Sky28-出発準備-
出発まで、あと数日。
格納庫の片隅に、あすみとセリの私物を詰め込んだコンテナが置かれていた。蓋は半分だけ開いたまま、冷えた金属の縁が白く光っている。周囲には整備灯の低い唸りと、遠くで工具が触れ合う乾いた音が続いていた。
「……こんなに荷物あったっけ」
あすみは、半分ほど埋まったコンテナの中を見下ろして首をかしげた。
「あるんだよ。お前がこっち来てから買った防寒具だけで、たぶん一山ある」
セリが、畳みかけ途中のジャケットを投げ込む。布がコンテナの底に当たって、ふわりと広がった。
「それは必要経費」
「必要経費なら経理に申請しろよ、一等兵」
「……じゃあ、“精神衛生維持費”で」
「通るかそんな項目」
二人でくだらないやりとりをしていると、格納庫の天井スピーカーが唐突に電子音を鳴らした。空気が一段だけ張る。
《全SKYパイロットへ通達。出撃準備。繰り返す⸺》
聞き慣れた声。けれど今日は、いつもより少しだけ急いでいる。
あすみとセリは顔を見合わせ、反射的にコンテナの蓋を閉めた。金具が噛み合う音が短く鳴る。
「行くか」
「うん」
*
《避難集落#3付近、境界線側に小規模武装グループを確認。地上防衛隊が対応中だが、上からの牽制を要請している》
ブリーフィングルームの簡易モニターに、現場の地形が簡略表示される。見慣れた北方の地図。その一角で赤いマーカーが点滅していた。
避難集落#3。
ナイルとハルが元いた場所から、そう遠くない。
「アルファ2、アルファ3。上空制圧と牽制を担当してもらう。地上のマルコ班と連携だ」
リーサの声はいつも通り淡々としている。だが言葉の端に、わずかな緊張が混じった。
「了解。アルファ2、出る」
「アルファ3、同じく」
短く返事をして、二人は自分たちのSKYへ向かう。格納庫の床を蹴る音が、いつもより少しだけ速かった。
*
北方の空は、相変わらず低い。雲は重く、灰色が白い地面の上に垂れている。けれど、雲の切れ間から覗く地上は前より少しだけ見通せた。
《アルファ2より管制。現地上空に到達。ターゲット座標、再送願います》
《こちら地上部隊マルコ。座標送る。集落手前の岩場だ。こっちから丸見えだが、向こうからも丸見えだ。正直ウザい》
雑な言い回しに、あすみは思わず口元を緩めた。
《“ウザい”は戦術用語じゃありませんよ、伍長》
リーサのツッコミが即座に重なり、無線の空気が少しだけ軽くなる。
《すみませんね軍曹さんよ。⸺とにかく、こっちの子どもらには弾、絶対飛ばさせたくねえ。上から“最低限の線”押さえてくれ》
《了解》
HUD上の地形データに、地上部隊と敵の位置が重ねられていく。岩場。木立。避難集落へ続く細い道。その手前に、ばら撒かれたような熱源反応。
あすみは、心の中で境目を一本引いた。
集落と敵の間。
子どものいる場所と、銃を持った大人たちの間。
《アルファ3、右側の丘の上、二つ潰せる?》
《余裕。そっちは?》
《左の岩陰、動きが多い。威嚇混じりでいく》
セリとの会話は、もう呼吸みたいに続く。
あすみはスロットルを滑らかに開き、機体をわずかにロールさせた。照準枠が目標を静かになぞる。人影に置かない。地面と車両だけを拾う。
引き金を引いた。
地上すれすれをかすめるように警告弾が走る。土煙が上がり、飛び散る破片に敵が身を引くのが見えた。前へ進む足が止まる。
《アルファ2より地上。牽制射撃完了。前進止まった》
《助かる。こっちも一つ潰した。……おいお前ら、聞こえてるか!》
無線の向こうでマルコの声が一段上がる。
《こっちの赤い薔薇が抜ける前に、きっちり片付けようぜ! “北方はスカスカでした”とか本部に言われたくねえからな!》
《誰が薔薇ですか。棘ありますよ》
思わず返すと、無線の向こうで笑いが漏れた。
《はいはい、棘付きで頼むわ》
《了解。刺さらない程度に》
地上部隊が前進する。上から見ると、小さな衝突だ。銃声も煙も、いくつかの線と点にしか見えない。
けれど、その点の向こうには、固くドアを閉めて震えている小屋がある。そこに隠れている誰かの呼吸がある。
あすみは照準カーソルを、銃座を構えているトラックの前輪に合わせた。
《アルファ2、射角良好。いつでもいける》
「アルファ2、了解。牽制射撃、行きます」
トリガーを引く。SKYの腹部砲から、短く区切った弾幕が走った。地面がえぐれ、土煙が跳ねる。前輪が弾け飛び、トラックが情けない音を立てて傾いた。
運転席から武装兵が飛び出し、慌てて散開する。
《やべ、あの赤いのだ!》
《撤退だ撤退!》
狼狽えた身振りが、望遠にしなくても分かった。
あすみは息を一つ、深く入れる。銃口の先は、武器と車両だけ。人影のぎりぎり手前で弾をばらまき、逃げ道を残す。
地上でマルコが叫ぶ。
《よし、今だ! 前へ!》
地上部隊が一気に詰める。敵の動きが散り、後ろへ引き始めた。
《こちら地上小隊。敵武装グループ、撤退確認。追撃は行わず、警戒線維持に移行する》
《アルファ2、了解。空域、異常なし》
《アルファ3、同じく》
セリの声も落ち着いている。最初にここへ来たときより、ずっと。
*
戦闘が収まったあと、SKYは集落の少し外れに降りた。
白く凍った地面に着陸脚がぎゅっと沈む。コクピットを開けると、冷たい空気がどっと流れ込んできた。頬が痛い。
「……ふぅ」
ヘルメットを脱ぎながら、あすみは遠くの小屋を見やった。ドアが開き、人が何人か外へ出てくる。傷の確認、被害の確認。忙しく動き始めていた。
「あすみ」
セリが手を振る。
「避難集落の代表に説明行くってさ。お前も来いって」
「うん」
二人で歩き出したその先に、見覚えのある後ろ姿があった。
やせた肩。少し大きめのコート。隣には、その裾をぎゅっと掴んだ小さな女の子。
「……ナイル?」
声をかけると、彼はびくっと肩を揺らして振り向いた。
「あ」
目が合う。ハルがぱっと顔を輝かせた。
「あすみおねえちゃん!」
勢いよく駆け寄ってきて、あすみの腰にしがみつく。小さな腕が冷たい服の上から回ってきて、あすみの身体が少し揺れた。
「久しぶり。怪我とか、してない?」
「うん! ナイルがね、ちゃんと隠れろって言ったから!」
「……そう」
ナイルは相変わらず少し警戒したような目をしていた。けれど、その色は前より柔らかい。
「また、助けに来たんですか」
少し間を置いて、彼はそう言った。
「……助けに、っていうか」
あすみは一度だけ空を見上げ、ナイルに視線を戻した。
「今日は、ここで変な奴らが好き勝手しないように、止めに来ただけ。仕事だから」
「仕事」
ナイルが小さく繰り返す。
「……でも、もうすぐ、ここからいなくなるんですよね」
図星を刺されて、あすみは一瞬言葉に詰まった。
「聞いた。基地の人が、別のところに行くって」
「ああ……うん」
逃げ場はないな、と思いながら苦笑いを浮かべる。
「ちょっとね。別の空を見てくることになった」
「別の空?」
ハルが目を丸くして見上げてくる。
「西の方。もっとごちゃごちゃしてて、うるさそうなところ」
「やだ。ここより寒い?」
「んー、どうだろ。寒さの種類が違うかも」
ハルが真剣に考え込むみたいな顔をして、あすみは少しだけ笑う。
「でも⸺」
あすみは二人の顔を順番に見た。
「ちゃんと戻ってくるつもりだから」
「もしかしたらナイル達が、施設から、ここに戻ってくるのと同じくらいかもしれないね」
約束、という言葉は使わなかった。戦場でそれは簡単に嘘になることを、あすみはもう知っている。それでも、言っておきたかった。
ナイルは、しばらくじっとあすみを見ていた。何かを測って、比べて、迷って⸺最後に、ほんの少しだけ肩の力を抜く。
「……行くんですね」
「うん」
「戻ってくるんですよね」
「…うん」
短く答えると、ナイルはため息の代わりみたいに小さく息を吐いた。
「……じゃあ」
彼は足元を一度見てから、顔を上げる。
「……行ってらっしゃい」
前みたいな突き放す声じゃなかった。
あすみの中で、ナイルは「守らなきゃいけない子ども」だった。その声が、ほんの少しだけ「送り出す側」の響きに変わっていた。
「……うん。行ってきます」
胸の奥がきゅっとなって、少しだけあたたかくなる。
「いってらっしゃい、空の人!」
ハルがそれを真似して元気いっぱいに叫ぶ。
ナイルが小声で言った。
「空の人じゃなくて、あすみだろ」
そのやりとりが、どうしようもなく愛しかった。
*
帰投ルートの途中、SKYは雲の切れ間を縫うように飛んでいた。
下には白い大地。遠くには見慣れた北方第七基地の輪郭。
HUDの隅に、出発スケジュールの簡単なメモが表示されている。
機体の最終チェック。個人装備の確認。書類。ブリーフィング。
そして、「西方中央統合基地」という聞き慣れない名前。
終わりじゃない。区切りだ。続きのための区切り。
《アルファ3よりアルファ2》
セリからの無線が入る。
《本日のラスト北方任務、どうでした。一等兵》
《……そういう言い方、じわじわくるからやめて》
《慣れろ。一等兵だろ》
ちょっとだけむっとして、でも悪くない。
《……ちゃんとナイルたちの“行ってらっしゃい”ももらったし。あとは、準備かな》
《そうだな》
短い笑いが混じる。
《帰ったら、荷造りしないとな》
《あー……面倒くさい》
《だろうな。お前、普段から荷物広げっぱなしだし》
《してません》
《してる》
くだらないやりとりに、あすみは思わず口元を緩めた。
コクピットの外では、北方の空がいつも通り低く曇っていた。
ヘッドセットの内側に、さっきの「行ってらっしゃい」が、まだ小さく残っている。
あすみはそれを一度だけ噛みしめて、スロットルの感触を確かめた。




