無理だよ。わかるまで何回も繰り返さなきゃ
「――許 さ な い 」
笑っているのか、怒っているのか……、そのどちらとも聞こえるような言葉を合図にしたかのように美姫と少女が同時に互いに攻撃をしかけてきた。
美加はヤソの隣に膝をつき、泣きそうな顔でヤソと美姫を交互に見る。相変わらずヤソは頬杖をついたままで表情も変えずに美姫が戦う様をぼんやりと眺めているだけだった。
美姫をチームに勧誘するためにここに来たと言っていたのに、ヤソはこのまま彼女を見殺しにするつもりなのだろうか? ――美加の頭の中は混乱するばかりである。
「あんた、大雅から『狩り場』のこと聞いてねーの?」
ヤソの切れ長の目が鋭く美加を捉えた。――ヤソは弾みをつけるようにして立ちあがり、肩を大きく一度上下させると廊下の奥に視線を投げるようにして言った。
「ここは、あの子の狩り場なんだよ。部外者の俺らには、どーすることも出来ねーの」
ヤソの言葉に美加は、狩り場を移動するにも罪のポイントが必要だ……と言っていた大雅の言葉を思い出していた。
「じゃあ……、これがバトル……」
廊下に連なり続く子供たちの死体。倒れた少女に馬乗りになり、狂ったようにモップの柄の先を少女の顔面に突き下ろす美姫の姿。――美加は目の前の凄惨な風景に身震いした。
少女が動かなくなったのを見て、美姫はずり落ちるように少女の体から廊下へと腰を落とす。
血に染まったモップを握りしめ、ぼんやりと宙を見つめて動かなくなってしまった美姫を見て、やっとヤソが行動に出た。ヤソが歩き出した途端、おびただしく累々と横たわっていた死体は次々に姿を消していく。
瑛太:
あいつに付いていってみよう
僕の姿を見られてしまった以上、逃げてもあいつに追われるだけだ
それなら、狩り場やバトルの情報を少しでも得る方がいいと思う
瑛太のメッセージに美加はうなずき、ヤソの背中を追って歩き出した。
「よぉ、美姫ちゃん。お疲れー」
さっきまで修羅場であったことなど気にもとめていないような明るいヤソの口調に、美加は面喰い、美姫はうさんくさいものでもみるような視線を投げつける。
ナイフでずたずたに切り裂かれた制服、ハサミで突き刺された腕からは血が止まることなく流れ、顔の裂傷からもどくどくと流血している。――美姫のそんな姿に、美加は卒倒しそうになるのを何とかこらえた。
「また派っ手にやられたなぁ」
美姫のそばにしゃがみ込んだヤソが美姫の顔を覗き込んで言う。
「なぁ、チームに入れって。ひとりで戦ってちゃ、元の世界に戻る前に……」
ヤソは右手の人差し指で銃の形を作って自分のこめかみに宛がうとこう言った。
「ここ、やられるぞ」
「うるさい! 何なの、あんた。この間から私にくっ付いてわけわかんないこと言うし。――私は帰りたいの! 今すぐ家に帰りたいのぉ!」
膝を抱え泣きだしてしまった美姫を見て、ヤソはため息をついて立ち上がる。
わけのわからない世界に突然放り込まれただけでも怖くてたまらないのに、あんなに傷を負った彼女の気持ちはどれだけのものだろう……。彼女に何もしてやれない自分の非力さに美加は泣きそうになってしまう。
「あんた、見ただろ? こいつに襲い掛かってきたガキ共」
美加の隣に立ったヤソが、くしゃっと頭をかきながら話しかけてきた。
「あれが、こいつの『罪』。こいつの虐めのターゲットになってた奴らさ。――王が頭の中を覗き込んで作り出すらしい」
「――頭の中……を?」
にわかには信じられないような出来事だが、この不可思議な世界ではそれを否定することの方が愚かなことではないかと美加は思った。現に、クエスト1では美加の生まれ故郷の街がそのままに美加の目の前に現れたのだから。
「俺らの持てる武器は、せいぜい……」
そう言ってヤソは、美姫が持っているモップを視線でさし示して大袈裟に両手を広げてみせる。
「その辺にある棒っきれ位だが、敵は違う。刃物に銃……何でもござれだ。敵が強けりゃ強いほど、そいつの恨みもすさまじいものだと、俺ぁ、思ってる」
美加はヤソの目が寂しそうに曇るのを見たような気がして、つい彼の顔を覗き込んでしまっていた。
そんな美加の様子に気付いたのか、ヤソはそれを誤魔化すようにニッと笑うと再び美姫の側にしゃがみ込む。
「な? チームに入れって。そうすれば、外の世界のやつらと連絡取れるようになるし助かる可能性も出てくるんだぞ?」
「――チームに入らないとメールは送れないの?」
ヤソの言葉に疑問を持った美加がそう訊ねると、ヤソは美姫の方を向いたままで答えた。
「あぁ、通信はチームに入るか、パートナー同士でしか使えねー機能なんだよ。――だからアイツは」
「ほっといてよ! 私、あの猫と約束したんだから。うまくいったら家に帰してくれるって約束したんだから!」
ヒステリックに叫ぶ美姫の声がヤソの言葉をさえぎる。
涙と血でぐしゃぐしゃになった顔を上げた美姫は、制服のポケットから携帯を取り出しキーを押すと何もない目の前の空間をじっと見つめた。
「――おいでなさるか……」
ヤソが舌打ちして立ちあがる。
空間の一画が陽炎のようにゆらりと揺らめき、3人が無言で見守る中、猫耳と尻尾をつけた少年の姿を形作っていく。
「チェシャ猫……」
思わず声を出してしまった美加だったが、チェシャ猫は美加とヤソの方には目もくれず口許に笑みを浮かべたまま美姫を見下ろしている。原型もとどめないほどに顔をつぶされて横たわる少女の屍をちらりと見てから、チェシャ猫は笑顔で言った。
「また、みんな倒しちゃったんだ。強いね、美姫は」
「私、うまくやったでしょ? うまくやれたでしょ?――お願い! 家に帰して!」
美姫はチェシャ猫の足元までにじり寄ると、廊下の上に這いつくばって懇願する。
それを見下ろすチェシャ猫の笑顔が、ほんの一瞬の間だったが残忍さを秘めたものに変わったのを見て、美加は背筋が凍るような恐怖にとらわれた。
チェシャ猫は笑顔のままで少し体を倒すと、右手の指先で美姫の頭に触れる。――オレンジ色の光が美姫を包んだかと思うと、次の瞬間には美姫の傷は消え去り、破れた制服も元通りに戻っていた。
「試してごらん。元の世界に繋がっている出口。――今度は帰れるかもね」
チェシャ猫がそう言うと、美姫はふらりと立ち上がりモップをずるずると引きずったまま廊下の奥へと歩き始める。
カツンカツン、とモップが階段の縁に当たる音を聞いたヤソが、拳で額を叩き苛立たしげな短い声を発するのを見て美加は問いかけてみた。
「パートナーとクエストを進める以外にも、元の世界に戻ることは出来るの?」
「出来ねぇよ。――あいつは楽しんでやがるんだ」
「楽しむ……?」
「ああ。あいつは虐めをしてここに送られてきた奴には特に容赦しねぇ。ネズミを捕まえた猫が、ひと思いに殺すんじゃなくてなぶり殺しにすることがあるだろ? あれと同じだ。何度も何度も、ここで殺し合いを続けるしかねーんだよ、あの子には」
憎らしげに呟くヤソの言葉を聞いて、チェシャ猫は後ろ手に手を組むと下から見上げるようにして鼻をひとつ鳴らしてみせる。
「ヤソ。いい加減、ボクのおもちゃにちょっかい出すの、やめてよ」
「やめねぇよ、バーカ。人の命はおもちゃじゃねーんだ」
動じる様子も見せずに食ってかかるヤソとチェシャ猫の睨み合いが続く。一触即発な状況の雰囲気を打ち消すように、美加はヤソとチェシャ猫の間に割って入った。
「お願い。もし帰る方法があるなら、あの子を帰してあげて」
「美姫は全然うまくやれてないもん。無理だよ。わかるまで何回も繰り返さなきゃ」
いつものように笑いを含んだような声でチェシャ猫が答える。
「でも、ボクはミカが好きだからね。――ミカのお願いなら聞いてあげるよ」
チェシャ猫がそう言うと、廊下に横たわった血まみれの少女の死体が2人の目の前から忽然と姿を消した。
「――やめろ!!」
ヤソはそう叫ぶと下駄箱へ向って駆け出していく。
美加はニヤリとほくそ笑むチェシャ猫に、言い知れぬ恐怖を感じ自分でも気付かぬうちにあとずさっていた。
「――無事に……帰れるのよね?」
自分のそんな問いかけが無意味だということを美加は頭の中ではわかっていても聞かずにはいられなかった。
「いやだなぁ、ミカ。あんな高い所から落ちて無事なほど人間って頑丈だっけ?」
邪気のない子供のような笑顔を見せた後、チェシャ猫の体は現れた時と同じくゆらりと揺らめき、甲高い笑い声だけを残して消え去ってしまった。
チェシャ猫の笑い声から逃れるようにして、美加もヤソの後を追って校舎の出口へと走り出していた。
開け放たれた扉の外にヤソの姿があった。何かに驚いた様子で遥か上を見上げている。
美加がヤソの隣に並んだその時、頭上から美姫のものと思われる悲鳴が聞こえてきた。
驚いた美加が声のする方を見上げた時、美加もまたヤソと同じように信じられない光景に呆然とするばかりだった。
つい先ほどまでいた場所は3階建ての校舎であった筈なのに、美加とヤソの目の前にそびえ立つのは階数が優に10階以上はあるだろうと思われるマンションに変わっていたのだ。
――何かが落ちてくるのを、美加は見た。
美姫の体にしがみつき笑い声をあげている少女と、落下しながらそれを必死でふりほどこうとしている美姫の姿を。
「見るな!」
ヤソが自分の体で美加の視界を遮るように抱きしめてくる。
どすり、と鈍い音が耳に飛び込んできた途端、美加はヤソの腕の中で気を失ってしまっていた。