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たゆたいに、心を漂わせる。
様々な知識が、希望の中に入り込んで来た。
新たな故郷、ローディアナ大陸。
そこは、同名の神、ローディアナ神の恩恵によって成り立つ世界だと言う。
幸いにもここしばらくは戦乱から遠離ってはいるものの、それでも群雄割拠の時代、十指に入る王国の一つラジアナへ、希望は導かれるのだ。かの地の君主の妃となって、多くの恩寵を民へ与えて欲しいとの懇願が、彼の胸に染み入った。
ローディアナ大陸において、両性具有の者は、神の寵児とされ、尊重される。
その大半が、生国の王の元に嫁ぐのだ。
絶対王権によって成り立つ世界で、王妃になる以外、改革の道はない。
そう……言葉でなく、想いで告げられる内、希望の決意は一層固く、強くなる。
(……あっ……)
ふと、「身体」に意識が向いた。
何一つ、纏っていない。
そして、髪が背丈と同じほどに伸び、全身にまとわりつくように波打っている。
彼は空間の中に生じた光球に封じられ、重力のない状態で「旅」をしているようだった。
やがて、「目的地」へ到達する。
目映い太陽の煌めきに迎えられた希望は、差し出された一枚の布を受け取った。裸体の身を配慮してくれたのだろう。マントのようである。
見渡す周囲は、平伏する人だかり。ここは、広場だろうか? 着飾った人々が詰めかけ、何らかの儀式の最中だったらしい。
(……召喚を受けた……形になるのかな?)
手にしたマントを身に纏えば、目映さが治まる。太陽のそれだけでなく、希望自身あるいはカプセル役を果たしてくれた光球が凄まじい輝きを発していたようだ。
「……尊い……御方さまっ……」
先頭に位置する初々しい少女が、紅潮の頬を上げて声を発する。
(副音声?)
知らない言葉と理解出来る言葉の二重の響きが、希望には奇妙この上ない。
無理もない当然のことだが、ここは全く異なる言語を用いる場であるらしい。
なのに、希望には一方のそれが理解出来る。
十二、三才の、金の髪の少女は歓喜の表情で、希望を見上げていた。彼女に、とても親しい想いを覚えるのは、何故なのだろうか?
その傍らで呆然としているのは、希望にマントを差し出した二十代半ばの、深みのある栗色の髪と緑の瞳を持つ、秀麗な容姿の青年である。
(この人が……)
希望は瞬時に理解した。彼こそが、ラジアナ国王。希望の伴侶たる人物に違いない。
(……この、人の……妃に……)
凄まじい高揚が、胸の奥底から湧き上がって来る。
「我らがローディアナ神より使わされし、新たなる「かんなぎ」の君であらせられます」
少女は、一同に言い含めるようにして希望を示した。
「……相違、ございませんでしょうか?」
順序が逆だが、それだけ彼女の中にも驚愕……あるいは、興奮があるのだろう。
「かんなぎ」と言う未知の単語に頓着することなく、希望は微笑して頷いた。
「ああっ……!」
少女は、感謝を捧げるようにして両手の指を組み合わせる。
「陛下っ! 陛下っ!」
「あ、ああ……」
少女の促しを受けて、夫となるはずの男が一歩前に出る。緊張して差し出された手に、希望は自らのそれを重ねた。
(あっ……)
何か、甘い不思議な快さが希望の胸の奥に芽生える。
(僕はこれから、この人と共に、生きるんだ……)
捨てて来た故郷の全てと引き替えに得た、新たな人生とその伴侶に、希望は感極まった。
「恐れながら、お尋ね申し上げます」
平伏の一同の最前列にいる年配の男が奏上する。装束から察して、かなりの高官だろう。
現時点の希望には知る由もないが、この人物は、国の重鎮、宰相だった。
希望が顔を向ければ、彼は、必死な形相で言を続けた。
「気高き御身は、我らがローディアナ神のお沙汰によって……これなる、スウェイワナ国王陛下のお妃さまにおなり頂けること、誠……相違ございますまいかっ?」
彼のみならず、後ろに控える一同全ての、それは希求めいた確認のようだ。
いや、何と、この広場を埋め尽くす「何かの儀式」の参列者たちに、更には公開したものだったらしく、遙か先まで庶民だろうか? ずっと質素な装いをした者たちまでが連なり、心からの恭順を示していた。
「はい……。この国に、より良い未来をもたらすために、僕は……参りました……」
そのための手段が王妃になることなのだと、希望に訴えた「意志」により教えられている。
王妃になる以外に、術がないとも、だ。
その「意志」こそが、彼らの信仰するローディアナ神なのだろう。
「おおっ……」
歓喜のどよめきが大地を震わせる。
希望は、うっすらと微笑した。
そして、伴侶たる青年に目を向ける。
スウェイワナ王。そう、彼は呼ばれていた。
しかし、希望の視線を避けるように男は顔を横に向ける。
(……え?)
この時覚えた違和感をもっと突き詰めておけば良かったと言うのは、後から思うことだ。まともな状況判断も出来ない状態の希望は、重臣たちの懇願に応じて、その場で婚姻の誓いをローディアナ神へ捧げることとなった。
取り急ぎの仮祝言である。正式な儀式は、様々な準備を経て、また後日に執り行うことにして、まずは既成事実を欲するあたり、よほど人々は切羽詰まっているのだろう。
それだけに求められる役割があるのだと、希望は覚悟を新たにする。不思議な慕わしさを覚える金の髪の少女が祭司となり、希望は教えられるままの言葉を繰り返す。
「我らがローディアナ神の御前にて……生涯の愛と忠誠を……これなる、我が伴侶……ラジアナ国王陛下へ、捧げます……」
希望が知る由もないそれは、古来よりローディアナ大陸に伝わる婚礼の誓いの言葉である。至上のものだと理解するより先に、口にしたのだ。
続いて、スウェイワナ王も口を開く。
「我らがローディアナ神の御前にて……我が伴侶となりし王妃を、生涯かけて愛し、守り慈しみ続けんことを誓います……」
この誓いによって、多くの哀しみが生まれ、そして、大陸の歴史が変わって行くことを、希望はまだ知らなかった。
金の髪の少女イレーネは、希望と同じ両性具有の者だと言う。「意志」……ローディアナ神が示唆した通り、この地では、神聖な存在として尊重され、神と人を繋ぐ存在「かんなぎ」と称されるらしい。
この少女は、ラジアナ王国を担う人材として誕生した瞬間より、神の祝福を受けた者だ。
本来、スウェイワナ王の妃となるはずだったが、神託により聖職者としての生涯を差配され、本人の希望もあって、隣国の老「かんなぎ」の元へ師事するべく出立する正にその瞬間、別れの儀式の最中に、スウェイワナ王の新たな伴侶として希望が降臨した訳である。
本当に短い間の語らいでそれだけを告げると、少女は名残惜しげに隣国へと出立した。
そして希望は、彼を尊重する人々に導かれ、王城へと場所を移す。
案の定の古風な建物だ。
建築技術がまだ未発達らしく、堅固と言えば聞こえが良いが、強度を賄うために、主な築材である岩の厚みが必要となるようで、何とも陰気な風情すら漂っている。
希望は一室にて、ほとんど裸体の身に美しい装束を着せ付けられ、その後、案内に従って、大広間らしい部屋へと移動した。
既に玉座には、夫が待ち構えていた。
宮廷作法など知らない希望だが、精一杯の礼を尽くして腰を屈め、周囲にいざなわれるまま、隣に用意されている席に腰を降ろした。
スウェイワナ王は希望を見ようともしない。
もうこの時点で、彼にも理解は出来ていた。
夫に、希望を受け入れるつもりはないのだ。
無理もないとは思う。いきなり、「神よりの恩寵だ」と伴侶を押し付けられて喜ぶようなおめでたい男が、そういるものでないだろう。
けれど、希望はひどく傷付いた。
諸手を上げて歓迎して貰えるものと勝手に思い込んでいた自分に腹も立つ。
(しっかりしろ……)
泣きそうになる心を叱咤して、希望は真顔を繕い、忠誠を捧げてくれる多くの人々を見渡す。
(お前は……大恋愛、なんてするために、ここに来た訳じゃない。……目的を、忘れるな)
そう自らを宥めて、そしてこっそり、隣に座す夫を伺う。
彼こそ、最大の犠牲者のはずだ。あのイレーネのように美しい乙女を、本当は伴侶に望んでいたのだろう。
しかし、こうして下賜されたのは、どこから見てもただの凡庸な青年だ。
忸怩たる想いを抱くことこそ当然である。
(でも……王妃にならなければ……)
希望は唇を噛み締めた。
そうしなければ、ローディアナ神より委ねられた改革は叶わない。
まだ到来から僅かな時間しか過ごしていないこの地だが、周囲の人々の様子から、絶対王権が確立しており、そして女の地位が極端に低い有り様が理解出来た。
「かんなぎ」が慣例として、別格ながらも女に近しい立場にあることもだ。
故に、「かんなぎ」が采配を振るうためには、王妃になる以外ない訳である。
更に、「かんなぎ」を王妃に迎えた国に、神よりの恵みが降り注ぐと言う。各国の王は、それを希ってやまない。
スウェイワナ王しかり。だから彼は、到来した希望個人に不満を覚えても、伴侶として受け入れたと、簡単に推理は完結した。
(気の毒だとは思うけど……勝手だよ。恩寵は欲しいけど、僕は嫌いなんて……)
首尾一貫しない姿勢が、希望には不愉快で仕方がない。一方的に被害者ぶられる謂われなど、断じてないのだ。
けれど、それを言ってもはじまらないだろう。
(僕は好きな人、いなくて……良かったな)
ふと、スウェイワナ王の立場を仮定して、希望は僅かな慰めを得た。もし、自分に誰か他に好きな人がいて、けれど国益のために政略結婚を強いられていたらと想像すれば、「好きな人がいない」ことに、感謝せずにいられない。
そこまで考えて、(もしかしたら……)と、思い至った。スウェイワナ王には意中の相手がいるのかもしれない、と。
けれど、彼は希望との婚姻を受け入れた。
ローディアナ神の恩寵欲しさにだろうがなんだろうが、否を告げなかった事実がある。
(でも、やっぱり……こう言うのは、ギブアンドテイクだよ)
思考を巡らせれば、結局そこに行き着く。
おまけだけは欲しいけれど、本体はいらないでは、本末転倒も良いところだ。
それなりの打算を以て婚姻に了承した以上、義務は双方に生じて来るはずである。
(何とか……しないと……)
気詰まりこの上ない式典を経て……ようやく夕食の仕度が整った時、もう希望は疲労困憊に陥っていた。
晩餐は、案の定、随分単純な形式だった。
仮披露宴とでも言うのだろうか? ただ、供された料理にしても、素朴でまだまだ発達の余地のあるものばかり。
そしてまた、マナーの至らなさときたら、むしろ野蛮と言って良いほどだった。
日本人流の「頂きます」どころか、乾杯の音頭すら取られることなく、皆好き勝手に酒を飲み、食する順 番も何もなく、何人かごとに用意された大皿の冷え切った料理を適当に自分の皿へと移して、辛うじて用いているフォークとナイフ、スプーンで口へ運ぶのだ。
給仕はいないので、椅子から立ち上がって自分でサーブをしなければならないのは、何とも奇妙なものである。
更に、取り分け用のカトラリーなどもない。
直箸ならぬ、直ナイフに直フォークだ。
流行病が横行する、これも原因の一つなのかも知れなかった。
ともあれ、洗練の極みである日本食の作法に馴染んだ身には、戸惑いを覚えてならない。
宮廷でさえこうなのだから、庶民の間ではもっとひどい状態なのだろう。
(カトリーヌ・ド・メディシスの苦労が忍ばれるな……)
希望は溜め息を禁じ得ない。
ルネッサンスを謳歌するイタリアから後のフランス国王アンリ二世の元へ嫁いだ彼女は、まだ野蛮な習慣の横行していたかの国に、技巧を究めた美食や、優雅で洗練された多くの作法を持ち込み、定着させた功績の主だ。
カトリーヌあってこそ、以降、フランス文化は大きく花開き、世を席巻したのである。
彼女にあやかろうと思う訳でないが、担う役割の重さは、こうしたところからも垣間見ることが出来た。
と、取り敢えずひどく空腹であるため、彼は立ち上がって手を伸ばし、大皿から、手前の取り皿に、顔の半分ほどもある焼肉を一切れと、茹でた豆をよそる。
そして、いつもの習慣で、フォークとナイフをハの字に置いてから、両手を合わせた。
周囲の人々が息を呑む。
それに気付かず、希望は食事をはじめた。
豚肉だろうか? 何種類かのハーブと塩だけのシンプルな味付けをし、直火で充分焼いたものらしい。
遠い時代のヨーロッパ風のそれを想像し、傷んだ肉かもしれないと覚悟して口に運んだが、幸い、臭みはほとんどなかった。
かつての欧州では保存技術が未発達の頃、腐りかけの肉を常食していたと言う。
その臭い消しとして香辛料が珍重された過去がある。
けれど、今回が特別なのかもしれないが、処理をしてさほど時間が経たない内に、こうして食卓へ供されたらしい。
味もなかなかだ。
食事をはじめた希望は、一挙手一投足に注目が集まっていることをようやく自覚する。
習い覚えた洋食マナーを無意識に使っていたのを観察されているのだ。
集う人々の意見は概ね好意的で、
「一口分になるように切り分けるのは、何て上品で美しい仕草でしょう」
「あのように左側から順に食するのは、確かに皿の上が見苦しくない」
「手前に向けてナイフを滑らせるのは、なるほど……周りの人への配慮になろうな」
「一度手放す時にはこう、と……。ふんふん……」
と、いずれもが見よう見まねをしている。
希望は、柔らかく微笑して、彼らにわかりやすいように、ゆっくりと実演をして見せた。
「優雅ですわぁ……」
「さすがは、「神の園」より、おいで遊ばされた御方だ……」
感嘆の声は一層大きくなる。
だが、隣で乱雑に食事をするスウェイワナ王の機嫌は悪化の一途を辿るばかりだった。
それを意識するだけで、希望の気持ちは落ち込んで行く。




