Kapitel.39
一樹は慌てて病院へと走った。
昨夜は誰もいない家に帰った途端自然と涙が溢れ、暫く泣いていたら、眠ってしまっていた。今朝眼が覚めて、急いでご飯を食べたり洗濯物を干したりしているうちに、いつもより遅くなってしまったのだ。
別に、遅くなったからってどうってことないのだが、どうしてか今日は嫌な予感がしていた。
「一樹っ!」
不意に後ろから声がして振り返ると、秀と佑月がいた。
「どうしたんだよ、そんな慌てて」
「あ、ちょっと寝坊しちゃったんで」
秀の質問に一樹は早口で答える。
「そんな、ちょっと寝坊したくらいで……」
佑月が静かに笑いながら言う。
「でも、なんか……。嫌な予感がしてて」
深刻そうな一樹を見て二人は顔を見合わせて頷く。
「じゃあ急ごう」
真央の病室に着き、三人は呆然と立ち尽くした。
「真央は……どこだ」
「…トイレとか」
嫌な予感を避けようと佑月が言うが、素直に信じられない。
「ちょっと探してくる。お前はここで待ってろ」
「っ、どうしてですか!」
秀の言葉に一樹は真っ向から反発する。
「真央がまだいなくなったとは限らない。だから、もしも真央が帰ってきたとき、お前がいてくれた方が安心すると思うんだ」
「でもっ」
「頼む」
反論しようとする一樹を遮って、秀は真剣な顔をして言う。そんな秀に負け、一樹は力を抜いた。
「……わかりました」
秀が頷く。
「すぐに見つけて連れてきてやる。佑月、行くぞ」
「でも、探すってどこを……」
病室を出るなり、佑月は困ったように右往左往する。しかし、秀は迷いもせず動いた。
「え、真央がどこにいるかわかるの?」
慌てて秀の後を追いかけながら問うと、秀は顔を歪めながら口を開いた。
「嫌な予感が当たれば、な」
秀の返事の意味を感じ取った佑月は、息を飲む。同時に、一樹を病室へ置いてきた理由も理解した。
足早に廊下を進み、階段を走って登る。そして、勢い良く扉を開けた。
温かい風が二人を包む込む。空は、雲一つない快晴だった。
屋上には洗濯物などが風に靡かれており、場所によっては人が隠れられる。
少し歩くと、真央はすぐに見つかった。
秀が小さく舌打ちをする。
やっぱりか……。
「真央……何をするつもりなの」
佑月が震えた声を出す。
聞かなくてもわかっていた。フェンスを越えた先にいる真央を見れば。
「刺激を与えない方が良い。ここはそっと…」
秀は言いながら真央に近付いていく。
真央は二人に気付いていないのか、静かに空を見ていた。
「……自殺、するんじゃないのかな?」
暫く様子を伺っていても、真央はじっと空を見つめたまま動かない。その為、二人とも油断してた時だった。
真央が下を見下ろす。そして、一歩前へ踏み出した。
「っ、あの馬鹿っ」
秀は身長より少し高いフェンスをよじ登り、真央の腕を掴んで引き寄せた。しかし、真央は秀を見ようとしない。ただ足を動かして飛び降りようとする。
「真央っ、眼を覚ませ」
「覚ましてる」
秀が叫ぶように言うと、真央の予想以上に冷静な声が返ってきた。
「覚ましてるよ。だからこうして飛び降りようとしてるんじゃん」
「……お前、何言ってんだよ」
秀が狼狽えるように言う。
「真央……」
フェンス越しに、佑月も祈るように見ている。
「悠翔は私の生きる理由だった。悠翔が私の世界からいなくなった今、私が生きる意味なんてないの」
あまりに淡々と言うので、秀は呆然と真央を見つめる。
真央は焦点が合ってないのか、眼を宙に泳がせていた。
「真央、よく考えろって。まだ悠翔が死んでるとは限らないだろ。どっかで生きてるかも…」
「そんなのわかんないじゃんっ。わかってるのは、私の前にいないってことなんだから!」
真央はそう叫ぶと、強引に秀をふりほどきフェンスとは反対方向に走る。
悠翔、今会いに行くからね。
秀は再び真央の腕を掴み、歯を食いしばって真央をぶん殴った。
真央は不意を突かれて座り込み、呆然と秀を見上げてる。佑月は眼を伏せて俯いていた。
秀の手が震えている。秀の頬に何かが光っていた。
「真央が辛いのはわかる。けど、それは俺らだって一緒なんだよ。お前だけじゃないんだ!真央、お前、自分が死んだ後のこと考えてたのかよ。残された一樹は、どんな思いで生きていくと思ってたんだっ。死んだ人間より、残された人間の方が辛いって、わかってたのかよっ」
「秀駄目!」
早口にまくし立てて、秀は呆然と自分を見る真央の胸ぐらを掴む。すると、フェンスをよじ登ってきた佑月が秀を制した。
真央の髪は乱れ、全身が震えている。そんな真央を見て、秀は俯いた。
「真央……」
座り込んでいる真央に佑月は優しく言う。
「秀の気持ちも察してあげてね。真央は間違ってるよ……」
そして、泣きそうな顔をして言った。
「自殺なんか絶対駄目。それじゃあ楠本も悲しむよ。苦しくても生きて、お願いだから生きて。お願い……」
佑月が涙を浮かべながら頭を下げる。
真央の瞳から涙がこぼれる。
私は、何を……。
世界に色が付いてきた気がした。小さく呟く。
「ごめん……ね」