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黒の皇后  作者: 小松しま
3/21

(王は、よほど僕が嫌いらしいな……)

 すっかり気分が塞いでしまう晩餐を終え、女官や侍女たちにいざなわれて、希望は湯を浴びた。

 水道が完備に至っていない様子の城内では、浴槽に湯を溜めるのも大変なことらしい。それでも精一杯の配慮をしてくれたのだろう。

 猫足の浴槽に浸かって、希望は安堵の息を吐いた。やはり風呂は気持ちが良い。

 やや狭いが、そのような文句を言うつもりになど、なるはずもなかった。

(とにかく……。このままじゃ、いけない)

 希望は、考えを巡らせる。王が自分を嫌っているのは、もう嫌と言うほどに理解出来た。

 廷臣たちもそれを察し、ひどく困っている。

(何とか和解して、妥協点を探ろう。いがみ合うばかりでは、改革なんて、出来るはずもないのだから……)

 希望はそう決意する。だが、そうした合理主義が受け入れられるほど、この世界の住人の精神は柔軟でない事実に思い至っていないのが、後の悲劇の遠因となるのだが、無論、今の彼に理解出来るはずもなかった。


 入浴後、夜着を纏った希望が女官に連れて来られたのは王妃の間と呼ばれる部屋だった。

 城に到着してすぐ通されたのとはまた異なる場所である。

 三間続きの設えで、呆れるほど贅沢な装飾に満ちていた。

 上の下、あるいは中の上。つまり一般庶民の範疇にあった希望にとって、居心地が良いはずもない。

 見渡すだけで疲労が増し、ついつい溜め息を吐いてしまった。

「王妃さま?」

 先導の女官が、案じ顔で振り返る。

「あ……いえ」

 彼は慌てて首を振る。

 女官は、居間の先の扉を開いた。

「この奥が、国王夫妻のための寝室となっております。向かい側の扉が、陛下のお部屋と続き間でございますので、御夫君のお出入りはそちらからとなりましょう」

「……っ」

 思いがけない……訳ではなかった。

 仮にも夫婦を名乗るのだ。それに付随する「行為」について、可能性を考えてはいた。

 だが、いきなり現実味を帯びたのに、希望は震え上がってしまう。

(……そうだ!)

 不意に、彼は思い付きを得た。

「では、わたくし共は、これにて……」

 先導の女官、及び供をして来た侍女たちが、恭しい礼を残して、寝室を後にする。

 残された希望は、胸元に拳を作って改めて周囲を見渡した。こちらもまた大変な設えだ。

(技巧の部分で統一感もないし、かなり下回りはするけれど、ベルサイユとかバッキンガムとか……そう言うの、連想させるな……)

 装飾品の一つ一つに、一体どれほどの価値があるのかと思う。

 多くの納税者の尽力によって果たされた贅沢だ。

 そして希望は、この国の民が、決して恵まれた日常を送っている訳でないことを「意志」によって教えられている。

(こんなことでは駄目だ。芸術の奨励も大切だけど、トップがそれに溺れるより先に、もっと優先すべきことがあるのに……)

 しなければならないことが、本当に山のようにあった。

 個人的な感情の軋轢で、王と争っているような場合ではない。

 希望は、覚悟を抱いて扉を開いた。


 スウェイワナ王の姿は、見当たらない。

 気負いが肩すかしになって、希望は拍子抜けしてしまう。だが、すぐに気持ちを改めた。

(とにかく落ち着いて……。ちゃんと、話し合おう。僕は、大恋愛なんてするために、ここに来たのではないのだから……)

 覚悟を噛み締め、立ち尽くしたまま頭の整理をする内に、王の部屋の扉が開いた。

「あっ……」

 希望は身を竦ませる。

「あ、あの……」

 不機嫌を隠そうともしないスウェイワナが中に踏み込んで来た。彼もまた、夜着を纏っている。

「陛下に、お話しがあります。聞いてください」

 スウェイワナの背後の扉が閉ざされるのを待って、希望はそう口を開いた。

 王は眉を寄せ、何も言わない。

 それを暗黙の了解と受け取って、希望は拳を握り込む。

「僕が、この国に来たのは……あなたと、恋愛感情を育むためではありません」

「……っ!」

 まずは大前提をそう告げた。

 途端、スウェイワナの瞳に憤怒の炎が上がったが、懸命に自らの胸の内を模索する希望は、それに気付かない。

「あなたが、突然現れた僕の存在を受け入れ難く思い、疎ましくてならないのも、無理はないと思います。ただ、僕は、……あの、ローディアナ神の召喚を受け、課せられた役割を果たすために、やって来たのです。そのための手段として、王妃の座が必要なのだと、理解しています」

「……何が言いたい?」

 怒りを押し殺しながら、スウェイワナが尋ねる。

 希望は、真っ直ぐな瞳で夫たる人物を見詰めた。

「僕は、僕の勤めを、全力で果たします。ですので、それが必要とされる期間だけ、どうか陛下も協力してください」

「どう言うことだ?」

 懸命の訴えだが、スウェイワナ王には全く通じていない。

「実績を、作りたいんです。そうすれば、人々から認知も受けられるでしょうから、その後は、王妃の看板もきっと不要になるはずです。それまでの間だけ偽装結婚をして、時が来たら、離婚して頂ければ……っあ!」

 言葉の途中で、いきなり腕を取られた。

 凄まじい力で握られ、あまりの痛みに希望は竦み上がる。

「神への誓いを冒涜せよと申すかっ!」

 スウェイワナ王の叫びは、雷鳴のような烈しさに満ちていた。

「え……?」

 希望は、その意味を理解出来ずに瞬いてしまう。

 冒涜も何も、愛してもいない……むしろ疎んじている相手に、生涯の愛と忠誠を誓ったのは、王の罪であって、言い訳のしようもない偽りだ。

 それを今更、希望が一方的に責められるような筋合いはなかった。

 スウェイワナは、尚も叫ぶ。

「勝手ばかりを囀りよる! 「かんなぎ」ならば、何をしても許されると思うてか!」

 全く以て、希望からすれば、言いがかり以外の何物でもない。

 けれど、何故ここで、「かんなぎ」ならば、などと言われなければならないのか?

「で、ですからっ……、何も、無理に夫婦になる必要はないと言っているんです。あなたは、僕を嫌っておいでなのでしょうっ?」

 それでも王は、神恩賜の「かんなぎ」を伴侶にするメリットを欲し、婚姻の誓いを立てたのだから、希望ばかりが非難される謂われはない。

 だが、そのような理屈の通じる相手ではなかった。

「や、やめっ……」

 抗いも虚しく、希望は力尽くで、寝台に投げ付けられる。

「い、いやっ!」

 怒りのままにのしかかって来るスウェイワナを希望は懸命に拒もうとしたが、力の差は一目瞭然。抗う意味などなかった。

「……ゃあっ!」

 着せ付けられた夜着が引き裂かれる。絹の破れる激しい音に、希望の中の「何か」までが砕け散るようだった。

「生憎であったな。そなたは、既に人の世の汚れに染まったのだ。もはや、清らかなまま、「神の園」へなど、帰られまい!」

「な、何をっ!」

 王から、訳のわからない負の感情を突き付けられる。抵抗を封じられ、下肢が開かれるのに、希望は涙した。

「止めてっ……! 止めてくださいっ!」

 必死の懇願は嘲笑によって踏みにじられた。

「ひっ……!」

 欠片ほどの労りもない、強引な交合だ。

「っ……はっ……あ……」

 頭の中が真っ赤になるような衝撃に、希望は硬直する。

 四肢が熱を失う。

 がんがんと凄まじい血流が、頭の中で鼓動を作り、反響していた。


「―っ!」


 声にすらならない絶叫に、希望は震える。

 初恋すら知らずに……ただ、懸命に「秘密」を守ってひっそり生きて来た彼だった。

 何故、このような陵辱を受けなければならないのか、理解など、出来るはずもない。

「柔らかくもない、つまらぬ身体よの! 何が神の奇跡かっ!」

 夫となった男は、そう嘲笑する。

 見開いたままの希望の瞳から、涙が溢れ出て止まらない。屈辱などよりも、苦痛は大きいものだったろう。

(……あ、あぁ……)

 全ての気力が根こそぎ奪い取られるかのような、虚しさが希望を支配した。

 互いの息の烈しさが、いっそ滑稽だ。


 ややもせず、王は寝台から立ち上がった。

 うち捨てられた希望は、ようやく自由になった身体に力を込める。

「うっ……」

「ふんっ!」

 自らの身支度を整えて、スウェイワナは、寝台で震える希望を睥睨する。

「……へ、や……を、……」

 彼は、苦しみを堪えて、口を開いた。

「何?」

 許しを請う……あるいは、神の権威を傘に、非難の声を上げるかと思っていたスウェイワナだが、希望が告げようとしているのは、そのいずれでもないようだと、注意を向ける。

 そう……。

 傷付き、嘆いていても、希望は、悲劇に酔いしれてはいなかった。

 これほどに虐げられても尚、「役目」を果たそうと、必死に意識の切り替えを行ったのだ。

 そのために、全てを捨てて、召喚に応じたのだから!

「駄目、です……。こんな……部屋に、いては……」

 だが、それでも、ひどい混乱に突き落とされたばかりの身。理路整然とした意見など出来るはずもなく、ようやく口に出せたのは、入室の際に意識した一件について、だった。

 国民の生活が安寧に遠い現状で、君主たる者が日常から華美に走るのは、控えるべきだと、そう告げようとしたのだ。

 しかし、スウェイワナ王に通じるはずもなく、むしろ更なる怒りを買ってしまった。

「王妃のための部屋の何が不服か!」

 彼は、希望がこの部屋に不満を抱いたとしか、受け取らなかったのである。

 希望は必死に言い募った。

「苦しんで、いる人々が……。今は、贅沢よりも……」

 だが、心身に激しい衝撃を受けた直後。どうしても、それをわかりやすく伝えることが出来ない。それどころか、今更意識が霞み出した。朦朧とした心地で、それでも希望は懸命な訴えをしようとする。

「ええい! だったら、うち捨てられた地下牢を住処とすれば良い!」

 しかし耳を貸さないスウェイワナは、憤りのままに大声で叫んだ。

「誰かおらぬか!」

 それに応じて、王の間、王妃の間から、それぞれに女官や侍女たちが駆け付けて来る。

 彼女たちは、部屋の現状を見て、さっ……と顔色を変えた。

「急ぎ、大臣たちに触れを出せい!」

 叫びながら、スウェイワナは王の間へと去って行く。

 取り残された希望は、扉が閉まる間も待てず、そのまま意識を手放してしまう。

「王妃さまっ!」

 あまりにも無惨な初夜によって引き裂かれた彼の、それが限界だった。



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