
問いは口にしない。
答えも言葉にならない。
ただ、視線だけが交差する。
ケイの目がわずかに細まる。
——分かってる。
カイトは無言で頷く。
会っても、何も言わない。
自分の線を守る。
ケイの目がさらに細まる。
それは承認でも警告でもなく。
——お前を信じる、という色だった。
ケイは視線を外し、地図に向き直った。
煙草の先が小さく揺れる。灰が一粒、床に落ちた。
「……俺たちの役割は?」
ウィリスが腕を組んだまま訊く。
「連合主力の”影”。正面戦はやらない。帝国の側面と後方を叩く」
ケイが地図に新しい矢印を追加する。
ARCLINE。
二本の線が地図の上で走っている。
「同じ空に出るが、接触はしない。向こうも、こっちの存在には気づかないはずだ」
ケイの声はいつもより低い。
カイトは地図の上の二本の矢印を見た。
連合。
ARCLINE。
並行している。でも、交わらない。
同じ空。
胸が縮む。息が浅くなる。
だけど、違う場所。
赤い薔薇と、同じ空に出る。
もしかしたら――
いや。
カイトはその思考を打ち切った。喉の奥で言葉を止める。
「作戦の詳細は?」
リアが端末から目を上げて訊く。
「連合主力が正面から帝国を押す。その間に、俺たちは帝国の補給線を断つ」
ケイが地図の上に別の矢印を追加する。
「輸送船。燃料デポ。弾薬庫。全部、潰す」
赤い×マークが地図の上にいくつも追加される。まるで墓標のように。
「タイミングは?」
ウィリスが訊く。
「連合主力が動き出してから、12時間後。敵が正面に集中している時を狙う」
ミナがタイムラインを表示する。時間軸が横に伸びる。
「敵の注意が前に向いている間に、後ろから刺す」
サジが小さく笑った。乾いた笑い。
「いつもの汚れ役だな」
「汚れ役でも、必要な役だ」
ケイが短く返す。
「……はずだ、って」
サジが小さく笑った。
「保証はない」
「ですよねー」
軽口。でも、その奥に緊張がある。誰も笑っていない。
「質問は?」
ケイの声に、誰も手を挙げなかった。
室内が静かになる。換気ダクトの低い音だけが響く。
「じゃあ、準備しろ。出撃は明後日0400」
「了解」
椅子が軋む。
メンバーがそれぞれの持ち場へ散っていく。ブーツの音が廊下に響く。
カイトは最後まで地図を見ていた。
並行する二本の矢印。
その間に、見えない線が引かれている。
⸻
廊下を歩きながら、サジが隣に並んだ。
「なあ、ボリー」
「何」
「連合主力と同じ空、か」
サジは天井を見上げながら言う。天井の配管が見える。
「どう思う?」
「……何が」
「会うかもな、って話」
カイトは何も返さなかった。
サジは肩を竦めた。
「まあ、お前の顔見りゃ分かるけどさ」
そう言って、先に曲がり角を曲がっていった。
カイトはその背中を見送ってから、自分の部屋へ向かった。
廊下の灯りが床を照らしている。影が長く伸びる。
⸻
夜。格納庫。
カイトは一人でコクピットに座っていた。
格納庫の照明が機体の装甲に反射している。金属の表面が鈍く光る。
静かな夜。遠くで誰かの足音が聞こえる。コツ、コツと。
工具の音が小さく響く。カン、カンと金属を叩く音。
システムチェック。
スクリーンに緑の文字が次々と並んでいく。
《SKY起動確認》
《武装チェック完了》
《推進系正常》
全部、正常。
でも、胸がざわつく。落ち着かない。
カイトはコクピットの中の計器を見た。
いつもと同じ配置。
いつもと同じ光。
同じ空に出る。
スロットルを握る。
冷たい金属の感触が手のひらに残る。指先が冷たい。
連合主力と。
西方中央統合基地と。
赤い薔薇と。
教室の窓越しの宇宙。
「待ってるよ」と言った声。
あの日から、どれくらい経ったんだろう。
同じ空を、違う場所から見てる。
それでいい。
今は、それでいい。
——本当に、それでいいのか。
問いは胸の奥で静かに響く。
答えは出ない。
カイトは目を閉じた。
ブリッジヘッドの炎。
沈んだ難民船。
医務室の廊下で見た、あの少年の目の色。
全部、自分が選んだ道の上にある。
ここで飛ぶって、決めたんだ。
目を開ける。
コクピットの中のいつもの景色。
HUDの光。計器の緑の文字。
スロットルの感触。
あすみは、連合の旗の下で。
俺は、ARCLINEの影の中で。
それでも——
言葉が形にならない。喉の奥で詰まる。
カイトは深く息を吸った。
そしてシステムを停止する。
計器の光が一つずつ消えていく。緑の文字が消える。暗闇が広がる。
コクピットから降りた。
梯子を降りる音が金属的に響く。
ガシャン、ガシャン、と。
格納庫の灯りが機体の側面に反射している。
静かな夜。
でも、静けさの奥に何かが迫ってくる。明後日が近づいてくる。
明後日。
同じ空に出る。
その時、何が起こるのか。
誰と出会うのか。
まだ、誰も知らない。
カイトは自室へ向かった。
背中越しに機体の影が長く伸びていた。
床に自分の影も伸びている。
二つの影が重なっている。溶け合って、一つになっている。
⸻
翌日。準備は淡々と進んだ。
武装チェック。
燃料補給。
通信系統の最終確認。
タミルが機体の下で何か怒鳴っている。声が格納庫に響く。
整備班が慌ただしく動き回っている。工具を持って走る音。台車を引く音。
カイトはその様子を離れた場所から見ていた。
いつもの準備。
でも、空気が違う。張り詰めている。
「ボリー」
振り返ると、リアが立っていた。パーカーのフードを下ろしている。
「明日、気をつけてね」
「……うん」
「連合主力がいるってことは、帝国も本気で来るってことだから」
リアはいつもの軽い口調ではなく、真剣な顔で言った。目が真っ直ぐこちらを見ている。
「分かってる」
「分かってないわよ。あなた、いつも考えすぎるもの」
リアは小さく笑った。でも、笑顔が少し歪んでいる。
「考えなくていいことまで、全部考えて」
カイトは何も返せなかった。
リアはカイトの肩を軽く叩いた。
「でも、それがあなただから。無理に変えなくていい」
そう言って、格納庫の奥へ歩いていった。フードを被り直しながら。
カイトはその背中を見送った。
⸻
その夜。
カイトはベッドに横になったが、眠れなかった。
天井を見上げる。
白い天井には何もない。塗装の継ぎ目だけが見える。
でも、頭の中には地図が浮かんでいる。
並行する二本の矢印。
連合。
ARCLINE。
同じ空に出るが、交わらない。
そして——
赤く光る機体。
カイトは目を閉じた。
心臓の音が聞こえる。ドクン、ドクンと。
⸻
0400。
格納庫に全員が集まった。
フライトスーツを着た姿。
ヘルメットを手に持った姿。
誰も軽口を言わない。
誰も笑わない。
空気が冷たい。換気ダクトが冷気を送り込んでいる。息が白くなりそうなほど冷たい。
ケイが最後に格納庫に入ってきた。ブーツの音が響く。
「行くぞ」
短い言葉。
全員が頷いた。
カイトは機体に向かった。
梯子を登る。一段ずつ。
コクピットに座る。シートが身体を包む。
システムを起動する。計器が次々に点灯する。
《SKY起動確認》
《武装チェック完了》
《推進系正常》
「こちらコアシップ。全機、発進準備完了を確認」
ニコの声がヘッドセットから流れてくる。
「Fox、準備完了」
「Shade、準備完了」
「Vector、準備完了」
カイトの声が通信に乗る。
「了解。カタパルト起動。全機、発進」
機体が前へ押し出される。
加速。身体がシートに押し付けられる。
加速の圧力が全身にかかってくる。呼吸が浅くなる。視界が狭まる。歯を食いしばる。
そして——夜空へ。
格納庫のゲートが開く。
向こうに夜の空が広がっている。星が見える。
暗闇の中を三機が並んで飛ぶ。
月明かりが機体の装甲に反射している。銀色の光。
眼下に大地の影が広がっている。町の灯りが点在している。
スクリーンに目標地点までの距離が表示される。
《残り1200km》
カイトは前を見つめた。
「高度5000維持。地上部隊と合流する」
ケイの声が通信に入る。
「了解」
三機の声が重なる。
スクリーンに新しい情報が追加される。
《難民輸送隊・現在位置》
《護衛ポイント・座標表示》
「空では連合と帝国が戦う。俺たちは地上で難民を守る」
ケイの声が続く。
「空中戦には関わるな。任務は護衛だ」
カイトは計器を確認する。
高度計。速度計。燃料残量。
全部、正常。
でも、空の向こうで戦いが始まろうとしている。
遠くの空に小さな光が見えた。
戦闘機の排気光。
連合軍の編隊だ。青い光がいくつも並んでいる。
そして、もっと遠くに別の光。
帝国軍の編隊。赤い光。
二つの編隊が近づいていく。
「Vector、地上目標確認」
ミナの声。
スクリーンに地上の映像が映る。
道路。その上を進むトラックの列。
難民輸送隊。車のヘッドライトが長い列を作っている。
「降下を開始する」
ケイの指示。
カイトは機体を傾ける。
高度が下がっていく。
5000。
3000。
1000。
地上が近づいてくる。
道路の轍。木々の影。トラックの屋根。人の影も見える。
空では光が交差し始めた。
連合と帝国の戦闘が始まっている。閃光が夜空を裂く。爆発音が遠くから聞こえる。
でも、カイトたちは地上に降りる。
機体が地面に接地した。
衝撃が膝を伝って上がってくる。全身が揺れる。
「着地完了。地上モードへ移行」
サジの声。
カイトも機体を地上モードに切り替える。
推進器が姿勢制御に切り替わる。
脚部の接地センサーが起動する。地面を踏む感覚が伝わってくる。
コクピットから外を見る。
トラックの列が見える。
その窓から顔が見える。
子供。老人。女性。
逃げている人々。
「護衛陣形を取れ。Vectorは前方。Foxは中央。Shadeは後方」
ケイの指示が飛ぶ。
「了解」
カイトは機体を前進させる。
地を踏みしめる感覚。一歩ずつ。
空を飛ぶのとは違う重さ。地面が近い。
空ではまだ戦闘が続いている。
閃光が夜空を切り裂く。
爆発音が遠くから聞こえてくる。ドン、ドンと。
でも、カイトの目は地上に向いている。
難民輸送隊。
守るべき人々。
空の戦いは、別の誰かの仕事だ。
俺たちの仕事は、ここにある。
カイトは前を見た。
道は続いている。
まだ長い道のりが残っている。トラックの列が地平線まで続いている。
空では赤い光が一瞬輝いた。
あの色。
カイトの心臓が跳ねる。
でも、カイトは振り向かない。
前を見る。
ただ、前を見る。
地上の道を。守るべき人々を。
空の光は、視界の端で揺れているだけだ。
カイトは呼吸を整えた。
並行する二本の線。
交わらない。交わらなくていい。
今は、それでいい。
機体が一歩前に進む。
護衛任務が始まった。
次回より新章【西方編】
更新は2/9 0時頃になります




