Skyーシュミレーションの空ー
その頃の私には、コロニーが世界の全てだった。
外の戦争も、帝国も、連合も――ニュースの中の出来事だった。
放課後のチャイムが鳴り終わっても、教室のざわめきはなかなか収まらなかった。
机の上の白い紙が、やけに重い。
ただのプリントだ。そう思おうとしても、指先が拒む。
――これを開いた瞬間、進路じゃない。人生が決まる。
「技能測定の結果、配ったプリントを見ておくように」
担任が最後にそう告げたばかりだ。机の上には折りたたまれた白い紙が一枚ずつ。そこには、軍のパイロット養成科や技術科にも直結する「適性ランク」が記されている――はずだった。
あすみは自分のプリントを、まだ開いていない。
(……見たくないな)
軍は好きじゃない。
それでも、このコロニーで生きていれば、軍のことを考えないわけにはいかない。
そしてもう一つ。ニュースや教材で当たり前みたいに出てくる単語――《オルタイト》。
特別な鉱石。特別な力。特別な血。
その“特別”が増えるほど、軍の影は濃くなる。あすみはそれを知っている。
窓の外には宇宙空間が広がっている。青い惑星――地球は、今日はコロニーの影に隠れて見えない。
「——あすみ〜! 一緒に帰ろ?」
元気な声と共に机に身を乗り出してきたのは、アン・ヘンドリックだった。栗色の髪のボブスタイルがよく似合う、美人で明るい親友。
「あっ、ごめん。今日はカイトと約束しちゃってて」
あすみがそう言うと、アンはわざとらしく肩を落とす。
「え〜! 残念。じゃあ、明日は一緒に帰ろうね!」
「うん、明日は一緒に帰ろう」
いつものやりとり。
教室の後ろから、男子たちの声が聞こえてきた。
「お前、技能試験なんだった?」
カイトの声だ。
「……Aだけど」
面倒くさそうに答えるのは、セリ・アンダーソン。落ち着いた目をした、長身の少年。
「くっそ、同じかよ!」
「……どういう意味だよ」
「お前らどうせパイロット養成科行くんだろ! 俺なんか技能判定Cだから内勤職しか選べないんだぞ!!」
大げさに嘆いているのはジョン・ラブラトリー。いつも場をかき回して笑わせてくれる、クラスのムードメーカーだ。
「げ……うるさいのもついて来た……」
アンが小声でつぶやき、あすみの横でため息をついた。
(パイロット養成科、か……)
空を飛ぶことに、憧れがないわけじゃない。
このコロニーで育った子どもなら、誰でも一度は、「SKY」に乗る自分を想像したことがある。
けれど、あすみは――。
「——あすみ! お待たせ、帰ろうぜ」
扉のところで手を振る声に、我に返る。黒髪を短く切った少年――カイト・ボリーが、いつものように少し無表情で、でも少しだけ口元を緩めて立っていた。
「うん。じゃあ、みんな、また明日ね」
あすみが立ち上がると、アンがひらひらと手を振る。
「またね〜!」
三人の男子は、少し遅れて教室を出ていく。
「……あいつらずーっと仲良いよなー。俺も彼女欲しいなー、いいなー」
ジョンが伸びをしながら言うと、セリが呆れたように肩をすくめた。
「お前は、彼女の前に軍高に受かるように勉強しろよ」
「なんでまた受けなきゃいけないんだよ、特待生だったのによ。なぁ? アン」
「……さあね。先輩に聞いてよ」
さっきまでの甘い声とは打って変わって、アンは急に冷たいトーンになる。
「……相変わらずの態度豹変だなお前は」
「アン、戻るのか?」
セリが、少しだけ真面目な声で尋ねる。
「……私のこと、気軽に名前で呼ばないで」
その一言に、セリは一瞬言葉を失う。
ジョンが慌てて空気を変えようとした。
「おー、あすみ取られてご機嫌ななめかよ」
――そんな教室の空気を背中に感じながら、あすみはカイトと並んで廊下を歩き始めた。
*
廊下の窓から見えるのは、整然と並ぶ居住区と、遠くに見えるSKY用の訓練場。白い機体が何機も並んでいて、夕方のライトに照らされている。
金属の光は綺麗なのに、あすみはそこに“安心”を結びつけられない。
「……お前、技能試験のプリント、もう見た?」
カイトがぽつりと聞いた。
「……まだ」
「見とけよ。進路、決めないと」
「カイトは、パイロット養成科なんでしょ?」
「うん、俺はパイロット養成科にした!」
カイトは少しだけ胸を張る。
「……うん、知ってるよ」
「この宇宙ソラ、飛べるの、すげぇワクワクするだろ? SKYの実機訓練とかさ」
「それも知ってるよ。夢だったもんね」
彼の横顔を見る。窓に映るカイトの瞳は、宇宙の黒を映してきらめいていた。
(……この横顔、好きだな)
その言葉を、声に出したことは一度もない。言葉にした瞬間、何かが壊れてしまいそうで。
「……でも、ちゃんと帰ってくるから」
「……?」
「ここに、ちゃんと帰ってくるからな」
何気ないように言うその一言が、胸の奥深くに落ちていく。
帰ってくる。
当たり前みたいなその言葉が、この世界ではときどき当たり前じゃなくなる。
「……うん。待ってるよ」
自分の声が、思ったよりもずっと小さく震えていることに、あすみは気づかないふりをした。
*
その夜、あすみは伯母の部屋で、進路の話をすることになった。
小さな居室。壁にかかっているのは地球の古い写真――伯母のお気に入りらしい。
湯気のたつカップがテーブルに置かれる。甘い香りが一瞬だけ広がって、すぐに消えた。
「まだ考えていいのよ?」
伯母は柔らかく言う。けれど、柔らかい言葉ほど、このコロニーでは硬い現実を隠している。
あすみは、プリントを一度も開かないまま、そう言った。
「私、軍高にはいかない」
「……いいのね? それで」
伯母の目が真剣になる。あすみは少しだけ視線を落としてから続けた。
「……軍は……好きじゃないの」
シンプルな言葉。
でも、その裏にはたくさんの感情が詰まっている。
両親は軍の研究者だった。そして、もういない。
(軍に関わらなければ、あの人たち、今もどこかで笑っていたのかな)
そんな「もしも」を考えてしまう自分が、嫌だった。
「そう……」
伯母は小さく息を吐いた。
「大人は、みんな軍高に行かせたがってるけどね」
「……知ってる」
あすみは苦笑する。
「でも、私は普通科でいい。普通に勉強して、普通にどこかで働いて――」
カイトや、みんなと同じ空を見て生きていければ、それでいい。
「——普通、ね」
伯母はカップをひと口飲んでから、頷いた。
「……いいわ。それがあすみの選んだ道なら。」
伯母の横で、壁の時計の針だけが、静かに時を刻んでいた。
(……進路、決めた。
軍なんかに、行かない)
あすみはそう心に決めて、その夜は眠りについた。
その夜更け、伯母の端末が枕元で一度だけ光った。
警報ではない。ただの通知音が、静かな部屋に“嫌に大きく”鳴った。
あすみは目を開けた。息が止まるほど短い沈黙のあと、伯母が隣室で立ち上がる気配がした。
そして、壁の時計だけが、変わらない速度で進み続けていた。
挿し絵を追加しました。(※挿し絵はキャラクターのイメージ画像です)
伏線回収型のストーリーになりますので、迷子防止にブックマークして頂けると安心です。
(作者も小躍りします。)




